第401話 テゴイ王国
西側小国群と呼ばれる地域に来てから既に半年。
コンビを組んだマルギットとはいくつかの町に拠点を作れるほどの稼ぎを得て、順調に活動していた。
「リィンお茶入れたわよ。…また報告書を書いてるの?」
「えぇ。これが本来の私の仕事ですから」
「はいはい、何度も聞いたわ。アタシもアンタと組めるなら誰にどんな報告してようが構わないって言ったしね」
「すみません。ご主人様のことは今はまだお教え出来ませんが、決して悪い方ではありませんから」
マルギットは私の机の上に入れてきてくれたお茶のカップを置くと、書いていた報告書を手にして内容を読み始めた。
「…ふうん? これってこのあたりの国のことばっかりじゃない。それも一般人目線で。魔物のことなんて全然書いてないのね?」
「魔物は私とマルギットがいればほとんど退治出来る。そうではありませんか?」
「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるのね! アタシ達は最強のコンビだからね!」
そう言うとマルギットは自分のカップだけを持ってさっさと部屋から出ていった。
邪魔者がいなくなったので、私は引き続き報告書をまとめることにした。
帝国やアルマリノ王国で言う西側小国群だが、実際いくつの国があるかというと七つ。
その内、帝国との国境を持っている国は四つ。
西側小国群での最大国土を持つロロイコ王国。逆に最小国土で都市国家のオブフ国。国土の九割が森のケーヒャ首長国。かつては帝国からの観光客で賑わったテゴイ王国。
残る三つのうち比較的豊かなエレガ共和国。ドヘイト国は王制を敷いているけれど、あまり表に出てこないとか。最後にジェーキス魔国。ここの王は魔王を名乗っている。
そして私達が今いるのはオブフ国。他にもロロイコ王国とエレガ共和国にも拠点を置いているけれど、それは宿に泊まらないで済むだけの家でしかない。
「それにしても…どの国も暗い雰囲気しかありませんでしたね」
七国のうち民の暮らしが比較的マシだったのがここオブフ国。エレガ共和国も豊かではあるけれど、それは国としての話であり貧富の差はアルマリノ王国と大差ない。
ジェーキス魔国が治安は最も良いが、国全体が貧困にあえいでいる。しかし最も貧しかったのはテゴイ王国。民は王族や貴族に納める税金のせいで日々の食べ物にも困っているようだった。聞いた話では冬の間に凍死者と餓死者で住民の八割が死んだ村もあったとか。
最早国としての役割を果たしていないようにしか思えない。
私は今でこそご主人様の忠実な僕ではあるものの、かつては神聖イルミナス教国で聖罰隊に所属していた所謂エリートだった。
聖イルミナ教でも貧しき者に施しを、困難に苦しむ者に手を、疚しき心に癒やしを、という教えがある。
正にテゴイ王国にこそ必要なのではないだろうか。
しかし神聖国は帝国を飛び越えて西側小国群に教えを広めることが出来ずにいて、それは神聖国から帝国への入国を禁止しているため。アルマリノ王国やザッカンブルグ王国からの入国は可能だが、そもそも布教に行く宣教師の格好をしていたら帝国の入国を拒否されるだろう。
これら西側小国群の情報は帝国を通る間に消えてしまい、アルマリノ王国に届いていないことが多い。
それだけ帝国が巨大な国家である証明とも言える。この大陸の七割もの国土を持っているため、その力は絶大。但し昨今の上層部の腐敗具合は深刻であり、その最たるが皇帝らしい。
一部の真面目な代官による統治があの国を支えている。
私はそれらを西側小国群の情報とともに認め、ご主人様への報告書としてまとめた。
数日後、私はマルギットと共にテゴイ王国に来ていた。
冒険者ギルドで私達に相談があったからだ。
「それにしても、まさかマルギットが受けるとは思いませんでした」
「なによそれ? アタシだってお金が全てじゃないわ」
「ですが、今回の討伐対象は脅威度Aのマンティコアですよ?」
「いいじゃない。腕が鳴るわ」
テゴイ王国からの依頼はマンティコアの討伐。
しかし彼の国はとにかくお金を出したくないのか、報酬はテゴイ王国の男爵の爵位。ちなみにテゴイ王国の男爵は名誉爵位で給料のようなものはない。
私達は爵位を断り、滞在中の宿を紹介してくれれば良いからと依頼を受けた。
そして最寄りの冒険者ギルドがある町に到着したのだけれど…。
「…ひどいものね」
「えぇ。町に活気がないどころではありません。町全体がスラム化しています」
あちこちにゴミが散乱しているどころか、死体さえも打ち捨てられている。
町の中央にある噴水はとっくの昔に枯れ果てて、水を飲みに来たと思われる者の死体が何体も転がっている。
そしてそれらはいつからかあるのかわからないが腐敗しており、中には骨が見えてきているものやほとんど白骨化しているものさえある。
結果、凄まじい腐臭が町全体から漂っていた。
「アタシもさ、いい生まれじゃないのよ。帝国の端っこの町で物心ついた時には浮浪児やってたわ。その時だって裏通りなんかじゃ時折死体もあったし、きったない場所で寝泊まりなんかもしてたけど…ここまでじゃなかった」
「私は…こんな世界知りませんでした…」
何故?
私の中に生まれた疑問は答えが出るはずもないまま、指定された冒険者ギルドへと歩いていく。
冒険者ギルドの近くはそれでもまだマシな方で、死体なんかはなかったもののゴミが散乱したり酒に酔った男達が道端で寝ていたり、春を売る女達が町角に何人も立っていた。
その中に、異質ともいうべきものを見つけた。
それは私が見ているのを気付いたらしく、頼りない足取りで近くまでやってくると力無い声で話し掛けてきた。
「何か私でも出来るお仕事ありませんか?」
見たところ、年は五歳くらいだ。
まともに食事も食べていないのか身体はやせ細り、声も動きも何もかもが頼りない。
よくよく見れば顔に痣がついているし、頼りない足取りに見えたのも少し足を引き摺っていたからだった。
「アタシ達はこれから冒険者ギルドで仕事を受けるところよ。貴女にあげられる仕事はないわね」
「マルギット」
「リィン、こういうのに施しなんてしちゃいけないのよ。そんなことしても遅かれ早かれ死ぬだけなんだから」
マルギットはその子を無視して先に歩き出した。
けれど私はどうしても放っておけなかった。
「食べ物がないなら少しだけ分けてあげますよ?」
そう言っていた。
私の声がマルギットの耳に入ったのか、ズカズカと足音荒く戻ってくると彼女は私の胸倉を掴み上げた。
「リィン! アタシの話を聞いてたの?!」
「放してくださいマルギット。どんな理由であれ、苦しむ子どもを見捨てるなんて私には出来ません」
私はマルギットの手を振り払うと魔法の鞄からパンを取り出してその子に渡した。
「…ありがとう。食べ物も嬉しいけど、何か出来るお仕事ありませんか?」
「それは、どうして?」
「お父さんがお酒買って帰らないとすごく怒るの。でも家にお金無いから何かお仕事しないと…」
「…まさか、その傷は…」
言葉を無くした。
確かに不条理なことも理不尽なこともこの世界には溢れているけれど、こんな幼い子が親の酒代を稼ぎ、暴力を振るわれることなんて許容されて良いの?
かつて私が信仰した神は、世界の何を救ってくれたというの?
両手を握り締めすぎて手のひらに爪が食い込んでいく。
噛み締めた唇に歯が刺さって血が流れる。
今すぐ暴れ出したい気持ちを抑えるのに必死だった。
「リィン。その辺にしなさい…血が出てるわよ」
「…はい。…あの、私口のとこ切れてしまったのでこれで綺麗に拭いてくれませんか?」
私は小さな布を取り出してその子に渡すとしゃがみ込んで口から顎のあたりまで拭いてもらった。
「ありがとうございます。これはお仕事をしていただいた給金です」
彼女の小さな手に五枚の銀貨を乗せ、それをそっと握らせた。
「…こんなに?」
不安そうに見上げるその子に頷いてあげると、彼女は少しだけ微笑んで「ありがとう」と言って頭を下げた。
この年齢の平民にしては礼儀正しい子だと思う。聞く限りまともな親では無さそうなので、この子の天性の資質かもしれない。
親がいるから本当は任務の対象外ではあるものの、ふとした興味で私は鑑定してみることにした。
パチン
私の鑑定は弾かれてしまった。
何となく、そんな気がしていたから。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。今夜早速ご主人様に報告しなければ。
最後にその子の頭撫でると。
「そのお金はすぐに全部お酒にしてはいけません。お仕事貰えなくて困った時に使うようにするのですよ?」
「わかった。ありがとう」
深々と頭を下げて、その子は立ち去っていった。
「ホント、お人好しね。あんなことしても焼け石に水よ?」
「構いません。私の出来ることをしただけです」
「ふぅん…。なんか前に会った聖イルミナ教の人みたいなこと言うのね、リィンって」
昔はそこにいましたから、とは言えず、あの子が歩み去った方向をただ見ていた。
その日の夜。
マルギットには遅くなったから依頼は明日の早朝からにしたい旨を伝えて私達はこの町で一番高級な宿にそれぞれの部屋を借りた。
今日は珠母組の定例会ではないため、直接ご主人様へと声を掛け魔鏡を繋いで貰った。
「どうしたのリィン? 急いで話したいことがあるって、何事?」
魔鏡の向こうではご主人様が普段着で寛いでおられた。
すぐ後ろにはミルリファーナ様とユーニャ様もおいでだ。
「突然申し訳ありません。このようなことを急ぎ報告することではないのかもしれませんが、どうしてもご主人様に聞いていただきたく」
「リィン、御託や言い訳など必要ありませんわ。セシルに煩わしい思いをさせたくないのであればすぐに要件を話しなさいな」
ご主人様の後ろから珠母組のトップであるミルリファーナ様が苛つきを抑えずに口を開いた。
「ミルル、リィンが話そうとしているんだからちょっとくらい待とうよ。それで、何があったの?」
「は。実は本日テゴイ王国のとある町にやってきたのですが、そこに鑑定を弾く子どもを発見しました」
「そんな離れたところにもいるんだね。お手柄だよ、リィン」
鑑定を受け付けない子どもを見つけたことを手放しで喜んで下さるご主人様。
しかし話はそう簡単なことではない。
「それが…会ってはいないのですが、その子は父親がいるようです。…問題は、その父親はかなり酷い男のようで…」
私はあの子どもと会った時のことを事細かに説明し始めた。
今日もありがとうございました。




