第393話 婚約者
僕の前に置かれた紙には何人かの令嬢の情報が載っていた。
「…セシルさん、僕は…」
「私自身のことを棚に上げてコルにばっかり負担を強いるのは悪いと思ってるんだけど…」
そこでセシルさんは気まずそうに顔を背けた。
彼女も僕も真正の同性愛者じゃない。
セシルさんはユーニャさんの思いを受け止めてからなし崩し的に。
僕は前世が女だったせいで、恋愛対象が男性のまま引っ張られてしまっているから。
お互いに難儀な人生を送っていると思う。
僕はチラリと後ろを振り返った。
そこにはいつも通りの表情をしているクロウがいる。
僕に婚約者をつけるとなったら彼も少しは動揺するかと思ったけれど、特に変化はないらしい。
「コルには悪いけど、クロウにはもう話してあるの」
その言葉に僕は正面のセシルさんと真後ろに立つクロウとの間をキョロキョロと何度も見比べた。
「本当か、クロウ?」
「はい。セシーリア様より『コルチボイス様に婚約者をつける』という話は窺っております」
本当らしい。
「勿論クロウとの関係を終わらせて、なんて言うつもりはないよ。相手の女性にもそれは強要させない。ただ、コルにそのつもりがあるかどうかなんだけど…」
「…構いません。元王族、そして貴族としての責務は果たすべきでしょう。クロウ、お前にも心配いらぬ嫉妬を抱かせるかもしれんがわかってくれ」
「心得ております。元より承知しておりましたので」
貴族の責務は子孫を残し、家を継続していくことにある。
だからこそ僕自身もそれは守らなければならない。
こんな身でなければ素直に応じることも出来ただろうけれど。
「ごめんね。コルが嫌なことはわかってるんだけど…」
「気にしないで下さい。性別が変わったことに興味もありますので。それで、お相手は?」
「一応、そこに書いてある人達ならある程度後ろ盾もわかりきってるから安心な人達なんだけど…私の一押しはこの子かな」
そう言ってセシルさんが差し出してきた一枚の紙を受け取り、そこに書かれていた令嬢の情報を確認した。
「ルイマリヤ・ローヤヨック…? ローヤヨック侯爵の次女、ですか」
「ローヤヨック侯爵は既にランディルナ家との繋がりも深い家だけど、コルとの婚姻で更に深い繋がりを得て貴族会議で発言力を高めたらどうかなと思って」
セシルさんの言うことは一理ある。
しかしそれなら他にもゾノサヴァイル公爵の娘やエギンマグル侯爵の娘だっている。それなのに何故最近陞爵したばかりのローヤヨック侯爵の娘を選ぶのだろう?
ニコニコと微笑むセシルさん。
この人、自分はそんなに頭が良くないとか謀や企みは苦手だって言ってるけど、そんなことはない。
ちゃんと利になることは選んでいるし、何より国内にいたオーユデック、オナイギュラ、ミントウイェの三伯爵を全て叩き潰した手腕がある。
勿論セシルさん自身の企みではないけれど、彼女にはそれを手助けする仲間や部下がいて、揃いも揃ってセシルさんに絶対的な忠誠もしくは敬愛を捧げている。
セシルさんは彼等と話している間に閃くように妙案を出して実行してしまう。
ただでさえ強いプレイヤーに強力すぎるカードを持たせたら手に負えなくなるのは当たり前のことだ。
父上や兄上は今後セシルさんをどうするつもりなのか…。
いや、今はいいか。
それより自分の結婚相手についてか。
「セシルさん、貴族会議での発言力と言いますが…既にランディルナ家はベルギリウス家、イーキッシュ家、ゾノサヴァイル家、ローヤヨック家と懇意です。クアバーデス家、テュイーレ家、ゴルドオード家は次期当主とセシルさんはご学友ですし、恩もあると聞いています。今更貴族会議での発言力を増す必要はあるのでしょうか」
「んー……実はないんだけどね。それに、貴族会議での発言力よりも…例えばデルポイがアルマリノ王国から撤退する、なんて話をする方が今は大きな痛手になるよね」
「なるよね」なんて言い方をする時のセシルさんはやる気がない時。
つまり貴族会議での発言力は建て前ってこと。
単純にローヤヨック家の次女をランディルナ家に取り込みたい?
何故?
僕は改めて渡された資料を読み返した。
「ルイマリヤ・ローヤヨック…ローヤヨック家の四番目の子で次女。幼い頃より博識で魔法の才に秀でていた。但し人付き合いが極度に苦手であり、言葉の理解も知識も問題ないがまともに話すことすら困難。貴族院に入学することもなく現在は実家から離れた町にて一人引きこもって魔法の研究中…」
なんだろう。
すごく嫌な予感というか、どこかで聞いたことがあるような話…。
「あ、あの…セシル、さん?」
「その子、鑑定を受け付けないんだって」
「やっぱり! いくらなんでもまともに話も出来ない相手は僕も困ります!」
「会うだけ会ってみたらいいと思って。それに彼女も魔法の研究続けたいだろうし、コルとの子さえ何人か産んでくれたらランディルナ家で死ぬまでちゃんと養うよ。コルだってクロウとの関係やめたくないだろうし、彼女が他の男が欲しいって言ったらちゃんと紹介するし」
「そういうことではなくてですね! 仮にも当主になる僕の妻がそういう者では困るじゃないですか!」
「大丈夫だよ。私だって最近は公式の場にユーニャしか連れてってないし」
そうだった。
この人もそういう人だった。
しかも僕と同じで真正の同性愛者じゃない。
セシルさんが本当に愛情を注いでるのは宝石だけなのは知ってる。宝石を愛でている時の慈愛に満ちた表情は聖母か聖女にしか見えない。時折やや卑猥な目をしているのは見なかったことにするとして。
「はぁ…どうせ何を言っても無駄なんでしょう? ではとりあえず会ってみる方向で…」
「ありがとう。ローヤヨック侯爵にはもう話をしてあるから、近いうちに顔合わせするよ」
「もう確定させといてよく僕の意見聞きましたね?!」
「はは、コルって最近私に遠慮なくなってきたね。嬉しいよ」
「むっ…ぐ、むむ…」
そんなことを言われたら僕は口を紡ぐしかなくなってしまった。
「ちなみに、コルも恋人や愛人増やしたかったら増やしてもいいよ? ちゃんと素性は明らかにしておいてくれればね」
「段取りのほどよろしくお願いします!! いくぞっ、クロウ!」
さすがについていけなくなって僕はセシルさんの執務室から足音荒く出ていくことにした。
クロウはそんな僕に何一つ言うことなくついてきてくれる。
苛つきながら自分の部屋に入り、荒々しく上着を脱いでクロウに放る。
「コルチボイス様。セシーリア様の仰った通り、私以外の者を侍らせても構わないのですよ? 貴方はランディルナ至宝伯家の次期当主なのですから」
「…僕は恋人にいらぬ嫉妬は焼かせない」
「では、逆に申し上げましょう。他にも何人か侍らせるべきです。それが当主の甲斐性を見せることにもなるのです。セシーリア様もユーニャ様以外を寝室に招いてらっしゃいます」
クロウに言われ、僕も少しは考える。
セシルさんの言い方は明け透けすぎるけれど、クロウの言う通り筋は通っている。
この世界では当たり前のことだから。
同性愛に関して寛容であることも含めて。
確かに、いつまでも前世の価値観や倫理観に縛られていても仕方ないのかもしれない。
結局その晩は結論を出すことが出来ず、僕はいつも通りクロウの腕に抱かれて眠りについた。
それから二週間後、ローヤヨック侯とルイマリヤ嬢を自宅に招くこととなった。
屋敷の前で待つ僕とセシルさん、それとセドリック、ステラ、クロウ。
ローヤヨック侯爵領から招待するに当たって万が一があってはいけないと、今回彼の領地から王都までランディルナ家から護衛を出している。
それがノルファとエリー。
この二人、今では我が家でトップクラスにセシルさんを信奉していると言っても過言ではない。
ノルファは以前家族を助けたことに起因していると聞いている。エリーも最近出身地の村を救ってくれたことで生涯セシルさんに仕えるとその剣を差し出したと聞いた。
騎士団長が少しいい加減なところがあるミオラなので、あの二人が副団長になったことでかなりバランスは取れたはず。
そして遂にその時がやってきた。
門番が門を開けると馬車の一団がこちらに向かってくる。
先頭にいる二頭の馬には我が家から出した護衛の二人がいる。
ノルファとエリーが我々の前に辿り着くと彼女達はひらりと馬から降りて膝をついた。
「只今戻りました、セシーリア様」
「ご命令通り、ローヤヨック侯爵領よりローヤヨック侯、及びルイマリヤ様をお連れ致しました」
「御苦労。二人ともまずは旅の疲れを癒やしてくるといい」
他家の貴族がいる手前、いつもみたいに飄々とした話し方ではない貴族然とした態度を取るセシルさん。
我が義母ながらああいうところは本当にカッコいいなと思ってしまう。
「ようこそローヤヨック侯。遠路はるばるよく来てくれた」
「ランディルナ至宝伯、今年の貴族会議以来だ。こちらこそ、招いてもらい感謝する」
「以前視察の際にはローヤヨック侯に大層な歓待をしていただいたので、今回はこちらがお持て成しさせてもらうよ」
「あぁ、期待しているとも。そうだ、早速だが…ルイマリヤ」
ローヤヨック侯は使用人達の影に隠れてなかなか前に出てこない娘に声を掛けると強制的に前まで出てこさせた。
「この子がローヤヨック侯爵家の次女でルイマリヤだ」
ローヤヨック侯がルイマリヤ嬢の背中をポンと叩くと彼女は少しだけ背を伸ばしてその場でカーテシーをとった。
だが、慣れていないのが丸わかりだ。
膝も手もプルプル震えているし、背筋がしっかり伸びていない。
「はっ、はは、はっ……。は、は、は…」
「おい、しっかり練習しただろう」
ローヤヨック侯は娘にしっかり挨拶させようと少し焦っていた。
しかしセシルさんはわかっていたのか、彼女を急かすでも怪訝な目を向けるでもなく、最初の言葉が出るのを待っていた。
彼女の表情はその長すぎる前髪のせいで何も窺えない。しかしとても良い声をしているのと、ドレスに隠れているけどかなり整ったプロポーションをしているのがわかる。
引き籠もって魔法の研究をしているとのことだけど、しっかり体型維持するだけの運動はしているようだ。
「はっ、は、はじ、初めまして。ローヤヨック侯爵家が次女、ル、ルイマリヤと申します。以後お見知り置きのほどお願い申し上げます」
このことは僕もセシルさんから聞いていた。
彼女が最初の言葉を口にするまでは黙って待っていようと。
「えぇ、初めまして。私はセシーリア・ランディルナ至宝伯。貴女のお父様とは貴族としても取引相手としても懇意にさせてもらっています。コルチボイス」
「はい。只今紹介に預かりましたコルチボイス・ランディルナです。本日は遠方よりお越し下さりありがとうございます」
こうして僕はルイマリヤ嬢と初めて話をすることになった。
今日もありがとうございました。




