第369話 闇の誘い
どうしてこうなった。
私は選ばれた人間だ。
私は王族だ。
何故今ここにいるのだ。
私は王になる男だ。
暗い牢獄の奥。
ディルグレイルは一人ぶつぶつと呪詛のように独り言を呟いていた。
準備は万端だった。
人員も揃えていた。
自分の派閥に入っていなかった第二、第三騎士団はイーキッシュ公爵領へ向かわせ、近衛騎士団と第一騎士団で王宮を制圧、父である国王と兄の第一王子を捕らえて自分が王位につく。
たったそれだけのことだったのだ。
連鎖襲撃を起こすための呪具は計画通りにダンジョンへ設置したし、問題なく作動していた。
二年前に一度テストした時にはしっかり予定通りに発生したため、今回もそれを信用していたのだ。
だが捕らえられてから聞くと連鎖襲撃は発生しなかったらしい。
大事なときに動かないなど、欠陥品にも程がある。
ランディルナ至宝伯が言っていた通りだった。
それだけじゃない。
蒼の血族の集会にはランディルナ至宝伯もやってきて、我らに賛同したと報告があった。
集会後の肉宴にも参加したと聞いたので安心していたが、何故か王宮に現れた。
あれほど綿密に練った計画だというのに、決行日がバレていたら台無しだ。
いや、そもそもランディルナ至宝伯さえいなければ兵士や国王直属の騎士であろうと我らの相手にはなり得ない。
「捕まった後の死刑執行人は私よ。王都中の大観衆の中でみっともなく泣き叫ぶ姿を晒せるように尊厳も誇りも全て踏みにじって殺す。今処刑されるなら村の人たちが味わった苦痛の全てを与えて殺す」
耳の奥に残る、あの女の声。
「私、『理不尽の権化』らしいよ?」
「ひっ?!」
耳に残った声を思い出すだけで寒気が走る。
なんなのだあの馬鹿げた強さは。
隣の牢に繋がれているオードロードは王国内でも指折りの強者であった。
Sランク冒険者に匹敵するほどの戦闘能力のはずが、大人と子ども…いや、ドラゴンとトカゲほど差があったように思える。
Sランクだぞ?
脅威度Aの魔物を単独で倒すことも出来るほどの猛者だぞ?
ランディルナ至宝伯に関しては嘘か誠かわからないが、私の起こした連鎖襲撃を殲滅させたと。そのことで叙爵した。
クアバーデス侯爵領の南にある大森林で起こした連鎖襲撃は、今回の比ではなかった。
質も量も桁違いだったはずだ。
それを殲滅など馬鹿な話があるかと思っていた。
しかし…。
ガチャン
重々しい金属音が響いて牢獄の格子が開いた。
コツコツと足音を響かせて中に入ってくる。
この軽い足音は、奴だ。
他の囚人共もそれがわかっているのか、怯えるような声は上げていない。
一人、いや二人を除いて。
「いっ、嫌だ…わた、私は…」
「ひいぃぃぃぃぃぃっ!」
私の口はろくに動いてくれなかった。
オードロードはうずくまって頭を抱えているのか、悲鳴自体がくぐもっていた。
「こんにちは。ディルグレイル、オードロード、ご機嫌はいかが?」
まるで親しい友人に挨拶するような気軽さと明るさで名を呼んできた。
護衛もつけずに、一人でやってきたのだ。
セシーリア・ランディルナ至宝伯。
だがその顔も声も、いやふわりと香る甘い花のような臭いも、身に着けた装飾品が反射する灯りでさえも、今の私には恐怖の対象でしかなかった。
ランディルナ至宝伯の姿を見ただけでガチガチと奥歯が噛み合わなくなり心臓の鼓動が早まっていく。
「そんなに怯えなくてもいいのに。あ、そうそう。ディルグレイル、貴方の処刑日が決まったよ。多分十日後くらい。オードロード、貴方もね」
この悪魔は嬉々として私達の処刑日を言ってきた。
この牢に入ってから他に処刑された者はいないが、普通はもっと淡々と告げるのではないか?!
本当にこの女は私達を殺したくて仕方ないとでも思っているのか?!
「ま、それはともかく、今用事があるのはオードロードの方だから、ディルグレイルはまた後でね」
「ひっ、ひいぃぃぃぃぃっ! いっいやだ。いやだいやだいやだいやだいやだいやだあぁぁぁぁぁっ!!」
ざざざっとオードロードが牢の中で逃げ回るように石畳を擦る音がした。
「大丈夫、今日は痛いことしないから。今日痛いことされるのは誰だろうねぇ。お父さんかなぁ、お母さんかなぁ…それとも弟さんかな? ひょっとして妹さんかなぁ?」
奴は悪魔らしく、それをとても楽しそうに語りながらオードロードの髪を掴むと力ずくで引きずっていった。
オードロードの家族はこことは別の場所に収監されているらしいが、毎回その家族の拷問にオードロードは連れていかれる。
本人に施されたのは一度だけ。それもここでだ。
奴の叫び声が地下牢全体に響き渡っていた。
同じようにあの女は恨み言を淡々と話し、幼い子どもが遊ぶような楽しそうな声でオードロードの身体をズタズタにしていった。
「ほらほら頑張って? 修道院に行くみんなにお守り作るんだから。ちょっとくらい骨分けてあげようよ」
「ひぃぃぎぃあぁぁぁぁっ!」
うひっ?!
思い出しただけでぞわりとした寒気が走り抜けた。
あんな危険な奴に爵位を与えるとは、父上は気でも触れたのか?
いかに戦闘能力が高くとも、人格そのものが破綻しているではないか。
しかし、今の私には何も出来ぬ…。
力が、もっと力があればこんなところからすぐにでも出て奴に復讐出来るというのに。
口に出さずに、そう考えていた。
そんな時、ふと僅かな灯りしかない地下牢にゆらりと何かが動いた気がした。
気になって目を向けると、そこには闇がいた。
「力が、ほしいのねぇ?」
闇はあまりに場違いな声で聞いてきた。
この地下牢には父上に許可を得た者しか入れないはずなのに、闇はそこにいた。
そして私はこの闇を知っている。
「い、いいところに来た! おい、私を助けろ! ここから出られたら何でも褒美をやる!」
「ほほほっ、それは魅力的な話なのねぇ。けぇどぉ…アテクシそういうの興味ないのねぇ」
ちっ! 相変わらず気持ち悪い話し方をする奴だ。
「だい、だいたいだな、貴様が用意した連鎖襲撃を起こす呪具は役に立たなかったではないか!」
「それは違うのねぇ。大森林のときは上手くいったしぃ、イーキッシュ公爵領のダンジョンでもちゃぁんと動いていたのねぇ」
「ならばなんだと言うのだ!」
「あの綺麗なお嬢さんのお仲間が、ぜぇんぶ殺しちゃったのねぇ。溢れた魔物はだぁれも殺せずに、やられちゃったのねぇ」
「ば、馬鹿な?! 小規模とはいえダンジョンの魔物は数百ではすまぬのに?!」
焦って聞き返したが、この黒ずくめの闇は「ほほほ」と笑うだけで否定も肯定もしなかった。
「くそ…あの女だけではなく手下までも化け物揃いか…」
「そういうことなのねぇ。けぇどぉ…はい、これぇ」
黒ずくめの闇が取り出したのは小さな小瓶だ。
これは見たことがある。
「これは『魔人薬』じゃないのか。こんな失敗作など使えんと前にも言ったはずだ」
これは以前にSランク冒険者のゴランガに渡した物だった。確かに非常に強くなったようだが、それもまたあのランディルナ至宝伯によってやられている。
ゴランガが使っても負けたというのに自分が使っても勝てる見込みなどない。
「これはぁ、あれからずぅぅぅっと改良して改良してちょっと悪戯してすっごく強力になったのねぇ。強くなりたい気持ちとぉ、嫌いな相手のことを考えることでぇ、どんどん強くなれるのねぇ」
「嫌いな相手のことを考える?」
「そぉよぉ。憎む気持ちはとぉっても強いのねぇ。それにぃ、ちゃんと制御できればぁ、元の姿にだって戻れるのねぇ」
闇がプラプラと揺らしている小瓶を震える手で受け取った。
報告では、ドロドロの黒い汚泥のような身体になったと聞いていた。
あの姿は王には相応しくないが、元に戻れるなら問題ない。
「王様になろうっていうディルグレイル殿下にはぁ、ピッタリだと思うのねぇ。当然、制御出来るのねぇ?」
「あっ、当たり前だ! 私は王になる人間だ!」
「ほほほほっ! 期待してるのねぇ。これでぇ、あの綺麗な顔したお嬢さんをやっつけるのねぇ」
それだけ言い残すと闇は通路の影に溶けていなくなってしまった。
後に残ったのは俺の手の中にある小瓶だけ。
ガチャン
小瓶を見つめながらしばらく逡巡していると、格子の鍵が開く音がした。
コツンコツンといつもの足音が聞こえてくるが、それと同時にズルズルと何かを引き摺る音もする。
何を引き摺っているかなど、考えるまでもない。
隣の牢が開き、ドサリと放り投げられる音がするといつものようにあの女は私の牢にも顔を出した。
「思ったより早く終わっちゃったよ。ディルグレイルは退屈してない?」
やけに楽しそうに笑うランディルナ至宝伯。
何をしてきたかはわからないが、オードロードが気絶するほどのことだ。ロクなことはしていまい。
それに、私自身もこの女に恐怖を覚えているせいであまり口が回らない。
それを無視と捉えたのか、彼女は「じゃあ」と言って去っていった。
格子の鍵がかけられた音がした後はこの暗い通路には恨み言や痛みを訴えることだけが響いていた。
「絶対に、あの女の思うようになど、させてたまるか…」
私は手の中にあった小瓶の蓋を開けると、一気に中身を飲み干した。
味はしなかったし、すぐに効果も出なかった。
あの闇に騙されたかと思っていたが、変化が出たのはそれから三日が過ぎてからだった。
今日もありがとうございました。




