第349話 ウィルフリード・ベルギリウス
ウィルフリード・ベルギリウスがミルリファーナと出会ったのは彼が貴族院を卒業し、数年が経過した頃だった。
彼が学生時代に恋をしたのは従者クラスにいた一人の少女だった。
特別美しかったわけでもなく、愛嬌があったわけでもない。どこにでもいる町娘のような少女だった。
しかし彼女とは話すどころか近くに寄ることも出来ずに彼の青春は終わってしまった。
卒業後、しばらくして彼は父親である先代ベルギリウス公爵から命じられて一人の女性と結婚した。
彼女はベルギリウス公爵の寄子である伯爵家の長女で、大きな資産を持っていた。
どちらかといえば武人寄りだった先代ベルギリウス公爵は家の発展を願い、より強い力を持てるようにと息子であるウィルフリードと結婚させることにした。
結婚し、妻となった伯爵家の令嬢がベルギリウス公爵家にやってきた時、彼は運命の再会を果たしたのだ。
学生時代、彼が唯一恋をした従者の少女が妻の従者としてやってきたのだ。
そういえば、と彼は少女が誰の従者だったのか知らなかったと当時今更のように思い出したらしい。
次期当主であり、自分の主人であるベルギリウス次期公爵夫人の夫との仲が深まっていったのは彼女がベルギリウス公爵家にやってきてから一年ほど経った頃だった。
ウィルフリードと夫人の間にはなかなか子宝に恵まれず、夫人のストレスも日に日に高まっていく中、彼女も夫人からの理不尽な暴力に晒されてきた。
ウィルフリードもまた夫人のご機嫌を取るだけ、子作りするためだけの夫婦生活に嫌気が差していたのだ。
二人が結ばれたのは自然な流れだった。
そうして、彼が結婚してから二年。
彼の子どもが生まれた。
母親は妻ではなかった。
妻は激昂し、ウィルフリードが遠くの領地を視察している間に産後間もない従者を鞭打って殺した。
ウィルフリードが家に戻った時、事切れて鞭によって全身の皮が引き裂かれた彼女の姿だった。
美しかったわけでも、愛嬌があったわけでもない。それでも自分が愛した女性は、自分の妻の手によって亡き者へとされてしまった。
絶望に沈むウィルフリードだったが、彼の妻が掛けてきた言葉に自身の業を悟った。
「ねぇ私たちの子、アナタにソックリ。ベルギリウス家の特徴の綺麗な銀髪も、きっと将来私に似てすごい美人になるわ」
膝から崩れ落ちたウィルフリード。
自分の愛した女性が産んでくれた娘は、別の女に殺され奪われた。
だがそれすらも自身が背負うべき業。
彼はひっそりと従者の女性を弔い、娘は妻との間に出来た子として育てることにした。
ずっと幸せだった。
娘は可愛かった。
娘は美しく成長した。
第二王子の婚約者にされた時には少々腹も立ったが、王族に見初められたと思えば溜飲も下がった。
だが、突如として平穏は崩れた。
「アナタ、ミルリファーナは下賤な平民の血を引いていますわ。私達純粋な貴族の『青い血』が流れていませんもの」
妻の発した言葉を理解することが出来なかった。
今までずっと自分の娘として育ててきたはずだった。
可愛がってきたはずだった!
愛していたはずじゃないのか?!
そう叫んだが、妻の耳には届かず。
娘は、蒼の血族という貴族の若者によって組織される集団へと差し出された。
その集団のリーダーがディルグレイル第二王子であり、彼は選民思想の塊で、武闘派で、クズだった。
差し出されたその日のうちに、娘は徹底的に穢された。
家に帰ってきた娘の瞳には暗い闇が住み着いてしまっていた。
そして娘は、妻を、壊した。
「お父様、この女は私の本当のお母様を殺した大罪人ですの。本来ならば八つ裂きにして野犬の餌にでもするところですが、お父様の大切な奥様ですものね? 『青い血』とやらが流れているそうですし、地下で大事に飼育なさって下さいな」
昏い笑みを浮かべる娘は妻の四肢を食い千切り、その顔を血化粧で染め上げていた。
妻は自分で何も出来ない体にされ、娘に執拗に与えられた痛みによって心は既に死んでしまっていた。
こうしてウィルフリードは妻も、美しく可愛らしい娘も失った。
絶望に沈むウィルフリードから蒼の血族の活動資金としてベルギリウス家の資産はどんどん奪われていく。
気付けばウィルフリードには荒れ果てた家と、殺した妻の亡骸しか残っていなかったのだ。
公爵としての地位も、ディルグレイルを支持した以上はすぐに失うだろう。
荒れ果てた屋敷も手放すことになるだろう。
娘はディルグレイルについて王宮へ向かい、親友であり王国最強戦力であるセシーリア・ランディルナによって為す術なく殺されたそうだ。
あの少女…初めて会ったのはザイオルディ・クアバーデス侯爵に王都の屋敷へ招待された時だった。
当時まだ平民で、彼の息子の従者をしていたセシルを貴族にするべく一緒に知恵を出し合ったのだった。
あの少女の才能は凄まじいものがあった。
これからの王国に無くてはならない者になると、クアバーデス侯爵は言っていたが、まさにその通りになったのだ。
ウィルフリードは自虐的な笑みを浮かべた。
あの時自分が余計なことを言わなければ、娘は殺されることはなかったのだろうか。
だが、結局この悪夢は変わらなかったであろう。
全ては自分が蒔いた種なのだから。
それでも、何かに縋りたかった。
誰かのせいにしたかった。
全ては彼自身の弱さのせい。
「失礼する」
埃の積もった執務室へノックも無く二人の男が入ってきた。
二人はミスリルで作られた全身鎧を身に纏い、腰には王家から下賜された長剣を佩いていた。
「何度かお目にかかったことはございますが、改めて名乗らせていただきます。スタイナン・マカフォントと申します。この度陛下より近衛騎士団長に任命されました」
「ゼクセルス・マカフォントです。スタイナンの弟であり、陛下より第一騎士団長を任されました」
騎士団長が二人も揃ってやってきた。
それでウィルフリードは悟った。悟ってしまった。
遂に自分の破滅が訪れたのだと。
「陛下のお言葉を預かってきております」
スタイナンの発した言葉にウィルフリードは力の入らぬ体を軋ませながら何とか片膝をついた。
スタイナンが陛下の言葉を預かっているのであれば、彼の言葉は陛下の言葉も同じ。それを賜るのだから相応しい姿勢を取らねばならない。
「ウィルフリード・ベルギリウス。今回の謀反において首謀者であるディルグレイルに荷担した罪は大きい。よって公爵の地位より退いてもらうこととする」
そこまでは予想通り。
何を思うこともなく、ウィルフリードはその言葉を受け入れた。
問題はその先だ。
「尚、ベルギリウス公爵家にはこちらで用意した者を養子として迎え入れ、公爵の地位はその者に継がせるものとする。ウィルフリード・ベルギリウスは養子を育て上げ、公爵として相応しい者となるよう教育を施すことを生涯の義務とする。以上!」
ウィルフリードはしばらくの間伝えられた言葉を理解出来なかった。
片膝をつき、陛下からの言葉を何一つ拒まずに受け入れよう。
そう考えていた。
それこそ処刑だろうと国外追放だろうと、何もかも失った自分には最早生きている理由すらないのだと、そう思っていたのだ。
「ま、待ってくれ。それ、それでは…私の処分などないようなものではないか…」
「ウィルフリード殿、我々は陛下からのお言葉を伝えに来たのみであります」
「だ、だが…王国へ弓引いたも同然のこの私を許すと陛下は仰っているということに…」
「そうではありませんよ、義父上」
ウィルフリードが騎士団長二人に問い詰めようとしていた矢先、執務室の外からまだ幼さの残る男の声が聞こえてきた。
キィと油の差されていない扉が小さな音を立てて開かれると、そこには成人して間もないような男が立っていた。
男だというのに肩まで伸ばされた真っ黒な髪。
心の底まで見据えられそうな、同じく黒い瞳。
釣り上がった目尻やその姿勢からよほどの自信家にも見えるが、ウィルフリードからすれば子どもであることに違いない。
「そなたは?」
「義父上、私はフィリライズ・ベルギリウスと言います。本日より貴方の息子となります」
「息子、だと…?」
ウィルフリードはフィリライズを見上げながら湧き上がる怒りと無力感に襲われた。
自分が間違えなければ、こんな不名誉な、嘲笑われることもなかったのに、と。
だが怒りはすぐに収まった。
結局は自らが撒いた種。この悲劇はこの手で招いたものなのだから。
その後、マカフォントの兄弟達に促されるまま書類にサインを走らせると彼等はフィリライズを置いて簡単な挨拶だけして帰っていった。
公爵ではなくなったウィルフリードが王宮へ行くことなどほとんどないため、今後会うことはないという理由からだろう。
そしてフィリライズは立ったまま、近くに転がる公爵夫人の亡骸を一瞥したあとウィルフリードに話し掛けた。
「義父上、ひとまずそこのそれを片付けてしまいましょう。全ての話はそれからです」
「…っ! …わか、った…」
ふらふらと、今にも倒れてしまいそうなほど頼りなく立ち上がったウィルフリードは物言わぬ骸となった妻の体を持ち上げようとするが、食事も睡眠もまともに取っていなかった彼はバランスを崩して倒れ込んでしまった。
フィリライズはそれを見て何も言わずに骸を掴むと、どこからか出した麻袋に詰めて肩に担ぎ上げた。
「さぁ、時間を無駄にしたくありません。急ぎましょう」
妻の骸を敷地の片隅へと埋葬したウィルフリードは、フィリライズに問われるままベルギリウス家のことを全て教えこんでいた。
この義理の息子に全て教えてしまえば自分の役割は終わり。そうすれば妻と愛する女性の下へと旅立てる。
正に寝る間も惜しんでフィリライズに様々なことを教えていく。
ベルギリウス家の財政状況は極めて悪く、そこらの男爵家と変わらない程度の資金しか残っていない。
また雇っていた者達も残っていないので、屋敷を管理することもままならない。
借金をしようにも第二王子派にいたベルギリウス家に金を貸す貴族などいないも同然だった。
「お前もついてないな。こんな落ちぶれた公爵家を継がされるとは」
「いえ、私はとても幸運です。落ちぶれようと、『ベルギリウス公爵家』は残っています。必ず立て直し名誉挽回します」
一つ一つの書類に目を通しながらフィリライズは何も気負うことなくそう答えた。
「立て直す? この家をか? お前に出来るものか」
「出来る出来ないの話ではありません。やるのです」
もう四日ほど僅かな食事と水だけで過ごしているが、フィリライズは疲れを一切見せることも無ければ身嗜みを崩すこともなかった。
ウィルフリードは髪はボサボサ、髭も剃らずに身体からは異臭が漂っているというのに、この義理の息子は全くそんな素振りを見せない。
「お前は、優秀だな。私は…家も金も地位も名誉も、妻も愛する女性も必ず守ると誓った娘すらも失った…。もはや何も残されていないただの抜け殻だ。この家に残った僅かばかりの金を持って国外へと逃げればまだ生きていく術もあるだろう」
このままフィリライズに全てを与えて、自らは早々に命を絶とうとしている。
ウィルフリードにはそれしか残された道はないのだと、暗に語っていた。
「義父上、悲しいことを言わないで下さい。私は貴方に生きていてほしいです」
「…何のために生きろというんだ! 私はっ、私は愛する家族を自分の馬鹿な行いのために、家族を律することも出来なかった愚か者だ! 私は…生きる価値など、ないのだ…」
疾うに枯れたと思っていた涙がウィルフリードの頬を伝って床のカーペットに染み込んでいく。
拳を握り締めるが、力の入らない今の彼では手のひらに爪を食い込ませることすら出来ないでいた。それが一層ウィルフリードを追い込んでいく。
その時、悲しみの涙を流す彼を何かが優しく包み込んだ。
それはとても柔らかく、懐かしい匂いがした。
そんなはずはないのにと、間違えるはずなどあるわけがない。
なのに、確かに愛する娘と同じ匂いがしたのだ。
はっとして顔を上げると、そこには優しく微笑むフィリライズの顔があった。
それを見たウィルフリードはやはり現実は変わらないのだと、再び顔を歪ませて悲しみの涙で濡らしていく。
「…お父様、もう一度こちらをご覧になってくださいませんか?」
「…え……あ、ああぁ、ああぁぁぁああぁあぁぁぁぁっ…」
ここにいるはずない。
確かに死んだと聞かせれていた。
愛する娘の顔が、そこにはあった。
「ミッ、ミルリファーナ…あぁ…ミルリファーナッ!」
「はい。私ですわ、お父様。ミルリファーナはここにおります」
力は入らない。
だが、残る全ての力を使ってでもと、ウィルフリードは全力でミルリファーナの身体を抱きしめて、喜びの涙を流した。
今日もありがとうございました。
三人称視点はひとまず今回までとなります。
次回からはセシル視点へと戻ります。




