第322話 祖父
馬車に揺られながら数日。
非常に治安の良い領地で魔物や盗賊なんかには一度も遭わず。アルマリノ王国自体の治安の良さはもちろんあるけれど、特にこのイーキッシュ公爵領は街道もしっかり整備されているせいか旅の疲れも出にくい。
そしてイーキッシュ公爵領都シャイアンに入った私達。
馬車自体はカボスさんのものだけど、今回は貴族である私が乗っていることもあり、貴族用の門から入った。
一般用の門より通る人が少ないので快適に町の中に入ることが出来た。
その代わり、私はこれから真っ直ぐ領主館へ向かうこととなる。宿を先に取ることも出来ないし、一人町中を歩いていくことも出来ないのでみんなにもそのまま付き合ってもらうこととなってしまった。
さすがに公爵相手だからね。
他の貴族とは一線を画す存在だ。ちょっとしたことも無礼に取られかねない。
「先触れは出していないが、先日手紙でイーキッシュ公を訪ねる旨を伝えたランディルナ至宝伯だ」
領主館の門に立つ兵士に紋章入りの短剣を見せると彼等は脇に避けて馬車を通してくれた。
そのまま領主館の庭園を馬車で進み、玄関のロータリーで私とアイカ、クドーを降ろすとそのまま停車場へと走り去っていった。
「お待ち致しておりましたランディルナ至宝伯様。ご案内しますのでこちらへ」
「突然の訪問で申し訳ない。よろしく頼む」
普通の来客なら家令あたりが案内するのだろうけど、私達を案内してくれているのは多分執事だろう。
まぁ公爵ともなれば執事も何人かいるかもしれないけど。
それから濃紺のふかふかなカーペットの上を歩き、豪華な調度品が置かれた応接室へと通されると、そこでしばらく待つように言われ、私達はそれぞれがソファーへと腰を下ろした。
「セシルはこの領地をただ素通りするつもりなんやろ?」
「うん、そのつもりだよ。何かやりたいことでもあるの?」
まだ腰を下ろしたばかりで部屋付きのメイドもお茶を淹れている。
「やりたいっちゅうか…折角なんやし、ここらのダンジョン潜ってみてもえぇんちゃうかなって」
「ん-…私はあんまり興味ないけど、アイカとクドーにとっては良さそうだもんね」
葉を蒸らし終え、メイドがようやく紅茶を私達の前に置いてくれた。
「そうやねん。勿論、あんまり時間掛けへんようにウチもクドーも目当てのダンジョンには一人で行ってくるさかい」
両手を顔の前で合わせて私を拝んでくるアイカ。
クドーもこちらを気にして目線を寄越している。
日程に多少の遅れが出たところであまり困ることはない。何せ結局ほぼ毎日屋敷には戻ってセドリックやステラ達に指示はしておいたし、先日はカンファさんにも会っていろんなことを話したばかりだ。
王都内に私から出向いて話をしておきたい人が何人がいるけれど、ここに来て数日遅れたところで大きな問題が起こるとも考えにくい。
私が気になっているのは別のこと。
(ねぇメル。アイカとクドーが行こうとしてるダンジョンって深さはどのくらいなのかな?)
(アイカ目当てのところは最深部が七十二階。クドーのところは最深部が六十一階。最深部のボスでも二人なら楽勝なのだ)
それじゃ気になるのは罠くらいのものかな。
「二人がダンジョンに行くのは問題ないよ。でも罠とか心配だから、ちゃんと二人で潜ること。それが条件だよ」
「おおきに! やっぱセシル大好きやねん!」
「すまない。感謝する」
「いいよ。私もいろいろ付き合ってもらってるからね。あ、でも宝石とか強い魔物の魔石が手に入ったら譲ってほしいな」
「そんくらいお安い御用や! ほな、この用事済んだらウチとクドーは自由行動にさせてもらうで」
満面の笑みを浮かべるアイカに抱き着かれ、今夜の予定を考えておく。
二人ともすぐ出発するなら屋敷に戻るのは私だけになるかなとか、宿はどうしようとか、そんなことを考えていたらドアにノック音が響いた。
「お待たせした。久しいな、ランディルナ伯」
「お久しぶりでございます、イーキッシュ公。先日手紙でお話しました通り、視察中立ち寄らせていただきました」
イーキッシュ公の年齢は六十後半。顔に刻まれた深い皺は積み重ねた経験と知識が宿っているかのように、とても知的な雰囲気を纏う男性だ。
オールバックにした髪も握り拳一つ分ほど伸ばした髭は真っ白になっていて、時折髭を撫でる仕草にも風格が現れている。
以前貴族会議の後に催された夜会で少しだけ話すことが出来たけれど、あの時は社交辞令のような挨拶だけだったから、こうして面と向かってしっかり話すのは今回が初めてになる。
「鉱山視察を陛下より依頼されたのだったな。貴殿の仕事振りは他の貴族共にも見習わせたいものだ。我が領地にも金だけせびり、大した仕事もせん貴族がいくらでもいる」
「私は私の出来ることをしているだけです。イーキッシュ公はアルマリノ王国でも最大の収益を上げる領地を運営なさっていますが、私のしていることは各領地の利益をほんの少し上乗せする程度のことですから」
「『ほんの少し』と? 恐らく貴殿がローヤヨック伯爵領で行った宝石加工の技術提供は今後の王国で五指に入るほどの収益を上げることとなるだろう。その時に貴殿の名前は表に出ることなく、ローヤヨック伯爵の名前だけがその宝石の産出地として広まることになるのが残念だ」
技術だけだからそんなものでしょうよ。
というかそんなに表に出たいと思ってないから。
「加えて、貴殿の抱えるカーバンクル商会、ヴィーヴル商会の二つは王都だけでなく王国内でも屈指の利益を上げている。我が領地にも出店の打診があったばかりだしな」
「…その二つの商会についても、私はオーナーとして出資しているのみ。その成果は彼等自身の頑張りによるものでしょう」
なんかさっきからやたらと持ち上げてくるけど、なんなんだろう?
普通の貴族ならなんとかその利益の恩恵を得ようとあの手この手で貶しては『自分ならもっと上手く出来る』とか売り込んでくるのに。
「その謙虚な姿勢こそ、他の貴族共にはないものだと気付きたまえ。奴等は自分の手柄をこれでもかと主張してくるような連中だぞ」
「…事実を述べておりますので。ですが、閣下の仰ることもごもっとも。今後は注意致します」
確かに謙虚な貴族ってあんまりいないもんね。
今後は褒められたら受け入れるくらいのことはしておこう。
それにしてもよく調べてるね。
ローヤヨック伯爵領にいたのは一カ月くらい前のこととは言え、私がやっていたことの詳細をほぼ把握してるみたい。
こういう情報収集能力も大貴族には必要なのかもね。
「とはいえ、折角我が領地を訪れてくれたのだ。自慢のダンジョンでも潜っていってはどうかね? Sランク冒険者の実力を是非とも見せていだきたい」
「…折角ですが、私は少し休ませていただこうかと思っています。代わりにこちらにいる私の従者二人がダンジョンに入りたいと言っておりますので、それで…」
「ふむ…Sランク冒険者の従者ということであればその者達の実力も折り紙付きと見ても?」
「私に匹敵するとだけ申しておきます」
怪訝そうな表情でアイカとクドーを見やるイーキッシュ公に対してニッコリと微笑んでおく。
クドーとアイカの実力はSランク相当なのは事実。それはSランク冒険者ゴランガと比較した私が実感しているのだから間違いない。
「ならば成果を楽しみにしていよう。その間、ランディルナ伯には私と仕事の話でもしようじゃないか」
…折角ゆっくり休もうと思ったのに。
イーキッシュ公相手じゃ気疲れして休めないよ。
「従者方は早速ダンジョンに向かってもらうが、良いかね?」
イーキッシュ公に問われ首肯するアイカとクドー。
ちゃんと喋ってよ。
「…すみません、彼等は貴族と話すのが苦手でして…」
「冒険者などそういうものだろう。ではランディルナ伯だけ付き合ってもらうとして、君達は早速向かってくれたまえ」
私からも二人に一つ頷くと、彼等は「ご愁傷様」とでも私に言いたげな笑顔を浮かべた後、意気揚々と応接室から出て行った。
折角空いた時間で宝石の整理とかいろいろしようと思ったけど…これも仕事か。
「さて。早速だが私の執務室へ来てもらおうか」
「はい。お供いたします」
イーキッシュ公は立ち上がりドアの方を顎でしゃくると、私にも立つよう促してきた。
そしてすぐに応接室を出ると屋敷の中を更に奥まで歩き、イーキッシュ公が普段仕事をしている執務室まで辿り着いた。
到着してしばらく、本当に仕事の話ばかりだった。
クアバーデス侯から聞いていたらしく、自領の運営についての意見などを求められた。
いくつかはそのまま話をしたけど、クアバーデス侯にも伝えていないようなことは無料にはさせず、ある程度の条件の下で意見を述べていく。
そうして話し込んでいるとやがて陽も傾いてきたため、そのまま領主館で夕食をいただき一泊していくことになってしまった。
同行している商人達がまだ宿も取らずに待っているからと遠慮したのだけど、既にイーキッシュ公が手を回して彼等とアイカ達の宿は確保されていたため断ることも出来なかった。
仕方ないから屋敷に戻るのは夜寝る前だけにしないと。
「お疲れかね?」
食後、領主館の食堂で紅茶を飲んでいるとイーキッシュ公がワインボトルを手に声をかけてきた。
食事中もずっと領地内の産業、治安などの話を続けていたので既にかなり話し込んでいたのだけど、彼はまだ私と話をしたいらしい。
「慣れないことばかりでしたので少し。けれど、イーキッシュ公は毎日こんなに領地内のことについて考えてらっしゃるのだと、尊敬の念に絶えません」
「そうでもない。少し、付き合ってもらいたい。仕事のことではなく個人的な話だ」
イーキッシュ公に誘われるまま、彼について行くと領主館の中庭へと案内された。
屋敷から漏れる灯りだけを頼りに歩いていくと、目立たない場所に小さなガゼボが現れ、彼はその中に入り椅子の一つに腰を下ろした。
「さぁ掛けてくれ。これはバッガン男爵領の十七年物のワインだ」
私の返事を聞くより早く彼は小気味良い音を立ててボトルを開けると自分と私の前にグラスを置いてトクトクと半分ほど注いだ。
薄暗いガゼボの中、グラスを差し込む月の光に透かせると濃い赤紫色がゆらゆらしながら顔を照らしていた。
ルビーのような、ガーネットのような、そんな色合いだろうか。
ルビーも赤ではあるものの、紫がかった色合いになったりもするし、ロードライトガーネットは正に赤紫色だ。
「十七年。ちょうど貴殿が生まれた年に、このワインは生まれた」
「そう、ですね」
なんだろう。私と同じ年のワインを出すとか…口説き落とそうとしてるわけじゃないだろうけど。
「そして……イルーナがセシル、君を産んだ年でもある」
「…は? え? いる、え? な、んで…?」
「…イルーナは、私の娘だ」
今日もありがとうございました。
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