第317話 ナインテイル
翡翠を回収した私は一度王都の屋敷へ戻って夜を過ごし、翌朝再び同じ場所へと戻ってきていた。
「もう翡翠は集め終わったし、まだ何か集めるのだ?」
「んー……多分アゲートとかはあるだろうけど、宝石よりも冒険者としての仕事だね」
昨日周辺を調べたところ、脅威度Sの魔物を一体、脅威度Aの魔物を多数確認している。
この場所自体が普通の人間が立ち入れるような生易しい環境ではないので、放置するかどうか悩みどころではある。
この河原はまだ平らなんだけど、この川の両岸は切り立った崖になっていて崖の上まで三百メテル以上ある。東京タワーをフリークライミングで登るようなものだよね。
川自体の流れも急だし、落ちたら最後あっという間に流されていく。
山道もあるのはあるけど、多数の魔物が住み着いているし、ところどころに崖があって二十メテルくらいの段差が続いていくようなおかしな山だ。
私みたいな宝石採集やアイカのように希少な薬草を採取するならともかく、普通の人が入り込むような場所じゃない。宝石も薬草もここにしかないようなものなんてほとんどないんだから。
「んで、ウチも一緒に魔物退治せぇっちゅうことかいな」
アイカもちょうど薬草採取に来ていたので、見つけ出して同行してもらっている。
もっとちゃんと調べていれば昨夜も一緒に連れ帰ったのに、申し訳ないことをした。
「薬草採取は終わったんでしょ?」
「薬草以外にも採取するんは仰山あんのやで? そのついででえぇんやったら手伝ったるわ」
「それでいいよ。私はもう宝石集め終わったから」
「おっけーや。ほな行こかー」
私達の前に立って先頭を歩き出したアイカを追って獣道でしかない山道へと足を踏み入れた。
ガサガサと植物をわけながら歩いていく。
剣で切り払いながら進むことも出来るけど、アイカからNGが出てしまった。
なので植物操作で藪の方に避けてもらっているんだけど、ずっと人の手が入らずに育った植物は好きなように成長していて植物操作をしても完全には避け切れない。仕方ないのでそれらは手で払って進んでいる。
「どう?」
私は藪を動かしながら後ろを歩くアイカへと声を掛けた。
最初は前を歩いていたアイカだけど藪が酷くなってからは私と入れ替わっていた。
アイカも植物操作は使えるけれど、四則魔法(下級)のレベルはそんなに上がっていないので私ほど自由には扱えない。
そのため藪で体中に小さな切り傷が出来てしまったので、こうして私と入れ替わったわけだ。
「もうちょいやな。さっきからずっと同じ場所におんねんけど、ウチらが近付いてんのもわかっとんのとちゃうかな」
「わかってて動いてないの?」
最初に向かっているのは脅威度Sの魔物のところだ。脅威度Aの魔物は群れのボスみたいだから、どれも時間がかかりそうだったから。
それからアイカと二人で黙って歩き続けた。
メルは藪に入ったところで姿を消したので、うるさくなくていいけど、絶対藪に引っかかるのが嫌だったんだろうね。
それにしても…私の方でも補足してるんだけど、確かにあの魔物は全然動く気配がない。
弱ってるわけじゃなく、私達を甘く見てるのかな?
そうして慎重に進んでいくと、やがて藪も途切れて開けた場所に出ることが出来た。
そこにその魔物はいた。
「あれ? 魔物?」
「…またえらい珍しい魔物がおったもんやな…」
それは開けた場所に植物で出来た玉座に座っているかのように、じっとして動かずに私達に視線を寄越すことすらしなかった。
そして何よりもその姿。
人間と同じような姿をしていて、見た目は絶世の美女と言っても過言ではない。
長く真っ直ぐな金髪はサラリと風に流れ、肌は雪のように白い。顔立ちは王国内ではあまり見掛けないけれど、どちらかというと日本人っぽいあまり凹凸のない造形をしている。
体も私とは比べ物にならないくらいグラマラスで、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。どこのモデルだよって言いたいくらい全てにおいて整っている。
ただ最大の特徴は何と言っても彼女の腰のあたりから生えている尻尾だ。
「あれ、キツネ?」
「せやな。ナインテイルっちゅう魔物や。妖狐っちゅう魔物が、三百年生きて大量の魔力をその身に宿すことで進化するとか聞いたことあんな」
「ナインテイル? 九尾の狐ってことか。というか、あんな姿してるんだし話とか出来るのかな?」
気になったのですぐ隣にいるアイカに聞こうとしたところ、正面からとても艶やかな声でその答えを教えてもらった。
「さっきから話しとんのは聞こえてますぇ」
京都にいる舞妓さんみたいな話し方で私に答えてくれたナインテイルは、ようやく視線を私達へと向けていた。
同時にその身体から威圧的なほどの魔力が彼女を脅威度Sの魔物であることを示していた。
ここまで凄まじい魔力はエルダーリッチになったデリューザクスに匹敵している。
彼女に本気の魔法を撃たれたら辺り一帯更地になるだろう。
だからと言って私が勝てないということはないだろうけど。
「ごめんなさい、話が出来るとは思ってなかったから」
「気にしいひんで。ほんで、何しにきたん?」
ゆったりと話す言葉からチリチリと肌がひりつくような威圧感を受ける。
しかもそれだけじゃなく、頭の中でけたたましく警報が鳴り響いているのがわかる。
これは今まさに精神的な攻撃を受けている証拠だ。
現にアイカは片手で頭を押さえて、必死に抗っている様子。
「近くに来たら、ここからすごく強い魔物の気配がしたからね。この領地の人達にとって危険な魔物なら退治しようかと思ったんだよ」
「ほぉ…せやったらウチはどうやろうか?」
『退治』という言葉に反応したのか、今までただ威圧されるだけだった魔力に鋭さが交じった気がする。
そればかりか脳内の警鐘がさっきまでの比じゃない。そしてそこまでされてようやく私に向けられていた攻撃が何だったのかわかった。
「同じ女なんだから『魅了』なんてしなくていいでしょ。問答無用で攻撃してくるなんて危ない魔物を放置するわけにはいかないよ」
「…あんたの方がウチよりよっぽど魔物なんとちゃいます?」
「私が魔物? 人間ではないけど、それはちょっと酷いんじゃない? それに貴女だって姿は人間みたいなものでしょ」
「そうやなぁ…。姿だけなら亜人とほとんど変わらへん」
ん?
亜人?
貴族院でも聞いたことのない単語に思考が止まってしまった。
けれどナインテイルは私に攻撃を仕掛けてくるでもなく、今まで通り玉座に座ったままだ。
「亜人なんて聞いたことないけど、貴女みたいな魔物のこと?」
「なんや、亜人を知らへんの? ウチみたいな魔物やのうて、獣の因子を身体に取り込んだ種族のことや」
どう違うのかよくわからない説明だった。
元となる素材が違うということなら確かにそうかもしれない。
「それに、亜人は生まれてくる子も亜人なんやで。ウチやあんさんみたいな上位種族は同じ種族やないとアカンけど」
そういえば英人種になる時にそんな説明があったね。だからずっと進化することを保留していたんだ。
「なるほど…いろいろ教えてくれてありがとう」
思い出しながらナインテイルに答えると彼女はふっと柔らかく微笑んでみせた。
それと同時にずっと頭の中で鳴り響いていた警鐘がピタリと止んで、アイカも頭を押さえていた片手を下ろし訝しげな顔でナインテイルを見つめた。
「ちゅうか、そのナインテイルとウチのキャラがメッチャ被ってんねんけど! 関西弁喋るんはウチだけでえぇやろ…」
「そら堪忍なぁ。ほんで、あんさんらはウチをどないしはるつもりや?」
これだけ話をしてしまうと、今更討伐するのもちょっと気が引ける。
相手が本当に人間に対して危害を加えるような魔物なら問答無用で討伐してしまえるのだけど、どうも彼女からはそんな感じがしない。
「一応聞くけど、人間に危害を加えたりは?」
「そないなことしまへんわ。最後に人間に会うたのなんて百年以上も前のことやし…」
ナインテイルの妖艶な瞳をじっと見つめる。
嘘をついているような気配はない。
アイカの方へ視線を向けると彼女も頷いてくれたのでまず間違いはないだろう。
このままここでただ生きているだけなら放置していてもなんら問題は無さそうだ。
「…討伐は止めるよ。その代わり」
「その代わり?」
「友だちになろうよ」
長生きしてるだけあっていろんなことを知ってるみたいだし、私としてはこれっきりの仲になるのはちょっと寂しい。
気前の良いお姉さんって感じだし、また来ていろんな話を聞いてみたいと思った。
そんな私の言葉に、ナインテイルのお姉さんは手の甲を口に当てて大きな声で笑い出した。
正しく「おーっほっほっほっ」とでも言いそうなものだけど。
「ふふっ、あぁ…久方振りに笑わしてもろうたわ。えぇよ、あんさんが『友だちになりたい』言うんなら、ウチも大歓迎や」
「そうなの? じゃあ…」
「けど……堪忍な」
一瞬彼女の言葉が理解出来なくてまたも思考が止まってしまった。
けれど今度はナインテイルはその身体に魔力を滾らせて襲いかかってきた。
ガキンッ
並列思考のおかげで彼女と話したままの私じゃない私が一瞬で間合いを詰めてその爪を振り下ろしてきたのを結界魔法で防ぎ、耳障りな金属音を響かせた。
『なんで?』と私が思うよりも早く、戦闘状態になった私から溢れ出した力の奔流はナインテイルを吹き飛ばし、その身を玉座へ叩きつけると植物操作を使って動けないように縫い付けてしまった。
「う、くっ……」
「なんで…なんでいきなり、こんな…」
「…あんさんは甘いお人どすなぁ…。けど、えらい優しいお人やわぁ」
私が彼女の意図を図りかねていると、ナインテイルは攻撃的な魔力を引っ込め、さっきと同じように柔らかく微笑んだ。
なんで痛い思いして、こんなことしたのか全然わからない。
頭の中に無数のハテナマークが浮かんでは消えていく。考えてもまるで答えがわからなかった。
「セシル。そのナインテイルはな、もう寿命なんや」
アイカの言葉が、正解だとも思えずにただ間の抜けた顔で「え?」と聞き返すのが精一杯だった。
今日もありがとうございました。
感想、評価、ブクマ、レビューなどいただけましたら作者がとても喜びます。




