第232話 破滅
ちょっとグロい表現がありますのでご注意ください。
真っ白だった。
かつて園に引き取られるまで過ごした故郷の町。
真冬だと言うのに母親に家を追い出され、行く宛ても無くちらちらと舞う雪を自身に積もらせながら町を彷徨った。
大きな川にかかる巨大な橋の下で小さな身体を震わせて見た町並みは真っ白に染められていて。
まるで音も消えたかのようにその景色に見入っていたけど、私の意識はそこで途切れる。
次に目を覚ましたのは真っ白な天井。自分にかけられている同じく真っ白なシーツを見て首を傾げた。
通行人が橋の下で倒れている私を見つけて救急車を呼んだと、看護婦さんから聞いた。
こんなところにいたらきっとまた母親から酷い折檻を受けるに違いないと、私はこっそり病院を抜け出したんだ。
結局家に帰ったら母親は私のことなんか目にも入らないかのように無視し続けていたけど。
あの時の、母親から追い出され世界から見放されたような絶望感、帰ったのに何も言わずいないものとして扱う母親の冷たい目。
世界から色が抜け落ちて、頭の中で何も考えることが出来なくなってしまう。
今私の中にあるのはそれと似たようなものなんじゃないかと思う。
真っ白だった。
私の頭の中が。
目の前の風景は赤と黒とくすんだ肌色に染め上げられていた。
「あ…あぁ…」
言葉も無く、その地獄のような中を歩いていく。
私のあげた魔石の反応がある場所はもう目の前だ。
「あ……キャ、キャリー?」
返事はない。
ずっと昔、ゴブリンを始めて殺した時に見た夢で血塗れになったキャリーを見たことがある。
その時のキャリーよりも大人になっているけどそれは顔だけ。
体は……ぐちゃぐちゃでわからない。
「う、そ…だよね…。だって、ハウルと、けけ結婚、するんだって…」
キャリーの顔は憎悪と絶望を濃縮して塗り固めたように恨みがましい目をしたまま事切れていた。
一体何があったらここまで憎悪と絶望の表情を浮かべられるのか。
それは彼女の身体を見た時に気付いた。気付いてしまった。
キャリーの致命傷は無い。死因は多分ショック死。
その原因…彼女は生きたままお腹を引き裂かれ…ハウルとの赤ちゃんを無理矢理抜き取られたものだ、と。
そして肉付きの良かった乳房と大腿部だけ食い千切られて。
こんな残酷な死に方って無いよ…。
「…こんな、こんなことって…。こんなのって……無いよ…」
周りを見れば、避難していた村人は全員ここにいる。
コールのお父さんと二番目のお姉さん。いつも挨拶してくれてたお婆さん。森に採集に行く時、いつも私を気にかけてくれたおばさん達。村長や顔を知ってるだけの人達も…多分自衛団を除くほぼ全員ここにいる。
せめて、安らかに眠ってほしい。
「聖浄化」
アンデッドすら浄化する聖なる力が絶望、憎悪、怨嗟といった負の感情を洗い流していく。
一人一人埋葬してあげたいけど今はそこまでの時間がない。
後ろ髪を引かれる思いだったけどその場に背を向けると村の南側へ向かって走り出した。
辿り着いた場所は木々が薙ぎ倒され、焼け焦げ、血臭漂う戦場のようだった。
その中に見つけたのは身体が五つに分かれて内臓が溢れ出している父さんと頭の左半分を食われ脳が丸見えになってしまっている母さん。
ハウルやその両親もいた。
両親は多分、としか言えない。頭は無くて持っていた武器があの二人が愛用していた特注の剣と槍だったから。
ハウルは頭から下が真っ黒に焦げていて、炭のようにボロボロと崩れている。
全員が全員、絶望と狂気と憎悪に塗れた表情のまま事切れていた。
「なんで…なんでこんなことに…」
力が抜けて血でぬかるんだ地面に膝をついた。
私がいれば、みんなを守れた、かな。
大森林の様子がおかしいと思った時にもっとちゃんと対処していれば?
なんで?
どこかで間違えた?
おかしいでしょ?
「どうしてこんな理不尽なことがあるの!! こんなこと、許されるわけないっ! 許されてたまるかあぁぁああぁぁあぁあああぁぁぁっ!!」
バチャンと血で出来た水溜まりに拳を叩きつけると、自分の顔に跳ね返って泥にまみれた。
頭の中が理不尽な出来事への怒りと後悔で沸騰しそうになる。
ここで暴れても何の意味もない。
それだけはわかっている。
そのことが私を少しだけ冷静にさせてくれた。
「…みんなも、安らかに…聖浄化」
聖なる光が降り注いで辺りを満たす血の臭いを消し去り、負の感情やエネルギーをも洗い流していく。
村のみんながアンデッドなんかになったら私はきっと気が狂ってしまう。
だから魔物になんかさせない。
綺麗な心で転生してもらいたい。
「…そういえば…ディックがいなかった、よね。最後の反応のところにいるのかな」
フラフラとした足取りで村へと向かう。
走ればすぐだけど、もうそれだけの気力が私に残されてはいなかった。
引き摺るように足を動かして一時間も歩いた頃にようやく村に着いた。
そしてそこで感じ取る魔物の気配。
…まだ、村の人を嬲るつもり?
人としての尊厳すら与えないつもり?
「うわあぁぁぁぁっ!」
その声が自分から出たことすら気付かないまま魔人化を使って魔物の元へと向かった。
あっという間に視界が後ろに流れていく様子をそれでも遅いと思いながら辿り着いた。
ここはコールの家、というか店。
建物自体はとっくに崩れていて、その瓦礫の中を掻き分けるように侵入している三体の魔物がいた。
あれはコボルト。多分上位種だと思う。ウォーリアとかロードとかそういうものだったはず。
なんであれ、そんなものが私達の村で好きにしていい道理がない!
「あぁぁぁっ! 重力魔法 過重接!」
強力な重力を掛けられたコボルト達は地面ごと窪みながらあっさり地面に這いつくばった。
そして私自らもその過重力空間に入っていくとコボルトの頭を掴んで持ち上げた。
「……っ! 死ねっ!」
ぐっと力を込めるとコボルトの頭は簡単に砕け散り、頭を無くした身体がその場に崩れ落ちた。
そしてその残骸と残る二体に爆発魔法を使って爆散させると流れた血やバラバラになった肉片も割れた地面の中へと消えていって後には何も残らなかった。
そして私の目に入ったのは薄い防御膜の中で震え続けている一人の子どもの姿だった。
「…だ、だれ…?」
そしてその声は私がよく知る、とても大切な家族、ディックのものだった。
「んぐんぐっ。あむっ、んんっ!」
「ほら、もっとゆっくり食べなきゃ」
「だって全然食べてなかったからっ」
「もう…。でも本当に生きててくれて良かった…。良かったよぉ……」
「あぁもう、ねえねまた泣いてる」
ディックに会えた喜びを強烈なハグで表そうとしたら「ねえね臭い」と言われ、激しくショックを受けたり。
屋内で暗かったから建物を吹き飛ばしたら血と泥にまみれた顔を見たディックが青褪めてドン引きしたり。
感極まって泣いてると頭を撫でてくれるディックが可愛い。
ちなみにディックを覆っていた防御膜は渡しておいた魔石の効果だった。自重無しで作ったものだったので魔物からの攻撃にずっと耐え、私が来るまで持ちこたえることが出来たみたい。
それでも内包魔力が残り一割を切っていたからかなりギリギリだったのは間違いない。
念の為魔石に魔力を注いでおいたのでこれでまたしばらくは大丈夫。
「ディックだけでも生きててくれて…良かった…」
「…やっぱり他の人はみんな…?」
ディックの問いに何も言わずにただ顎を下げた。
あれだけの凄惨な現場を見ては、もう生きてる人なんていないと断言出来る。
たまたま村から離れていたとすれば可能性はあるけど…。
それよりも、あの魔物達。
なんで連鎖襲撃が起きたかなんてどうでもいい。ただ私の村の人達を殺したアレを許せない。
許せるはずがない。
「ね、ねえね…ちょっと抑えて…」
ディックが焦るほどに魔力が自分の身体から噴き出していた。
怒りで抑えが効かなくなっている。
うん、やっぱりここでディックと全てが終わるまで待つなんて出来ない。
「ディック。お姉ちゃん行くね」
「ねえね? 行くって…あの魔物達を?」
「うん。村の人達の仇を討たなきゃ」
多分ひどい顔をしていたと思う。
怒りと悲しみと憎しみでどうにかなりそう。
ディックがいるからまだ人として大人しくしていられるけど、それももう限界。
「僕何も出来ないけど…。ねえねは絶対戻ってきてくれるって思ってる。今もちゃんと来てくれた。ねえねは僕の自慢のすごいお姉ちゃんだって…思ってる、から…」
ディックの声がどんどん小さくなっていく。
こんな私を信じてくれるこの子のためにも、絶対に生きて帰らないといけない。
だけど絶対あの魔物達を殺し尽くす。
「わかった。約束する。必ず迎えに来るから、それまでちゃんと隠れてるんだよ?」
「うん…約束」
残ったたった一人の家族。
この子の未来のためにも。
こんな理不尽なんてあっていいはずがない。
「じゃあ行ってくるね」
「行ってらっしゃい、ねえね」
軽い言葉でディックに告げると彼もまた同じように言って手を振った。
ディックから離れて飛行魔法で浮くとベオファウムへ向けて少しずつ速度を上げていく。
村の人達はほとんど死んじゃったけど、それでもディックは生きててくれた。
あの子のためにも私は生きて帰る。
でも絶対魔物は殲滅する。
だって人にとって魔物は理不尽な存在だから。
「絶対に許さない! だったら私が魔物にとっての『理不尽』になってやる!」
歯止めの効かない私の怒りに呼応するように魔人化の能力で最大限まで引き出された力が飛行速度を上げていく。
これならすぐにベオファウムへと辿り着く。
絶対許さない。許さないんだからっ!
故郷の村にディックを置いて文字通り飛び出してしばらく。
魔物の集団の上から絨毯爆撃でもしてやろうかと思っていたところ、その先頭集団とベオファウムとの間によく知った魔力の反応があった。
「リード? あの馬鹿は何やってんのよ!」
私は急ぎその馬鹿が立っている街道へと身体を向けた。
時間にして十分も飛べばリードの目の前まで来られた。
私が魔人化を十全に発揮しているところを見たことがないリードはそれだけで驚いているようだけど、青褪めているのは私が怒りに身を任せているからだけでなく魔物の集団から発せられる密度の濃い殺意を感じ取ったからか。
「何やってんの」
「…僕は次期領主だ。それが安全な後方でただ守られているだけなど耐えられん」
「貴方、貴族院で何を学んだのよ」
「わかってる! こんなこと上に立つ者がやることではないことくらい! それでも僕は魔物達に恐れを成して逃げるような臆病者になるわけにはいかない!」
志は立派だけど、間違ってるなら、わかってるならやっちゃ駄目だ。
「貴方が死んだら連鎖襲撃の後に誰がクアバーデス領を復旧、再興するの。貴方は貴方一人の考えだけで動いていい人間じゃないの」
「…僕がいなくても父様や国王陛下がいらっしゃる。後は何とでもなる…」
カチン。
久々にこの馬鹿たれの甘ったれ発言に堪忍袋の緒が切れた。
子どもの頃から我が儘で自分勝手でそのくせその力もないくせに好きなように言って周りの迷惑を何も考えない。
やっぱり私と彼は今後の人生を共に歩むことなんて絶対に有り得ない。
そして死にたがりなんて今この場には邪魔者以外の何物でもない。
「甘ったれないで。私が貴方を守るのは仕事だからここにいたら嫌でも護衛しなきゃならない。でも今からやるのは私の個人的な復讐。だからリードは邪魔なの」
殴ってベオファウムまで吹き飛ばそうかとも思ったけど、そんなことをしたらリードの身体が爆散してしまう。
天魔法で彼の体を包んで砲弾のようにすると魔力に包まれたリードが抗議の声を上げ出した。
「おいセシル! やめろ! 僕も戦う! ここから出せ!」
「何度も言うけど邪魔なの。お家に帰って自分の仕事をしなさい!」
片手に魔力を込め、リードを包んだ砲弾を音速に近い速度で撃ち出した。
後は届け先の領主館で対応してくれるだろうね。
発送料代わりの治療費は着払いってことにしておいてね。
そして邪魔者がいなくなった私はようやく数万もの魔物の集団と向かい合ったのだった。
今日もありがとうございました。




