第187話 最後の進級前休暇
学年末試験も終わり、リードの出来を確認したところ凡そ問題無くAクラス残留が確定したことに一安心した。これで五年連続Aクラスなので成人した後でも貴族として箔がついた。
卒業の際には最優秀生徒が表彰されるのだけど、さすがにそこまでは望めない。
勉強するのが嫌で逃げ回っていたあの頃のリードはもういない。今は立派な領主候補だ。
今ならゼグディナスさんとも正面からやりあって勝てるほどの実力をつけているだろうと思い、私はリードをベオファウムへと送り届けた際にクアバーデス侯爵領騎士団長であるゼグディナスさんにお願いをしておいた。
「俺にリードルディ様の訓練を?」
「はい、今ならゼグディナスさんと模擬戦をするのがちょうどいいと思いまして」
「俺は構わんが…しかしセシル嬢仕込みのリードルディ様か…」
ゼグディナスさんはこの一年で生やした顎髭をジョリジョリと撫でながら思案顔だ。
騎士団長なのだから顎髭は剃るべきじゃないかと思うけど、王都の騎士団ほど規律が厳しいわけではないから良いのかな?
「どうかしました?」
「いや、どれほどの実力になったものやらと思ってな」
「それなりには、だと思います。まだ剣の型がしっかり身についてない部分もありまして、そういったところをゼグディナスさんに指導していただきたいと思っています」
「そういうことか。なるほど、ならば引き受けよう」
「はい、ありがとうございます!」
「なに…セシル嬢のおかげで我が騎士団は王国でも随一の猛者揃いと評判になった。これも恩返しのようなものだ」
以前私が領主館にいた時には騎士団にも指導していたことがあって、当時はかなりスパルタで扱き倒したものだ。
その甲斐もあってここの騎士団は王都でも指折りの筋肉集団になっている。
けど私が騎士団の訓練場に顔を出した瞬間に全員の顔が青褪めたのを見逃さないからね?
「あと、これが新しい騎士団の訓練メニューです。皆さんもう以前のものでは物足りなくなっているみたいですから、昨晩必死に考えておきました」
ニッコリと笑いながら一枚の紙をゼグディナスさんに渡すと、私の笑顔とは反対にどんどん表情が抜け落ちていく。
彼の視線が紙の一番下まで到達した時には真っ青で無表情のゼグディナスさんが口角をひくひくさせながら乾いた笑いを浮かべていた。
訓練量を五割増しにしたくらいでそんな顔することないのにね?…十歳の子どもと同じ重量を担いで行うこと、と書いたけどさ。
やっぱり基本に忠実に。
亀の甲羅を背負って牛乳配達をした野菜の星の人みたいに!
そんなことがあって、私はまた自分の用事を済ませたかったのでクアバーデス侯爵、領主様に言って一人王都へと戻ってきていた。
滞りがちになっていたギルドマスターからの依頼も片付けたかったし、貴族院より早く学校が始まるユーニャとの時間も取りたかった。
でもまず何よりも。
「こんばんはー」
「んー、セシルかぁ。いらっしゃーい」
アイカの店にやってくると大半がそうであるようにアイカ自身はカウンターに突っ伏していた。
よほど暇なのだろうか。
「いつも思うんだけどアイカって何かやることないの?」
「んー…あるっちゃあるんやけど、材料が手に入らへんで調合できひんのや」
「珍しい材料なの?」
「珍しいどころかほとんど想像の産物やな。ダンマスちゃんにも聞いたけどわからへんて」
ユアちゃんに聞いてわからないってことは確かに想像の産物かもしれないけど、そもそもなんでそんな材料をアイカが知ってるのかが不思議で仕方ない。
「ちなみにどんなものなの?」
「マグナル茸、アイルフ草の花、ドンキツァイスの血、世界の雫やて」
…どれも聞いたことがない。
そもそもそれがどんなものかもわからない。
「な? 訳わからんやろ? せやからこうして不貞寝してんねん」
アイカの言う通りだね。
私もヴォルガロンデの情報を調べたけど結局わからなくて、ほぼお手上げ状態になってるからその気持ちだけはわかる。
「そのうちどこかで聞いたらアイカに伝えるよ」
「期待せんで待ってるわぁ」
突っ伏したまま右手をヒラヒラと振るアイカはそのまま放置して、私は店の奥に向かって声を掛けた。
「クドー、いるー?」
何度か同じように声を掛けると、ようやく奥からガタンゴトンと何かを落とすような音がしてのっそりと緩慢な動きでクドーが出てきた。
「セシルか。久し振りだな」
何か作業をしてそのまま寝ていたのか、クドーは作業着で顔も薄汚れたままだった。
私は彼に洗浄を使って汚れを落としてあげるとこの店にきた一番の用事を切り出した。
「それで、あれはそろそろ出来た?」
「む……あぁ、あれか。ちょっと待ってろ」
クドーは一度店の奥へと戻り、しばらくすると小さな木箱を持ってきてテーブルに置いた。
そしてゆっくりと箱を開けると淡いゴールドカラーで虹色に光るバングルが現れた。
そのバングルは私の前腕半分くらいの幅があり、竜の彫刻が施された上に私が持ち込んだ十二個の宝石が随所に散りばめられていた。
このサイズだとバングルというよりほとんど篭手みたいな感じだけど、輝きや意匠が無骨な篭手の範疇を遥かに超えてしまっている。
「すごい……カッコいいね。これオリハルコン?」
「あぁ。セシルの協力のおかげでここまで精密な加工が出来るようになった。これは持てる技術の粋を集めて作った、今の俺の最高傑作だな」
「なんか…そういうこと言えるクドーがカッコいいよ」
「そうか? だとすればそれもお前のおかげだな。早速着けてみてくれるか?」
「うん!」
ジャケットとブラウスの袖を捲り、左腕を露出させると木箱からバングルを取り出して左腕に通した。
「次にそのバングルに少しだけ魔力を流してみてくれ」
クドーの言う通りに少しだけ魔力を通してみる。ミスリルの短剣も使っているのでわかるけどオリハルコンだと魔力がまるで吸われるみたいにスムーズに流れていく。
少しずつ魔力の量を増やしていくと、オリハルコンが急に光り出してキュッとサイズが縮み私の腕にピッタリと嵌まった。
「外したい時はまた同じように魔力を流せば元のサイズに戻る。あとは最初にセシルの魔力を読み込んだから、お前以外の者がそのバングルに触れると警報が鳴り響くぞ」
「え…。何その防犯機能」
「いらんか?」
「いらないってことはないけど……」
クドーが少し残念そうに見てくるので私も申し訳ない気分になってくる。
「つけとき。そんなん普通に買っても聖金貨十枚はするようなお宝やで」
「聖金貨十枚?!」
「精密な彫刻がされたオリハルコンにクリスタルドラゴン、エクシードレオンの魔石。その他高級な宝石。どう考えてもそんくらいするやろ」
うわぁ…。
これ普段は袖の中に隠しておいて、他の人の目に触れないようにしておかなきゃ。
「別に装着したままでもなんら問題はない。セシルが成長すればサイズも変わるし、オリハルコンは錆びるものでもない。宝石や魔石も水晶でコーティングしている以上は湯に浸かっても大丈夫だろう」
「…まぁ念のためお風呂の時は魔力でバリアを張るようにするよ…」
私が納得して受け取るとクドーは話は終わったとでも言うかのようにまた店の奥に戻ろうとした。
「あ、クドー。お礼は…」
「いらん」
短く答えると今度こそクドーは姿を消してしまった。
「まぁクドーもそんなすごい物作れて満足やったんちゃう? どうしてもセシルが気になる言うんやったらまたいろんな素材取ってきてやったらええんや」
「そう、だね。うん、そうするよ。アイカも何かあればちゃんと言ってね」
「あんがとさん。ほな早速…」
アイカから渡された紙を二人で覗き込みながら、一人で過ごす王都の日は落ちていく。
完全に日が落ちてから私は冒険者ギルドへと足を運んだ。
私一人で来るのは久し振りになるし、こんな時間に来たのは初めてだ。
王都の冒険者ギルドは一階のホールがかなり広いので夜は依頼から戻った冒険者達が飲み食いして騒ぐ。そしてそれも冒険者ギルドの収入になっている。
もちろんそこで出される料理の素材は彼等自身が集めてきたものでもあるわけだ。
「こんばんは」
私はBランク専用カウンターでいつものように退屈そうにしているクレアさんに声を掛けた。
彼女は私が現れたことにひどく驚いた様子で口がぽかんと開いてしまっている。
「…セシルさん…ついに…」
「ん? ついに?」
「ついに…素行が悪くて貴族の従者をクビに…」
「違うからっ!」
勝手に妄想して自身の目に手を添える彼女に対して慌てて訂正する。今はただの長期休暇だと。
「そうでしたか。それでこんな時間にいらしたんですね。暇人ですか」
「相変わらずの口の悪さだね…」
私がクレアさんの毒舌を久々に味わっていると隣のAランク専用カウンターからエミルさんが顔を出してきた。
「セシルちゃん、こんなこと言ってるけどクレアってばいっつも『今日もセシルさんが来ない』って最近ずっと言ってるのよ」
「エミル、余計なこと言わないで下さい」
「はぁい。セシルちゃん、またAランクのお仕事が溜まってきたからお願いね」
二人の会話をカウンター越しに眺めていたけど仲良いなぁ。
でもクレアさんは困った様子で私に向き直った時には顔が赤くなっていてちょっと可愛い。
「…何見てるんですか」
「何でもないよ。とにかく長期休暇だから少しでもギルドマスターからの依頼を片付けようかと思ってね」
「マスターからの依頼ですか…。もう残り二件ですよ?」
思ったよりちょくちょく片付けていた結果が出ており、気付けばもうすぐ終わるところまで来ていた。
この後また増えるかもしれないけど、とりあえず一段落としてもらえると嬉しいかな。
「そんなものだったっけ。場所は?」
「どちらもオナイギュラ伯爵領ですね。クアバーデス侯爵領からですとかなり距離がありますのでくれぐれも道に迷わないようにして下さい」
「あそこの森かぁ…。何度か行ってるけど、オナイギュラ伯爵領まで入ったことはないしね。気をつけるよ」
「そうしてください。ザッカンブルグ王国との国境付近にリッチが現れるというのでそちらの討伐。そこから正反対の方向にある山の麓に数年前現れた洞窟の調査となります」
リッチはかなり高位のアンデッドだったはず。
普通の物理攻撃が効かないわけじゃないけど、単純に硬いドラゴンとはまた違った意味で通りにくい。
別に倒せないような相手でもないけど。
「洞窟の調査? それって私がやっていいの?」
「はい。一度他の冒険者に出された依頼なのですが、普通のBランク冒険者が何組も帰ってこないと現地の冒険者ギルドから…」
「Bランクが帰ってこないなんて確かに普通じゃないね」
「ご自分が普通ではないことにやっと自覚が生まれたのですね」
ちゃんと説明だけしててよ、この不良受付嬢は…。
深い溜め息をつくと私は彼女の持つ依頼書を受け取り、更に深く読み込んでいくことにした。
今日もありがとうございました。




