第176話 花開く
少し性的な要素がある描写がありますのでご注意下さい。
ネイニルヤ様の身体を石鹸で洗い、湯雨で流してあげた後、全身をタオルで拭き髪を天魔法で乾かす。
石鹸で洗っていただろう彼女の髪はかなり傷んでいたのだけど、私がいつも使っているシャンプーとコンディショナーで洗ったせいか艶々と輝いており羨ましいほどの美しさを誇っていた。
少しばかり見とれ気味になっていたけど、元通り制服を着せた頃にはお互い完全に落ち着いていた。
「セシル殿の石鹸は素晴らしく香り高くそれでいて身体中がすべすべになる魔法の品のようですの。それはクアバーデス侯爵領の特産品でして?」
「いえ、これは先程のアイカが作ったものでございます」
「そう…今度譲っていただきたく存じますの」
「…彼女も冒険者稼業の傍らでやっておりますのであまりたくさんは無理でしょうが…今度確認してみます」
サービスのつもりだったけど、まさか譲ってくれと言われるとは思わなかった。以前は自分で作っていたのだけど最近はアイカに製作を依頼することが多く、しかも私が作るよりも高品質に出来上がる。
彼女の店は知る人ぞ知る隠れ家のような店だしかなり治安が悪い場所にある。貴族の令嬢が行くような場所ではないし、あまり好かれていないウェミー殿では門前払いにされるのがオチだろう。
「ふふ、それでよろしくてよ。貴女達を困らせるつもりはありませんの」
ネイニルヤ様はクルッと身体を後ろに向けるとドアを開けて元の部屋へと足を向けた。
ふわりと浮いた髪からは私と髪と同じ匂いがしてちょっとドキドキしてしまったのは秘密にしておこう。
部屋に戻るとウェミー殿はまだ眠ったままでアイカは飲み終わった紅茶のカップの縁を指でなぞって遊んでいた。
「お、戻ったな。出来ればこっちの従者のお嬢さんは喧しいから起こしたくないんやけどな…」
「ウェミーは私の大切な従者であり友人でもありますの。出来れば一緒に話を伺いたく存じます」
「しゃあないな…」
アイカがパチンと指を鳴らすとウェミー殿にかかっていた魔法の効果が切れてゆっくりと目を開けていく。
しばらくぼんやりとしたままだったが、眠ってしまう前のことを思い出したか急にガバッと立ち上がり周囲を見回した。
「おっ、お嬢様は……お嬢様!」
「ウェミー、落ち着きなさい。私の従者ならそのように慌てるものではなくてよ」
「お嬢様…。はっ、失礼致しました」
ネイニルヤ様が一言告げると彼女は急に冷静になり佇まいを直すと静かに椅子に座った。
私は全員分のお茶を入れ直すとアイカの隣に座った。
「さて…セシル、貴族のお嬢さんの背中確認してくれたやろ? どやった?」
「うん、魔法陣は薄くなってたよ。アイカの『治療』は成功したと言っていいんじゃないかな?」
「本当ですのっ?!」
ネイニルヤ様は普段の落ち着いた様子を吹き飛ばすほど慌てて服を脱ごうとしているけどアイカがそれを手で制した。
「あくまでそれは一時凌ぎやで。淫魔の求婚が半月くらい遅れた程度やしな」
「…でしたら先程の治療を続けていただければ…」
「無理や。あと一回くらいなら効果はあるやろうけど、慣れてくると逆効果になるしな」
「そんな…」
アイカの説明にネイニルヤ様は口元に手をやりながら前屈みになっていた身体を再び椅子にもたれかかった。
というか…アレを治療って言うネイニルヤ様にもびっくりだけど、確かに慣れたり習慣化してしまえば逆効果になりそうなのは予想がつくね。
「しかし…ならばどうすれば良いのだ…」
「あー…一番は出てきた淫魔の求婚を跳ね除けてまうのがえぇんやけど…無理やろうなぁ…」
「なっ?! お嬢様は貴族院でも上位の成績なんだぞ?!」
「そんなん関係あらへん。さっきウチの『治療』であんだけ効果があったのがえぇ証拠や。貴族のお嬢さんは淫魔から受ける感覚に耐えられるか? さっきウチがやったのより数十倍きっついで?」
「すっ、数十倍…?」
ゴクリとネイニルヤ様の喉が鳴ったのを聞き逃さなかった。
私とアイカは気付いたけれど、無意識だった本人とウェミー殿は気付いていない様子。
それを見れば確かに無理だろうということはわかる。
「あれは一種の魅了やからな。確実やないけど別の方法もあるんやけど…」
そこでアイカは一度言葉を切ってネイニルヤ様とウェミー殿を交互に見やる。
何を言おうとしているのか私には全く分からない。
「その淫魔の求婚をしてくる奴は淫魔族の中でもまだ相手がおらんやつなんや。せやから求婚する相手が結婚したり、心に決めた相手がおったりすれば勝手に諦めることがある」
「婚約者ならばおりましてよ」
「それはお嬢さんが心から好きで自分から結婚したいと思うほどの相手なんか?」
「貴様っ! お嬢様に向かって!」
「ウェミー、しばらく口を閉じていなさいな。アイカ殿の仰る通り、あのお方とはお父様同士がお決めになった婚約者なので私が結婚したい相手ではありませんの」
へぇ。貴族同士ってやっぱり成人する前から婚約者とかいるものなんだ。
リードは未だにそんな相手いないのに。
私に執着するより普通の婚約者を探したらいいのにね。
「結婚せんでも心に決めた相手がおればええんやで?」
「そんな方…私には…」
ネイニルヤ様が俯く瞬間、少しだけウェミー殿へと視線が走った。ウェミー殿も主人から口を閉じろと言われたため何も言えないでいるけど、両手をギリギリと握り締めている。
あれ?この二人?
それに気付いた時、アイカが私を見ていることに気付いた。
なんかニヤニヤしているところを見るとどうやらアイカは気付いていたらしい。
「話は変わるけどな。なんでウチがそっちの従者のお嬢さんが原因やって言ったかわかるか?」
「…いや、私に心当たりは…」
「正直になった方がえぇで」
ウェミー殿はアイカに言われると勢いよく顔を上げてネイニルヤ様へ熱い視線を送る。
しかしその口は開いては閉じ、閉じてはまた何かを紡ごうと開きかけては閉じるを繰り返すばかりだ。
この世界ってこういう人達多いのかな?
私が首を傾げているとアイカは楽しそうな笑みを浮かべて二人の様子を眺めている。何がそんなに楽しいのか私には全く理解出来ずにもう一度アイカを見るといつの間にか瞳の色が躑躅色になっていた。
そして頭の中がふわっとする感覚に襲われたかと思うと突然はっとするほど覚醒するような気分になる。
これは何かしらの精神的な状態異常攻撃を受けた時の感覚だ。ユアちゃんのダンジョンでもレイスのようなアンデッドや最下層付近の魔獣がたまに使っていたのを覚えている。
つまり何かしら精神に異常をきたす攻撃や罠がこの空間に発生しているという証拠になる。
尤も、誰がやっているかは一目瞭然だけど。
「従者のお嬢さん、素直になりぃな。貴族のお嬢さんかて待ってるんやで?」
「し、しかし…私のような…」
「いっつも夜な夜な貴族のお嬢さんのこと思て一人慰めてんのやろ? 貴族のお嬢さんもそのこと知って一人で悶々としてたからどこの誰ともわからへんような淫魔族に取られようとしてのやで?」
「そ、それは…」
なんでアイカはそんなこと知ってるのっ?!
思わず叫びそうになる私にアイカの躑躅色の瞳が黙ってろと無言の指摘をしてくる。
仕方無く私も何も言わずに状況を見守ることにする。
「ウェミー…私…」
「お嬢様…私は…」
さっき薔薇の芳香浴をしたはずのネイニルヤ様から百合の香りが漂ってくるような錯覚。
というか何で私こんな異様な告白を見せつけられてるんだろう?
げんなりしつつもしばらく二人を見守っているといつの間にか手を取り、キスしそうなくらい顔を寄せ合っていた。
知らず知らずのうちに私の顔も赤く熱くなっているのがわかる。
こういう展開、前世のドラマでは見たことはあるけど他人同士の告白の現場なんて普通あんまり見る機会はないからすごくドキドキしてしまう。
「私は…ずっとお嬢様のことを…」
「ウェミー、私も…本当は…」
そしてどんどん近付く二人の距離がやがて唇を隔ててゼロになる。その瞬間アイカから強めの魔力を感じ慌てて振り向いた。
「『淫魔の架け橋』」
魔法ではない魔力の波動が放たれるとネイニルヤ様とウェミー殿は力強く抱き合い、引きちぎるような勢いでお互いの服に手を掛け始めた。
彼女達がお互いを求める口付けの淫靡な湿った音が絶え間なく続いている。既に自分達だけの世界に入ってしまっているため、私とアイカがいることなど完全に忘れている。
って、ちょっと!そこまで見せなくていいよ!
アイカを見ると既にアイカの瞳は元の茶色に戻っており、精神異常を及ぼす空間は既に解除されているようだった。
「お二人さん、愛し合うんは隣の部屋に行ってからにしいや。ここにはお子ちゃまのセシルがおるんやから」
アイカの言葉に従うように彼女たちは歩きながらも身体を寄せ合い、少しずつ衣服を床に落としていく。
彼女たちが完全に部屋に入ったところで私は遮音結界を使いドアを閉めた。
そしてアイカへと足音荒く近付いていくが、彼女はとても楽しそうだった。
「アイカ…」
「…おもろかったやろ?とりあえずこれで多分大丈夫なはずや」
「…もし二人がそういう仲にならなかったらどうするつもりだったの?」
「そん時は今回こんなことした陰湿ストーカー体質の淫魔族を捕まえてコテンパンにしとったやろな」
さも当然のように言い放つアイカに頭痛がしてきた。
最初からそういう対処の方法があったならそうしてくれればいいのに。
私のジト目に気付いたアイカはケタケタと笑う。
「二人を見たときにそういうんも見えたんや。せやからどうせなら一番うまいこといく方法取るのが一番や思わん?」
「そうかもしれないけど…」
「それより、ウチらの出番はここまでやろ。後は書き置きかなんか残して帰ろやないか。…それとも、セシルも悶々としてきてしもたん?」
「しないよっ! アイカの馬鹿! 意地悪!」
アイカはからかって遊んでいるようで私が言った悪口すらいつも通り笑って聞き流すと立ち上がって「ほなな」と言って後ろ向きに手を振りながら部屋の出口へと足を向けた。
「アイカ、ありがとう」
「…えぇよ。仲間が困った時は助けてやらなな。けど、報酬はきっちり払ってもらうで」
私の返事を待つことなく部屋を出ていった彼女を追うこともなく椅子に座り直すとネイニルヤ様とウェミー殿に当てて書き置きを残した。
明日以降に淫魔の求婚がどうなったら教えてほしいことと門限には帰るよう注意を促すこと、そして貴族院の寮はあまり大声を出すと隣の部屋まで聞こえてしまうことを。
それをテーブルの上に残すと私も一人立ち上がって宿から出るべく部屋のドアに手をかけ、振り返ることなく出ていった。
その日の夜、リードが寝静まった後に宝石を愛でる時間が長く濃密になったのは言うまでもない。
今日もありがとうございました。




