第174話 ネイニルヤ様の治療?
次の土の日、私はネイニルヤ様とウェミー殿と待ち合わせをしてアイカが指定した「町の樹木」という宿にやってきた。
やってきたんだけど。
「セシル殿」
「待って、言わないで」
「いいや言わせてもらう。お嬢様をこんなところへ連れてきて一体どういうつもりだ?」
こんなところ。
はい、そうですね。私もなんでこんなところを指定してきたのか問い詰めたいです。
周囲は昼前だというのに薄着で露出の高いお姉さんがいっぱい。それに集るように何人もの男の人が通りを歩いては引き返している。
私達も女三人ということもあり、さっきから何度も声を掛けられているけど、その度にウェミー殿が威圧的な態度で追い払っている。
つまり、目の前の宿は前世で言うところのラ…ラブ、ほ……。
「ウェミー。私だって連れ込み宿のことくらい存じてましてよ。セシル殿が手を尽くして下さっているのですから私達は信じてお任せするのが筋というものではなくて」
「しかしっ…いえ、お嬢様がそう仰るのであれば…。セシル殿、つまらんトラブルに巻き込まれてお嬢様に万が一のことがあれば…覚悟は良いだろうな?」
良くありません。
でもネイニルヤ様が私を信じてくれているように私もアイカを信じている。
ウェミー殿に返事をすることなく、私は二人の前に立って宿の中へと入っていった。
受付は向こうもこちらの顔が見えないように手元だけがわかるような作りになっており、利用する場合は先にお金を払っていくようだ。その際に必要な物があれば受付で予め購入しておくことが出来るらしい。
と、受付窓口の上に書いてあった。
「いらっしゃい。三人で使うのかい?」
「…アイカから待ち合わせを指示されてやってきたんだけど」
「あぁ…話は聞いてる。二階の一番奥にある二十三番って部屋に行ってくれ」
受付の人はそう言って階段がある方向を指差した。どうやらアイカは既に到着しているらしい。
宿の中を通り、階段を上がって部屋まで向かう途中であちこちの部屋からそういう声が聞こえてきて、私達は三人とも真っ赤な顔になってしまいお互いの顔すらなんだか恥ずかしくて見られないほどの状態になっていた。
二十三番の部屋のドアを開けると普通のテーブルが置いてあって、アイカがその椅子に腰掛けて待っていてくれた。
「おー、来たなぁ」
アイカは一人紅茶を飲みながら待っていた。
この部屋は他の部屋と少し離れている位置にあるせいか、あちこちで行われているであろう行為の声や音なんかもほとんど聞こえてこない。
稀に声の大きい人のものがちょっとだけ、だね。
てっきりクドーも顔を出すかと思っていたんだけど、多分炉の改良の方が忙しいのだろう。
「アイカ、せめてもう少しまともな場所で待ち合わせ出来なかったの?」
「アホ抜かせ。まともなトコで『淫魔の求婚』受けてるなんて知られてもうたらそっちのお嬢さんの人生詰んでまうわ」
頭をガシガシと掻きながら立ち上がると徐に私の後ろに立っていた二人の前まで歩いていく。
私もアイカに任せているので、とりあえず見送ることとする。
「初めましてやな。ウチはアイカ。セシルとパーティ組んでる仲間や。よろしゅうな」
王都出身でもない私が王都で友だちを作っていると多少怪しく思われるかもしれないと思ったアイカの独断なのかもしれないけど、冒険者と装っていればその違和感も薄れる。
従者として貴族院では優秀なつもりだけど、冒険者としての活動もかなり行っているのでそう際立たせるのは確かに悪くない。
「お初にお目にかかる。こちらは私の主人であるテュイーレ侯爵令嬢のネイニルヤ様よ。私はネイニルヤ様の従者をしているウェミーだ」
「初めてお目にかかりますネイニルヤ・テュイーレと申します。この度は私のことでご尽力いただけること大変嬉しく存じます」
「ほぉん…」
アイカは自己紹介をした二人を銀色の瞳で舐めるように見つめる。
とりあえずざっと鑑定しているのだろう。
私が二人を人物鑑定で見ていないのは先に見たところであまり意味はないと思い、アイカの神の眼で見たらもっと詳しいことがわかるのだしね。
「ちょっとそのまま動かんでてなー」
アイカは二人の後ろに回るとまたじっくりと見始める。
しかし、今度は瞳の色が躑躅色になっている。あんな瞳の色もあるなんて初めて知ったし、どんな力があるのかもわからない。
後で聞けば多分教えてくれると思うんだけど。
「なるほどなぁ…。もうえぇで、ほなこっち座ってゆっくりしてな。セシルー、お茶ぁ」
「…はいはい」
私は促されて部屋の隅に置かれていたティーセットを使って用意を始めた。
幸い茶葉は準備されていたのでネイニルヤ様にハーブティを出さなくて済みそうだ。
「手伝おう」
「ありがとうございますウェミー殿」
私が魔法でお湯を出しウェミー殿がそれぞれのカップへとお茶を注いでくれて自分の主人から順に配っていく。ネイニルヤ様は気にしないだろうけど、アイカが気にするので今回は私もウェミー殿の分も注いで私達も椅子に座った。
「それで…何かわかったことはございまして?」
「んー? まぁ結論から言おか。『淫魔の求婚』を受けてるのは間違い無いし、このまま放っとくと六日後には淫魔の虜になるやろな。ホンマ危機一髪や」
「なっ?! そっそれでお嬢様を助けるにはどうしたらいいんだ?!」
アイカの言葉にウェミー殿が勢いよく椅子から立ち上がった。
「落ち着きぃや。…そもそもの原因は自分なんやで?」
「…は?」
「アイカ、どういうこと?」
アイカはそこで一口紅茶を飲んでネイニルヤ様の方を見た。
ネイニルヤ様はその様子に首を傾げる。
「…私ではなく、ウェミーが原因ですの?」
「あー…まぁその話は後や。それよりもお嬢さん、いろいろ溜まってんてのとちゃう?」
ぶっ。
あまりに突然で自然な流れでのセクハラだったので私は飲みかけていた紅茶を噴き出しそうになった。
「アッ、アイカッ!」
「なんや、ウチは真面目に聞いとんのや」
アイカが本当に真面目な顔で私に視線を投げつけてくるので、何も言えなくなり私も椅子の背もたれに体を預けた。
しかしウェミー殿は今にもアイカに掴みかかろうとしているほど激昂しているのがわかる。それを視線だけで窘めているネイニルヤ様はさすがと言えるだろう。
「さすがにその答えを今ここではっきりと申し上げるのは淑女としてどうかと存じますわ」
「それもそうやな。けど、淫魔の求婚を遅らせることが出来るとしたらどうや?」
「それは…」
顔を赤くして私とウェミー殿を交互に見るネイニルヤ様。
もうそれだけで白状してるのと同じだということを認識した方がいいです、と助言したいほどだ。
それにしてもアイカももうちょっとオブラートに包んだ言い方をすればいいのに。
「…はぁ、しゃあないなぁ…。セシル、あっちの部屋にだけ遮音結界使うてくれへん?」
「うん?いいけど…そこまで気を使わなくてもそっち行ったら聞こえないと思うけど?」
「まぁちぃっと治療みたいなもんせなアカンからな」
「ふぅん? まぁよくわかんないけど…結界から出たらすぐ壊れちゃうから二人は先に入ってくれる?」
私がそう促すと今度はウェミー殿が再び食い付いてくる。
なんだかちょっと面倒な人だね。
「アイカとやら! 私はまだ貴女を信用していない。そんな貴女とお嬢様を二人きりになど!」
「なんもせんかったら次の土の日には目出度く淫魔の虜やとしてもか?」
「ぐっ…な、ならば私も同席して…」
「ウェミー、控えなさい」
「しかしっ!」
尚も食い付こうとするウェミー殿に対し、ネイニルヤ様が強めに名前を呼ぶと今度こそ大人しくなって椅子にもたれ掛かった。
本来の従者として正しい姿なんだろうけどなんかそれだけとは思えないような凄みを感じる。気のせいなのかな?
勢いの無くなったウェミー殿を放置してアイカとネイニルヤ様が奥の部屋へと入っていったので私も後に続く。
中は照明が二カ所あるだけで他はベッドしかない。窓すらないこの部屋にずっといたら息が詰まりそうだ。
「アイカ、時間はどのくらいで考えておけばいい?」
「せやな…多分ちょうど四の鐘が鳴るくらいまでやと思うとってや」
「思ったより長くかかるんだね。全部アイカに任せちゃうことになって悪いけど…」
「引き受けた以上はちゃんとせなな。報酬の件は忘れたらアカンで」
いつも通りケタケタと笑うアイカに首肯すると私は部屋の中だけを対象に遮音結界を発動させた。
これでこちらからは中の音は聞こえないし、中でも外の音は聞こえない。
私が宝石を愛でる時に必須の魔法。
独り言が物凄く多くなる…らしい。愛ですぎて高ぶりすぎちゃった時の対処でも使うから割と出番の多い魔法だ。
ドアを閉めてテーブルに戻るとウェミー殿は悔しそうに拳を握り締めていて、思いつめたような顔をしていた。
「ウェミー殿、どうしました?」
「セシル殿…。先程アイカ殿が言っていた『原因は私にある』とはどういうことなのだ?」
そういえばさっきアイカはそんなことを言ってたっけ。
「それは私にもわかりません。けどアイカがそう言うなら間違いないと思います」
「…セシル殿はアイカ殿を信用しているのだな」
「勿論です。アイカは私の大切な仲間ですから。だから今は待ちましょう」
私は温くなった紅茶を入れ直して彼女の前にカップを置くと自分も椅子に座った。
アイカは四の鐘までかかると言ってたし、しばらくは待つしかない。その待ち時間を利用して私は腰ベルトからアドノロトス先生から受け取った魔道書の下巻を取り出して読み進めることにした。
流石に上巻と違いかなり高度なことが書いてあるため理解しながら読むのに時間がかかっており、今はまだ半分も読めていない。
このどこかにヴォルガロンデに繋がることが書いてあればいいのだけど、無くても私の使える魔法が増えるので利点は多い。
部屋の中は私の本を捲る音が響き、ウェミー殿は祈るように手を組んで俯いている。突き刺さるような緊張感と押し潰されるような不安感に部屋全体が覆われているようで、窓から差し込む昼の光さえ鬱陶しく感じられる。
時折どこかから聞こえる艶のある声が雰囲気をぶち壊しているけど、私は最早気にならなくなっていた。
しかし…。
「な、なぁセシル殿…。や、やはりこの声は気になるな…」
どうやらウェミー殿は違ったようだ。
読んでいた本をそっと閉じ、腰ベルトへと収納すると紅茶で口を湿らせてから彼女へとある意味で侮蔑の視線を送った。
「ウェミー殿、主人が頑張っておられるのですからそのような些事に心動かされてはなりません」
「わ、わかっている! だ、だが…こうも聞こえてくると…」
ウェミー殿は内股を擦り合わせるようにモジモジしながらその顔は紅を塗ったかのように赤くなっていた。
なんというか必死に隠しているけどすごいムッツリな人だね。
ひょってしてアイカの言うウェミー殿が原因ってこういうことなのかもしれない。
そんな予感を感じながらも私は彼女を窘めつつ、二人が部屋から出てくるのを待っていた。
今日もありがとうございました。




