第169話 先生の師匠
セシルも四年次になりました。
中学生くらい…ということで生々しい場面なども出てくるかもしれません。
かつて魔法のことをいろいろ教えてくれたリードの家庭教師の一人、私の先生でもある魔法の第一人者でもある人。
彼からの手紙が届いたのは、いや届いていたのは私達がクアバーデス侯爵領から戻った際に寮の管理人から渡された。
最初は私宛ての手紙だったのでユーニャか故郷の村から届いたものかと思ったけど、中を開いて驚いた。
この手紙はリードにも見せてはいない。
誰からのものだったか聞かれたけど「仕事絡みだよ」と答えたら、何も聞いてこなくなった、
「優秀な生徒セシルへ。
貴族院へ入り勉学に励んでおるかの。
儂はリードルディ様の家庭教師としての役目も終わり、故郷へと戻り余生を静かに過ごす予定じゃった。
しかし、ある日どうしても気になったのでこうして手紙を書くことにした。
手紙で話すことではない故、直接会って話しておこうと思うでの。
葉の月の二週目には王都にいるはずじゃから、着いたらもう一度手紙を出すので、都合をつけてくれんかの。
老い先短い師からの最後の頼みと思って聞き届けてくれることを願う。
アドロノトス」
こんな短い内容の手紙だった。
話しておきたいことというのが何かわからなかったけど、私としてもちょうど良かった。
ダンジョンに入った時にもっと威力の高い魔法の必要性を感じていたし、今後冒険者として活動するに当たってはやはり必要になりそうだった。
そして、彼からの手紙を待ち王都の中でも機密性の高い店を指定して会うこととなった。
その店は北大通りから西側の路地に入ったところにある。
ユーニャとは使えないけれど、ミルルに請われて五回ほど利用したことがある。
完全予約制で各テーブルが完全に個室になっており、テーブルの下には防音を施された魔石が設置されている。
この魔石、私も作れるのだけど範囲が狭く精々この個室の中くらいしか効果が及ばない。
内緒話をするにはちょうどいいので貴族同士の密会によく使われているらしくなかなか繁盛しているみたい。
そして席についてから待つこと三十分ほどすると、店員に案内されたアドロノトス先生がやってきた。
しばらく会わなかったけど、元々がかなりの高齢だったこともあり外見的な違いはわからなかった。
「久し振りじゃの。なかなかの器量良しになったもんじゃの」
「ありがとうございます。先生はお元気そうで何よりです」
「相変わらず子どもらしくないの」
挨拶もそこそこに私はアドロノトス先生と共に注文を済ませひとまず食事を摂ることにした。
食事の間は最後に会ってからどんなことをしていたかと、お互いの近況報告のみに留めることとなった。
聞いたところによれば故郷のある隣の国へ戻ったはいいが、日々安穏としていてこのまま老いて朽ちゆくのも悪くないと思えるような日々だったとのこと。
私の方からはリードと過ごす貴族院での生活のこと。幼なじみと再会したこと。そして本当のことを話せる仲間達と出会ったことを。
森での遠征の際にオーガキングと死闘を演じたことを話した時なんかアドロノトス先生も手を握り締めながら話を聞き入ってくれていた。
そして私たちの前に食後の紅茶が置かれ、それら楽しい話は一段落していた。
「それで」
私から問い掛けるとアドロノトス先生は「む?」と僅かに惚けた態度を取ったが、すぐに思い詰めたような顔をして腕を組んだ。
「『どうしても気になったこと』を『直接会って話したい』んじゃなかったっけ?」
「あぁ…そうじゃの…」
何とも煮え切らない返事だ。
話したくないなら手紙なんて出さなければいいとは思うけど、ここに来るまでも相当悩んだのだと思う。
リードの家庭教師をしている時だって一度たりとも遅刻なんてしなかった彼が今日私との待ち合わせに三十分も遅れてきた。
それだけでも彼の苦悩は見て取れる。
今も話し出そうとして時折体に力が入っては、思いとどまって俯くことを繰り返している。
既に貴族院は放課後となっているし、ゾブヌアス先生に外出許可も取ってある。私からアドロノトス先生を急かすこともないので、彼から視線を外し白紙の紙を一枚取り出した。
「…なんじゃそれは?」
「メモみたいなものだよ。先生の気持ちの整理がついたら話し出してね。私は私のやりたいことをやってるから」
「やりたいこととは?」
「良い細工師と知り合えたので装飾品を作ってもらうかと思って」
勿論細工師とはクドーのことだ。
鍛冶師としての彼の腕前は受け取った剣で十分に知っているし、研磨師としての腕前で言えばこの世界随一。
更に細工師として作ったアクセサリーをいくつか見せてもらったけど、どれも見事なものだったので簡単なデザインだけしてアレンジを加えた物を作ってもらう約束をしたのだ。
「順調に人脈も広げておるようじゃの」
「あんまり好きな言葉じゃないんだけど、『人は宝』だと思ってるよ」
そんな言葉はブラックな企業の壁に額縁に入れられて飾ってあるような陳腐な気がしてしまう。
本当に大切だから宝物のように愛して、守るものだと。お互いがそう思い合えれば最高なんだけど、そこまでうまくはいかない。
「『人は宝』か…」
アドロノトス先生の呟きに返事をすることなく白紙の紙へいくつかのデザイン案を書き込んでいく。
どれもこれもパッとしないけど、見本品を木や石で作ってくれるクドーの器用さには驚かされた。
こんな拙い私の絵でもきっとすごい物を作ってくれると思う。
「前に強力な魔法書のことを話したことを覚えておるかの?」
ようやく話す気になってくれたアドロノトス先生へと向き直ると私は紙とペンを片付けた。
「うん、ちゃんとまだ持ってるよ」
腰ベルトから以前渡された魔法書の内の上巻を取り出してテーブルに置いた。
皮の装丁が為された丁寧な作りの本だけど、確か写本だと言っていたので魔法は使えるようになるものの、特に本自体から魔力を感じることはない。
「ホレ」
アドロノトス先生は軽い調子で私が置いた本の上にもう一冊積み重ねた。
表紙は私が持っていた本とほとんど同じものだけど、厚さはそれほどでもない。
しばらくじっと置かれた本を見ていた私に中を見るようにと言われ恐る恐る手に取った。
表紙を捲り最初のページに目を通す。
「これ…まさか下巻?」
「そのまさかじゃの。家に置いておいた写本じゃがの」
軽く流すようにページに目を走らせていくと、各属性の強力な魔法からオリジナルの魔法、理力魔法から空間魔法まで網羅されていた。
あれ?
「アドロノトス先生って空間魔法使え…ないよね?」
「そうじゃの」
「ならなんで使えないはずの空間魔法のことまでこの本に書いてあるの?」
私の問いに彼は再び黙してしまった。
答えにくい何かがそこにあるのかもしれない。聞くべきじゃなかったのかもしれない。
それでも、その先が私を呼び出した理由の一つなんじゃないかと思うと聞かずにはいられなかった。
しばらくアドロノトス先生は何を言うでもなく、お茶を飲んだりパラパラと本を捲る私をただ見ていたり。
意図がわからないので私もされるがままに彼に観察され続けていた。何度か鑑定を使われたけど、隠蔽のスキルを通り抜けて私のステータスを見られることもない。
仮に見破られたとしても神の祝福の効果で彼の鑑定は弾かれて終わってしまうだろうけど。
「元々な」
私が本を流して読んでいるとアドロノトス先生から意を決したように声がかかった。
「元々その本は儂の師から聞いた魔法を書き貯めたものなんじゃ。じゃから儂が使えぬ魔法もそこには書いてあるわけじゃの」
「アドロノトス先生の師匠?それで先生自身も使えない魔法が書いてあるんだ…。あれ?でも本物は封印してあるって…」
「師に取り上げられての。実は儂もその写本しか持っておらんでの」
「取り上げられたって…その師匠ってどのくらいすごい人なの…」
「うむ。この世の魔法において知らぬ物などないと思えるほど魔法や魔道具、魔法薬において底無しの知識を持った人じゃった」
「『じゃった』ってことはもう死んじゃったの?」
言ってからしまったと思う。
アドロノトス先生ですら百四十歳を超えた超高齢者なのだから、その師匠であるならもっと上の年齢のはずだ。
人間なら普通に生きてるはずがない。
「生きとるよ。師はもう何歳であるかも忘れてしまうほど長い年月を生きてきたと言っておったの」
「えっ?! 生きてるの?」
「師は言っておったの。『代理を任せられる者が現れるまで死ねない』との」
代理…。
その言葉に思い当たるものがある。
ある種の確信を持って、私はアドロノトス先生に問い掛けた。
「管理者、なの?」
しかし私の問いの答えは返してもらえなかった。
けれど。
「…儂には何のことかわからんの…。じゃが…やはりセシルがそうなのかもしれんの…」
少し寂しそうに笑うとアドロノトス先生は私に一つの箱を差し出してきた。
中を開けると丁寧に梱包された鍵が一本入っていたが、他には何も無い。
首を傾げながら顔を起こすとアドロノトス先生は帰り支度を始めていた。
「先生?」
「既に師がいた場所への行き方は失われておるでの。そこから先はセシル自身で見つけてくれんかの」
「失われた? ってどういうことですか?!」
「すまんの。儂が言えるのはそれだけでの」
「や、ちょっと待ってください。せめてその師匠の名前くらい教えてくださいよ」
「ヴォルガロンデ」
端的に短くそう言い切った彼は最早語ることはないと言うかのように素早く席を立つとそのまま店から出て行ってしまった。
ヴォルガロンデ。
どこかで聞いたことがあるような名前。
その名前を忘れないようにもらった本の表紙にそのまま書き留めると、ゆっくりと席を立ち上がった。
会計を済ませ店を出て周囲を見回してみるも、当然の如くアドロノトス先生は見当たらない。
探知を使ってみると王都の出口へと向かっていることはわかったけど、後を追うことはしなかった。
アドロノトス先生からはいろんなことを教えてもらった。
それがこのことに関しては今まで感じたことのないほどの拒絶だった。とすれば、追ったところで素直に話してくれるとは思えない。
そのまま貴族院の寮へと足を向けると、先生から渡された本を胸に抱き締めて振り返ることなく帰路へとついた。
今日もありがとうございました。




