第166話 ハウルとキャリー
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「母さん、ディック。ちょっとテーブル空けて」
二人にカップを持つように促すと腰ベルトから一つの鞄を出した。普段貴族院に持って行ってる普通の鞄で中には私が講義で習ったことを纏めたものが入っている。
歴史や地理などはしっかりしたテキストがあるものの、他はほとんどと言っていいほどテキストがない。
算術や芸術なんかは確かに無くても問題ないけどね。
戦術概論や法律論なんかも講義で説明はあるものの、結局図書館で自習しないと覚えきれないこともザラだ。
そして今回取り出したのは勿論。
「魔道具研究書?ねえね、これは?」
ディックの言葉を無視したわけではないけど、私は更にもう一冊のテキストを取り出し更に何も書いてない紙の束をその隣に置いた。
何も答えてない私にディックが頭の上に「?」マークをたくさん浮かべているように見える。ちょこちょこと首を傾げる仕草が面白い。
「これはお姉ちゃんが今まで魔道具について勉強したことを纏めたものだよ。ちょっと待っててね」
紙を束ねていた紐を解き、インクの入った壺も用意すると左右の手に魔力を込める。この魔法を使うことはあまりないが、こういう時は便利だ。
「複写」
紙とインクに魔力が通り、宙に浮いたインクが細くなって紙へと落ちていくとディックは歓声を上げながらその工程を見つめている。
一度発動すれば私の意志で止めない限り延々と隣に置いた書類のコピーを作成し続けるので両手でそれぞれテキストと無地の紙を捲っていけば十分ほどでテキストのコピーが完成した。
「はい、これをあげる」
出来上がったものをディックに渡すと彼は早速中を読んで悲鳴にも近い声を上げている。
今読んでいる部分は五年前にアドロノトス先生から教えてもらったことが書いてあるはず。
それでもちゃんとした教育を受けたわけじゃないディックにとってはかなり難しい内容が書いてあるだろう。
一つ一つ自分で考えながら勉強していけば彼はきっと最高の魔工技師になれるはず。
「あとディック。本を置いて両手を出して」
自分のテキストを鞄に入れてから腰ベルトへ収納すると、別の魔法の鞄に手を入れてクズ石の水晶を一掴み取り出した。
それを両手で包んで付与魔法を使い、全ての水晶に魔力を込めて魔石にしていく。内包魔力は最大の凡そ七割程度に留めておく。
魔石化が終わるとその全てをディックの手にザラザラと落としていく。
「ねえね…これ…魔石?」
「うん。これだけあったらいっぱい勉強出来る?」
「…うん。絶対すごいやる。いっぱいいっぱいやる」
両手いっぱいに渡された小さな魔石の山をディックは自分の作業机へと置いてくるとその前に貰った本をぎゅっと抱き締めた。
これで勉強に身が入ってディックのやりたいことが出来るようになればお姉ちゃんとして安心出来るというもの。
「母さん母さん、ねえねがすごい!」
ぐはっ。
それまでニコニコと弟のしていることを見ていた私だったけど…よく考えたら自重も何も考えずにディックに与えられるだけ与えてしまっていたことに今ここでようやく気付いた。
「うんうん。セシルお姉ちゃんはすごくて綺麗で可愛くて頭も良くて魔法も上手いし、すっごく強いんだよ」
「おおぉぉぉ…。母さんからいつも聞いてたけど、ホントにねえねすごい。ねえねカッコいい」
純粋な眼差しで私を見つめてくるディック。
なんだかキラキラという効果音が聞こえてきそうなくらいで私こそディックが眩しい。
心地良いのだけど、なんだかちょっとムズムズする。
そこでさすがに少しいたたまれない気分になったので、私はさっきハウルに自衛団の詰め所に行くことを話したことを思い出し慌てて家を飛び出すのだった。
最近アイカやクドーと話すことが多かったから自重というか遠慮することを忘れてしまっていた。
さて、それじゃ詰め所へ行こうかな。
ガチャ
特にドアを叩くこともなく徐に開けると中は以前と変わらないまま広い間取りにいくつかのテーブルと椅子が置いてある。
奥には食料も置いてあり、ここだけで一月くらいは生活出来るくらいの蓄えがあるはずだ。
そして突然現れた私に一番早く反応したのは父さんではなく、幼なじみのキャリーだった。
「セシルちゃん!うわぁ久し振りだね!」
キャリーは前に会った時よりも更に大人っぽくなっていた。
髪はポニーテールだったものを短く切ってミディアムにしてより活発なイメージだったものが女の子らしさも兼ね備えた印象に変わっていた。
そしてユーニャほどじゃないけど、明らかに私より大きい胸部装甲…。なんで幼なじみなのにここまで差が出るのか解せぬ。
「こんにちはキャリー。貴族院が始まる前にちょっとだけ帰っておこうと思ってね。元気だった?」
詰め所には他の団員も数人いるものの、まるで気にしない様子でキャリーは私の元へとやってくると両手を握ってブンブンと振った。
「うん! 私は元気だよ! あ、ハウルには会った? 今日は門番してたはずなんだけど」
「勿論。すぐに気付いて村に入れてくれたよ。そうだ、父さんはいる?」
「副団長なら奥にいるよ。呼んでくるからちょっと待ってて」
言うが早いかキャリーは詰め所の奥へと走っていった。
普段は団員が入ることもない事務所には自衛団の活動記録などもあり、識字率がそこまで高くないこの村では団長や副団長くらいしかまともに入らないらしい。
しばらく待っているとランドールが奥から慌てて出てきた。
他の団員の前なんだから少しは落ち着いて出てきてほしいものである。
「セッ、セシル!」
そして椅子に座って様子を見ていた団員達を走る勢いだけで弾き飛ばしながらこちらへとやってきた。
全く知らない人が見たら事案以外の何物でない。
「ただいま父さん。…ちょっと老けた?」
「なぁっ?! な、なんだと……お、俺が…老け、た…?」
ランドールも三十歳なので実はそれほどではないだろうけど、普段から外での活動が多いせいか少し年齢が上に見える。
そのことを指摘したら突進する勢いが削がれ、その場にうずくまってしまったけど。
「あぁ…別に嫌ってわけじゃないよ。ごめんね?」
「あ、あぁ…大丈夫だ。娘に嫌われてないのなら俺はまだ折れない…」
一体何と戦っているのか解らない独り言を言い始めたけど、とりあえず無視して近くにあった椅子に腰掛けた。
「明日にはもう出発しないといけないから、落ち込んでる時間勿体ないよ?」
「なにぃっ?! なんでだ? もっとゆっくりしていけばいいじゃないか」
「貴族院も始まるんだしそんなわけにはいかないでしょ」
するとランドールはすっと立ち上がり周囲を見回して宣言した。
「…俺、今日もう帰っていいよな」
「駄目です」
「駄目に決まってるでしょ」
頼りにされているランドールだけど、子どもたちのことになると周りが見えなくなるらしい。
娘の立場からするとここまで思ってもらえて嬉しいとは思うけど、ちょっと度が過ぎてる気がしなくもないので恥ずかしい気持ちもある。
「キャリーは帰ってもいいぞー」
「あぁ、キャリーは仕方ない。セシルちゃんと積もる話もあるだろう?」
「え? えへへ、いいんですか?」
キャリーが団員達に聞くと「もちろん」「しっかりな」とか言われていて、慌てて自分の荷物をまとめ始めた。
あっちで「俺も…」とか言ってる人がいるけど、気にしたら負けだね。
「それじゃお先に失礼します!」
「おうっ、お疲れ!」
気前の良い団員達に見送られて私はキャリーと共に詰め所を後にした。
ドアを閉めた後で獣のような叫びが聞こえてきたけど、どうせ夜には家で会うのだしランドールには頑張ってもらおう。
「それでね、そしたら団長が…」
ユーニャといい、キャリーといい、なんで私の幼なじみはこんなに取り留めのない話が好きなんだろう?
詰め所を出てから村の広場に来るまでの間もずっとこの調子で話し続けている。
私も聞くのは嫌いじゃないし、二人ともとても感情豊かに話してくれるのでこっちも同じ気持ちになってしまう。
ようするに見ていても聞いていても楽しいということ。
もちろん私も王都での出来事やユーニャとも再会していつも二人で会ってる話をしておいた。
田舎にいるせいか王都の都会暮らしを羨むような発言も見られたけど、キャリーはここでの暮らしに満足しているような気がする。
「ふふっ、キャリーがいつも楽しそうでよかったよ。…それでさっき団員さん達が言ってた積もる話っていうのはこういういろんな話なの?」
「あー…。うーん…そういうのじゃないんだけど…」
さっきまでの様子と違い、なんだか煮え切らない様子のキャリー。
言おうと思ってることはあるのだろうけど、さっきから顔を上げたり伏せたりして言い出せないでいる。
彼女のペースで話してもらおうと思い、あえて何も言わず私は村の様子をただただ眺めている。
村の広場と言ってもそれほど人は歩いていない。
みんな自分の仕事があるのでこうして広場でただ座ってるだけなんて私達くらいなものだ。
ディックも家にいたけど普段は物作りの手伝いをしているようだし、イルーナも畑の手伝いをしたり自宅の畑の世話もある。
私は八歳でここを出たけどみんな自分の暮らしのためにここにいて、自分の生活のために働いている。
そう考えると私はかなり自由にしている方なんだと思う。
尤も、こんなことこの世界にいたら当たり前で前世ではそんなことを思えるようになるのは一体何歳まで生きた後になっただろう。
「あっ、あのねセシルちゃん!」
物思いに耽っていたところへようやくキャリーから声が掛かった。やっと決心がついたらしい。
まぁ言おうとしてることはなんとなく察しはつくけれども。
ゆっくりと彼女へと向き直ると続く言葉を待った。
「私、私ね。ハッ、ハウルと結婚することになったの!」
「そっか。おめでとう、キャリー」
「ありがとう! って、なんかあっさりしすぎてない?」
キャリーが言おうとしていたことは私の予想通りだった。
前回帰省した時もこんなような話をしたしね。
ただ思った以上に驚かない私にキャリーは不満なようでちょっと機嫌が悪そうだ。
「そんなことないよ。幼馴染の二人が幸せになろうっていうのに喜ばないはずないじゃない? 本当におめでとう」
「…ありがとう、セシルちゃん。…私ハウルはずっとセシルちゃんのこと好きなんだって思ってたから…」
きっとずっと前から胸の中に抱えていた不安な思いを私に曝け出してくれた。
ハウルが私のことを、か。
そうかもしれないと思ったことはあるけど、前世で二十歳まで生きた私が今さら小さな子どもの頃から知ってる男の子とそういう関係になることなど考えられない。
何より、私にとってハウルは守るべき存在ではあっても守られるような人ではない。
そういう意味でも早い段階でキャリーとそういう関係になってくれたことは胸の痞えが取れるような思いでしかない。
「昔はどうか知らないけど、それでもハウルが選んだのはキャリーなんだよ。もっと自信を持って?」
「セシルちゃん……。ありがとう」
ここで選ばれなくて良かったなんて口が裂けても言えない。
そんな時遠くに件の色男が通りかかるのが見えた。
「ハーーーーウルーーーーーーッ!」
自衛団の詰め所へ戻るところだったのだろうハウルを遠くから大声で呼び止めると彼は小走りでこちらへと寄ってきた。
隣にキャリーがいることがわかるとあからさまに顔を赤くしているところなんか可愛い面もあるんだなと思ってしまうね。
「なんだよセシル。キャリーと一緒だったのか」
「さっき詰め所に行くって言ってたでしょ。それより聞いたよー?」
「な、何をだ?」
ハウルが少しばかり動揺したようで声が上ずっていた。
もちろん気付かないフリをして小さく笑いながら続ける私。
「何って、キャリーと結婚するんでしょ? もうっ! 村に入った時に教えてくれればいいのにっ!」
「言えるわけないだろっ。ってお前は近所のおばさんかよっ」
「…私と結婚することセシルちゃんに言えないの…?」
隣で半泣きになるキャリーを慌てて慰めるハウル。
それがたまらなく可笑しくてハウルを茶化すけど、全く気にせずキャリーのことしか目に入っていない様子。
なんか、いいね。
私は抱き合うような距離の二人を置いて立ち上がるとそのまま家の方へと歩き出した。
「ふふ、それじゃお邪魔虫はこれで帰るねー。二人ともお幸せにっ」
今日もありがとうございました。
明日から仕事なので連続投稿はこれにて終了です。またいつも通りだいたい3日に一度の更新になると思います。




