この王子、クズにつき
「まずは王城から離れましょう」
下着にシャツに黒のスラックス、それに靴を持ってきてくれたリリスさんは、姿見の前で服を着るのを手伝ってくれながらそう言った。
リリスさんとは俺が一晩を共にした(らしい)メイドさんだ。後ろで結んだ黒の長い三つ編みを左肩から前に流し、たれ目で声や仕草が妙に色っぽい。
年齢は、正直分からない。肌や髪にはツヤとハリがあり若々しいが、ロスローリアとかいうこの国の基準が分からない。
「アシュレイ様にはこの世界、この国、そしてアシュレイ様について知って頂かなくてはなりません。王城で普段通りの生活をしていては接触する者が多過ぎます」
「出掛けているあいだにリリスさんから教えてもらうって訳ですね」
なるほど名案だ。アシュレイは第二王子らしいから誰だって知っているだろうが、俺からすれば完全に初対面だ。絶対にボロが出る。とにかくまず城から離れるのが最善だろう。
「リリスさん、ではなくリリスです。お間違えなきよう」
靴紐まで締めてくれながら、俺を見上げてリリスさんはにっこりと笑った。
……王子はメイドさんをさん付けで呼ばない。理屈は分かるが、抵抗感がすごい。
立ち上がったリリスさんに連れられ、並んでベッドに腰掛けた。そこにソファがあるのになぜベッドなのか。よく分からないが、きっとアシュレイがそうだったんだろう。
それにしてもリリスさん……近いな。
「アシュレイ様にはこれから遠征に連れていく奴隷に一人ずつお会い頂きます。遠征の際には必ず同伴している者達ですから勘付かれる可能性も高いのですが、逆に置いていく事自体が不自然になっていまいますから、仕方ありません」
「つまりアシュレイ王子と仲のいい人達って事ですよね? すぐ気付かれちゃうんじゃないですか?」
「アシュレイ王子ではなく、俺。敬語はお控えください」
「……俺と仲のいいやつらって事か。すぐ気付かれるんじゃねえか?」
リリスさんはにっこりと笑ってくれた。どうやら合格だったらしい。
「仲がいいかはさておき、アシュレイ様の事をよく知っているのは事実です。ですが前向きに考えましょう。国王や他の王族よりもアシュレイ様を知っている訳ですから、彼女らを騙し通す事に成功すれば、正体が露見する可能性はほぼありません」
「そいつらにも秘密を共有してもらうって方法もあると思うんで……あると思うんだが」
「二人とも隙あらばアシュレイ様を殺そうと目論んでおりますが」
「ちょっと待って」
えっ、何どういう事? 何でアシュレイはそんな物騒な人達を連れ回してるの? バカなの?
「ご心配なさらず。アシュレイ様はとてもお強いですから」
「いやだから俺アシュレイじゃないんだけど!? 嫌だー! 俺はまだ死にたくないー!」
「まず一人目、ドヴェルグ族のマナですが」
「スルーしないで!?」
涙目で懇願するとリリスさんはにっこりと笑ってくれた。
「王族殺しは一族郎党皆殺しです。少なくともお城の中で襲い掛かってくる事はあり得ません」
「いやでも、その人達と遠征するんですよね? 城から出るって事ですよね?」
「敬語」
「……でもそいつらと遠征するんだろ? だったらやっぱり殺されるじゃねえか」
「ご心配なさらず。アシュレイ様はとてもお強いですから」
「はいそれ二回目ー! 嘘でしょ!? さすがに何か対策がありますよね!?」
「うふふ。慌てふためくアシュレイ様、新鮮でとても楽しいです」
やっべ。リリスさんドSだ。この状況を楽しんでるようにしか見えない。
「ご安心ください。もしもの時は私がアシュレイ様をお守り致します。たとえ、命に換えてでも」
「……それはそれですごいプレッシャーなんですが……?」
「敬語」
「なんだが!」
「大丈夫です。常に命を狙われているアシュレイ様をお守りするため、こうして私がおそばにいるのですから」
「……そうか、分かった」
常に命を狙われてるとか不穏な言葉が飛び出したが、とりあえずスルーする事にした。今は一刻も早く城から出るのが最優先だ。
しかし、色っぽいメイドさんにしか見えないが、リリスさんは強いのだろうか?
まあいい。疑問は尽きない。俺の知らない事をいちいち尋ねていたら話が終わらない。
「それで、一体どこへ行こうってんだ? 誰もいねえ別荘とかか?」
「レイヌール城という今は誰もいない城へ向かいます。ちょうど近いうちに出向く予定でしたし、用事を済ませたらしばらくはそこを拠点にしましょう」
「レイヌール城レイヌール城レイヌール城。はい覚えた」
しかし別荘も城なのか。第二とはいえやっぱ王子ってすげえんだな。
「それでは話を戻しますね。遠征に連れていく奴隷、まず一人目、ドヴェルグ族のマナですが、彼女はドヴェルグ族の族長の娘です。アシュレイ様がさらってきました」
「さらってきた? それはもう文字通り、誘拐って事?」
「その通りです。歯向かえばドヴェルグ族を皆殺しにすると常々言い聞かせておりますから、サラは比較的安全です。あくまで比較的に、ですが」
「アシュレイひどくない!? それドヴェルグ族とやらもみーんな敵に回してるよねぇ!?」
「アシュレイ様はそういうお方です。人を人とも思わぬ外道、お前の物は俺の物、俺の物は俺の物。そういうお方です」
「クズ……! 圧倒的ゲス野郎……! 自分じゃなかったらぶん殴ってるところだぞ……!」
もちろんマジでそんなやつを前にしたらすぐ土下座だが。何もしてなくてもまず土下座だが。
しかし、何で俺はそんなゲス野郎になっちまったんだ? 同じ王子なら少女漫画に出てくる白馬の王子様になりたかった。
頭を抱えていると、リリスさんがなぜか頭を撫でてくれた。
……リリスさん、何でこんなゲス野郎を守る立場にいるんだろう。
「前向きに考えましょう。とにかく誰にでも偉そうにしていればいいのですから、演じるのは簡単です。それでは連れて参りますね」
「えっ!? ちょっと待って早くない!? せめて何で呼んだかぐらい決めましょうよ!」
「敬語」
「……決めようぜ!」
「うふふ。理由はアシュレイ様がお考え下さい。舞台演劇ではありませんので、当然ながら台本もありません。肝要なのはアドリブ力です。それでは、しばしお待ちを」
「なるほど、確かに……」
感心しているあいだにリリスさんはメイド服の裾をつまみ上げて一礼、寝室から出ていってしまった。
リリスさんの言う通り、ドヴェルグ族のサラとかいう人は事情をまったく知らないし、何を言ってくるかも分からない。だからといって逐一リリスさんにフォローしてもらっていたらそれこそ怪しい。
アシュレイは世界が自分のためにあると思ってそうなぐらい偉そうなゲス野郎、サラとかいう人はその被害者。
なるほど、関係性は明白だし、とにかく偉そうにしてればいけそう、か……?
それにしても、俺とアシュレイの身体はどうして入れ替わってしまったんだろう?
リリスさんはいくつか心当たりがあるような事を言っていた。もしかしたら戻る方法だってあるんじゃないだろうか? あるとすれば、それを探し出した方が建設的なのでは?
……いや、違うな。
俺がアシュレイの身体を借りている事でリリスさんにメリットはなく、正体がバレたら巻き込まれて死ぬリスクしかない。
リリスさんは賢明な人だ。元に戻す方法があるのなら、真っ先にそれを提案しているはずだ。
俺は、どうなんだろう?
俺が時田ではなくアシュレイである事で、何かメリットはあるのだろうか。バレたら殺されるリスクだけはハッキリしているのだが。
そんな事を考えていたら、コンコンとノックの音が聞こえた。
心臓が跳ね、俺は深く息を吸い込んだ。
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