始まりの朝
目を覚ますと、隣にメイド服のお姉さんが眠っていた。
透き通るような白い肌がやわらかい朝日に照らされ、すぅすぅとかわいらしい寝息を立てている。ほのかに甘い匂いがする。
……いやいやいや。ちょっと待ってくれ。この人は誰だ? 昨日はそんなに飲んだか?
いや、飲んでいない。一滴も飲んでいない。だって今日までに仕上げなきゃいけない案件を振られて、二時まではオフィスにいた覚えが――
そこまで考えたところで、サーっと血の気が引くのを感じた。
「ここはどこだ!?」
職場じゃない、俺の部屋でもない。そもそもベッドがデカ過ぎる。
思わず身体を起こして見渡せば、薄給の企業奴隷の俺が想像できる金持ちの部屋を一回り大きく、より豪華にしたような部屋だった。
「気合の入ったラブホ……?」
そうとしか考えられない。こんなラブホに心当たりはないが、きっとタクシーの運転手さんに「ヘイタクシー、ここら辺で一番高いラブホを」とか言ったのだ。覚えてないが。
「おはようございます、アシュレイ様」
大声を出したからだろう、メイドさんが起きていた。たれ目を優しげに細め、背中にすっと指を這わせてきて、初めて俺は自分が何も着ていない事に気付いた。
……大変だ。大変な事になった。
まず間違いなくタスクは終わっていない。更に相場よりずっとお高そうなラブホに泊まり、あまつさえ本格的なコスプレ嬢を召喚したらしい。
どうやら昨晩、俺は現実から逃げ切る事を選択したようだ。
昨日の俺を思い切りぶん殴ってやりたいところだが、まずはコスプレ嬢にお帰り頂かなくてはならない。延長料金も凄まじい事になっているはずだ。
「すみません、ありがとうございました。おいくらですか?」
コスプレ嬢はきょとんとして、それからとろけそうなぐらい甘い笑顔を浮かべて、背中から俺に抱き着いてきた。
「ふふっ。寝ぼけていらっしゃるんですか? ……まだ時間もありますし、せっかくですから昨夜の続きを――」
「いえ結構です! プレイはここまで……って、ちょっと待ってそこ触らないで!」
「うふふ。朝からご立派です。昨夜はあんなに激しくしてくださいましたのに、まだまだご奉仕させて頂けそうですね?」
「いやそういうのもういいですから! ちょっとそれどころじゃないんで!」
ちょっとばかし力づくで艶めかしいコスプレ嬢の手をひっぺがし、俺はベッドから抜け出した。全裸だが気にしない。昨晩は激しかったらしいしどうでもいい。いやどうでもよくはない。どうせならその記憶だけは忘れたくなかった。
俺の鞄はどこだ? こういうのってカードでも大丈夫なのか? 会社には何て言えばいい? そもそも今は何時頃だ?
考えなきゃいけない事が多過ぎて、自分でも混乱しているのが分かる。ひとまずは鞄だ。財布もスマホも鞄の中だ。
「あの、アシュレイ様……?」
「すみません本名は時田でーす! 僕の鞄知りませんかー!?」
何だよアシュレイって。どういうシチュを頼んだんだよ。どんなプレイにせよ自分の名前呼ばせるだろ。自分まで他人になり切って何が楽しいんだ。
洋風の広い部屋をぐるりと周ったが、鞄が見当たらない。スーツもない。
これは……本格的に……ヤバいんじゃないか……?
「アシュレイ様」
「時田ですが!」
振り返ると、コスプレ嬢が鞄、ではなく白いナイトガウンを広げていた。
なるほどね。とりあえず何か着ろってね。そうですよね。
ナイトガウンを受け取って袖を通す。コスプレ嬢の顔に笑みはなく、深刻そうな顔をしていた。
「落ち着いて、お話を聞かせて頂けますか」
「……はい」
俺は、これからどうなるんだろう。やっぱり怖いお兄さん達がやって来ちゃうんだろうか。
それからどうなるかなんて、考えたくもなかった。
並んでベッドに腰掛け、俺は今に至るまでの状況を、包み隠さずすべて話した。
コスプレ嬢は時折訝しげに目を細めたが、とりあえず最後まで話を聞いてくれた。
何か考えているのか、コスプレ嬢は唇に指を当てて黙り込んでしまった。
耐え切れない沈黙の重みに胸が潰れそうだが、俺にはもう何を言う力も残っていなかった。
「どうか、落ち着いて聞いて頂きたいのですが」
「……はい」
どうやら処遇が決まったらしい。
判決を言い渡される容疑者の気分だ。
「まず、あなたは時田という人ではありません。少なくとも容姿はアシュレイ様です。そしておそらく、ここはあなたの知る世界ではありません」
「…………は?」
あまりにも、あまりにも予想外な言葉に俺は耳を疑った。
俺がアシュレイなる男に見えるだって? 俺の知ってる世界じゃないってどういう意味だ?
ちょっと何言ってるのか分からない、そんな思いが顔に出ていたのだろう。コスプレ嬢はすっと部屋の一角を指差した。
その先には、大きな姿見が置かれていた。
「ご確認ください。仮に時田という人物とアシュレイ様が同じ容姿なら、意味はないかもしれませんが」
……そんな訳がない。俺は日本人なんだから。アシュレイなんて洋風な名前の人と似ている訳がない。
言われた通り、姿見に向かう。
そこに、映っていたのは。
「……誰?」
波打つ金髪、青い瞳、血色のいい白い肌。広い肩幅に、逞しい身体。外国人の年齢はよく分からないが、二〇歳ぐらいだろうか? 思えば身体がやけに軽い気がしてきた。
試しに右手を上げてみると姿見の中のイケメンも右手を上げたものだから、思わず仰け反ってしまった。
「アシュレイ様です。アシュレイ・ロスローリア様、ロスローリア王国の第二王子です」
「へえ……第二王子……?」
姿見の中のイケメンとにらめっこしていると、端からコスプレ嬢が映り込んだ。振り向けば確かにそこに立っていた。
つまりこの姿見は本物の鏡で間違い……ない……?
「理由はいくつか思い当たりますが、優先すべきなのは現状です。あなたの魂がどうであっても、お立場もお姿もお力も、アシュレイ様であるという現実です」
「……つまり?」
「あなたには、いいえ、アシュレイ様には今まで通りアシュレイ様として振舞って頂かなければならない、という事です」
「いやいや無理ですってそんなの! 僕、普通のサラリーマンですよ? 知らない国の知らない王子を演じろと言われても無理です!」
「それでも演じて頂かなくてはいけません。魂が別物だと知れたら従者共々、アシュレイ様も死罪なんです」
「はあぁ――――――っ!?」
コスプレ嬢、もといメイドさんの顔は真剣そのもので、嘘をついているようには見えない。
つまり、知らない国の知らない王子を演じ切らなきゃ、俺もこのメイドさんも死刑!?
メイドさんも緊張しているようだった。俺だけならまだしも、自分の命も危ういとなれば当然だろう。
だがしかし、それでも、実感が湧かない。
「いやでも、さすがに無理と言うか……。そもそも、仮にこの状況が現実であるとして、それって命に係わるほどの事なんでしょうか?」
「当然です。王位継承権第二位の王子が偽物であると判明すれば、それは国防に係わる致命的な問題です。お世話を務めさせて頂いている従者も気付かなかったでは済まされません」
言っている事は分かる。分かってはいる。だが受け入れるべき現実が突飛過ぎる。訳が分からないよ。
「……先ほど理由が思い当たるような事を仰ってたと思うんですが、だとすれば元の状態に戻す方法もあるのでは?」
恐る恐る尋ねると、メイドさんは初めて俺から目を逸らし、頬に手を当て小さくため息をついた。
「あくまで論理的には可能かもしれないといったレベルです。何より、具体的にどのような方法が取られたとしても、私には元に戻す力はありません」
それもそうだ。世間には問題だと分かっていても解決できる問題の方が少ない。このメイドさんがいかに有能であってもさすがに期待し過ぎというものだ。
俺からすればまず魂の実在からしてびっくりなんだ。
要するに。
つまり。
「つまり……どういう事だ……?」
「ですからどうか、くれぐれもご内密に。知る者が増えるほどに、情報は漏洩の危険度を増します」
「は、はい……」
実感はない。だが現実は現実だ。
まったく意味が分からないが、どうやら俺はアシュレイとかいう王子を演じるしか生きる道がないらしい。
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