鉄棒 ~悪い男子 2~
ユキは溜息をついて、自分の視線の高さにある鉄棒に両手をかけた。
手のひらを上に向け、鉄棒を握って引き寄せるように力を入れる。
引きつれるようなわずかな痛み。
鉄棒はちっともユキと仲良くしてくれそうにない。
腕に力を入れて体を引き寄せる。
そのまま足をあらぬ方向に蹴り上げる。
一瞬、宙に浮いた体は重力に逆らわず無様に地面に落ちた。
無言で起き上がると体操服の短パンについた砂を手で払う。
砂は短パンからユキの手のひらに移動し、こびりついた。
ユキはこれも黙ったまま、手から砂粒を取り除こうと苦心した。
ふと気づくと後ろにサエが立っている。
鉄棒に引っかけたままの水筒を取りに来たようだった。
サエは黙って鉄棒の支柱に巻き付けた水筒のヒモを外すと、ユキと目を合わさずに走っていった。
もう一度溜息をついた。
体の中の嫌な空気を追い出したいのに、それは粘っこくユキの体内にへばりついて出てこようとはしなかった。
この嫌な気持ちが何であるか、小学生のユキにはよくわからなかった。
ただ嫌な、不快な気持ちとだけ感じていた。
ユキはキュッと唇を吸い、パッと音を立てて息を放った。何回か繰り返した。
パッ。パッ。パッ。
小さな破裂音はユキの気をまぎらわせた。
無心にその遊びを繰り返していると、ふいに隣で声がする。
「なにしてんの」
その声にユキの心臓は止まりそうになった。
いつ来たのか、隣の一番高い鉄棒に体操着姿のフウタがぶら下がっていた。
息を放つ前に固まってしまった唇のまま、ユキは返す言葉を探した。
「逆上がりの練習?」
口元まで出かかっていた言葉はフウタの問いかけに再びノドに落ちていった。
「どうした?」
フウタがユキの顔をのぞきこんでくる。
どうもこうもない。
自分がしていることが、逆上がりの練習なんて言える代物でないことがわかっているから、言葉が出ないのだ。
クラスの中でただ一人逆上がりのできない自分をユキは持て余していた。
なんだろう、これは。
やり方もわからず無闇に足を放り投げるだけの、ダンス?
悔しくて、情けなくて、知らず知らずユキの瞳に熱いものが溜まってきた。
気がつくと、ものすごく近いところにフウタの顔があった。
日焼けした顔にパッチリとした瞳を長いまつ毛がふちどっている。
こぶりな団子鼻の下の赤い唇が唾で濡れていて、ユキはたじろいだ。
たじろいだ拍子に堪えていた涙が瞳の縁を突破して、ユキの頬に痕をつけながら流れ落ちた。
ユキが後ろに飛びのくと同時に、フウタは体を起こした。
彼が手でぬぐった頬に砂がついて、筋をひいた。
フウタは困った顔をしていたが、やがてニヤと笑った。
「泣いてるんだ」
あわててユキが頬をぬぐうと、フウタは右手の人差し指で指さしてきた。
「顔、汚れたよ」
そのまま踵を返すと校庭を駆けていく。
土で汚れた体操服がみるみる遠ざかる。
あっという間に遠くまで行ってしまうと、校舎の中に吸い込まれていった。
ユキは鉄棒の支柱によりかかったままズルズルと下に落ちて、地面に腰をつけた。
思い出して手のひらで頬をごしごし拭う。
自分だって顔汚れてるくせに
涙はすでに引っ込んでいる。
サエの頭の中には、さっき見たフウタの赤い唇の残像が静かに舞っていた。
=END=