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月華燃ゆる  作者: ぼたん鍋
第一部 月が照らす世界は何色か
7/16

第陸話 まどろみの少女

 女の子を抱きかかえて洞穴まで戻ると、食事の準備をしていた咲耶に驚いた様子で出迎えられる。


「御中くん!? どうしたの、その子?」

「そこで倒れてたんだ。咲耶、なんとか助けてあげられないかな?」


 乱れた呼吸を続ける御中。自分勝手なお願いにどこか引け目を感じつつ、咲耶の様子を覗き見る。しかし、そんな御中の心配を気にする様子もなく、咲耶は柔らかそうな胸の前に硬く拳を掲げる。


「もちろんです! 任せてください」

「あ、ありがとう……」


 あまりの勢いに気圧されつつ、背負っていた女の子をそっと地面に降ろして、咲耶の横に仰向けで寝かせる。すると、咲耶は女の子の服を脱がせ、身体に致命傷がないか確かめていく。


「傷は……、見当たりませんね。出血もありません。雨に打たれて、少し身体が冷えているのが心配ですが……」


 女の子の白い肌が次々に露わになっていく。思わず目を背ける御中とは対照的に、咲耶は全身をくまなく調べていく。


「とりあえず、今すぐなにかある、ということはないと思います。念のため、もう少し調べてみますが……」

「うん、お願いできるかな。ちょっと、ぼくは少し外に出てくるよ」


 これ以上見続けるわけにもいかず、御中は入口付近に向かう。そこで、小枝を手にいっぱい持って戻ってきた高御と鉢合わせになった。


「戻った……。どうした?」


 高御はすぐ、異変に気付いた様子で、何事があったのか確かめるように奥へと視線を走らせる。


「あ、高御! 実は……」


 その視線を慌てて遮りつつ、肌を露にする少女との出会いについて、最初から話始める御中。高御は、一通り話し終わるまで黙って聞き続けると、横たわる女の子の方へ視線を向ける。御中の身体が壁になり、姿は見えないはずだった。しかしなにかを理解したのか、たっぷりと注いだ視線を背けた後、小さな声でつぶやいた。


「たぶん、大丈夫だと思うけど」

「え?」


 今も女の子の身体を触って状態を確かめ続けている咲耶は、落ち着いた高御の声に反応して、その真意を確かめる。


「匂い――」


 言いかけた高御の声をかき消すように、女の子のお腹あたりから、壮大な音が洞穴の奥まで鳴り響いていく。


「……。匂いが、しないから。血の。その様子なら、お腹が減って倒れただけだと思うけど」


 鼻で笑うように、高御はそっぽを向く。


「そう……、ですね」


 呆気にとられ、咲耶は続く言葉が口から出てこない。


「なんだよ……、心配しちゃったよ」


 肩の力を抜く御中。ひとまず、何事もないようで一安心だった。

 お腹の虫が元気に活動しているということは、この女の子が今も生きているというなによりの証だ。御中だって、高御だって、もちろん咲耶でさえもお腹は空く。倒れてしまうまでの空腹というのも、この旅を始めてから何度も経験した。その度に、水を飲んだり、違うことを考えたりして、気分を紛らわせてきたのだ。


「まあ、とりあえずよかった」


 未だ倒れたままの女の子に近寄り、その頬を人差し指で軽く数回つつく。若さからか、その指はつついてすぐ押し戻され、もちもちとした弾力感を感じさせた。

 手を叩き、その場に立ち上がる咲耶。それに呼応するように、御中もその場に立ち上がる。


「それでは、この子のためにも早くご飯の準備をしてしまいましょうか。二人とも、小枝は拾ってきてくれましたか?」

「ん」


 高御は、ずっと持ち続けていた小枝を、足元へ無造作に落とす。数本、どこかに跳ねて消えてしまったが、おおむね手が届く範囲に納まった。


「ありがとうございます、高御くん」


 咲耶は、やさしい笑顔を高御に向けた後、表情はそのまま、今度は御中の顔に視線を向ける。満面の笑顔で瞳を覗き見ることはできなかったが、おそらく、瞼の裏に隠されたその水晶体は、御中のなにももっていない手をしっかり捉えているだろう。


「あ……、えっと……」


 理由はどうあれ、今、御中がなにも持っていないということは逃れようのない事実だった。額には、身体の奥からにじみ出た汗が浮き出てくる。


「その……」

「はい?」

「あ……、いえ……」


 怖い。こんなとき、黙って明後日の方向を向いてしまう高御のことを恨めしく思いつつ、咲耶から注がれる視線を一身に受け止める御中。そして、こんなときに口から出てくる言葉は、決まって一つしかない。


「ご、ごめんなさい!」


 結局、御中はいいわけをすることもなく、咲耶に向かって頭を下げた。別に、悪気があったわけではない。ただ、お腹を空かせた女の子を助けただけだった。それに、戻ればきっと、さっきの場所には小枝が落ちている。そしてそれはちょっとした山を作るくらい、うず高く積み上がっているはずだ。いるに違いない。間違いない。


「まあ、事情があったことですから。大丈夫ですよ」

「そ、そう? ありが……、いえ、ごめんなさい」

「はいはい。それでは、すぐにご飯を用意しますから、少し休んでいてください。それと……」


 いつの間にか服を着せ直していた女の子の身体を抱き上げ、御中の腕に強引に押し付ける咲耶。


「この子、温かくしてあげてください。ずっと雨に打たれていたのですから、このままでは本当に身体を壊してしまうかもしれませんので」

「わかったよ。奥で休ませてくる」

「はい。お願いしますね」


 咲耶から女の子を受け取り、やさしく両手で抱き上げる。やはり、この洞穴まで運んできたときと同様に、女の子の身体はとても軽く、そして冷たかった。


 御中よりも年下に思えるこの女の子は、どうしてあんな場所で倒れていたのか。どうしてお腹を空かせていたのか。いったいいつからあそこにいたのか。それは御中にはわからない。それでも、命の危険がなかったということがわかっただけで、先ほどまで強く鼓動を打ち続けていた御中の心臓は、ようやく落ち着くことができそうだった。


 女の子を抱く腕に改めて力を込める。御中の後ろでは、高御が拾ってきた小枝から、水分を吸い取るように水をはじき出す咲耶と、それをじっと見つめる高御がいた。いつもの三人の場所に、新しい一人がいる。そのことが、御中にとってはなんだがとてもうれしいことに思えた。


   ***


 御中が目を覚ましたとき、洞穴の中はすっかり暗闇に包まれていた。入口付近には、なにかを燃やす火の色らしき赤色が見える。その赤がゆらゆらと揺れているのが、ぼんやりと御中の視界に入ってくる。

 どうやら、食事をとる前に眠ってしまったらしい。目をこすりながら、はっきりしない思考の中で、周りを確認するように視線を巡らせる御中。すると、ちょうど真後ろに視線を流したとき、見覚えがない女の子と視線がぶつかった。


「……」


 小さな顔。くりくりとしたかわいい目。少女とも言うべき女の子は、少し不揃いに切りそろえられた短めの髪の毛先を小さく揺らしながら、怪訝そうな視線を御中にぶつけてくる。


「……あなた、誰? もしかして、人さらい?」

「え?」


 御中のことをいきなり人さらい扱いするあたり、やはりこの女の子とは面識がないらしい。

 女の子は、強めの語気で言葉を続ける。


「私のこと、どうするつもり? もしかして……」


 小さな身体を隠すように、両手で自身の身体を包み、危ないものを見るような視線で御中を見つめる女の子。決して発育がいいとは言えない幼児体型のように見える。しかし、こんな暗がりに男と二人。それはやはり、尋常ではない恐怖を感じているのかもしれない。

 御中は、なによりも自分の無害さを伝えるべく、身体を起こして手を挙げる。


「いやいや。なにもしないよぼくは。安心して」

「そ、そんなこと言って。安心させてからひどいことするつもりでしょ!? 騙されないんだから!」

「いやいやいや。本当に、なにもしないから」


 沈黙。しばらくの間、視線だけで言葉をぶつけあう。しかし、善悪の区別は思ったよりも直観的なものだった。


 しばらくすると、どちらからともなくクスッと小さく噴き出してしまう。その笑顔は、二人にとって本能的な部分からこぼれたものだった。

 ひとしきり笑い終わると、二人の頭もこの状況を把握することができるくらいには、はっきりとしていた。


「えっと……、私。どうしてここにいるのか、覚えてないんだけど」

「ああ、そうだよね。ごめんごめん」

「いえ、私こそ。失礼なことを言ってごめんなさい」


 いくらか警戒心を解いたのか、女の子の表情からは安堵したような落ち着きの色がうかがえる。


「いや、大丈夫。こちらこそ、急に驚かせてごめん。ぼくは御中。旅をしている人、かな?」

「御中……。旅人、ですか」


 吟味するように何度かうなずいた後、女の子は姿勢を直し、一度喉を鳴らしてから話始める。


「私の名前は櫛名田くしなだです」


 物怖じしない様子の女の子。呼び捨てにされたことで動揺する御中を余所に、立ち上がって大きく伸びをする。


「んー! っと。……よろしく!」

「あ……、うん。よろしく……」


 御中も立ち上がり、櫛名田と名乗った女の子に対して、右手を差し出す。櫛名田は、特に警戒することなく、その手を掴み、少し強めに握り返す。


「櫛名田、さん? それで、この状況のことなんだけど――」


 御中が説明しようとしたそのとき、服の袖をたくしあげた咲耶が現れ、二人の会話に被せるようにして声をかけてくる。


「あ、御中くん! ようやく起きてくれましたね。もうとっくにご飯の準備はできて……」


 咲耶の手から箸が零れ落ちる。そして地面に跳ね返り、静寂に包まれた三人の間に、乾いた音が響く。


「む……」


 咲耶の視線は、繋がれた二人の手に向けられている。その顔は、どこかムスッとするような、やきもきするような、そんな様子に思えた。しかし、御中はそんな咲耶の様子に気づくこともなく、呑気な声をあげる。


「ああ、そういえばまだ、ご飯食べてなかったんだっけ」

「ご飯!」


 ぐーっと、虫が鳴くような音が響き渡る。すると櫛名田は慌てふためき、隠すように両手でお腹を押さえつけた。それがあまり意味のない行為だということは、この場にいて音を聞いた三人にとっては当たり前のことだった。しかし、思わず押さえてしまうのもよく理解できる。結局のところ、お腹に住む虫の機嫌には、誰も逆らえない。


「あなたも……、ご飯、食べますか?」


 少し表情を崩し、今にも噴き出しそうになるのを我慢するように、笑顔を維持したまま問いかける咲耶。


「咲耶……。彼女は、櫛名田さん、だよ」


 御中も、横で顔を真っ赤にしながら小刻みに震える櫛名田のことを気遣い、笑い出さないように、一言ずつ、ゆっくりと言葉を返す。


「櫛名田ちゃん、ですね。ぜひ、ご一緒に、どうぞ」

「は、はい……。ありがとう、ございます」


 二人と視線を合わさずに、コクコクと頭を振ってうなずく櫛名田。その様子は、見た目通りまだ幼い無邪気な女の子、という印象を抱かせるものだった。

 御中と櫛名田は、お尻についた砂埃を手で払いのける。その後、咲耶の後について、洞穴の入り口へと歩を進めていく。そこには地面に座って食事を待つ、高御の姿があった。


「……遅い」

「ごめんごめん。ちょっと眠ってたみたい」


 手を合わせ、高御に向かって掲げる御中。


「疲れているなら、なおさら食事はしっかりとった方がいい。その方が、疲れもとれる」

「そうだな。心配してくれてありがとう」

「別に、そういう意味じゃない」


 こういう気づかいができるのも、昔からずっと一緒に過ごしてきたからなのかもしれない。それとも、ただ思ったことを言っただけなのか。あるいは、冗談や皮肉のたぐいだったのか。正確なことはわからなかったが、ひとまず御中は高御の対面に回ると、隣に櫛名田を呼び寄せる。


「高御。この子、櫛名田さんっていうんだ。さっき一緒に目を覚ましたところ」

「その言い方だと、ちょっと変な感じがしますよ?」


 御中の後ろに位置取り、引っ張るように御中の服をつまむ咲耶。


「そうかな? そんなことないよ」


 納得がいかないという様子の咲耶だったが、とりあえず今は気にしないようにする

 二人のやり取りを眺めた後、御中に促される形で、櫛名田は口を開く。


「櫛名田です。一応言っておくけど、御中が目を覚ますよりも前から、起きてたけどね」

「……御中?」


 なぜか櫛名田に対して目を光らせる咲耶には、櫛名田はもちろん、御中も高御も触れることはない。どの部分なのかはわからないが、どうも咲耶は櫛名田の言葉が気になるらしい。


「あ、そうなの? それは待たせたみたいになってごめんね」

「別に。待ってたわけじゃないから。それに、いまいちこの状況を掴めてないから、動かない方がいいかなって思って」

「ああ、それもそうだよね」


 未だここに至る経緯を説明していなかったことに気づき、御中は「ごめん!」と頭を下げる。手を振るようにして応える櫛名田だが、目を覚ましたら知らない男がすぐ側にいるなんて状況だったのだから、きっとすごく驚いたに違いない。


 御中は、これまでの経緯と、御中と高御と咲耶、三人がなぜ旅をしているのかについて、咲耶が調理してくれた食事をとりつつ、ゆっくりと櫛名田に話して聞かせた。櫛名田は、うなずいたり、時に疑問をぶつけたりしながらも、最後までしっかりと御中の言葉に耳を傾けていた。

 一通り話終わると、確認の意味を込めて櫛名田に視線を向ける。


「という感じなんだけど……」


 御中が全てを話し終えたとき、食事はすっかり終わり、器は咲耶と高御によってきれいに片づけられていた。

 なにか考え込んでいた櫛名田だったが、改めて確認するように御中へ言葉を投げかける。


「ということは、私は助けてもらった、っていうこと?」

「まあ、助けたというほどのことはしてないけどね」

「ただここまで連れてきただけ」

「まあ、その通りなんだけど」


 片付けを終えて再び座った高御の、鋭い突っ込みが御中に刺さる。同じく片付けから戻ってきた咲耶の「まあまあ」という助け船に救われつつ、御中は言葉を続ける。


「それで櫛名田さん。もしよかったら、どうしてあんなところで倒れていたのか、教えてくれないかな」

「それは……」


 櫛名田は、少し考えるように両手を顔に近づけた後、何度か握って開いてを繰り返す。小さな顔を隠すように、五回六回と続けた後、意を決したように、ゆっくりと話し始めた。


「実は……。最近、私の家の周りで、黒い影が頻繁に現れるようになったの」

「黒い影? それって……」


 その正体は、口にせずとも四人全員が理解することができた。


「うん。さっきの御中の話だと、黒影っていうやつで間違いないと思う。禍津って大ボスみたいなのは見たことないけど、たぶん無関係ってことはないんじゃないかな?」


 御中と高御は顔を合わせる。ようやく、求めていた情報にたどり着くことができた。しかし、やはりここでもその存在は、芦原にとって敵となっている。


 四人の間に、沈黙が流れる。最初にそれを破ったのは、意外にも咲耶だった。


「櫛名田ちゃん。一つ、聞いてもいいですか?」

「? なに、ですか?」


 あまりに真剣な咲耶の表情に、櫛名田の言葉は戸惑いを隠せずにいた。


「十拳剣、という剣をご存じですか?」

「とつかの、つるぎ?」

「はい。形は大小様々ですが、不思議な力を有した、特別な剣です」


 話しながら、御中の腰に提げられた、天之尾羽張剣を指差す。その刀身は鞘に隠れており、しばらく抜いていないため、おそらく汚れ一つない状態だろうと思われた。最後に見たのは何年前だろうか。少なくとも、村から旅って以来、黒影との戦いでは一度も使用していなかった。


「見たこと、ありませんか?」

「どうなんだ?」


 咲耶の言葉に重ねるように、ぼそっとつぶやく高御。


「聞いたことは、ない、と思います。トツカノツルギ? という剣のことは、知りません。でも、私の家に、かなり古い剣があるってことは知ってます。確か、生大刀いくたち? みたいな名前だったっけ?」

「生大刀? その名前は、誰から聞いたのですか?」


 確かめるように促す咲耶。


「父と母が、そう言ってたのを聞いたことがある気がする。はっきりとは思い出せないけど、生大刀にはすごい力があるとかなんとか。でも、そのせいで私たちは危険な目に会うこともあって、それでも大事なものだから守らないといけない、みたいな? だから私もいろいろ頑張ってるけど、今日は失敗しちゃって……」


 照れを隠すように、櫛名田は自分のおでこを軽く叩く。どうやら、今日も一人で修練を積んでいたらしいが、ぬかるむ足場で滑り、頭を打って気絶してしまったらしい。


「そうだったんだね」


 当然のように櫛名田のおでこをさすりながら、御中は自身の境遇と櫛名田を重ね合わせるように考えていた。


 平和だった村。幸せだった家族。それなのに、あの日を境に、全て変わってしまった。そこから五年、ずっと旅をして、高天原の地にたどり着くことだけを考えてきた。もちろん、高御と咲耶と一緒の旅は、楽しいこともたくさんあった。それでも、夜になり、御中を照らす日の光が全て闇夜に覆われてしまったとき、夢に出るのは決まってあの日の火の景色だった。


 見たところ、櫛名田は御中と高御よりも幼く思える。そんな女の子が、楽しい時間を過ごすことなく、幸せな思い出に浸ることなく、深い闇と戦っているのかもしれない。危険な相手から身を守るために、望まない日々を過ごしているのかもしれない。

 

 御中はあの日、咲耶に助けられ、抱きしめてもらったあの日。あの日抱いた感情を今でも忘れていない。怖かった。それでも、咲耶の胸から伝わる優しさに、すごく安心することができた。だからこそ、次は誰かを助けてあげたい。咲耶みたいに、誰かを安心させてあげられるような人になりたい。その想いを込めて、優しく、櫛名田のおでこをなで続ける。


「あの……、そんなになでられても、恥ずかしいんだけど」

「まあまあ。大丈夫だから」


 気にせずなで続ける御中。


「いや、大丈夫って……」


 困惑しながらも、櫛名田は御中の手を受け入れ続けた。あの日咲耶からもらった優しさが、ほんの少しでも伝わればいい。たとえこの子が恐怖を感じていなくとも、なにかの助けになればいい。そんな気持ちが、御中の手を動かし続けた。


「それで、どうする?」


 一人冷静に話を聞き続けていた高御は、じっと櫛名田を見つめる。


「おれたちは禍津を倒すために、高天原にある十拳剣を目指して今日までやってきた。でも、こいつの話が本当なら、十拳剣は高天原じゃなく、この芦原の地にあるってことも考えられるわけだ」

「こいつじゃない。く・し・な・だ!」


 ぷくっと頬を膨らませながら抗議する櫛名田。その仕草の一つひとつが小動物らしくて、御中と咲耶には可愛らしく映った。


「わかってる。それで、おれたちはどうするんだ? こいつの家にあるっていう生大刀は、十拳剣かもしれないんだろ?」


 うつむきながら「櫛名田だもん」とつぶやく櫛名田。咲耶は、櫛名田の手を取り「悪気はないんだよ」と言いつつ微笑む。その姿は、すっかり御中と高御のお母さんのように見えた。

 高御はなおも、自身の考えを口にし続ける。


「それなら、おれたちは生大刀を手に入れなきゃいけない。こいつの家にあっても、禍津を倒すことはできない」


 おれたちが持つべきだ。そんな意志が、高御の言葉には見え隠れしているように思えた。だからこそ、御中はその意見を肯定するわけにはいかなかった。


「高御。そんな言い方はないだろ。櫛名田さんに失礼だ」

「別に、ただ思ったことを言っただけだ。他意はない」


 表情を変えずに、高御の瞳には御中の姿がくっきりと映し出されている。


「だとしてもだよ。ぼくたちは、高天原を目指して旅をしている。

でも、それは目に見える目標地点の一つってだけなんだよ。

その先にある、ぼくらのような悲しい思いをする人がいないようにって。

平和で、みんなが幸せに暮らせる世の中にしようって。

あの日に誓った三人の願いこそ、本当の目的のはずでしょ。

目先に囚われて目標を見失っていたら、ぼくらが助かった意味がないよ。

咲耶に助けてもらった意味がないよ。

なによりも、誰かを傷つけて達せられる目的なんて、禍津となにも変わらないよ。

犠牲の先にたどり着くのは、何の光も届かない、閉ざされた闇の世界だよ。

そんなの、誰も幸せになれない。」


 高御は、まったく動くことなく、御中の言葉を聞き続けていた。逸らすことなく、御中の瞳を覗き込んでいた。そこに映る自身の姿を見ていたのか。それとも、御中がなにを考えているのか、その核心を探ろうとしていたのか。それは高御以外、誰にもわからないことだった。


 御中も、誰も傷つけることなく手にすることができる平和なんてものはない、そいうことくらい、理解しているつもりだった。それでも、たとえ理想と現実が乖離かいりしていたとしても、最初からあきらめるなんてことはできなかった。最初から選択肢を放棄するという行為だけは選ぶことができなかった。決してあきらめない。泥にまみれても、泣き叫んでも、それが自身の身を滅ぼすことに繋がるとしても。


 沈黙に耐えかねた櫛名田は、御中と高御に少しずつ視線を向けた後、困ったように咲耶に助けを求める。しかし、その櫛名田の視線をそっと受け止めつつ、咲耶は黙ったまま、まったく口を開かない。その顔は、やさしい表情を浮かべて、言い争う二人をただ見守っている。


 睨みつけるような表情をしていた高御だったが、やがて緊張をほどいていく。


「わかってる。五年探してまったく得られなかったものが、やっと見つかるかもしれないんだ。ちょっとはしゃいだだけ」

「なら、いいけど……」


 洞穴に充満する張りつめた空気が、スッと入口から抜けていく。同時に、櫛名田も安心したように、飲み込んでいた空気を吐き出す。


「ね? 大丈夫だったでしょ?」

「え?」


 咲耶の言葉に虚を突かれる櫛名田。


「あの二人は兄弟だから。だからぶつかり合うけれど、それでも最後には仲良くなれるんです」

「そう、なんですね」


 頭は追いついていなかったが、咲耶の言わんとしていることだけは理解することができた。


「はい。だって、兄弟ですから。想いは通じ合っているんです」


 それが全ての兄弟に当てはまることなのか、櫛名田には理解することができなかった。それでも、なんとなく「いいな」と思ってしまった。


「私は兄妹、いないので。あまりわからないですけど」

「大丈夫。もう、私がお姉ちゃんですから。私と櫛名田ちゃん。二人は姉妹ですね」

「えっと、はあ……」


 櫛名田は、この人も少し変わっているなと思った。

 この三人は、それぞれ助け合っているのだ。だから、ぶつかっても分かり合える。それは、櫛名田にとってすごく不思議な感覚だった。


 一度落ち着いた後、再び高御が口を開く。


「それで、実際どうするんだ? どっちにしろ、おれたちには十拳剣が、生大刀が必要だ」


 高御の言うことはその通りだった。御中たちの目的がいずれにしても、禍津討伐は避けては通れない。そのためには、膨大な神通力を秘めた十拳剣の力が必要不可欠だった。


「あの……」


 咲耶と繋がれていた手をほどきながら、櫛名田は高御の言葉に応える。


「私、戦えるから!」


 小さな両手をぎゅっと握り、櫛名田は勢いよく立ち上がる。


「だって、そのために私は修練してきたんだから。生大刀だって、たぶん使えるよ」


 この人たちのことを、もっと知ってみたい。もっと一緒にいることで、違う自分になれるかもしれない。そんな思いから、櫛名田は口を開いていた。


「たぶん?」

「まだ使ったことないけど、ずっと頑張ってきたから! だから、大丈夫!」


 根拠のない自信、というのはこういうことを言うのだろうか。御中は、途端に目の前の女の子が大きな存在に思えた。


「それじゃあ、まずは櫛名田ちゃんのおうちに行きましょう。もう遅いので、ご両親も心配されているはずだから」


 咲耶も立ち上がり、櫛名田の肩に後ろからそっと手を添える。


「うん! ここから近いから、日が昇ったら招待するよ!」

「ありがとう、櫛名田さん。それじゃあ、お邪魔するよ」

「櫛名田でいいよ」

「そう? じゃあ、櫛名田。改めてよろしくね」

「うん!」

「おれも行くから」

「わかってるよ」


 四人の間に、緊張の空気はなくなっていた。初めて会ったはずの櫛名田は、自然と三人に溶け込み、すでに最初からいたのではないかというほど違和感がない。


 この出会いは偶然だ。それでも、無邪気な笑顔を浮かべる櫛名田の顔を見て、いつの間にか自分も笑顔になっていたことに御中は気づいた。そのことが、今までにない安心感を、御中に与えていた。


 洞穴の奥、御中と櫛名田が初めて言葉を交わしたその場所で、今度は咲耶と櫛名田が一緒に横になる。御中はその側に座り、背中を壁に預けるようにしてもたれかかる。高御は入口近くに残り、火が消えないように見守り続けている。


 しばらくすると、洞穴には四人の異なる寝息が、静かに和音を奏でていた。


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