第弐話 炎の中に佇む影
視界に広がる赤。焼き付くような色。
御中は、村に近づくにつれて、どんどんその色が濃くなっていくのを感じた。同時に、いつもは感じることがない、嫌な温かさが風に乗って流れてくる。視界の遠くに村の様子を見ることはできない。しかし、その方向から、ぼやけた赤色がゆらゆらと揺れているのが視界に入ってくる。
御中は、焦る気持ちに突き動かされるように、一心不乱に村へと駆けていく。先に戻った高御のことも気になるが、家にいる両親の安否もわからない。
「なにごともなければいいけど……」
思わず、そんな心配の言葉が御中の口から零れ落ちる――。と同時に、悲痛な叫び声が森の中まで響いてくる。
「ああああああああ!」
言葉にならないその悲鳴は、全力で森を駆ける御中の耳にも届いた。姿を捉えることはできなかったが、切羽詰まった様子だけは伝わってきた。
村まであと少しという位置まで来ると、肌に吹き付ける風の温度が上昇したように思えた。
熱い。間違いない。なにかが燃えている。そのなにかは、御中が向かう先にあるということだけは、はっきりとわかる。それでも、頭では理解していても、認めるわけにはいかなかった。認めてしまうと、今、こうして走っていることさえ、無駄なことに思えてしまう。
きっと、村の子どもたちがドジをして、かまどの火を大きくしてしまったのだろう。あるいは火遊びをしていて、間違ってなにかに飛び火させてしまったのかもしれない。
そうに決まっている。あの村に限って、なにかあるわけがない。平和な、みんなが笑顔になれる村なのだから。御中と高御が今日まで育った、どこにでもある村なのだから。
両足に入れる力は、先ほどまでとは比べ物にならないほど強くなっていた。地面を蹴る度に、乾いた砂が巻き上がり、あたりに砂埃を起こす。
気が付かないうちに、身体からは大量の汗が噴き出していた。しかし、それを拭うこともなく、御中はただ前を向いて、赤く輝く村の方向へと駆けて行く。
ようやく視界が開けたとき、そこは今まで暮らしていた村とはまったく異なっていた。森に入るときに渡った橋は、あるはずの場所にはない。橋があったはずの場所には、用途がわからない焦げた木材が散乱している。
「なに、これ……」
目の前に広がる光景に戸惑いながらも、燃え盛る炎を避けつつ、御中は村の中心へと進んでいく。あるはずの家がなく、いるはずの人がいない。それがどうしようもなく、御中の心を不安の色に染めていく。いつもと違うということが、見慣れていないということが、こんなにも顔を歪めさせる違和感となることを、この歳の御中には想像することもできなかった。直面して、身体で感じて、初めて恐怖を覚えていく。初めて恐怖を刻まれていく。
両手に強烈な違和感を覚え、顔の前まで持ち上げる。固く握っていた拳を開くと、今まで見たことがないくらい、大粒の汗が手のひらを支配していた。そこで初めて、自身の身体が震えていることに気づいた。自ら肩をギュッと抱きしめ、押しつぶされそうな不安から逃れるように、力いっぱい目を瞑る。
その時間を測れば、とるに足らない長さだったかもしれない。それでも、その場に立ち尽くした御中が感じた時間の流れは、何倍の長さにも感じるものだった。地面に張り付いた両足は、迫りくる炎の熱を強く受けているにも関わらず、一歩たりとも動くことはなかった。
遠くの方で、家が崩れたような破壊音が鳴り響く。その音が御中の耳まで届いたとき、ようやく一歩、後ろへとよろめくように足が動き出した。混乱していた御中の頭は、思考を放棄したかのように空っぽになっていたが、次第に周囲の様子が視界に映り込んでくる。
人の気配はどこからも感じない。この村には、少なくとも三十以上の人が暮らしていたはずだが、この辺りに来てもなお、一人としてその姿を見ることはない。
「……そうだ! 高御は、どこにいるんだ!?」
先に戻ったはずの高御の姿も、ここに至るまで見ていない。御中たちの家は、森の入り口からちょうど反対側に位置している。もしかしたら、すでに両親を連れて、どこかに避難している可能性だって決して低くはない。
「高御ぃぃぃ!」
御中の叫び声は、建物が燃え続ける村中へと響いていく。しかし、一向に衰えることのない炎の音が、ほかのあらゆる音源の発生位置判別を難しくしていた。御中は目と口を閉じ、高御の声を聞き逃すことがないように、全神経を耳に集中させる。
木が裂ける音。なにかが壊れる音。火が燃え盛る音。聞き慣れない音は、御中の不安をさらに掻き立てる。
膨らむ不安に心を支配されそうになったとき、森の中で聞いたような叫び声が、再び御中の耳に届く。
「ああああああ!」
「この声……」
間違いない。誰よりも聞いた声。誰よりも話した相手。いつも一緒にいた家族。
「高御! 今行く!」
声が聞こえたのはそれほど遠くではない。しかし、その声は逼迫した状況を物語るようなものに思えた。
急がなければ、間に合わないかもしれない。
御中は迷うことなく、自らの足に力をこめる。普通に走るのでは遅い。しかし、御中であれば、できることがある。御中にしかできないことがある。
「はあああ!」
瞬間、まったく感じなかった風が、御中の後方から瞬く間に吹き付ける。同時に、地面を蹴り上げ、身体を宙に浮かせる。自然には起こりえない勢いの風は、木の葉を運ぶように御中の身体を前へと押し運んでいく。
燃え盛る炎の中を切り裂きながら、村の中を進む。御中が家の出入り口を捉えたとき、そこには木刀を片手にもち、見たこともないような黒い影と対峙する、高御の姿があった。
「くっ……」
「ア……ア……」
間違いなく、高御が襲われている。必死に振り回す木刀は、黒い影をすり抜けているように見えた。
「高御!」
距離を測り、より近距離からの一撃を入れようと呼吸を整える高御に対して、御中は勢いそのままに声を張り上げる。
「御中!?」
「高御! しっかりして! 早く立って!」
高御の前に立ち、黒い影に対して木刀で切りかかる御中。しかし、高御の木刀と同様に、御中の木刀も黒い影を捉えることができない。
「ダメだ御中! こいつ、全然剣が当たらない!」
高御は、手にした木刀の剣先を地面に突き刺し、身体を支えるようにしながら声を張る。
「だとしても! 黙ってやられるわけにはいかないよ!」
実体があるのか、それとも本当に影なのかはわからない。それでも、なにもしなければ二人がこの場を切り抜けることはできない。それだけは、はっきりとしていた。
御中は、握る木刀の剣先に意識を集中させていく。
風を集め、剣に纏う。その光景を、頭の中で創造していく。
「はあああ!」
木刀を掴んだ手を振り下ろすと同時に、剣先から竜巻とも思える風の渦が巻き起こり、黒い影を飲み込んでいく。その身体から血が噴き出るような様子は見られなかったが、黒い影は身動き一つすることなく、二人の視界から姿を消した。
「御中……、ありがとう」
「ここはぼくに任せて! 高御は父さんと母さんと一緒に、早く森の中へ逃げて!」
「……」
高御の返事はない。それでも、口を堅く閉じるその姿を見ただけで、御中は事態を理解することができた。
一呼吸の後、辺りを見渡す。少なくとも、周囲に広がる森の中までは、火が広まっていないように見える。森の中の安全を断言することはできないが、少なくとも、ここに留まるよりかは状況が良い方向へと進む可能性が高い。
後ろで倒れているはずの高御に視線を向けようとした御中だったが、それよりも早く高御は立ち上がっていた。声を張り上げ、黒い影を包む竜巻の前へと一歩を踏み出す。
「嫌だ! ぼくだって戦う!」
「高御! こいつに普通の剣は通用しないんだよ! ここはぼくに任せて」
御中の説得に対して、高御は納得することができないと言うように声を荒げる。
「でも! ぼくだって! ぼくだって戦うために今日まで頑張ってきたのに!」
「わかってる。高御は強いよ。他の誰よりもずっと強い。でも、今は神通力が使えないとダメなんだ! 高御がやるべきことは、戦うことじゃないでしょ!」
高御の瞳の主張は変わらない。それでも、高御を守るためには、こうするしかない。全てを失ったとしても、この弟だけは失うわけにはいかない。
「父さんはどうしたの? 母さんは? 村の人たちは? 一人でも多く助けて、森の中へ連れて行くんだ」
高御に会うまで、御中は村の人を一人も見つけることができなかった。もしかしたら、どこか一か所に固まって避難しているのかもしれない。あるいは、目の前にいるこいつ以外にも、黒い影が村を襲っている可能性も考えられる。
いや、本当はわかっていた。おそらく、この村の生き残りは、すでに御中と高御の二人だけだろう。黒い影がほかにもいるかもしれないということはあっては、村の生き残りは間違いなくいない。それでも、希望を口にするしかなかった。そうしなければ、高御の足を動かすことはできない。
二人の視線は絡まる。その視線にこもった熱は、二人の想いが重なっていることの証明にはならないかもしれない。しかし、意志の疎通にはそれだけで十分だったはずだ。
「さあ、早く行って。いつもの場所で落ち合おう」
「……わかった。待ってるから」
「うん」
御中の目を見つめた後、高御は黒い影を包む風の渦の先、家の裏側に向かって走り出した。
御中は、その姿が見えなくなるまで見送った後、再び目の前の風の渦へと視線を戻す。
「さて、どうすればこいつを倒せるのかな……」
御中が作り出した竜巻は、わずかの間で半分ほどの大きさまで小さくなっていた。そのことを考えると、やはり黒い影が完全に出てくる前に、次の手を打ちたい。おそらく、これで倒すことができたという楽観的な想像はしない方がいいだろう。
「よし! これなら、どうだ!」
すぐ近くで燃え盛る炎に意識を向け、木刀を振り回すように、炎から黒い影へと剣先を振り向ける。すると、家を燃やしていた炎は、剣の動きに対応するように、黒い影へと火柱をあげ、竜巻に吸い込まれるように入り込んでいく。
火を纏った竜巻は、周囲に火の粉をまき散らしつつ、中心にいる黒い影を焼いていく。叫び声は聞こえてこないが、これだけの火力なら、無傷ということはないはずだ。
「ひとまず、これでなんとか……」
倒せずとも、時間を稼ぐことはできるだろう。そう考えた御中は、炎の竜巻を横目にして、高御を追いかけようとした。
しかし、その行動が御中に隙を作ってしまった。
数歩動いたとき、左脇腹に衝撃が走る。
「……え?」
視線を向けると、禍々しい色をしたなにかが、御中の身体を掴んでいた。次の瞬間、身体からは、見たことがない量の血があふれ出す。
「っ!」
一気に意識が朦朧とし、視界は混濁する。御中は、思わず地面に膝をつく。
「ア……ア……」
炎をもろともせず、黒い影は姿を現した。聞き取れないほど低い唸り声をあげ、ゆっくりと御中に向かって距離を詰めてくる。
「や……ばい。このままだと……」
やられる。間違いなく。
黒い影が御中の元にたどり着く前に、どうにかしてこの窮地を脱しなければならない。しかし、なおも御中の身体からは、止まる気配のない大量の血が流れ出ていく。
「ア……ア……」
黒い影は、すぐ側まで近づいている。
倒れ込んだ時に、もっていた木刀は後方に落としてしまった。今の状況では取りにいく力も残されていない。
「なにか……、なにかないのか……」
なんでもいい。今の状況を一変させるような、目の前に迫る黒い影を退ける、なにか。
しかし、御中の目が届く範囲には、武器になるようなものはない。
「アアアアアアアア!」
ついに目の前までたどり着いた黒い影は、雄叫びのような声を発しながら、御中に向けてその手を伸ばす――。
刹那、最後を覚悟し、目を閉じた御中だったが、その瞬間はいつまでたっても訪れることはない。恐る恐る目を開け、前に視線を向けると、そこには森の中へと逃げたはずの、高御の姿があった。
「高御……、どうして……」
「どうして、じゃないよ! そんなに簡単にあきらめるなよ!」
黒い影の手は、高御の右肩をかすめるようにして、御中の目の前で静止していた。
「ぼくたちは、たった二人の兄弟、でしょ。そんな簡単に死なないでくれ」
「高御……」
その顔は、心なしかほころんでいるように見えた。痛みで顔が歪んでいるからか。それともギリギリで御中の危機を救うことができたからか。理由はわからなかったが、とにかく御中が窮地を脱したことには変わりなかった。
黒い影は、伸ばした手を引き戻しながら、高御の右肩をえぐっていく。
「あああああ!」
「高御!」
高御の右肩から肉が引き千切られる。噴き出る血しぶきは、御中の全身を赤く染めていく。
「大丈夫だって……。こんな傷、全然、痛くない」
高御の右肩は、すでに自分の意志で上げることすらできないほど、付け根の部分がえぐり取られていた。その肩を目にしただけでも、御中は思わず自分の肩を抑えてしまう。
高御がきて間一髪助かったが、状況はまったく変わらない。御中の神通力さえ通じなかった今、二人には打つ手がない。このままでは、いずれ二人とも、黒い影によって命を削り取られてしまうのは明白だった。
「御中! もっと強力な神通力は使えないの?」
「無理だよ、使えない。意識が集中できないんだ」
再び竜巻を起こして黒い影にぶつけるべく、御中は周囲の風に意識を集中しようとした。しかし、掴まれた左脇腹の出血はひどく、激痛からか思ったように思考を制御できない。
「そうか……」
少し顔に影を落とした後、高御はなにかを思案するように考え込み、つぶやくように口を開く。
「なら、当たって砕けるしかないか……」
「当たって砕ける?」
捨て身、ということだろうか。唯一、黒い影に有効と思える御中の神通力が使えない以上、それは最後の策とも思えた。しかし、高御の口からはあきらめの気配は感じ取れない。むしろ、刺し違えても黒い影を倒そうという気すら伝わってくる。
「まあ、こんなときのために、剣の修練だけは御中よりも重ねてきたんだから。その成果、ここで見せないと意味がない」
「高御……」
「見ててくれよ、御中。ぼくは、確かに神通力は使えないけど、それでも、御中と一緒に戦うことくらいできる。それに、こんなに強い相手と戦って負けるなら、それはそれで楽しいよ」
「ははは。なんかちょっと、高御のことを勘違いしてたよ」
こんなに生き生きとした高御を見たのは、いつ以来だろうかというくらい、目の色が輝いていた。
高御が本当にそんなことを思っているのかは、御中には知る由もない。しかし、神通力に目覚めた日から、御中の中にも、なにかをしなければという強い使命感が、心の中に巣くっている。
この力で、誰かを守りたい。家族を守りたい。高御を守りたい。
今、このときこそ、力を行使する場面なのかもしれない。高御を守ることができる場面なのかもしれない。
御中は左脇腹を右手で押さえつつ、ゆっくりと立ち上がる。そして、高御の横へと並び立つと、静かに語りかける。
「ぼくは、絶対に高御を守るよ。どんなことがあっても」
高御も、御中の言葉に返すように、静かに視線を送る。
「ぼくだって、あいつを倒してみせるよ。たとえどんなに強い相手だって、それを超えるくらいの力で、倒してみせるよ」
二人そろって、視線を目の前の黒い影へと移す。互いに剣を構える。その剣先は、等しく黒い影へと向けられている。
「ぼくと高御。二人の力を合わせれば、きっとどんな人でも守れるよ」
「御中とぼく。二人の力を合わせれば、きっとどんな相手でも倒せるよ」
先ほどまで感じていた黒い影に対する恐怖は、二人とも、今は全くなくなっていた。
「ぼくと高御なら、たとえ空に浮かぶ月だって、絶対に守ってみせるよ」
「御中とぼくなら、きっと燃え盛る炎だって、絶対に倒してみせるよ」
二人の間には、確かな想いが巡り合っていた。
状況が変わったわけではない。今なお、目の前の黒い影を倒す方法は見つからない。
それでも、高御と一緒なら、なにかできるかもしれない。
御中と二人なら、なにかが起きるかもしれない。
二人は息を合わせて、黒い影に向かって走り出す。
あいつの正体はわからない。それでも、全力でぶつかってやる。
「「うおおおおおおおおお!」」
二人の雄叫びは重なり、村全体に響くようにして広がっていく。互いに目を大きく開き、黒い影の禍々しい身体に向かって、勢いよく全身をぶつけた。
衝撃を予測した瞬間、御中は思わず目を閉じる。すると、木の板にぶつかったような衝撃が肩に伝わった後、御中は大きく後ろに飛ばされていた。地面に倒れ込んだ際、なにかにあたったのか、左手からは血が噴き出す。
御中は、新たな痛みを感じつつ体勢を整え、目の前の黒い影に視線を向ける。そこには、お腹と思われる部分を抱え込むようにして佇む、黒い影の姿があった。
「やったか!?」
期待がこもった声が、思わず口から漏れる。しかし、御中の願いとは裏腹に、黒い影はすぐに元の姿勢へと戻り、その灰色の目を再び御中へと向ける。
「やっぱり……、だめか」
こうなることはわかっていたが、最後の力を振り絞った御中にとって、もうできることは残っていない。後悔なのは、御中の力では誰も守ることができなかったという事実。高御を守ることができないという未来。それだけが、すでに頭の中を支配していた。
「高御、大丈夫?」
御中と同様に地面へと倒れた高御の安否を確認するように、御中は声をかける。しかし、いつまでたっても高御からの返事はなかった。
「高御? どうした、の?」
「……」
顔は伏せられ、身体は小刻みに震えていた。
「高御! しっかり、してよ。高御!」
かすかなうめき声が聞こえるのみで、高御からの反応は返ってこない。見ると、先ほどえぐられた右肩の傷がさらに深くなり、流れ出る血は周囲の地面を赤に染めていた。
「高御……」
名前を口にしながら、御中は覚悟した。もう、できることは全てやった。神通力も、もはや使えない。高御を庇うために身体を動かす力さえ、御中にはもう残っていない。
「ア……ア……」
禍々しい黒い身体を揺らしながら、目の前の黒い影はゆっくりと二人に近づいていく。
なにも抵抗せずに死を受け入れるのはあきらめと同じだ。せめて、形だけでも立ち向かって死にたい。そう考えた御中は、唯一動く右手に残りの体力を総動員させて、前へ、後ろへ、なにか落ちていないかと、地面をまさぐる。
「あ……」
右手になにか、ざらざらとした感触が伝わってきた。視線を向けると、ちょうど御中の真後ろあたりに、一本の、錆びた剣らしきものが落ちていた。
「ははは。お前か、左手、切ってくれたのは」
どうやら、倒れた際に左手を切ったのは、この錆びた剣の刀身に触れてしまったのが原因だったらしい。本来の色を失ったように茶色くなっていたその刀身には、赤々とした御中の血がこびりついていた。
「でも……、ありがとう。こんな、ところに、いてくれて」
優しく、大切なものを手にするように、錆びた剣を拾い上げる。
「これで、なんとか、高御を守って、あげられるよ」
口から出たその言葉は、きっと実現されることはない。それでも、今は目の前の錆びた剣が、この窮地を救う神様のように見えた。
剣はそれほど長くなく、御中にとっては、ちょうどもちやすい大きさだった。柄の頭に鳥の羽のようなものがついていて、錆びているにもかかわらず、どこか力強さを感じさせる出で立ちに見えた。
実際には、この剣で高御を守ることはできないということはわかりきっている。そして、この錆び具合では、あの黒い影にわずかな傷を負わせることすら難しいだろうということもわかっている。それでも、今はこんな一本の錆びた剣があるだけで、ずいぶん心強い。
「さあ、こい。こいつで、お前から、高御を、守って、みせる」
途切れながらも言葉を紡ぎ続ける。意識を保つだけで、今の御中にとっては精一杯だった。
薄れゆく意識の中、剣を握る手の感触は、最後の瞬間まで残り続けた――。