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月華燃ゆる  作者: ぼたん鍋
第一部 月が照らす世界は何色か
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第拾伍話 月華燃ゆる


   ***


 芦原の空は暗く、日の光が差すことは、もう久しくない。人々が時間を知るすべは一つ。暗い空で時折紅く輝く、不思議な月を見上げたとき、今が夜だということを理解する。


「やあっ! っせい! はあああ!」


 紅い月明かりの下、少年はひたすら木刀を打ち込む。


「よっ! はい! まだまだ!」


 少年の力いっぱいの打ち込みを受け続ける女性は、片手にもった木刀で軽く交わしながらも、時折おどけたような声で少年を挑発する。


「やああああ!」


 痺れを切らすように、少年は大きく振りかぶった後、今までよりもさらに力を込めて、真っすぐに木刀を振り下ろす。しかし、寸前で剣先は交わされ、少年の手には、得られるはずだった感覚はいつまでたっても訪れない。それどころか、勢いをつけすぎたせいか、身体ごと女性に向かって突っ込んでしまう。


「ちょっと、そんなに力任せに剣を振らないの! 女の子に怪我させたらどうするつもり?」

「ご、ごめん……」


 女性は、倒れ込んできた少年の身体を、優しく包み込むように受け止める。口調は少し厳しさを感じるものだったが、愛しい相手を抱擁するような仕草は、少年に言いようのない安心感を与えていた。


 しばらくの間、二人は静かに抱き合った。女性は優しく少年の頭をなで続け、少年はされるがままに胸の中へ納まる。


 やがて、少年は先ほどまでの気迫を全く感じさせないほど穏やかな表情へと変わり、次第に瞼をすぼめていく。


「もう、すぐそうやって甘えるんだから」

「だって……」

「はいはい。あんたはまだまだおこちゃまでちゅねー」

「んー。ぼくはまだ子どもだもん。そんなにすぐには大人になれないよ」

「あはは。別に、ゆっくり大きくなればいいんだよ。それまでは、私が守ってあげるからね」

「んー」


 女性の胸に顔を押し込むようにして、少年は頭をぐりぐりする。女性はその頭に手を添えると、優しく、どこか遠くにいる人へと語るように、いつもの昔話を始める。


「昔々、あるところに、二人の兄弟がいました」

「また、その話? もう何回も聞いたよ?」


 少年の言葉に、女性はなでる力を強めることで答える。身体をよじるようにして抵抗していた少年だったが、ついにあきらめたのか、黙って女性の言葉に耳を傾ける。


「二人は、小さいときに住んでいた村を離れて、旅に出ることになりました。なぜなら、悪い人たちに村を焼かれてしまったからです」

「ひどい話だね」

「そうだね。でも、二人は挫けなかったのです。兄は弟を守るため、強くなりたいと願いました。弟は守られるばかりの自分から脱却するために、強くなりたいと願いました。同じ方向へ歩み始めたにも関わらず、二人は道の反対側を歩いていたのです。そして二人は、いろいろなところへ行きました。大きな川を見たり、困っている女の子を助けてあげたり、危ない目に会っている村を救ったり……。そして、いつの間にか二人は、とっても強くなっていたのです」

「どれくらい強くなったの?」

「どれくらいかな? たぶん、私が三人いても敵わないくらいには強かったかな」

「えー! それは強いね」


 驚くように、少年はこれ以上ないというほど目を見開く。眠気はすっかり覚めてしまったらしい。


「でもね、二人はいつの間にか、お互いのことがわからなくなってしまったの。ずっと一緒にいたはずなのに。いつも隣にいたはずなのに。気づいたら、気づけなくなっていたの」

「? どういうこと?」


 女性は、いつも同じところで返される少年の疑問に対して、今日も答えることはない。答えてしまうと、大切な思い出が自分の中から出て行ってしまうような気がして、いつも口をつぐんでしまう。少年も、そんな女性の様子に気づきながらも、毎回こうして答えを求め続ける。もはやこうしたやり取りは、二人の間で幾度となく繰り返される、お約束となっていた。


 少し間をおいて、今度は少年の方から、話の先を促す。


「それで、二人はどうなったの?」

「……うん。二人はね、遠い場所に行っちゃったの」


 そう言うと、女性は空に浮かぶ紅い月を指差す。


「あそこ? あそこにいるの?」

「そう、かな。うん。たぶん、あそこにいると思う」

「ふーん。ぼくも、いつか行ってみたいな」


 屈託のない笑顔で口にする少年に対して、女性の顔には悲しみの色が広がっていく。


「そんなこと……、言わないで」

「え?」


 女性は、震える手で、少年を強く抱きしめる。


 少年からは女性の顔を見ることができないが、すすり泣くような嗚咽から、おそらく涙を流しているということは理解できた。


「もう、誰も失いたくないの……。今度こそ、あなたは私が守るから。だから、ずっと私の側にいて」

「うん……。大丈夫だよ。ぼくは、ずっと櫛名田の側にいるよ」

「ありがとう。ありがとう……、月読」


 二人は、不釣り合いな身体を寄せ合い、強く、抱きしめ合う。


 あの日から、いったい幾何いくばくの月日が流れたのだろうか。櫛名田と月読は、二人きりで旅をしている。櫛名田の腰に提げられた生大刀からは、生の声が聞こえることはなくなった。あの戦いで、神通力を使い果たしてしまったのかもしれない。それでも、いつかもう一度話すことができる日を信じて、今も大事に持ち続けている。


 世界は、芦原には様々な変化が起きた。あの日以来、黒影が現れることはなくなった。きっと、布都が高御の身体を完全に掌握するのに手間取っているのだろう。


 御中と高御と咲耶。三人の家族を失った櫛名田は、あの悲劇から目を覚ましたとき、月読とともに、知らない場所に横たわっていた。記憶は曖昧だった。あれから、淤能碁呂がどうなってしまったのか、今でもよくわからない。だからこそ、旅をしている。いつか、あの日の結末をこの目で確かめるために。


 空を見上げる。あの月の色は、目を覚ましたときからずっと変わらない。以前は黄色く光っていたはずの月は、今では常に真紅に光り輝いている。


 あの真紅を見るたびに、櫛名田は思い出す。

 御中が身に纏っていた、真紅の衣を。

 御中の身体から流れ出た血が、櫛名田の白い衣を真紅に染め上げたときのことを。


 月明かりは、今日も芦原の地を紅く照らす。

 その光は、まるで大地を燃やすように、芦原の地に咲く花を、紅に染めていた。


   ―――第一部 『月が照らす世界は何色か』 完―――


 ここまで読んで下さった皆様、誠にありがとうございます。

 大変恐縮ですか、本作はここで筆をおかせていただきます。

 重ねて、お礼申し上げます。 2017年11月2日

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