第拾参話 闇に惑う
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それは、あまりにも突然の出来事だった。
次の日の夜、伊岐と那美から「話がある」と呼ばれた御中は、屋敷の前に広がる、広めの庭のような場所にいた。話の内容というのは、二人の子どもたち、天照、月読、素戔嗚に戦い方を教えてあげて欲しいというものだった。御中には、その頼みを特に断る理由もなく、どちらかというと一宿一飯の恩義という意味合いを込めて気軽に応じた。小さい身体で精一杯木の小刀を握る三人を見たときは、昔のことを思い出すような、温かい気持ちになっていた。伊岐から手ごろな剣を渡され、構え方から教えようとしたとき、それは起こった。
遠くの方から響いてくる地響きで、御中たちが立っている地面が揺れる。御中は、身体の奥に嫌な感覚が伝わっていくのを感じた。周囲を見渡すと、遠くの空が赤く光っているのが目に入る。
「伊岐、那美。悪いけど、三人の相手は明日でもいいかな? なんだか、良くないことが起こりそうな気がする……」
御中は、赤く光る空へと意識を向ける。その言葉は、伊岐に対して告げたものだったが、不安の色は子どもたちにも伝わったのか、三人は肩を寄せ合うようにしてくっつく。
「ああ。なんか、おれも嫌な予感がする。那美! おれは御中と一緒に向こうの方を見てくる。念のため、子どもたちと一緒に部屋まで戻っていてくれないか?」
伊岐の目は、真っすぐ那美に向けられる。那美は、その視線をしっかりと受け止める。どれくらいの時間、二人は視線を交わしていたのだろうか。御中にとって、それはとても長い時間のように思えた。しかし、伊岐と那美にとっては、その時間はあっという間だったに違いない。二人は同時にうなずく。
「わかった。待ってるから」
「ああ。すぐに戻るから、寝る準備をして待っててくれ」
那美は子どもたちの手を引いて、屋敷の方へと歩いていく。子どもたちは何度も伊岐の方を振り返ったが、那美は一度も振り返ることなく、力強く歩いていった。
「那美さんは、強い人ですね」
「だろ? おれの奥さんだからな」
「……。ぼくも、いつかあの人のような女性と、一緒になりたいです」
「はっはっは。那美みたいにいい女は、そんなに簡単には見つからないぞ」
二人きりになった広場に、伊岐の豪快な笑い声が響く。屈強な身体から発せられるその声は、今の状況ではとても心強く思えた。
「まあ、御中の場合は、意外と近くにいるかもな」
「え? そうかな?」
御中には、すぐに思いつくような、近しい関係になった女性は思い浮かばない。伊岐の言葉の意味を考えそうになる頭を、左右に大きく振って思考を元に戻す。
「さあ、行こうか御中!」
「はい」
二人は歩き出す。空は赤い。夜の闇に包まれた淤能碁呂で、その赤は不気味なほど村を明るく照らしていた。
屋敷から出てすぐ、その光景は二人の目に飛び込んできた。
「なんだよ……、これ」
伊岐の声が漏れる。信じられないという思いからか、続けざまに同じ言葉を繰り返す。
一面の火の海。淤能碁呂は炎に包まれていた。
人々は逃げ惑う。
ある人は、すぐ側の海に飛び込んだ。夜の海は暗く冷たい。おそらく、それほど長い間浮き続けることはできないだろう。
ある人は立ち止まる。目の前の事態を飲み込めず、飛び散る火の粉に身を焦がされていた。ほんの少し、燃え盛る家から離れていれば助かったはずなのに、その一歩を踏み出すことができなかったのだ。
ある人は涙する。生まれた家を、村を、育ってきた環境を失ったことに、涙を流すという行為でしか、感情を表すことができないのかもしれない。
御中が初めて訪れたときの、人々がゆったり過ごす平和な淤能碁呂は、もうここには存在しなかった。
「た、助けてくれー!」
「……っ!?」
叫び声が聞こえたことで、御中は自分が立ち止まっていたことに気づいた。それは伊岐も同じだったようで、二人は顔を見合わせる。
「大丈夫か?」
「うん。伊岐は大丈夫?」
お互いに声を掛け合う。「大丈夫?」なんて言葉を掛け合ったところで、口から出てくる答えは決まりきっている。それでも、互いに声をかけ、口にすることで確認しなければ、目の前の状況を自身の中で咀嚼することができない。それほどまでに、淤能碁呂を包む炎はとてつもない勢いで広がっていた。
「御中! おれは声が聞こえた方を見てくる。すまないが、御中はこの火の出処を調べてくれないか?」
伊岐は少しだけ顎をひねり、叫び声が聞こえてきた方向を合図する。
「わかった……。伊岐、後で落ち合おう」
「……、ああ」
原因がわからない以上、その約束が果たされるまでは安全とは言えない。それでも、こうして言葉にすることで、お互いが目指すものを共有し合うことができる。その事実があるだけで、いざというときは踏ん張ることができる。
「それじゃあ、また後で!」
口にするなり、伊岐は燃え盛る炎の中へと消えていった。残された御中も、急いで先へ向かう。確証はなかったが、火の勢いや人の流れを見る限り、出処は村の入り口の可能性が高いと思われた。
御中は走る。身体には、多方から飛び散ってくる火の粉や、焼け砕けた木の破片が次々に身を焦がす。熱さや痛みを感じながら、御中はこの光景に既視感を覚えていた。
今でも忘れることはない。この長い旅を始めることになったきっかけ。村を焼かれ、両親を失ったあの日。御中はなにもすることができなかった。ただ必死に、目の前に現れた黒影と戦った。たった一人の家族を、高御を守るために。
「高御……、大丈夫かな?」
天之御柱から屋敷に戻ってきて以来、高御の顔を見ていない。最近は一人でどこかへ行ってしまうことが増え、今の高御がなにを考えているのか、御中にすらよくわからなくなっていた。
同じ家で暮らし、家族として助け合い、兄弟として競い合ってきた。両親を失った今、御中にとって唯一家族と呼べる存在は高御しかいない。もちろん、咲耶も櫛名田も家族だ。それでも、一番長い時間をともに過ごしてきた高御のことは、決して欠かすことができない、御中の半身となっていた。
守りたい。心から、その想いがこみあげてくる。
失いたくない。頭の中には、ただそれだけの願いがある。
強くなりたい。高御を守れるくらいの兄に。もう二度と、家族を失いたくない。
「もう、誰も不幸になんかしたくない!」
大切な人を失う気持ちは、誰よりも知っている。誰よりも体感している。あの日の絶望を経て、御中が今日まで生きて来られたのは、高御がいたからに他ならない。たった一人でも、家族が側にいたからこそ、今こうして走ることができている。
目の前に広がる炎の渦。このままでは、たくさんの人の命が失われる。それだけは阻止しなければならない。御中のような想いをする人が、これ以上増えないために。大切な人を失う悲しみが、これ以上芦原に生まれないように。
「絶対に、なんとかしてみせる!」
淤能碁呂の人々と直接なにかあったわけではない。それでも、自然とその想いは芽生えた。
今まで、大切な人を守ることはできていたのだろうか。今の御中にはまだ確信がもてない。それでも、守りたいと思った高御は、すでに御中よりも強いと感じるときがある。おそらく、御中がいなくても一人で十分生きていけるだろう。それでも、御中は兄として、絶対に高御を守るという一心でここまでやってきた。腕を磨いてきた。
咲耶と出会い、櫛名田と出会い、いつしか守りたい人は増えていた。今の御中には、全員を守ることなんて、とても簡単にできることではない。それがわかっていてもなお、さらに多くの人を守りたいと思えた。そんな気持ちをもつことができたのは、おそらく、御中もみんなに守られていたからだ。高御に守られ、咲耶に守られ、櫛名田に守られ……。そうして、お互いに助け合うからこそ、強くなれる。想い合うからこそ、一人でも頑張ることができる。
いつしか、降りかかる火の粉のことが全く気にならなくなっていた。地面に転がる何者かだったものに視線を落としながら、ひたすらに前へと走り続ける。
「ごめんなさい」
それは死者に対する供養の言葉だった。救ってあげられなかった人に対する謝罪の言葉だった。この先助けられない人に対する懺悔の言葉だった。それでも、視線は前へ向け続ける。
誰も傷つけない、なんてことを誓うことはできない。御中の命は、誰かの犠牲の上で成り立っているということはわかっている。この先、誰かの命を断ち切ってしまうことがあるかもしれない。手にした剣で、誰かを切り裂いてしまうことがあるかもしれない。それでも、守りたい人のことは守りたい。自己中心的な考えだと言われても、御中にとって大切な人と、誰かにとって大切な人は一緒とは限らない。それなら、せめて御中の力で守ることができる人は、守ってあげたい。
御中が向かう方向からは、逃げ惑う人の数が徐々に減っていた。御中の瞳は、すでに戦うべき相手の姿をしっかりと捉えている。視界の端をうろつく、あの黒い存在だけは、なにがあっても消し去って見せる。倒して見せる。
全身に力を込める。手にもつ剣は伊岐から稽古用に渡されたものだったが、今の御中にはそれで充分だった。
「はああああああ!」
両手で柄をもち、身体の左後方へ剣先を向けるように、構える。腰を落とし、頭の中で剣の軌跡を強く意識する。
一閃。身体を回転させるようにひねりつつ、遅れて出てくる剣に重力の限りを込める。目の前を切り裂くように一回転すると、生まれた風の刃がものすごい早さで前へと飛んでいく。
耳に届くのは、聞き慣れた断末魔。視界の端にいたはずの黒影は、すでに灰色の砂となり、夜空へ散っていた。
「次!」
たどり着いたそこには、たった今灰になった黒影を除いても、十を超える数の黒影がゆらゆらと立っていた。
「はあああああああ!」
同じように、低く腰を落とした姿勢から回転し、風の刃をいくつも生み出していく。一度に多くの黒影を薙ぎ払うことは困難だったが、着実にその数を減らしていく。
「これで! 最後! だ!」
ほぼ無色に近い風の刃は、黒影の黒い身体を真っ二つに引き裂く。
「とりあえず、なんとか、片付いた、かな」
息を大きく乱しながらも、剣先を地面に刺し込んで身体を支える。ひとまず、この事態を起こした根源と思われる黒影は撃退することができた。淤能碁呂は依然として炎に包まれているが、これ以上被害が大きくなることはないだろう。伊岐も多方に動いて、傷ついた人を助けているはずだ。
呼吸が整ったら伊岐と合流しようと考え、御中は一度視線を地面に落とす。目を閉じ、焦がすような熱をもった空気を肺いっぱいに入れる。ひりつくような感覚を胸に覚えつつ目を開く。呼吸は落ち着きつつある。剣で支えていた上体を起こし、数回瞬きを繰り返す。
そして、意識はゆっくりと、目の前に立つ人物へと吸い寄せられた。
「……あれ?」
まだ少し距離があったが、確かに見覚えがある。いや、見覚えがあるという表現で表すには、頭に焼き付いた記憶があまりにも多すぎる。なにかが違う。強烈な違和感が頭の中で記憶と激しくぶつかり合う。
「なんで、あんなところに……」
確信をもつことができない。一歩、また一歩。その人物の元へと歩みを進める。
違和感の正体はわかっている。その人物の周りには、先ほど風の刃で切り裂いた黒影が、十を遙かに超える数存在している。しかし、今まで一緒に戦ってきたはずのその人物は、恐れることなく、その黒影の中心に、守られるようにして立っている。
「どういう、こと?」
理解が追いつかない。最近はいろいろなことが起こりすぎて、御中の頭の中はぐちゃぐちゃに乱れていた。それでも、なんとか整理して、ここまでやってきた。
「……」
言葉が出ない。頭が考えることを放棄している。それでも、足だけは前へ進み続ける。その人物に向かって、ゆっくりと引き込まれていく。
ようやく、その全身をしっかりと捉え、声が届くほどの距離まで近づいた。表情はわからない。ただ、周りを囲む黒影は、誰かの指示を待つように、静かにその場に立ち続けている。
御中は、今も混乱し続ける頭の中で、絞り出すようにその言葉を発した。
「なに、してるの? 高御?」
目を開け、じっと御中を見続ける高御の表情は、なおも変わることがない。
「高御? そいつらに捕まったのか?」
高御は答えない。その手には、ずっと腰に提げていた小さな木刀が握られている。
「高御!」
御中の口からは、思わず大きな声が出た。その叫びは、間違いなく高御に届いてるはずだ。しかし、高御の表情は変わらない。
張りつめた空気に耐えきれず、御中は叫ぶように声を荒げる。
「なんで黙ってるんだよ! 高御! 早く! そこからこっちに来るんだ! そこにいたら危ない!」
高御を囲む黒影は、御中の言葉に一切反応することなく、言葉にならない不気味な音を発し続けている。
「動けないのか⁉ 声が聞こえないのか⁉ 高御! 答えてよ!」
御中は目をギュッと瞑る。目の前の現実を受け入れられなくて。理解することができなくて。考えたくはない。それでも、そうとしか思えない。
「もしかして……」
声に出してしまえば、なにかが壊れてしまうような気がした。もしこの問いに答えるようなことがあれば、込み上げる衝動を抑えられる自信がない。それでも、確認しなければならない。御中は守ると決めたから。これ以上、不幸な人が生まれないようにすると誓ったから。だから、守ると決めた相手から、その答えを聞かなければならない。
「高御が、やったのか?」
その声で、高御の表情は動いた。頬が上がり、口の端は引っ張られ、目が細められる。その顔は、初めてみる高御だった。
「……ああ」
その声は、確かに御中の耳に届いた。
「この火は?」
「……おれがやった」
その冷たい言葉は、炎をも跳ね返して、御中の胸に刺さった。
「そいつらは?」
「……おれが生み出した」
高御は、手にした木刀で目の前を小さく薙ぎ払う。すると、一瞬にして人のような影が現れ、全体をゆっくりと黒く染めていく。ほんの少しの時間の後、そこには今まで幾度と戦ってきた黒影が現れた。
「うそ……」
「うそじゃない」
高御は一歩、前へと踏み出す。
「でも……、だって……」
「事実だ」
一歩、また一歩、二人の距離は縮まっていく。
「どうして……」
「御中が知る必要はない」
後退る御中に対して、ついに高御は手が届く位置まで近づいた。
目の前にいる人物は、本当に高御なのか。御中は信じられないというように首を振る。
「御中、どうした?」
「……」
「もう、質問は終わりか?」
「いや……、え……」
「おいおい、そんなにふらついて、どうしたんだよ。小さいときからずっと、御中はおれよりも強い兄だったじゃないか」
「……」
「言葉が出ないのか? なら、仕方ない。先に行ってる。もう一人、確認しないといけないからな。悪いが、追いかけて来てくれ」
「……え?」
「早く、あの日あの月に誓った約束を、一緒に果たそう」
強い風が二人の間を吹き抜ける。地面の砂や崩れた家の木材が巻き起こり、たまらず御中は視界を手で覆う。風はすぐ止んだ。しかし、御中が目を開けたとき、目の前にいたはずの高御は、すでにいなくなっていた。
「……高御?」
御中の声は、誰もいなくなった空間に静かに溶けていく。周囲を確認するように身体を回しても、高御の姿はどこにもない。それどころか、高御を囲うようにして立っていた黒影の姿すらきれいに消えていた。
「どういう……、こと?」
放心状態になる。頭では、先ほどの会話が繰り返される。
『おれがやった。おれが生み出した。うそじゃない。事実だ』
その言葉は、どういう意味なのか。考えたくはない。それでも、御中の思考は一つの結論も導き出してしまう。
『早く、あの日あの月に誓った約束を、一緒に果たそう』
高御はそう言い残して、消え去った。もう一人、確認しないといけないとも言っていた。
「もしかして……」
悪い想像は、御中の頭を忽ち支配していく。想像はあくまで想像だ。真実とは限らない。真実を知りたければ、この目で見るしかない。
「行かなきゃ……」
震える足を刀身で叩き、奮い立たせる。
御中は走り出した。どこへ向かうべきかは、本能的に理解していた。考えるまでもなく、身体が動き出していた。保証はないが、確信はある。間違いない。高御は咲耶のところへ向かったに違いない。
燃える淤能碁呂の空には、夜空に黄色の月が鎮座している。あの日、あの月に向かって誓いを立てたのは、御中と高御と咲耶。強くなりたいと願った。これ以上、不幸な人が増えないように、守りたいと誓った。
「確かめないと……」
御中は、先ほど走ってきた道を引き返す。屋敷に着くまでの間、御中はひたすら願い続けた。今、目の前で起きていることが、悪い夢であることを。
***
「水蛙さん!」
御中が屋敷の入り口にたどり着いたとき、そこには全身を血の赤色で塗られた水蛙が壁にもたれかかるようにして横たわっていた。
「水蛙さん! しっかりしてください!」
頬を軽く叩き、意識を確認する。水蛙は気を失っていたらしく、大きくせき込んだ後、血だまりを少し吐き出し、ぜえぜえとした息をあげる。
「水蛙さん! 大丈夫ですか!?」
「御中さん、ですか。よかった、あなたは無事なのですね」
水蛙の手は、しゃがみ込むようにして座った御中の肩にかかる。
「なにが、あったのですか?」
想像はつく。それでも、外れていてほしいという思いからか、御中はその問いを水蛙に対してぶつける。
「いきなり、やつらが、現れたのです。黒影、です」
「数は?」
「わかりません。おそらく、十を超えるくらいは、いたかと……」
水蛙はせき込むが、先ほどとは違い、それほど多くの血は吐き出されない。身体のいたるところに傷があるが、おそらくすぐに治療することができれば、命に問題はないだろうと思えた。
「ありがとうございます。水蛙さんは、ここでゆっくり休んでいてください。今、人を呼んで来ます」
立ち上がろうとした御中だったが、肩にかかる水蛙の手に、ぐっと力が加わる。
「どうかしましたか?」
「御中さん、聞いて、ください」
全身が痛みに支配されているはずなのに、水蛙の目は曇りなく御中に向けられる。なにか、強い使命感のようなものに突き動かされているようだった。
半ば立ち上がっていた御中は、改めて腰を落とす。
「御中さん。きっとあなたは、迷っているのでしょう。私には、わかります。御中さんよりも、ずっと、長い時間、生きております、ので」
「……そう、かもしれません」
「はは、正直な、お方だ。よいですか、迷うことは、悪いことでは、ないのです。ですが、決断しなければ、ならないときは、必ず、やってくるのです。そのとき、までに、なにかの結論を、出さなければ、ならない。それは、どんな人でも、等しく、負うべき責任、なのです」
「はい。わかっている、つもりです」
「ええ。御中さんなら、大丈夫、でしょう。あなたの、周りには、とても良い方々が、たくさん、おられます。どうか、大切に、してください。そして、救って、あげてください。力は、そのために、あるのです。人は、そのために、ともにいるのです。家族は、だからこそ強く、結びつくのです」
「はい」
その言葉を最後に、水蛙の手は、御中の肩から離れた。目は閉じられたが、耳を近づけると呼吸音が聞こえてくる。おそらく、力を使い果たして眠ってしまったのだろう。
もしかしたら、水蛙は高御の姿を見たのかもしれない。だからこそ、御中の中にある迷いを見抜き、言葉をかけたのかもしれない。そう思うのは、やはり御中も、自身の中に迷いがあるのを自覚しているからだろうか。
御中は立ち上がり、屋敷の中へと急ぐ。
その時は、着実に近づいていた。それでも、今は進むことしかできない。後戻りすることはできない。
「責任、か……」
決断には責任が付きまとう。責任なくして、なにかを背負うことなんてできないのだから。そのことが、今の御中に重くのしかかっていた。




