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月華燃ゆる  作者: ぼたん鍋
第一部 月が照らす世界は何色か
13/16

第拾弐話 思えば思わるる


   ***


 どうして御中なのだろうか。


 月を見上げる御中の瞳には、不安の色が影を差していた。天之御柱での出来事から、すでに数時間が経っている。あの後、長く話し続けた咲耶――羽張と言った方が正しいかもしれない――は、体力を限界まで使い果たしたのか、眠るようにその場に倒れてしまった。何度声をかけても目を覚ます様子がなかったため、ひとまず御中が背負って運ぶ形をとり、突如生大刀から姿を現した生を加えた七人で、伊岐と那美の屋敷まで戻ってきたのだった。


「はあ……」


 御中は、木で作られた柵に身体を預けつつ、夜空で輝く丸い月を見上げながら、一人溜息をつく。屋敷に戻った後、御中の背中で寝息を立てていた咲耶は、伊岐と那美が用意してくれた寝床にとりあえず引き渡してきた。おそらく今も寝たままだろう。


 咲耶の口から語られたことは、御中たちを動揺させるには十分すぎるほどの力があった。「少し一人で考えたい」と言い出した高御の言葉に、その場の全員が賛成し、少しの間、自由行動ということになった。正直、御中にとっても一人になる時間は必要なことだと思った。


 今までずっと一緒に旅をしてきた咲耶が、本当は咲耶ではなかったということ。

 あの日、村を襲った黒影を退けることができたのは、天之尾羽張剣に刻まれていた、羽張の力ということ。それはつまり、咲耶が助けてくれたということになる。

 そして、剣の世界で出会った、不思議な女性。その正体が、咲耶だったこと。いや、羽張だったということ。今でも混乱してしまう。


 御中にとって、咲耶は咲耶なのだ。他の誰でもない。たとえ本当の名前が羽張だったとしても。御中が初めて出会ったときが羽張だったとしても。それでも、咲耶は咲耶なのだ。頭では理解できている。それなのに、受け入れることができない。


「どうすればいいんだよ……」


 御中の疑問を解決してくれる人はいない。その質問の答えは、どこからも聞こえてこない。


 思えば、今まではわからないことがあれば、すぐに咲耶が教えてくれた。村を出てから、ひとときも離れることはなかったのだ。御中にとって、もちろん高御にとっても、咲耶は母親のような存在だった。いや、母親のように思っていた。


「咲耶……、大丈夫かな」


 最近、咲耶の体調は芳しくなかった。御中はずっと、旅が続いていることによる疲れだと考えていた。しかし、生が言うには、天之尾羽張剣から長い間離れたことによる、神通力不足が原因だという。そもそも、十拳剣に存在を刻まれた生たちは、実体こそ元の姿へと変えることができるものの、長時間維持することは危険がともなく行為らしい。


 十拳剣については、いろいろなことを生から聞くことができた。その成り立ちは、元々彼女たちが用いていた武器に、彼女たち自身の存在を刻み込んだことで、神通力を宿した剣へと変化させたものだという。そのため、普段は剣の世界――あの日御中が羽張と出会った不思議な世界でのみ身体を保つことができ、神通力も使い手に対して無限に供給することができる。しかし、剣の世界から自身が飛び出し、人々が暮らす芦原で実体化しようとすると、神通力が徐々に身体から放出されてしまい、最後には存在が保てなくなり、消えてしまうという。幸いなことに、八咫と戦うまでの御中は、天之尾羽張剣を戦闘で扱うことはなかったため、咲耶は必要以上に神通力が消費されることはなかった。しかし、以降頻繁に戦闘で使用し、夜も修練で天之尾羽張剣を酷使していたため、咲耶自身の神通力が急激に減少してしまった。その結果、最近の咲耶は自身の実体を保つために必要な最低限の神通力だけをなんとか確保することで必死になり、戦闘では戦わず、普段もなるべく体力を温存するように行動していたのだという。


「そんなこと、一言も言ってくれなかったじゃないか」


 ぼそりとつぶやく。どうして話してくれなかったのだろうか。御中のことを頼りなく思っていた? それとも、御中のことを信頼していなかった? もしくは、そのせいで御中が気を遣ってしまうのを気にしてくれた? いずれにしても、いつも一緒に行動してきたにも関わらず、まったく相談してくれなかったという事実が、御中にとっては最も心に刺さることだった。


 御中は決して鈍感ではない。人の行動には常に気を配っているつもりであり、普段と違うことに気づけば、すぐにでも対処する。それくらい、気配りができる自身があった。そんな御中でも、わからないことはわからないのだ。声に出して、伝えてくれないとわからない。話してくれないとわからない。意志を示してくれないと、なにをすることもできない。伝えてくれれば、御中も伝えられるのに。話してくれれば、御中も話すことができるのに。意志を示してくれれば、御中も応えることができるのに。その一歩を縮めることができるのは、常に選ぶ側の裁量だ。選ぶ側の考え方だ。選ぶ側の思惑だ。


 御中は、選ぶ側に立ったことがなかったかもしれない。常に受け身になり、咲耶が選んでくれるのを待っていたのかもしれない。櫛名田が選んでくれるのを待っていたのかもしれない。その選択に精一杯応えることだけを考えていて、御中自身が選ぶという選択を放棄していたのかもしれない。


 選ぶという行為には責任がのしかかる。選ぶという行為には結果が生まれる。選ぶという行為には選ばれない人が生まれる。その現実から、目を逸らしていたのかもしれない。無意識の内に、他人に責任を擦り付けていたのかもしれない。今でさえ、御中の頭の中で渦巻く多くの感情に対して、誰かが都合の良い答えを出してくれることを期待している。こうして一人考えているだけで、後ろから誰かが聞き耳を立てていて、ひょっこり現れ、応えてくれるのではないかと考えている。知らないお年寄りが側で聞いていて、長年の経験から似たような人の人生を話してくれるのではないかと期待している。人ならざる存在が突然現れて、不思議な神託を下してくれるのではないかと願っている。


しかし、そんなことは起こり得ないのだ。隠れている人もいなければ、側にお年寄りもいない。神だって、御中だけに手を差し伸べてくれるわけではない。これは、御中の物語なのだ。御中が決めなければ、どうすることもできない。それなのに、恐怖や不安から、御中はなにも選べずにいる。


「そういえば、あの日もきれいな月が出ていたっけ……」


 村を焼かれたあの日。御中と高御と咲耶。三人で誓いを立てたあの日。夜空に輝く月に向かって、禍津を倒すことを決意した。芦の地に、平和を取り戻すことを決意した。強くなることを決意した。いろいろなことがわかって、状況は変わってしまったけれど、あの日の決意だけは変わらない。


「なんだ……。ぼくはとっくに、選んでいたじゃないか」


 うじうじと一人で悩んでいたことがおかしく思え、誰もいないことをいいことに、遠慮することなく笑い声を上げる。


「あはは、あはは、あはははは。あはは、あはは、あはははは」


 こんなところ、誰かに聞かれていたら、恥ずかしくて死にたくなってしまうだろう。気が狂ったと思われてしまう。それでも、声に出して笑うことで、頭を覆っていた不安は、すっかりどこかへ行ってしまった。


 すっきりとした表情で、御中は再び夜空に浮かぶ月を見上げる。


「みんなと、話がしたいな」


   ***


 静かな夜に響いたその声を耳にしたとき、二人仲良く話をしていた櫛名田と生は、この世の終わりを告げる歌を聞いたような気分になっていた。


「なに? 今の声」

「さあ。どこかの誰かさんが気でも狂ったんじゃない?」

「そうかも」


 二人は目を合わせて、「おかしいね」と笑顔になる。


「でも、気が狂いそうになってるのは私かも」

「え? 櫛名田ちゃんついに気づいちゃった!?」

「うん。私、ついにわかったの。本当は私、頭が狂っていたんだっ……てそんなわけないでしょ!」

「いたっ! 痛いよ櫛名田ちゃん。グーはやめてよ、せめてパーにして」

「うるさい。自業自得でしょ」

「うー。櫛名田ちゃんのいじわるー」


 ほんの数時間話しただけで、櫛名田と生はすぐに打ち解けることができた。もちろん、八咫と戦ったあの日も、二人は言葉を交わした。初めて二人が出会ったあの日、剣の世界で心が通い合った。だからこそ、今日、再びこうして話すことができるのが、櫛名田も生も、心から嬉しかった。


「で?」

「で? ってなに?」

「またまたー。櫛名田ちゃんのトンチンカンさん。まだ寝る時間にははやうそですやめてくださいごめんなさいなぐらないでー!」


 櫛名田よりも小さい生は、自身に向かって今まさに振り下ろされようとしている拳から頭を守るため、必死に両手を身体の前で振る。


「まったく、調子いいんだから」


 そんな必死な生の姿を目にして、櫛名田も腕に込めた力を緩め、生のおでこにそっと指を叩きつける。


「いたっ! もー、やめてよ櫛名田ちゃん。暴力はんたーい」

「なに言ってんの、生。あなた剣でしょ? 剣が暴力に反対して、どうやって戦うのよ」

「生は暴力なんてしないもーん。ただ、みんなも守るために強くなろうとしただけだもーん」

「みんなを、守るため?」

「うん。羽張ちゃんから聞いたでしょ? 生たちは、ずっと昔に禍津と戦ったし、布都ふつちゃんがわけわかんなくなったときだって、みんなで頑張ったんだよ。生は、一回だって生のことを暴力なんて思ったことないよ? いつだって、みんなを守るための生なんだよー」


 生の真面目な言葉に、櫛名田はどう返していいのかわからず、一瞬詰まってしまった。強くなりたいと、櫛名田は思ってきた。育ててくれた人。一緒に旅をしてくれた人。危ないときに助けてくれた人。その全ての人に対して、恩返しをするために。それには、少しでも早く、剣の扱いがうまくならないといけないと思っていた。少しでも早く、神通力を使いこなせるようにならないといけないと思っていた。だから今まで黒影が現れたときも、一番最初に剣を抜いた。一体でも多く倒そうとしてきた。でも、そこに込められた櫛名田の想いは、生とは全く異なるものだった。


「私、どうすればいいのかな……」

「さあ。そんなの、わかんないよ」


 生はおどけた表情を崩すことなく、楽しそうに足を前後に揺らしている。


「わかんないけど、生はいつだって、櫛名田ちゃんを守ってあげるからね。だから、心配しないでね」

「生……」


 櫛名田よりも小さな身体で、それでも守るという生。生に視線を向ける。その小さな肩は、今までどれだけのものを背負ってきたのだろうか。白く、なめらかに光る生の肌。月明かりに照らされて、とても艶やかに映った。


「? どうしたの? 櫛名田ちゃん?」

「え?」


 気づいたら、無意識の内に、櫛名田は生の背中に抱き着いていた。


「えっと……」


 どうしたものかと悩んでいると、腕の中にすっぽりと包まれていた生が、ぐるっと身体を回転させて、櫛名田と向き合う形になった。


「怖くなっちゃった? よしよし。生がついてるから、大丈夫だからね」


 小さな生の手が、櫛名田の身体に回される。


「だいじょーぶ。だいじょーぶだからね」

「……うん。ありがとう、生」


 今はまだ、生に返すことができる言葉は浮かんでこない。それでも、いつか成長したら、この小さな身体の女の子に、なにかを返してあげたい。


「だいじょーぶ。だいじょーぶだよー」


 二人を見守るように光る夜空の月は、しばらくの間、抱き合う少女たちを優しく照らし続けた。


   ***


「おとーさん! おかーさん!」

「ねえー、はやくこっちきてー!」

「ふたりとも、しずかにして……」


 三人の子どもの声は、伊岐と那美には広すぎるくらいの部屋いっぱいに響いている。この子たちの声が耳に届くだけで、二人は何気ない日常に幸せを感じることができた。


天照あまてらす! 月読つくよみ! 素戔嗚すさのお! 今行くから、ちょっと待っててくれー」

「はやくしてー!」


 伊岐と那美にとって、子どもたちは命よりも大事な存在だった。なによりも大切な宝だった。この子たちのためならば、どのような困難だって怖くない。どれだけの痛みにだって耐えることができる。あらゆる苦境に立たされても、守り通してみせる。だからこそ、天之御柱で聞いたことは、今なお二人を不安にさせる。


「伊岐。あなたはどう思う?」

「どう思うって、なんのこと?」


 笑顔を崩さずに答える伊岐。なんのことかなんて、聞き返さずとも理解しているにもかかわらず。もちろん、那美だってそんなことはわかっている。わかった上で、伊岐がこんな返事をしているのも理解している。それでも、言葉を交わさなければ、口から不安を吐露とろしなければ、心に渦巻く灰色の気持ちをうまく咀嚼そしゃくすることができない。


「あの人、羽張さん? の言ったことに決まってるでしょ?」

「決まってはいないだろ。な、天照!」

「な!」


 伊岐の腕に抱えてもらっているのが嬉しいのか、天照は可愛らしくきゃっきゃと手足をバタつかせる。それをうらやましがるように、月読は伊岐の足を両手で抱きかかえるようにして、ピッタリとくっついている。対照的に、素戔嗚は全く興味がない様子で、部屋の壁の一点を見つめている。我が子ながら、三者三様の姿を見せる子どもたちを見ていると、那美の灰色は次第に晴れていくような気がした。


「もう。伊岐! そろそろこの子たちを寝かしてあげて。夜も深いんだから」

「いやー! まだだいじょーぶ!」

「つぎ! つぎぼくのじゅんばん!」

「ねる……」

「じゃあおとーさんも寝ちゃおっかな⁉ みんな、どうするどうする?」

「いやー! わたしもー!」

「ぼくのじゅんばんはー?」

「おやすみ……」

「あなたたち、いい加減にしてちょうだい……」


 一足先に寝床へと入っていく素戔嗚を追いかけるようにして、伊岐、天照、月読が順番に那美の視界から消えていく。伊岐だけはまだ寝ないで話を聞いてほしいと思ったが、あそこで子どもたちから引きはがしてしまったら、さらに収拾がつかなくなってしまうと思った。那美は仕方なく、一人あの出来事について思考を巡らせる。


 この世界、芦原の成り立ちについての物語。人と禍津の戦いについての歴史。十拳剣と、その剣に刻まれた人たちのこと。どれも簡単に受け入れられることではない。簡単に結論が出せることではない。それでも、実際にこの目で見てしまったことを、見なかったことにすることはできない。否定することはできない。だからこそ、どうすればいいのか、那美には判断することができなかった。


 子どもたちに払ってもらった灰色は、再び那美の心に色を差す。


「よっこいしょ。どうした? 怖い夢でも見たか?」

「それは子どもたちに言ってあげる言葉でしょ。でも、確かに怖い夢でも見てる気分……」


 横に座った伊岐の肩に、そっと頭をもたれかける那美。たくましい反応が頭に返ってくる。こういうときは、伊岐の無駄に鍛えられた身体が頼もしく思える。


「伊岐は、怖くないの?」

「怖い? どうしてさ」

「だって、あんなこと言われて、私、どうすればいいのか……」

「なんだ、そんなこと考えていたのか」


 那美の頭が、もたれかかる方向とは反対へと押し戻される。完全に押し戻される前に、再び伊岐の肩へと倒れていく。と同時に、那美の左肩が大きな手につかまれる。いきなりの感覚に驚く那美に対して、伊岐は諭すような声をかける。


「大丈夫だ」

「どうしてそう言えるの?」


 その声は、那美に優しさを与えてくれる。


「おれがいるから」

「なにそれ?」


 その答えは、那美に勇気を与えてくれる。


「だっておれだぞ?」

「いや、答えになってないから」


 その自信は、那美の心を支えてくれる。


「どんなときだって、おれたちなら大丈夫だ。だろ?」

「そう、かもね」

「そうさ! おれと那美と、天照と月読と素戔嗚。おれたちは家族だろ? 家族ってのは、それだけで強くなれるんだ。それだけでどんなことだって乗り越えられるんだ」


 こんなにも自信いっぱいの人がいる。こんなにも頼りがいのある人がいる。こんなにも信頼できる人がいる。どうして、なんてことを考えなくても、この人と一緒にいるだけで、心に巣食う灰色は、晴れた空のように澄み渡っていく。


「な?」

「……そう、だね」


 答えなんて、一番大事なことではない。伊岐にとって、那美にとって、二人の家族にとって、大切なのは、この繋がりなのだ。この想いなのだ。


 もう、なにも怖くない。そんなことは言えないけれど。少なくとも、もう、この家族は大丈夫。どんなことにも屈することがない、強い絆をもっているから。


「さあ、おれたちももう寝よう」

「そうだね。早く行かないと、あの子たちが目を覚ましたら大変だね」

「ああ。おれたちは家族だ。いつも一緒にいないとな」

「そうだね」


 那美は立ち上がる。その腕は、しっかりと伊岐の手と繋がっている。

 明日、怖いことが起こるかもしれない。

 明後日、怖いことが起こるかもしれない。

 それでも、那美はもう、大丈夫だ。

 伊岐もまったく、不安はない。

 子どもたちの元へと向かう二人の足音は、二人が去った広い部屋へ弾むように広がっていった。


   ***


 高御は、明るい月が夜空に居座る夜が嫌いだった。あの光は、どうしようもなく高御の焦燥感を掻き立てる。


「……」


 伊岐と那美の屋敷から少し離れたところ。淤能碁呂の全貌を望むことができる高い建物。その屋上で、高御は一人月を見上げる。思い出すのは、咲耶の言葉。いや、羽張が語った昔の話、というべきだろうか。


 予想していたのかと言われると、答えは「いいえ」だった。そもそも、あんな話は普通の人だったら、一度聞いたくらいでは到底受け入れることができない。


「どうして教えてくれなかった?」


 高御は誰かに問いかける。その場に誰かがいるのか。あるいはここにはいない、咲耶に対する質問なのか。


「いや、教えられていても、おれのやることに変わりはない」


 硬い石をきれいに積み上げたような建物の中、夜の空気で冷やされた床にゆっくりと腰を下ろす。座ってしまうと壁の高さが邪魔をして、淤能碁呂の全景を拝むことができなくなる。それでも、空を見上げると、黄色く輝く月だけはしっかりと存在を確認することができる。


 高御の言葉に対して、誰かの答えは聞こえてこない。


「別に……、今更心境の変化なんてない。あの日から、いや……。おれがこの世界に生まれたときから、いずれはこうなることが決まっていたのだから」


 決まっていた。高御の言葉からは、それがまるで自身の意志とはかけ離れた、不可侵の力に左右されたと言わんばかりの口調だった。自ら選んだ道ではない。誰かによって、決められていた道。何者かによって選ばれていた選択肢。


 今の高御にとって、そんなことは取るに足らないものだった。あの日、高御は誓った。御中と咲耶、ともに夜空を見上げたあの日。今でもしっかりと思い出すことができる。あの日の夜空に浮かんだ月の色は、瞼の裏に焼き付いている。


「懐かしい? そんないいものじゃない」


 この感情は歪んでいる。高御という存在は歪んでいる。それでも、この世界はもっと歪んでいる。


「違う。誰のためとか、そういうものじゃないんだ。ただ、おれが望んだからやるんだ。おれのためにやるんだ」


 歪みは正さなければならない。放っておけば、その歪みは誰かの心を歪ませる。歪みは連鎖していくのだ。どこかでそれを断ち切らなくてはならない。


 高御はうなずく。なにかの、誰かの言葉に対して。


「わかっている。予定は少し早まったが、これ以上待っても仕方ない」


 後悔はない。あるわけがない。それどころか、ようやく願いが叶うという、高揚感すら覚える。あの日誓ったことを、ついに果たすことができるのだから。


 もしもあの日に戻ることができるとしたら、なんて仮定は、高御にとって全く意味を成さない。その仮定は、選択肢をもっているからこそ意味がある。それでも、高御は考えてしまう。もしもあの日に戻ることができるとしたら……。


「それでも、おれは選べないんだろうな……」


 わずか十数年の年月だとしても、人には簡単に変えることができないくらいの自我が芽生える。その自我は、人にとやかく言われたからと言って、そうですかと方向転換できるほど簡単なものではない。より強固に、自身の核となるような位置にくっついているのだ。そんなものを、今更戻ったところで変えられるわけがない。


 少し話をしたことで思考が整理されたのか、月明かりに照らされる高御の顔は、いつもより血色がいいように見えた。高御自身、全身に感じたことがないような、なにかが流れ込んでくる感覚を覚える。


 時は来た。後は、高御が選ぶだけだ。今までずっと選ばれる側だった。選択肢をもてない立場だった。でも、それがいよいよ変わる。高御が選ぶのだ。この世界の明日を。


「それじゃあ、手筈通り頼むぞ、布都」


 その声は、誰の耳にも届くことなく、夜の淤能碁呂に溶けていった。


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