第拾話 淤能碁呂
四人での旅は、考えていたよりも楽しい時間だった。
御中と高御と咲耶。今まで三人で歩いていたときは、必要なこと以外、あまり話すことがなかった。それはなるべく体力を温存できるように、という意味でもあり、いつ黒影が現れても対処できるように、という意味でもある。それが、櫛名田が加わったことで少しずつ変わっていった。
最初の変化は、あらゆる場面で雰囲気が明るくなったことだ。
とにかくよく話す櫛名田は、三人に対して休む暇を与えないくらい、いついかなる時も話し続けた。始めのうちは面倒くさいと思っていた御中も、次第に櫛名田の独り喋りを楽しみにするようになった。咲耶は、手のかかる妹ができたように思えて、いつも櫛名田の話し相手になっていた。そして高御は、意外にも櫛名田との波長が合ったらしく、移動中は二人で前を歩き、剣の扱い方や身のこなし方など、戦いに役立つ術について意見を交わしていた。
淤能碁呂までの旅は、すでに一年近くが経っていた。
いくつかの山を越え、切り立った崖の上を歩き、木の上に築かれた村に滞在することもあった。山津と手名椎夫妻から聞いた話によると、もういつ淤能碁呂についてもおかしくはない。
この数日、四人はひたすら海岸線に沿って歩き続けていた。初めて大海を見たとき、四人が口々にあげた「すごーい!」の声は、今や誰の口からも聞こえてこない。それもそのはずで、毎日見続けていたら、さすがに新しさも薄れていく。さらに、初めて味わう、潮風のベタつくようないやらしさに、四人とも強い疲労感を感じていた。
「もー! 淤能碁呂まーだー?」
恒例となった櫛名田のわめき声は、ただでさえ不快な感覚に襲われていた御中たちの心に、じわじわと刺さるような刺激を与えてくる。高御の「うるさい……」という小さな抗議の声もむなしく、櫛名田の割れんばかりの大声は、どこまでも続く大海の先にも届くくらい、大きな音を鳴らしている。
「櫛名田ちゃん。もうすぐ着くと思いますから、頑張りましょう?」
「わかってるけどー。咲耶だって、歩き続けて疲れてるでしょ?」
「それは……、そうですね。歩き続けていますから、身体は少し疲れています」
表情からは全く疲れを感じさせない咲耶。背中を丸めて歩いていた御中にとって、その姿には敬意すら示したくなる。
「それに……」
咲耶は一度口を開いた後、両手で自身の身体を気にするように、ところどころ触ってなでる。
「最近、少し身体が疲れやすいので。これくらいの移動でも一苦労です」
「ああ、確かに。咲耶もう若くないもんね」
「おいおい……。なんてこと言うんだよ櫛名田」
思いついたことをそのまま口にできるのは櫛名田のいいところかもしれない。しかし、同性とはいえ、相手のことを考えられない発言はさすがに看過できない。
言葉のフォローのつもりで、御中は二人の会話に入っていく。
「櫛名田は、もうちょっと人のことを思いやる気持ちをもってね? お淑やかで慎みがある強い女の子にならないと、山津さんも手名椎さんも心配するよ?」
「あーもう。御中はすぐそうやってお父さんたちのことを出す。一緒に暮らしてたときだって、お父さんたちはそんなにうじうじ言ったりしなかったんだから。御中の方がよっぽどだよ」
片目をつぶりながら舌を出し、御中に向けてからかうような仕草をとった後、櫛名田は先を歩く高御の横へと駆けていく。
どうにも櫛名田はわがままでいけない。こんなことでは、再び山津さんと手名椎さんに会ったとき、会わせる顔がなくなってしまう。
いつの間にか、そんな親心が芽生えてしまうくらいには、御中にとって櫛名田の存在は大切な位置を占め始めていた。
「ふふふ」
考えを巡らせながら歩いていた御中の顔が面白かったのか、咲耶は口を押えて笑い声をあげる。
「な、なんだよ咲耶。そんなにおかしいところあった?」
「いいえ。なんでも、ありませんよ」
笑い続ける咲耶。先ほどとは違い、今度は身体をプルプルと震わせている。
「笑わなくてもいいのに……。ぼくだって、結構いろいろと考えてるつもりなんだけどな……。どうすれば櫛名田に伝わるか、よくわからないんだよね」
「いいえ、違いますよ御中くん。私が笑っていたのは、御中くんがまるで、櫛名田ちゃんの本当のお父さんみたいに見えたからですよ」
御中は、思わず足を踏み外しそうになる。
「あのね、ぼくそんなに年取ってないからね? 櫛名田とそんなに変わらないからね?」
御中と歳が近い男は高御しかいないため、この歳の容姿基準はわからない。唯一の比較対象足り得る高御と比べても、その雰囲気から、御中は随分と歳が若く見られることが多かった。
「そうではなくて」と言いながら笑う咲耶。もはやどうして笑っているのかさえ、御中には検討もつかない。咲耶の笑い声を治めることをあきらめた御中は、納得がいかないような仏頂面になりながらも、咲耶に連れ添って歩く。
「話は変わるけど……」
少し強引かと思ったが、気になったことがあった御中は、咲耶に直接聞いてみることにした。
「はい。なんでしょうか?」
「咲耶、身体大丈夫? 少し疲れたのなら、休もうか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」
「そっか。それならいいんだけど」
最近、御中は咲耶の体調について気がかりにしていた。それというのも、前はいつも早く起きていた咲耶が、最近は遅くまで寝ていることが増えていた。さらに、最近はめっきり現れなくなった黒影に遭遇したときも、最後列で積極的に戦おうとはしないようになっていた。櫛名田が加わったことで、四人の戦闘はいくらかやりやすくなってはいたため、特別問題はなかったが。
八咫との一件で、櫛名田は神懸りという、十拳剣の神通力を纏う力を得たらしく、今では高御とよく先陣を争っている。一方、あの日御中も経験したはずの神懸りだったが、あれ以来、不思議な世界へ行くこともできず、真紅の衣を身に纏うこともできていなかった。
「御中くんこそ、最近大丈夫ですか? あまり寝ていないように思えますが」
会話の途中で黙ってしまった御中を不審に思ったのか、咲耶は身体をさすりながら、御中の顔を覗いてくる。
「あ、いや。大丈夫だって。ぼくは全然疲れてないから」
疲れていないというのはもちろん嘘だったが、御中は八咫にまったく敵わなかった自身の腕を磨くため、みんなが寝静まった後にこっそり神通力の修練を重ねるようになっていた。また、神通力との親和性を考えて、使う剣も変えた。今までは切れ味を重視していたため、咲耶に勧められて手にした剣を使っていたが、今は最初の黒影と戦ったときに使った、天之尾羽張剣を使っている。錆びついているため切れ味は悪いが、十拳剣ということもあり、神通力との相性が抜群によかった。
「二人ともー!」
先を歩く櫛名田から、御中と咲耶を呼ぶ声が響く。御中は声を出さず、右手を高く挙げて振り、聞こえていることを知らせる。手を振り返してもらったことが嬉しかったのか、櫛名田はその場で数度飛び跳ね、両手をいっぱいに開いて御中に応える。
「そういうつもりじゃないんだけどな」
「ふふふ。かわいいじゃないですか」
微笑む咲耶を見ていると、御中も可愛く思えてしまうのが少し癪だった。
「どうしたー!」
手で合図を送ることをあきらめ、御中は声を張り上げて答える。
「あのねー! おーのーごーろー! 見えたよー!」
「おー!? ほんとかー?」
「ほんとだー!」
少し先、櫛名田が立っている場所は砂がうず高く積もっており、その先に広がっているはずの大海を目にすることができない。おそらく、あの砂山の向こう側に、淤能碁呂が見えるのだろう。
「わかったー! 今行くー!」
「待ってるー!」
ぴょんぴょんと跳ねた後、櫛名田は砂山の向こう側へと消えていく。
「待ってるんじゃなかったのか?」
拍子抜けする御中。口にした後からすぐ行動が変わるあたり、櫛名田は深く考えずに言葉を遣っているのかもしれない。
「それじゃあ、私たちも行きましょう」
咲耶も、笑いながら歩き始める。
「だね。ゆっくり行こうか」
咲耶に連れ添うように、御中もすぐ側についてゆっくりと歩き始める。
聞こえてくるのは、寄せては返る波の音。大海の上を自由に羽ばたく白い鳥の鳴き声。砂の上を歩く二人の足音。
「……」
「……」
御中も咲耶も、言葉を交わすことなく、お互いが考えていることが伝わってくるように思えた。静かに時が流れる。この時間が、今の二人にとって、なによりも心を穏やかにしてくれる、癒しのときに思えた。
***
「お客人、しばしこの部屋でお待ちくだされ」
全身を堅い素材で覆った服を纏う男性は、そう言い残して四人の前から去っていく。ゆっくりと扉が閉まり、床とこすれる摩擦音が四人の不安な気持ちを掻き立てる。
「なんか、大丈夫なの?」
「大丈夫だ」
「大丈夫かな?」
「大丈夫だと思いますよ」
不安を口にする櫛名田や御中とは対照的に、落ち着きを払って近くに腰を下ろす高御と咲耶。櫛名田は、閉まった扉に張り付きながら外の様子を確認し続ける。御中は咲耶の横に腰を下ろして、背負っていた荷物を横へ放り投げた。
淤能碁呂へ着いた四人は、村の入り口に立っていた男性――先ほど扉を閉めた男性にこれまでのことを話した。しばらく黙って聞いていた男性だったが、御中が山津と手名椎夫妻の名前を出したところ、突如目を大きく見開き、そのままこの部屋まで案内された。
「それにしても、なんかすごいお屋敷だったね、ここ」
部屋中を興味深そうに見渡しながら、櫛名田はあたりの壁を熱心に触っていく。
「だな。こんなに大きいお屋敷は、今まで見てきたどの村にもなかったな」
「そうですね。これほどの大きさのものは、芦原にもそう多くはないでしょうね」
この部屋があるお屋敷は、村の中心に位置していた。この場所にたどり着くまでに見た淤能碁呂の村は、いくつもの浮島の上に家が建てられた、大海の上に浮かぶ村、という様相だった。浮島と浮島の間はいくつもの橋でつながっていて、村で暮らす人々は自由に行き来しているように見え、非常に活気がある村だった。
御中は、改めて部屋の中を見回す。特にこれといって特別な仕掛けはなく、とても簡素な造りに思えた。床には青々とした浮草のようなものが敷かれ、壁には数種類の貝殻が不規則に飾られている。四人が床に寝転んでも十分な広さがあり、旅の間に寝泊りしてきた宿屋よりも快適に過ごすことができそうだった。
しばらくの間なにもすることなく座っていると、不意に扉を数回叩く音が聞こえてきた。
「失礼致します」
声と同時に、先ほどの男性とは違う、少し年老いた男性が部屋へと入ってくる。淡い青色の布が身体に巻きつくように纏われ、顎には立派な白鬚が威厳を放つように存在感を発揮していた。
年老いた男性は、こほんっ、と一つ咳払いをした後、低く落ち着いた声で話し出す。
「みなさま、淤能碁呂へようこそおいでくださいました。私、この村を治める方々のお世話をしております、水蛙と申します。みなさまがいらっしゃるのをずっとお待ちしておりました」
そう言うと、水蛙と名乗った年老いた男性は、ゆっくりと四人の顔へ視線を移す。御中、高御、咲耶と続いた後、櫛名田でその視線の動きが止まる。
「あなたが……。そうですか、それはよかった。本当によかった」
「?」
訳が分からず、櫛名田は首をかしげる。
「いえ、失礼致しました」
水蛙は、細い目をさらに細めながら「そうですか」と何度もつぶやき続けた。なにか思うところがあるのかもしれないが、櫛名田はもちろん、御中たちにはそれがなにを意味しているのか、まったく理解できなかった。
「ささ、みなさま。我が主がお会いしたいと申しております。お疲れのところ申し訳ありませんが、お連れしてもよろしいでしょうか?」
「はあ……。えっと、あまり状況を把握できていませんが、とりあえず、水蛙さんにお任せします。みんなも、大丈夫だよね?」
御中は三人にも視線を向けて確認する。特に反対する理由もなく、とりあえず水蛙についていくことにした。
連れられるままに四人が案内されたのは、家の中でも一際大きな扉の前だった。
「こちらになります」
果たして、こんなに大きな扉を必要とする人はいるのだろうかというくらい、その扉は異様な大きさだった。
「あの、淤能碁呂の主というのは、どんな人なのでしょうか?」
扉を前にして委縮してしまった御中は、水蛙に対して問いかける。
「我が主は、とても心の広いお方です。まだお若いのに、立派に淤能碁呂をお治めになられております。必ずや、みなさまのお力になっていただけると思います」
「そうですか。それは……、よかったです」
この扉を前にして「厳しい人です」なんて言われた暁には、さすがに会うのが躊躇われる。できることならば、御中としては話しやすい人の方がありがたい。なにより、こちらは十拳剣について知っているという情報を頼りに、ここまで旅をしてきたのだ。出会っていきなり「十拳剣をください」なんてことは言わないまでも、まったく協力をしてもらえないというのも困ってしまう。
「じゃあ、櫛名田。先に入っていいよ」
「え!? なんで私!? 嫌だよ、御中先に入ってよ」
「なんだよもう。それじゃあ高御、先に……」
「いいから行け」
「ぐ……。それじゃあ、咲耶。先に入ってくれない?」
「はい。一緒に入りましょうね」
「……はい」
押し付け合いを経て、御中と咲耶は扉に手をかける。
重厚な音が響き、徐々に扉の向こう側が視界に入ってくる――。
「「ようこそ! 淤能碁呂へ!」」
軽快な声。広い空間の先、この屋敷の主と思しき夫妻が、蓮の葉が敷かれた床の上に立っていた。
「やあやあ、待っていましたよみなさん! いつ来られるのかわからなかったので、待ちくたびれてしまいましたよ」
「ちょっと伊岐。そんなこと言ったらみなさんに失礼でしょう? こんなところまで来ていただいて、本当にありがたいことなんだから」
「それもそうだな、那美。なんせ淤能碁呂は芦原の端っこ。ここまで来られるのはさぞ長い時間がかかったことだろうな。さあみなさん、どうぞこちらへいらしてください」
「は、はあ」
二人が醸し出す独特な空気感に気圧されつつ、四人はこの村の主、伊岐と那美の元へと近づく。
「初めまして、ぼくは御中と言います」
御中は、こういう場面での礼儀作法というものにそれほど詳しいわけではなかったが、ひとまず姿勢を正し、深めに頭を下げて挨拶をする。
「おう、よろしく! 御中。そんなにかしこまらないでくれ」
「は、はあ」
頭をあげて、改めて伊岐と那美に視線を向ける。
二人は歳の頃二十いくつというあたりだろうか。水蛙から聞いていた通り、かなり若々しく見えた。伊岐は背丈が高くがっしりとした体格で、直接目にすることができる腕や足の筋肉は、相当鍛えられているように思えた。身体を包む深い青色の服からは、落ち着いた印象を受ける。短く切り揃えられた髪からも、気品の良さが伝わってくる。
「私からも、よろしくお願いします」
伊岐に合わせて、那美も四人に対して頭を下げる。伊岐に比べると背丈は小さく、櫛名田よりも少し大きいくらいだろうか。同じく深い青色の服を身に纏い、肩から腰に向かって、帯のようなものを垂らし、ゆったりとした佇まいをしている。優しさを感じる顔立ちながら、視線は真っすぐ御中を捉えており、村を治める者としての気品が感じられた。
「高御」
「咲耶です。よろしくお願い致します」
高御と咲耶が次々に挨拶をしていく。
「おう、よろしくな」
「よろしくおねがいします」
伊岐と那美も、それに応えるように手を挙げる。
「えっと……、櫛名田、です。おねがい、よろしくします」
「ど、どうした? 櫛名田」
「あっ、その。私、あんまりこういうことに慣れてなくて。ちょっと、緊張してる」
普段は天真爛漫を体現しているような様子の櫛名田だったが、初めて会う伊岐と那美の前では、最初に御中たちと出会ったときのような、挙動不審ともいえる様子になっていた。
「はっはっは。別に構わんさ。そうかそうか、お前が櫛名田か。あいつらの娘にしては、ずいぶん立派じゃないか。」
「伊岐、そんな言い方は櫛名田さんに失礼です。でも、本当に立派な娘さんですね。お二人のお姿が思い浮かぶようです」
二人がなにを言っているのか、御中たちにはまったくわからなかった。しかし、櫛名田のことを知っているような様子で話す二人の視線は、とても愛おしいものへと送る視線に思えた。
御中たちが呆然と立ち尽くす姿を全く気にする様子もなく、伊岐は屈強な身体の前で腕を組み、笑顔を崩さない。
「改めて、よくここまで来てくれた。おれの名前は伊岐。一応、淤能碁呂を治める立場にいる」
「私は那美です。伊岐とともに、淤能碁呂の人々のために働いています」
伊岐と那美。確かに目の前の二人は淤能碁呂を治める夫婦らしい。御中は、身分というものに対する理解がそれほど深くはない。それでも、伊岐と那美を目の前にして、人の上に立つ人とはどういう人なのか、少し理解できたような気がした。佇まいだけをとっても、二人は常に人の模範足り得るように考えているのだろう。所作の端々から、頼もしさのようなものが感じられた。
二人の姿に惹かれていたせいか、続く伊岐の言葉は、御中の耳に唐突に入り込んできた。
「早速で悪いが、みなさんについてきてほしい場所がある」
伊岐は部屋の奥へと向かい、布で覆われた壁の前で立ち止まる。両手で布を左右にどけると、壁には小さな扉があった。
「この扉の先は、天之御柱っていう場所に繋がっている。淤能碁呂に伝わる、古の時代の祠だ」
伊岐が扉を押すと、長い間開いたことがなかったのか、軋むような音が部屋中に響き渡る。扉の先は暗く、御中たちにはもちろん、その場に居合わせた誰も、天之御柱と呼ばれる祠を確認することはできない。
「実はだな、おれはこの扉に入ったことは一回しかない。ついでに、天之御柱には入ったことがないんだ。いや、正確に言えば、見たことはあるが入れなかった、というべきかな」
申し訳なさそうに頭を掻く伊岐。しかし、この淤能碁呂を治める伊岐でさえも入ったことがないという天之御柱。その実態を、御中たちが知るはずもない。名前すら、今、初めて聞いたのだ。
伊岐に助け船を出すためか、那美は扉の前まで歩くと、御中たちの方へと振り返る。
「ごめんなさいね。私たちも先代の主から話を聞いただけで、天之御柱の中のことは全然わからないの。そんなところに一緒に行ってくれっていうのも、本当に申し訳ない話なんだけど……」
伊岐に視線を向け、二人は同時にうなずく。前に向き直り、改めて視線を御中たちへ向けると、ゆっくりと頭を下げていく。
「どうか、おれたちに着いてきてほしい」
「お願いします。行けばわかる、私たちはそう聞かされているのです」
頭を下げる姿でさえも美しい。御中は、二人を見てそんなことを考えていた。
この二人が頭を下げているのだから、なにもしないわけにはいかない。いや、なにかしてあげたい。迷うこともなく、御中の答えは決まっていた。
「大丈夫ですよ。お二人とも、顔を上げてください。今、淤能碁呂に着いたばかりのぼくたちにとって、天之御柱という祠がどういう場所か、それは検討もつきません。ですが、お二人の姿を拝見すれば、そこがどれだけ大切な場所か。どれだけ神聖な場所か。どれだけ重要な場所か。それは十分伝わっています。だよね? 咲耶」
御中は、横に並び立つ咲耶の手をとり、優しく、そして強く握る。咲耶は握られた手を優しく握り返して、伊岐と那美を真っすぐに捉える。
「はい。御中くんの言う通りです。伊岐さん、那美さん。私たちはあなた方を信頼しております。ですから、一緒に参りましょう。その先にある、天之御柱へ」
その言葉聞いた伊岐と那美は、安心するような、どこかこうなることを予想していたような、そんな優しい表情になった。
「あのお方が言う通りになった。おれたちがしてきたことは、間違っていなかったんだな」
「そうですね。やっとこのときを迎えることができて、あのお方も喜んでいるでしょう」
「あの……。先ほどからお二人が口にされている、あのお方というのは、どなたのことですか? ぼくたちが知る人ではないと思いますが、少し、気になります」
隠されている情報があったとしたら、それはやはり平等ではない。お互い初めて会うもの同士、できることなら無用な駆け引きはしたくない。そう考えると、御中たちにとって、さっきから伊岐と那美の会話に出てくる「あのお方」の正体は知っておくべきだろう。
「はい、もちろんです」
流れていない涙を拭うような仕草をした後、那美は開いている扉に手を添え、四人を先へといざなうように手を動かす。
「天之御柱までは少し歩きます。途中で思わぬなにかが出てくるかもしれません。あのお方については、道中の暇つぶしとしてお話させてください。水蛙、留守を頼みます」
「確かに、お引き受け致しました」
仰々しく礼をした後、水蛙はこの部屋の入り口へ向かい、扉を守るように横へ立つ。
「なんか、よくわからないけど、すごいところだな、淤能碁呂って」
「だね。もう私、なにがなんだかわかんない」
櫛名田は考えることを放棄するように、正していた姿勢を解いてぐだっとその場でよろける。
「櫛名田ちゃん、大丈夫? 歩けそう?」
「咲耶……。私は大丈夫。それより、咲耶こそ大丈夫? ちょっと辛そうだよ?」
櫛名田の言葉を聞いて、御中は思わず咲耶の顔を覗く。言われてみると、咲耶の顔はほんのりと紅潮し、息づかいも荒いように思える。
「咲耶、大丈夫? 疲れたのなら、ここで休ませてもらおうか?」
「いいえ、大丈夫です。櫛名田ちゃん、御中くん、ありがとうございます」
いつもより浅く、咲耶は頭を下げる。
「高御くんも、ありがとうございます」
続けて、特に言葉を発していない高御にも頭を下げる。
「別に。なにもしてないから」
「大丈夫ですか? ご案内してもよろしいでしょうか?」
御中たちの会話が終わるまでずっとその扉を抑えていたせいか、那美の腕は小刻みに震えていた。
「すみません、お待たせしました。よろしくお願いします」
御中が頭を下げると、咲耶、櫛名田も続いて頭を下げ、扉の前へ向かう。高御だけは、特に気にすることなく、四人の一番後ろについて、扉の前へ歩を進める。
目の前まで来ても、扉の先にはなにも見ることができない。まるで闇に吸い込まれるような、見えない穴の底を覗き込むような、そんな気分に陥ってくる。
「それでは、行きましょう。灯りは私がもちますので、皆さんは後をついてきてください」
そう言うと、伊岐はどこからもってきたのか、片手に灯り替わりとなる松明を手にしていた。
そして、六人はゆっくりと、一人ひとり扉の中へと入っていった。




