No.1 退魔師の仕事
「結界、どのくらい持ちそうですか?」
俺の問いに、一般退魔師の一人が「おおよそ八分です」と即答した。
「周りの下級妖魔は既に退魔完了しています。残すは上級妖魔一体のみです」
その言葉にメイは誇らしげにうなずいた。
「ふむふむ……八分。ハヤト、お主の力の見せどころじゃな!」
俺の背後に憑いて好奇心を一つも隠そうとせずに白い髪を左右になびかせるメイは「むふー!」と鼻息を荒げた。
前方に見えるのは町から少し離れた場所にある広い公園。そこに見えるは巨木とほぼ同じ大きさの妖魔だった。その公園を広く覆うように形成されているのは、半透明の四角い箱――結界。
さらにその結界に手を伸ばしているのは隣の一般退魔師が羽織る黒を基調とした退魔用の制服だ。
退魔師という職業が世に認知されたのはおおよそ三十年前のこと。
今から四十年ほど前に突如現れた、魔や妖が跋扈する世界とこの世をつなぐ扉。
政府は向こう側の世界を「妖魔界」と呼称した。それから五年の月日が経ち、俺たち一族少数精鋭の退魔師だけでは、扉を通してこちらの世界にやって来る妖魔に対抗するには絶対的に数が足りなくなった。
そこで「妖魔界」との繋がりから10年、政府は特殊的な退魔師養成を銘打った教育機関を作る。日本主要六都市――札幌、宮城、東京、大阪、広島、福岡に支部を置く「退魔師養成学校」だ。六校が設立され、各地で蔓延る妖魔に対抗する退魔師が多く排出されるようになった。
「――タイプは?」
隣を並走する一退魔師が自身の霊力を結界に付与させながら懐から呪符を指に挟む。
「危険度A指定上級妖魔、タイプ鵺です。発生時刻は午前八時十五分。各退魔師が結界を張り始めたのはそれから八分後。発生からすぐに警報が出されたため、周辺住民は避難済みです」
「……ってことは、多少暴れても何とかなりますね」
俺の呟きに後方待機のメイはぐいぐいと制服の袖を引っ張った。
学校の授業始まりは八時四十分。今まで無遅刻無欠席を二年間貫いてきた俺だ。こんなところでそれを失うわけにはいかない。
「メイ」
「ほいさ!」
俺はメイに錫杖を手渡した。長さ百七十センチ長。先端に付随する十二の遊環にそれぞれ微量の霊力を注入した。
公園の奥で結界により先に行くことのできない鵺は歯痒そうにその爪で結界を引き裂こうとする。
だが、二十名近い一般退魔師が作った結界からはそう簡単には逃げられない。
浮遊霊であるメイは、小さな手で錫杖を持つとともに姿を消した。と同時に俺は隣を並走する退魔師に目配せをする。
「では、ご武運を祈ります」
合図により、男性退魔師は並走を止め、俺とは逆方向に走り始めた。
一般の退魔師には、上級妖魔を相手取ることはできない。
これは退魔師法にも記載されている一つの要件である。
元来、退魔師とは霊力の強い人間筋――言ってしまえば、『烏海』、『鶸空』、『鳶山』の御三家しか担うことができなかった。
だが、『妖魔界』との扉が開いてそれが激変。今までは、こちら側に迷い込んでしまった妖魔を対峙すればよかったが、扉の出現により妖魔が以前よりも格段に多くこの世界に侵入することになった。
俺たち御三家だけではこの世界を守り切れなくなったのだ。そこで退魔師養成学校を設立したものの、もともとは一般人。俺たちほど霊力はないのが実情だ。
『妖魔界』からくる妖魔は主に二つに分けられる。
一般退魔師が退魔できるレベルの下級妖魔。
そして俺たち一族系退魔師でないと退魔できない、上級妖魔。
『妖魔界』から扉を経てこちら側の世界に侵入する妖魔はほとんどが下級妖魔。その妖魔たちは一般退魔師が担うことになっている。
ただ、扉が開く前よりは格段に上級妖魔が現れる回数も増えて俺たちの出動回数も格段に増えているのだが――。
「何をぼーっとしておるのじゃ! 学校に遅れてしまうぞ!」
――などと、幽霊のくせに学校が大好きなメイは錫杖を振り回した。
シャランシャランという錫杖独特の音が響き渡るとともに、俺たちは一般退魔師が形成した結界に人一人分が通れそうな穴を潜り抜けた。
女性退魔師は一礼して結界を再び閉じる。
「……っつーわけで、この中にいるのは俺と鵺だけってことだ」
錫杖とともに姿を消すメイ。
……何とかして奴の背後を取ってくれよ……。
結界の中のもう一人の主は俺の存在を見て、結界から目を離した。
――鵺。
どこかの伝承の通り、頭は猿、手足と体はトラ、尾は蛇の形をしている。正真正銘国家指定上級妖魔の一種である。
ここの公園にある杉の木はよく、生徒たちの間でも待合場所にもなる。巨木で葉も多いため、雨宿りにも最適といわれる。
結界に前足を寄りかからせて二本足で立っていると、巨大な杉の木ともほぼ同じだ。
全長はおおよそ六メートルといったところだろうか。こうして四つん這いで俺を見下していると体高三メートル。
確かにそこら辺の退魔師では埒が明かないだろう。ここにいれば鵺の霊気だけでも気を確かに持っていられるかは怪しい。
「ヒュ―――――――ィッ!!!」
耳を劈く甲高い鳴き声とともに俺を威嚇する鵺。
「ほわぁぁぁぁ! うるさい! うるさいのじゃー!」
姿を消し霊的存在になっているメイは思わず声を上げるが……。
――なんで声出してんだよお前は……!
もともと、俺が鵺の注意を引き付けているうちにメイは背後にまわる。そして俺の合図とともに、彼女は錫杖の先にある霊力を付与させた遊環を外し投擲し、鵺を包囲、俺が拳にごく大の霊力を集めて殴り退魔する――という流れだったはずだ。
「耳が、耳が千切れそうじゃ! ハヤト! ハヤトの馬鹿ものー!」
……そんなメイの幼い声のせいで霊的結合力の強い鵺が反応してしまう。
ていうかなんで俺を責めるの。俺悪くないよ。
メイへの下らない感想を心の中で述べて深いため息をついていると、声に反応した鵺は猿の目つきをぐるりと自身の頭上に向けた。
その先にあるのは霊的存在になっているメイだ。
「……っ! メイ! 錫杖投げろ!」
「わ、分かったのじゃ! は、ハヤト早く助けるのじゃ!」
メイの失態ではあるが、このままだとメイが鵺に屠られるのは時間の問題だ。それは俺としても非常にまずい。
メイは、鵺の視線を一点に集めつつ霊的結合を解除した。
霊的結合を解除したメイは、いわば無防備状態。
「行くのじゃハヤトォ!」
幼声とともに放たれた錫杖は、鵺の霊気を浴びて歪に回転をしながら鵺の頭上へと落ちていく。
鵺は投げられた錫杖とメイを交互に見据えた。
……成功してくれ……!
「――法具解放。一ノ技……っ! 『散』!」
左拳に込めた霊力を解き放ち、空を舞う錫杖の遊環に結び付ける。