No.0 最期の言葉
――ごめんね、隼人。
これが母親の口癖だった。
幼少期のころからよく聞いていたこの言葉。当時は、なぜ自分が謝られているのか。なぜ自分を見て涙を流すのかが理解できなかった。
家が、平安時代より代々伝わる退魔師家系であり、俺がその家系の一つに属し、将来退魔師を受け継がなくてはならないと知ったのは幼稚園の時だ。
一年に一度、全国の有力退魔師が一堂に会する場では父は居心地悪そうに下座に入るのは当たり前だった。
他の跡継ぎの、自分と同じくらいの年齢の子供たちが、自分の術を披露して有力退魔師たちに自分の霊的結合力――すなわち霊力をアピールするときは、違和感しかなかった。
「鶸空流退魔術、霊的具象術」「鳶山流退魔術、霊魂術」など、笑顔を滲ませながら緊張感と好奇心に溢れた少年少女たちが術比べをしている傍ら、そこにただ立っているだけなのが俺の仕事だった。
少年少女たちは術を使えるが、俺は使えなかったからだ。能力的にではなく、社会的に――。
立っているだけの俺に対し、大人たちは分かっていて野次を飛ばした。野次に晒される俺は、苛立ちを感じなかったのかと問われると否と即答できるだろうが、世の不条理の前にも母親は何一つ文句を言わずに俺の前に立ち野次を全て受け止めた。
さながら、見世物だった。
周りの子供たちさえ術を使えない――使わない俺を見て嘲笑した。
――大丈夫だから、ね。
母親は涙を流しながら見世物鑑賞が終わり、誰もいなくなった部屋で酒を浴びせかけられてずぶぬれになった手を涙とともに濡らしながら俺を抱きしめてくれていた。
平安から続く退魔師家業有力御三家、『鶸空』『鳶山』『烏海』。
世間ではこうもてはやされているものの、内部事情を知るものであれば烏海が没落した家であり、御三家と名乗ることすら煙たがられ始めていることを知ったのはそのあとのことだった。
その昔、烏海の家にも鶸空の「霊的具象術」、鳶山の「霊魂術」のように「烏海流憑依術」なる一族秘伝の退魔術があったらしい。
だが、俺はそんなことは何一つ知らされてなかった。
そんな不条理を知らなかったのも、両親が恥と、屈辱を全て被ったからに違いない。
退魔師法。この中でも、烏海だけ「憑依術」を使うことは絶対の禁忌とされた。
過去に起きた烏海事件という名のもとに、烏海は一族的にも、法律的にも、そして社会的にも雁字搦めにされた絶対的な弱者となり果ててしまった。
先祖の過ちが今に至る。
お家断絶も味わい、退魔師としての資格も一時期は剥奪されていたという。
それこそ、腫物のように。「魔物」のように扱われてきた烏海家。
そんな一族に産まれてきたことを何度後悔したことだろう。何度呪ったことだろうか。
――負けないで。あなたは強い子だから。
退魔師特有の流行り病にかかった母親は最期の言葉を俺に残した。ほかの一族の助けがあれば助かった病だった。妖魔の瘴気に宛てられた者に対する治療は、もっぱら他の退魔師による協力的な治療に他ならなかった。でも、それでも--母親は見捨てられた。
にも拘わらず他の家への悪口などは言ったことがなかった。
俺が見た母親の背中は、野次で酒を投げられてそれでも笑顔を絶やさずに頭を下げるものばかり。
――この世に……この家に産んでしまって、ごめんね……。
母親は謝ることしかしなかった。
「この家に産んでしまって、ごめんなさい……か」
俺は頭の上に置いた「退魔師教本」という、社会の科目の一つである退魔学の本を静かに閉じた。
「……眩し」
空は青々として晴れ渡る。
雲一つない快晴だ。
そんな空を見ながら烏海家の屋敷の端にある縁側で寝ころびながらぼーっとしていれば、太陽の光をかき消すようにいきなり姿を現すひとりの幼女がその冷たく小さな手で俺の頬を小さく撫でた。
「起きろ、ハヤト。妖魔じゃ、妖魔が現れたぞ。討伐せんと、また鳶山の小娘に獲物を奪われるぞ!?」
俺の寝ころぶ上を浮遊するこの幼女の名前は「メイ」。端的に言えば、浮遊霊だ。
人間とは思えないほどの白い肌に整いながらも幼さの残る顔立ち、白い袴をはいている。
出会いはいつだったか――は明確には覚えていないが、霊であるからこそ、この世にあらわれる妖魔の発見は素早い。
代償としては俺の持つ霊力の一部を食わせてやる必要がある。半共依存状態ともいえる。
「そうだな……行くか。錫杖を持ってきてくれ」
「分かったのじゃ!」
体を起こして、伸びをした。俺の返答にメイはゆらゆらと姿を消した。玄関先に置いておいた退魔師にとっての必須アイテムである錫杖を取りに行ったのだろう。
烏海家退魔師二十二代次期当主、烏海隼人。
俺の最大の目標は、周りの連中に烏海の力を見せつけることだ。そのためにはより多く妖魔を討伐しなければならない。
たとえ――。
――倒すべき妖魔を味方につけたとしても。
「行くのじゃー! 行くのじゃー!」
無邪気に叫ぶ見た目幼女の浮遊霊に「ちょっと落ち着けよ」と一言置いた後で、俺は広大な烏海の敷地を後にした。