第1話 カス祝福の朝は今日も暑い
朝からもう、あづい。
窓を開けた瞬間にむわっとした熱気が顔にへばりついてきて、私は思わず「うへぇ」と声を漏らした。カーテンの隙間から差し込む光がやけに白っぽく、真夏でもないのに蝉が鳴いている気がする。いや、この世界に蝉がいるのかどうかも知らないけど、それくらい暑い。クマゼミ?じーくじーく聞こえる気がする。ほんと暑い。
――前世で35年生きて、こっちに来てからさらに22年。合わせて57年分、私はこの手の「今日も暑いな」という朝を経験してきた気がする。中身のおばちゃん歴、伊達じゃない。おじいさんや、今日も朝から暑いですのう?なんてね。前世も今も独身です。
汗で張り付く寝間着が気持ち悪い。起きたくないけど起きない方がもっと気持ち悪い。仕方なくベッドから体を起こしながら、私はぼんやりと考える。今日も一日が始まる。…今日も、代わり映えのしない、地味な祝福持ちとしての一日が。
私の名前はマイ。かつて麻衣という名前で、こことは違う世界で35年か36年かそのあたりまで生きていた記憶がある。オタクだった。腐女子だった。仕事終わりにアニメイトに飛び込んで、推しカプのグッズに給料を溶かして、録画していたアニメと深夜アニメを一気見して朝を迎える――そういう人生を送っていた、はずだった。
気づいたらこの世界にいた。生まれたての子供だった。その子供は、なんと、聖女とかいう、なんだかご大層な肩書つきだった。
――ご大層、は言いすぎた。盛りすぎました。実際のところ、私が創造主とやらから賜った「祝福」は、控えめに言ってもカスだった。
「採取した草木を、摂氏マイナス2度にする」
たったそれだけ。本当にそれしかできない。しかも効果は48時間限定。攻撃力ゼロ、治癒力ゼロ、戦闘には何の役にも立たず、できることといえば、そのへんの雑草を摘んで冷やして、ご近所さんに配って歩くくらい。
いわゆる「冷えピタ」というやつを、量産する能力。それが私の全てだった。
――このカス祝福め。
何度目かもわからないその呟きを、今朝もまた胸の内で繰り返した。10歳のときに祝福測定を受けて、この能力が判明した瞬間の、測定官の微妙な顔を、私は一生忘れない。「あ、これは……その、地味というか、堅実というか」と、はっきり地味だと言っておきながらさらに言葉を濁された、あの気まずい空気。周りの子どもたちが「毒を中和できる」だの「癒しがとても強い」だの、いかにも人の役に立ちそうな華々しい祝福を発現させる中、私だけが、ただただ「冷やす」。しかもたったの「マイナス2度」。おまけに、「私が摘んだ草木限定」。…何の能もない。
華がない。役に立てると思えない。地味。カス。
でも、まあ、それでよかったとも思っている。低位の祝福持ちは、こうして田舎の村でひっそり暮らしていける。聖務院の本部だの王都だのに引っ張られることもなく、隅っこで大人しく、誰の目にも留まらず生きていける。前世で培った「事なかれ主義」と「隅っこ暮らし希望」の精神が、今世でも遺憾なく発揮されているというわけだ。
目立たず、騒がず、平穏に。それが私のモットーだった。
――もっとも、この世界には『決定的に欠けているもの』がある。
BLが、ない。ボゥイズラヴ。ノゥボゥイズラヴ。
二次創作というジャンルそのものが、この世界には存在しない。誰も彼もが「尊い」の一言で語彙力を失う喜びを知らない。麗しい騎士団長と寡黙な副団長の間に横たわる、複雑怪奇な感情の機微を妄想する文化が、ない。信じられるだろうか。人類はここまで文化的に貧しい世界を作り上げてしまったのだ。一応、物語やロマンス小説は、こっそりある。
でもBLは、ない。ジーザス。
仕方がないので、私は自分で作っている。
誰に見せるでもなく、頭の中だけで。村の若い衛兵さんと、その先輩衛兵さんの間に勝手に因縁と絆を見出し、脳内で120話くらいの長編シリーズを展開させている。もはや誰にも迷惑をかけていないので、これは合法だと思う。多分。ロマンス小説はあるのだから、この大長編ボゥイズラヴを、いつか執筆、出版してもいいかもしれない。
――と、そんな至福の妄想タイムに浸っていたのも束の間。
「マイねーちゃーん!冷えピタくれよー!!」
窓の外から、けたたましい声が響いてきた。振り返るまでもなく、村の悪ガキどもだ。まだ準備もできていないというのに、朝っぱらからもう玄関先に集合しているらしい。
「あづいー!死ぬー!早くー!!」
「昨日もらったやつもう溶けたー!」
「おれのがねーちゃんの分より小さかった気がするー!不公平だー!!」
わあわあと好き勝手なことを喚く声を聞きながら、私は深いため息をついた。ああ、めんどくさい。心の底から、めんどくさい。こいつらが冷えピタと言えるのは、こいつらの一人が以前熱出したときに、いつものようにマイナス2度の雑草を包んだ手ぬぐいをおでこにペタッと貼ってやって、「冷えピタ気持ちいいでしょ?」って言ってしまったからだ。
それ以来、この村の子どもたちにとって、私はもはや「冷えピタの人」以外の何者でもない。聖女だとか祝福持ちだとか、そういう肩書はとうの昔にどうでもよくなっていて、ただ「頼めば冷たい草をくれるお姉さん」という認識で固定されている。――たぶん子供だけじゃなく、大人にも。
感謝の言葉より先に催促の声が飛んでくるあたり、もはや聖女というより近所の便利屋だろうなと感じている。
――いや、まあ、実際便利屋みたいなものなんだけど。
世界がじわじわと、確実に暑くなっている。今年の夏は去年より暑い気がするし、去年の夏は一昨年より暑かった気がする。大人たちは「近頃は妙に長夏だ」と眉をひそめて、畑の作物の出来が悪いだの、井戸の水が減っているだのと、深刻な顔で話し込んでいる。
そういう空気を、子どもたちだって薄々感じ取っているのかもしれない。だからこそ余計に、私の冷えピタに縋ってくる。たかが草一束、されど草一束。この効果切れまでの四十八時間だけが、この村の子どもたちにとって数少ない「涼」の時間なのだから。
…仕方ない。今日も配りに行くか。
私は起き上がったまま一向に動こうとしていなかったベッドからのそのそと抜け出し、汗で張り付く寝間着のままの格好で、裏の畑に向かうことにした。だってどうせ汗をかくのだから、この寝間着をもっと汗だくでずぶずぶにしてから水を浴びて着替えればいいでしょう。その方が効率的だもの。
――ああ――誰か、私のかわりにこの世界のどこかで、麗しい騎士団同士の禁断の関係を書いてくれていないだろうか。美しい、鍛え上げられた筋肉、獅子を屠る剛腕。昔助けてくれた上官を切なく見つめる新人騎士。ああ、ああ…。切実に、そう願いながら。
まさかその「麗しの騎士団長殿」とやらに、この後、そう遠くなく会うことになるとは、この時の私はまだ、まったく想像していなかった。だから私は、雑草を摘みながら、上官を切なく見つめる新人騎士の物語を描いてくれる新進気鋭のBL作家のことを、思う存分想像していたのだ。




