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「まずは王都へ戻ります。奴らのことです。ギルバート様が宝を取り戻しに追ってくることを見越して、国や教会の戦力を盾にする等、何らかの対策の準備を始めるはずです。私が王都に戻り、裏から彼らの根回しを瓦解させてやります」
私がそう宣言すると、ギルバートは短く頷き、迷いのない足取りで王都の方角へ歩き出した。
「あの……龍の姿で空を飛んだりはされないのですか?」
『飛翔して私の魔力を放てば、王都の警戒網に引っかかる可能性がある。街はパニックになり、力を得たネズミどもはそれを囮にして逃げてしまうでしょう。貴女が言ったのですよ、「確実に回収する」と』
怒りに任せてすべてを灰にできる力があるのに、彼は私の提示した方針を全面的に聞いてくれた。私は、身を引き締め、急いでその背中を追った。
……しかし。
「はぁっ、ふぅっ……」
龍の契約印によって身体機能は向上しているらしいが、前世からの完全なデスクワーカーかつ万年裏方の私が、長距離を歩き通せるはずもなかった。
それでも、歩き始めて数時間後。ついに膝がガクガクになった私に対し、ギルバートは静かな吐息を漏らし、振り返った。
そのまま、私を軽々と横に抱き上げる。
「っ、あの……?」
『無駄口を叩かず、大人しく抱かれていなさい』
夜の森のようなひんやりとした体温。彼の腕のなかに収まり、揺られながら進む道中、私は顔に熱が集まるのを必死に無視した。
王都までは、馬車を使っても一週間はかかる距離だ。
ギルバートに抱えられて移動すれば数日に縮まるとはいえ、一刻も早く宝を回収したい彼にとって、人間の歩調に合わせるのは本来、耐え難い遅延のはず。
しかし道中、彼は日が落ちれば歩みを止め、火を起こし、必ず私のための休息の時間を作った。
……どうして、こんなに余裕があるのだろうか。
時間をかければかけるほど、より遠くに逃げ込んだり、宝の力で厄介なことを企てるリスクが上がる。
私は彼に『思念解読』を試みる。
しかし、ギルバートという真名も真意も何一つ読み取れなくなっていた。
『ふふ、私の思考を読もうとしましたね。ですが、無駄ですよ。契約印は私と貴女を繋ぐ盟約の証。私に対しては、覗き見ることはもうできない』
黄金の瞳が見下ろしてくる。
『思念解読』ありきでこの世界を生き抜いてきた私にとって、他ならぬ彼の思考だけが完全なブラックボックスになってしまったことは、何よりも恐ろしかった。
私が微かに体をこわばらせたのを察したのか、ギルバートは冷たい指先で私の頬をそっと撫でた。
『……そんなに怯えた瞳で見上げないでください。心を読めずとも、何も恐れる必要はありません。貴女は、私が自ら唇を押し当て、私のものだと証を刻んだただ一人の女性。傷つけるはずがないでしょう?』
「んっ……、は、はい……」
耳元に落とされた、甘く、ひどく独占欲に満ちた低い声。
ただでさえ密着しているのに、心臓を直接撫でられたような感覚に陥り、たまらず変な声が漏れてしまう。冷静でいなければならないのに、顔に熱が集まるのを誤魔化すように俯くのが精一杯だった。
急ぐ素振りを見せない彼の真意を測りかねつつも、私は底知れない安心感と緊張感を抱いたまま、その広い胸に身を預けた。
そうして数日後。王都の正門が見えてきたところで、ギルバートは私を下ろし、上空の結界を見上げた。
『王都の結界は魔に属する者を弾くだけでなく、強大な力を持つ存在をより強固に拒絶するように編まれている。力ずくで破ることはできますが……この結界は「彼女」の……いえ。強引に突破すれば、私とて少々面倒な反発を受けますからね』
彼は私の右手を、大きな手でしっかりと包み込んだ。
『私の魔力を内側に封じ込め、貴女の微弱な波長に同調させます』
指を絡め、境界線をまたいだ瞬間、激しい静電気のような痺れが走った。ギルバートの顔がわずかに歪む。海のような魔力を無理やりコップ一杯に押し込んでいる状態での結界の通過は、彼に少なからぬ負担を強いているようだった。
結界を抜け、城壁の門番の前に立つ。
私の顔を見た若い門番が、目を丸くして槍を取り落としそうになった。
「セ、セリアさん!? 勇者様たちから、魔の樹海で魔物に食われて死んだと聞いていたが……!」
「ええ、酷い目に遭ったわ。けれど、奇跡的にこちらの御方に助けていただいたの」
「そ、そうだったのか。……だが、勇者様たちは貴女を失って、ひどく落ち込んでおられたぞ。……して、そのお方が?」
「そうなの。彼にはお礼をしたいし、みんなにも早く会いたいわ。通行証はあるから、通してくださるかしら」
落ち込んでいた、という言葉に、私は内心で冷たく鼻で笑った。自分たちの罪を隠すための、見事な悲劇の主人公ぶりだ。
私がにっこりと微笑んでギルバートを示すと、門番は彼の凄絶な美貌と見え隠れする威圧感に気圧されたように、慌てて道を空けた。
無事に門を抜け、石畳の大通りへと足を踏み入れる。活気に満ちた喧騒のなか、ギルバートは冷徹な黄金の瞳で街を見渡した。
『親しげに話していましたね。……私と話すときの、その堅苦しい敬語も外して構いませんよ。いつまでも他人行儀は面白くありませんから』
「え……」
『それにしても人間の王都ですか。ずいぶんと窮屈ですね』
さらりと落とされた言葉に、私はわずかに目を丸くした。
完全に仕事モードだったが、まさかそんな風に見られていたなんて。
「人間にとっては、これでも一番安全な場所なんですよ。……窮屈な思いをさせてしまって、ごめんなさい…………ギルバート……さ……ま」
言われた通り、過剰な畏まりを解いて、少しだけ肩の力を抜いてみる。
すると彼は、少し満足そうに喉の奥で低く笑った。
『様、もいりませんよ。……それで?』
促され、私は顔に集まりかけた熱を振り払い、表情を引き締めた。
「まずは、奴らが滞在しているはずの高級宿屋『黄金の獅子亭』へ向かいましょう」
◇
王都の特区にある高級宿屋『黄金の獅子亭』。
その裏口から出てきた若い従業員の思考を、私は『思念解読』で拾い上げた。
(あーあ、あの重戦士、また酒樽を三つも空けやがって。他の三人が出て行ったからって、一人で暴れられても困るんだよなぁ。金、ちゃんと払ってくれるのか?)
脳内でパズルが組み合わさる。
「……事態は少し複雑になってしまいました。現在ここにいるのは重戦士一人だけ。勇者一行はすでに仲間割れを起こしたのか、他の三人は別の場所へ移動したようです」
『ほう?宝で得た絶大な力に、早くも当てられましたか』
「元々、名誉欲や金銭欲で繋がっていただけの歪なパーティーでしたから。……厄介なことに、残りの三人によってすでに宝を持ち出されてしまった可能性があります」
私の推測に、ギルバートは静かに目を伏せた。
『いえ。結界内による探知妨害があっても、この距離であれば確かに一つ、そこにあることがわかります。ただ……気配が酷く矮小だ。あの宝は元々、四つの宝珠が一つに組み合わさって形を成すもの』
そこで一度言葉を切り、面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
『なるほど。知ってか知らずか、一つずつ分けて逃げたというところか』
「四つに分かれたことで、力は落ちるのでしょうか」
『いいえ。一つであっても、あれは持ち主に莫大な力を与えるでしょう。……だからこそ、いずれ面白いものが見られるはずですよ』
ギルバートはそこまで口にして、ひどく冷酷な笑みを浮かべた。
彼のその余裕は、いったいどこから来るのだろう。道中からずっと急ぐ素振りを見せなかったことといい、何か確信があるようだ。だが、私は契約印によってそれを問い詰めることができない。
ギルバートは冷ややかな吐息をこぼした。
『浅ましく群がり、力に溺れていく。人間の性というものは、いつの時代もひどく退屈ですね。……回収の手間が増えました。当然、最後まで付き合ってもらいますよ』
私は彼を見上げ、不敵な笑みを返した。
「ええ、どこまでもお供します。……まずはこの宿屋に残っている重戦士バルガスから、すべてを剥ぎ取ってやりましょう」
私は宿屋の裏口へと歩みを進めた。




