第8話 揺らぐ日常
茜はゆっくりと目を開けた。見慣れた天井、聞き慣れた都会の喧騒——。そこは、いつもの自分の部屋だった。八咫烏との過酷な修行を経て、現実世界へと戻ってきたのだ。
時計を見ると、まだ朝の六時を回ったばかり。目覚めたばかりのはずなのに、体の芯には妙な充足感があった。長い時間をかけて鍛え上げられた身体は、以前とは比べものにならないほど研ぎ澄まされている。
「……変わった」
茜は自分の掌をじっと見つめる。そこに宿る霊力が、以前とは違う形で鼓動しているのを感じた。修行を経て、彼女はただの霊力の使い手ではなく、"守る力"を得た存在へと変化していた。
しかし——。
(学校に行ったら、どう思われるだろう?)
茜はわずかに眉を寄せた。これほどの変化を遂げた自分を、周囲の人間はどう受け止めるのか。特に、普段彼女をよく見ている同級生たちの目は誤魔化せないだろう。
そう考えながらも、茜は制服に袖を通した。
登校すると、案の定、クラスメイトたちの視線が茜に集まった。彼女の変化を敏感に感じ取ったのだろう。
「茜……なんか、痩せた? いや、引き締まった?」 「雰囲気変わったよね。前より、なんていうか……強そう?」
友人たちの言葉に、茜は曖昧に笑うしかなかった。
(やっぱり、誤魔化しきれないか)
そんな彼女の背後から、静かな声が響いた。
「……お前、何をした?」
振り向くと、そこに立っていたのは御影だった。
御影——茜の学校の先輩であり、神社の家系に生まれた男。普段は物静かだが、その鋭い眼差しには霊的な力を秘めた者特有の洞察があった。
茜は一瞬だけ迷ったが、すぐに答えた。
「……ちょっと、鍛えてた」
「鍛える、ね」
御影は冷静な表情を崩さず、茜をじっと見つめた。その目には、明らかに"普通の鍛錬ではない"ことを見抜いている色があった。
「……まあいい。後で話がしたい。放課後、神社に来い」
そう言い残して、御影は歩き去っていった。
茜は彼の背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
(やっぱり、このままでは済まされないか……)
現実世界に戻ってきた茜の日常は、すでに少しずつ揺らぎ始めていた。
そして、それは影なるものとの新たな戦いの始まりでもあった——。