第7話 試練の果て
八咫烏の体が光に包まれ、いよいよ最終試練が始まる。
茜の前に立つのは、人の姿へと変化した八咫烏。その黄金の瞳は鋭く、全身から発せられる霊気が場の空気を震わせていた。
「来い、茜。全力で私を打ち倒してみせよ」
八咫烏の声が響いた瞬間、風が裂けるように彼の姿が消えた。茜は咄嗟に霊力を高め、身構える。
——次の瞬間、八咫烏の掌が眼前に迫っていた。
茜は跳躍し、それを間一髪で避ける。しかし、すぐさま追撃が来る。八咫烏の蹴りが地面を穿ち、その衝撃波が茜の身体を吹き飛ばした。
「くっ……!」
転がるように地を這い、霊力を練る。茜は腕を振り上げ、刃のように霊力を放つ。しかし、八咫烏は指一本でそれを弾いた。
「まだ甘い」
八咫烏の声が、鋭く茜の耳を刺す。
茜は歯を食いしばり、再び立ち上がる。体の疲労は限界に近い。それでも、彼女の瞳には決意の光が宿っていた。
——負けられない。
茜は己の霊力をさらに研ぎ澄まし、内なる力を解放する。彼女の体を青白い光が包み、周囲の空気が変わる。八咫烏の黄金の瞳がわずかに細められた。
「ならば、もう一段階上の力を見せてもらおうか」
八咫烏が手をかざすと、その周囲に漆黒の炎が立ち上る。その炎が渦を巻き、刃のように茜へと襲いかかる。
「……っ!」
茜は瞬時に霊力を展開し、それを刃の形に変える。迎え撃つように跳び上がり、八咫烏の放った炎を一閃する。青と黒の力が衝突し、爆風が森を揺らした。
激しい戦いが続く。茜は持てる力のすべてを振り絞り、八咫烏の攻撃を避けながら、霊力を刃として放つ。だが、八咫烏の動きはなおも速く、的確だった。
「負けない……!」
茜は踏み込むごとに霊力を増していった。動きは研ぎ澄まされ、鋭く、洗練されていく。霊力の刃が八咫烏の目前へと迫り、あと一寸でその体を貫く——その瞬間、茜の霊力がぷつりと途切れた。
「っ……!」
足元がふらつき、視界が揺れる。限界だった。これまでの修行と、ここまでの試練がすべて積み重なり、茜の体力と霊力は尽き果てていた。
膝をつき、肩で荒く息をする茜。対する八咫烏は、一切の攻撃を加えず、ただ彼女を見つめていた。そして、ふっと満足げに笑う。
「ここまで来たか」
八咫烏は歩み寄り、ゆっくりと手を差し伸べた。
「お前の『内なる力』の正体、教えてやろう」
茜は息を整えながら、その言葉に耳を傾けた。
「お前の力とは、破壊でも、封印でもない。……『守る力』だ」
茜の瞳が大きく揺れた。
「守る、力……?」
八咫烏は静かに頷く。
「紫乃は戦いの中で力を振るい、その果てに己を犠牲にして封印を完成させた。しかし、お前は違う。お前の霊力は、仲間を、世界を守るための力へと変質している。それこそが、お前の真の力だ」
茜は拳を握りしめた。これまでの修行、紫乃の記憶、八咫烏との戦い。そのすべてが繋がるような気がした。
「私は……私の力で、皆を守る」
茜の声には、迷いがなかった。
八咫烏はその姿をもとに戻し、重々しい口調で長い祝詞を唱え始める。言葉の響きが空気を震わせ、大地が共鳴するように揺れた。そして、その祝詞の終わりとともに、茜と八咫烏の契約が結ばれた。
その瞬間——茜の意識は再び薄れ、次に目を開けたときには、クロウの庵である神社の絵巻の前に立っていた。
「……戻ってきた?」
茜は呆然と周囲を見渡す。だが、すぐに異変に気付いた。
時間が巻き戻っている——。
感覚的に、彼女は理解した。今は、クロウとともに山へ修行に出かけた翌日。つまり、長きにわたる八咫烏との修行は、この世界では一瞬の出来事に過ぎなかったのだ。
「ほう……」
クロウが驚いたように茜を見つめていた。彼の鋭い目が、茜の内に宿る霊力の変化を察知している。
「お前の力、禍に拮抗するほどのものに成長しているな」
茜は静かに目を閉じ、確かに感じる自分の変化を噛み締める。そして、クロウに向き直り、はっきりと告げた。
「私は……『守る力』になる」
クロウの表情に、一瞬の静寂が走る。しかし、すぐに彼は満足げに微笑んだ。
「ならば、その力、存分に振るうがいい」
茜は頷いた。
そして、ついに——影なるものの主、「禍」との戦いが迫る。