第2話 黒い影(後編)
気がつくと、茜は見知らぬ場所に立っていた。
薄暗い神社の境内。古びた鳥居が月明かりに照らされ、静寂が満ちている。
「ここは……?」
茜が周囲を見回すと、クロウが一歩前に出た。
「俺の庵だ」
彼の言葉に、茜は驚きの表情を浮かべる。
「君の……?」
クロウは微かに微笑み、境内の奥へと視線を向けた。
「お前に話さねばならないことがある。すべては、この神社から始まる」
茜は戸惑いながらも、クロウの後を追った。
彼女の運命が大きく動き出したことを、まだ知らぬままに——。
境内の奥へ進むにつれ、空気が変わった。
どこからか、かすかな鈴の音が響く。
クロウは境内の奥にある朽ちかけた社を指さした。
「ここがお前の始まりの場所だ」
茜は息をのんだ。社の扉が静かに開かれ、中から冷たい空気が流れ出る。
奥には、古びた祭壇があった。その上には一枚の古い絵巻が広げられている。
「これは……?」
茜が恐る恐る手を伸ばそうとした瞬間、クロウが制した。
「触れるな。その絵巻は、お前の記憶の鍵だ」
茜は戸惑いながらも、クロウの言葉を待った。
クロウは静かに語り始める。
「お前は、生まれる前からこの世界に関わる宿命を背負っている」
茜の心臓が高鳴る。
彼女の過去には、まだ知らぬ真実が眠っていた——。
クロウはゆっくりと指を動かし、絵巻の端をめくる。
そこに描かれていたのは、一羽の巨大な八咫烏と、その隣に立つ少女の姿だった。
「……これは、私?」
茜が震える声で呟く。
クロウは静かに頷いた。
「お前は八咫烏と契約を結んだ巫女の末裔だ。そして、再びこの世界の均衡を守る使命を背負う存在——」
茜は呆然と絵巻を見つめながら、自分の運命が大きく揺らぎ始めたことを実感していた。
そして、影なるものたちの真の目的も——。
クロウは目を閉じ、深く息をつく。
「影なるものたちは、この世界の理を覆そうとしている」
茜は眉をひそめた。「理を覆す……?」
クロウは続けた。
「世界には均衡がある。八咫烏は、かつて神と人との間を繋ぎ、その均衡を守る存在だった。しかし、影なるものたちはその均衡を壊し、異なる法則の世界を生み出そうとしている。彼らは『無』を望んでいるんだ」
「無……?」
「世界を塗り替えるほどの混沌。影なるものたちは、人々の記憶や存在そのものを喰らい、やがてこの世界そのものを虚無へと変えようとしている」
茜は息をのんだ。影なるものたちの真の目的——それは、世界の崩壊だった。
クロウは茜をまっすぐに見つめた。
「お前は、その鍵となる存在だ。お前が覚醒すれば、奴らの計画は止められるかもしれない」
茜は拳を握りしめた。
彼女が今まで見てきたもの、感じてきた違和感。すべてが、この大きな運命に繋がっているのだ。
「……私は、何をすればいいの?」
クロウは静かに答えた。
「影なるものたちの主を見つけ、討つ。それがお前の使命だ」
茜の胸の奥で、何かがはっきりとした形を持ち始めた。
——このままでは、何もかもが消えてしまう。
彼女は、運命に抗う決意を固めた。
その時、社の外で何かが蠢き、境内の奥から闇が広がり始めた。
クロウが鋭く反応し、茜を庇うように立つ。
「……来たか」
「待っていたぞ——茜」
冷たい声が、境内に響いた。
暗闇から、歪んだ影が蠢きながら姿を現した。黒い霧のようなものが渦を巻き、形を変えながら近づいてくる。
茜は喉が渇くのを感じた。直感的に分かる——これは、ただの敵ではない。
影なるものたちの「主」に繋がる存在。
クロウが小さく呟いた。
「試されるぞ、茜」
茜はゆっくりと拳を握り、戦いの幕開けを迎えようとしていた。