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一番星を巡る

作者: koma


 ゼインとの出会いは十年前。

 ツユリが九つを数えたばかりの頃だった。


 月の明るい晩――故郷の村を魔物に襲われ、親と逸れたツユリは、泣きながら走っていた。

 そこへ現れたのが、まだ魔術師になりたてのゼインだった。


「……大丈夫?」


 阿鼻叫喚の場にそぐわない、穏やかな声だった。

 裸足の爪先を石にひっかけ、顔から転んでしまったツユリは、目の前に立つその影を、這いつくばりながら見上げる。

 癖のない銀髪に、冴え冴えとした金の瞳。整いすぎた顔立ちは魔性を思わせるほどだったが、魔術師だ、と安堵できたのは、彼が大人の背丈ほどもある木の杖を手にしていたからだ。

 ツユリより七つも年上――当時十六歳だったゼインは、まだどこか幼さを残していた。


「動かないで」


 静かにそう告げた彼は、音もなく後ろを振り返る。

 そうしてゆっくりとした動作で、向かってきていた狼型の魔物に杖を翳した。

 途端、まばゆい閃光が辺りを満たす。

 誰もが目を瞑り、数秒後、恐る恐る瞼をあげる。その視界は一変していた。魔物も、そこにあったはずの家や木々も、何もかもが吹き飛んでいた。

 さすがだ、と何者かが呟く。

 彼の仲間の、老いた魔術師の声だった。


 貧しい田舎育ちのツユリは、魔術のことなど何も知らない。


 けれど老爺の感嘆を見るに、ゼインの放った魔法がよほどのものだと想像はできた。

 たしかに今目にしたそれは、明るく速く、まるで闇から降る星のようだったから――。


 しんとした村を背に、ゼインがふっと振り返る。


「怪我は……」


 抑揚のない声に尋ねられ、ツユリは慌てて立ち上がった。


「……あ、ありません――助けてくださって、ありがとう、ございます」


 慣れない敬語で礼を言えば、目の前の魔術師は、予想外に柔らかな笑みを返してくれた。

 掠れた声で、「よかった」と囁かれる。

 そうして他の村人にも被害はないか、魔物はあの一頭だけだったのかと、周囲の確認を始めた。

 ツユリは村の案内を頼まれ、その朝方まで、ゼインについていた。


 王宮から派遣された魔術師のひとびとは皆やさしく、ツユリはこの人たちみたいになりたいと思った。



 ――魔法に特化した王国フローリア。

 この国の人間は誰しも少なからず魔力を保有している。


 個人の持つ魔力量には差があり、残念ながらツユリにはゼインのような才能はなかったけれど――しかし努力の甲斐あって、十七を数える歳には魔術薬師となり、ゼインと同じ王宮で働くことができるようになった。


 それからの日々は幸せだった。

 自分の作った魔法薬が誰かの傷を治し、痛みを和らげ、あるいは魔力効果を増幅させる。

 勉強の成果が目に見えて現れて、嬉しくてたまらなかった。

 

 魔術師を目指すきっかけとなったゼイン。

 彼はやはり魔術師の中でも最強と謳われていて、前線で戦ってばかりだから、ツユリとの接点は少なかった。

 けれどツユリは恩人であるゼインを見かけるたびかかさず挨拶をし、顔色の悪い時には食事にも誘った。

 ゼインはそのたび、快く応えてくれた。


 そうして一年前――。

 任務中、ゼインが大怪我を負ったと聞いたツユリは、いてもたってもいられず彼の病室へ足を運んだ。

 高い治癒力を持つ聖女さまに手当をしてもらったゼインは、すでに回復に向かっていた。けれどツユリは、その生気のない顔を見て、胸が締め付けられる思いがした。


 ――世界には時折魔物と呼ばれる外敵が現れる。

 竜や獣、闇や霧といった様々な形をとる彼らは、人間を食糧として襲っていた。

 ゆえに王国はいつも魔物の襲撃に備えなければならず、腕の立つ魔術師や騎士たちはみな、前線に立たされるのが常だった。

 国一番の攻撃力を誇るゼインは、尚のこと。


(でも、いつもいつもゼインさまばかり、危ない場所へ赴かされている……)


 ツユリはその事実に、歯がゆい思いを抱いていた。

 ゼインは強い。だからこそ敬われ、同時に恐ろしい魔物が出現した時、一番に名前が上がってしまう。


「では、明日までは安静に」

「はい、ありがとうございます」


 治癒を専門とした魔術師の人たちが病室をでていく。と、戸口に立っていたツユリとゼインの目があった。ゼインはベッドに寝そべったまま、ほんの少し驚いたような顔をする。


「あれ? ツユリ、どうしたの」


 見舞いに来たのはこれが初めてだったからだろう。不思議そうに言ったゼインに、ツユリは硬い笑顔を向ける。魔力を使いすぎた者に現れる症状――こけた頬。痩せ気味の手足。青白い顔。充血した目。それがすべて見てとれた。


(こんなになるまで)


 ツユリは、「大丈夫ですか」とか、「入ってもいいですか」とか、そんなことを尋ねようとした。けれど言葉が喉につっかえたように出てこなくて、ただ唇を噛み締める。


「……ツユリ、何かあった?」


 声色を変え、眉を顰めたゼインが上半身を起こす。ツユリは堪え切れなくなって思いを口にした。


「……もう戦いに行かないでください」

「……え?」

「ゼインさまは戦い過ぎです。少しはお仕事、断ってください」


 命の灯火には限りがある。

 いくらゼインが強いと言っても、こんな無謀な戦い方ばかりをしていたら、遠くない未来でいつか潰えてしまう。ツユリはそれが怖かった。魔物に襲われた時よりもずっとずっと。ゼインのことが好きだからだ。そう、自覚した。


「ツユリ」


 今する話じゃない。そう思うのに、ツユリは涙を止められなかった。悔しい。こんなことを言う自分だって、ゼインに助けられた身なのに。


「ツユリ、ごめん、ごめん。心配をかけたね」


 ベッドを降り、こちらに歩み寄ってきたゼインにそっと手を取られる。


「っ! ゼインさま、安静にしていないと、わたし、ごめんなさい」

「大丈夫。俺の体、結構頑丈なんだ」


 笑って、それを証明するみたいに手を強く握りしめられる。大きくてあたたかい。大人の男の人の手だった。


「わかった。もう無茶な戦い方はしない。約束する」


 彼は言いながら、ツユリの胸元まで伸ばしたまっすぐな黒髪を一筋掬い、誓約の呪を唱えた。互いの身に危険が及んだ時すぐにわかる、高位の魔法だ。


「ゼインさま」

「……これで少しは安心してもらえるかな」


 困ったように微笑うゼインを、息の詰まる思いで見上げる。金の瞳は優しくツユリを映していた。


「……はい。でも今はもう、魔法は使わないでください」

「ん」


 それでも心配は尽きなかったけれど、ツユリはぎゅっとゼインの手を握り返した。彼は気の抜けたように瞳を緩める。


「びっくりした。戦いすぎ、なんてはじめて言われたから」

「え」

「そんなふうに心配してもらえたこと、なかったから」


 はにかむように言ったゼインは、真実喜んでいるようだった。ゼインはそのまま、ツユリの手を捉え続けている。そろそろ離してほしい。心臓が耐えられそうにないと思っていると、ふと頭上から呼びかけられる。


「ツユリ――ありがとう」


 満足した様子のゼインに、彼はこれからも戦い続けるのだと思い知らされた。

 ツユリはそれが悲しくて引きとどめる力になりたいと願う。気付けば、自覚したばかりの想いを口にしていた。


「ゼインさま、好きです」

「…………え」

「村で助けてもらったあの夜から、ずっと、ずっと好きでした。だから」


 それ以上は続けられなかった。

 ゼインがツユリに一歩近づいたからだ。

 淡い銀髪も、間近の瞳も、月光を浴び、まるで人ではないみたいだった。ああだからこの人は魔の力が強いのだろうか。静かな声が耳朶を打った。


「俺もきみが好きだよ。いつも一緒にいてくれて、励ましてくれて、本当にありがとう」


 額をあわされる。ゼインの炎のような魔力を感じた。


「――ツユリ、愛してる」


 顔を傾けられる。はじめての口づけは、頬にそっと触れるだけのものだった。



 ――こうしてふたりは恋人となり、いつまでも仲良く暮らしました。めでたしめでたし。


 御伽話なら、そこでおしまいとなる。はずなのだけれど――――これは現実で。ツユリの場合、そうはうまくいかなかった。



 その半年後。

 ゼインを夢中にさせる魔術師が現れてしまったからだ。




 * * *


「ツユリ」


 優しい声はいつもと同じだ。少し低くて掠れていて、だけど耳に心地いい。


「ここにいたの、探したよ」

「ゼインさま」


 薬草を摘む手を止めて立ち上がる。

 ぽかぽかの陽気に包まれた温室に、真っ白なローブをまとったゼインが足を踏み入れてくる。


「おや、精が出るね」

「はい」


 ツユリの抱える籠いっぱいの花草を見て、ゼインは笑みを深くした。

 ミモザにタンポポ、シロツメクサ――異界から取り寄せた植物たちは、それぞれが特別な薬となる。そうしてその調合は、ツユリの一等得意とするところだった。


「騎士さまたちから急ぎのご依頼があって――ゼインさまは……また、お出かけですか?」

「ああ」


 言いつつゼインが片手を伸ばし、ツユリの頭を一撫でする。


「東の村が荒らされていてね。数日はかかると思う」

「……そんな」


 ツユリは思わず眉をひそめた。

 

(昨日戻られたばかりなのに……)


 見上げたゼインの顔色は悪い。肌は白いし、目の下にはくまもある。連日魔物の討伐が続いているせいだ。一日でもいい、休んでほしい。けれどそんなことは言えない。今この時でさえも、東の村の人々は脅威に怯えているからだ。

 せめて明るく送り出そうと、ツユリは努めて笑顔を浮かべる。


「ご無事をお祈りしております。あの、もしよろしければこちらをお待ちください」

「これは?」

「新種の茶薬です。わたしが作りました。気分も落ち着きますし、疲労にも効ーー」

「必要ない」


 遮るように割り込まれ、ツユリは(でた)と辟易した。

 ゼインの背後に控えていた長身の男が、不機嫌も露わに見下ろしてくる。


「余計なことをするな。ゼインさまはお忙しいんだ」


 名門アジェラント家の長男にして高位魔術師である青年――シェイル・アジェラント。

 半年前、ゼインの配下となった人物だ。


 薄茶の髪に赤茶の目。端正な顔立ちはあまく魅力的で、世の女性を惹きつけて止まない。


 しかしそんな彼に、ツユリはひどく嫌われていた。

 理由は単純。

 ツユリが、彼が敬愛して止まないゼインの恋人だからだ。シェイルは、ゼインの恋人が平凡な魔術師であることが許せないのだ。


 冷ややかな視線を受け、ツユリはたじろぎそうになる。


「で、ですが」

「ゼインさまも俺も、先ほど聖女さまから加護を受けたばかりだ。そんなもの必要ない」

「ああ、そうだね。でも、これはいただいておくよ。ありがとうツユリ」


 言ってゼインは、ことさら優しく微笑む。ツユリはそれだけで心が満たされそうになった。


「お早いお帰りをお待ちしております」

「うん、ありがとう。きみも絶対に城の外にでるのじゃないよ。結界の中なら安全だからね」

「はい」

「いい返事」


 柔らかく微笑うゼインの手が離れていく。次に会えるのはいつだろう。

 思うツユリの心など知らず、ゼインは早々に表情を切り替えた。笑顔が消え、魔術師の顔になる。


「待たせたね、行こうか」

「はい」


 連れ立つふたりが出ていく一瞬、ツユリは、シェイルに強く睨まれる。ゼインは気づかないだろう角度で。


 温室にひとり残ったツユリは、嵐のようだった訪問に小さく息をこぼした。


「はあ」


 あの人は、いつになったら認めてくれるんだろう。


 シェイルがゼインの直下に配属されて半年――ゼインがツユリに構うたび、彼の態度は悪化していった。

 挨拶は無視されるし、すれ違っただけでも睨まれてしまう。まるで、ゴミクズでも見下ろすような眼差しで。


 正直ツユリは彼が苦手だ。会いたくないし、話だってしたくない。


 けれどそれは不可能だった。

 シェイルはゼインの右腕で、何より、ゼイン本人がシェイルのことをとても気に入っている。


 話題だって、最近は専らシェイルのことばかりだった。


『シェイルの魔法には無駄がないんだよ』とか。

『シェイルが来てから仕事が楽になったんだ』とか。

『もうあの子がいないのは考えらない』……だとか。


 シェイルは、評判以上に優秀な人なのだろう。


(だったら、わたしが認めてもらうしかないのよね)


 うん、とツユリは思い直す。ゼインとの明るい未来のために、シェイルと仲良くなってみせる。


 そう意気込んだツユリは、腕まくりをし、目下の仕事に取り掛かることにした。



 

 ――しかし、出鼻とはくじかれるもので。

 その数日後、ツユリは早速心を折られかけていた。


「聞いたぞ。おまえから弱っていたゼインさまに迫ったそうだな。……さぞ迷惑だったろうに。ゼインさまの優しさに漬け込んで、性悪な女だ」

「なっ……」


 東の村の救援から戻ったシェイルは、汚れたローブもそのままにツユリの元にやってきた。朝方、魔術棟に出勤したばかりだったツユリを「ちょっとこい」と裏庭に呼び出したのだ。


 爽やかな朝の風が吹き抜ける中、開口一番突きつけられた罵詈雑言に、ツユリは思わず眉を寄せる。身分も忘れて、つい言い返していた。


「あの……っ! わたし迫ってなんかいません!」

「ああ、そうだな。おまえに色仕掛けは無理だろうからな」


 痩せ気味の体を一瞥され、ツユリは両腕で胸元を隠した。しかしシェイルはものともしない。


「――となると泣き落としか。そうだろ?」

「違います!」


 いくら気に入らないからといったって、こんな一方的な侮辱、許されていいはずがない。けれど彼は貴族であり、魔術師としての地位もはるか上で、ゼインの大切な部下だ……。

 ツユリはぐっと不満を堪える。


(仲良く、仲良く……)


 自分に言い聞かせ、目の前で偉そうに腕組みをしているシェイルを見返す。


「あ、あの……」

「なんだ」

「……シェイルさまがわたしを、その、お気に召されていないことは存じております。ですがわたしも魔術師の端くれです。薬師として新薬の製作にも携わっていますし、騎士さま方からの依頼も増えました」

「それで?」

「だから、その。ゼインさまの隣にいることを、もう少し、お認めいただけないでしょうか……」


 沈黙が訪れる。


 ツユリは精一杯、言葉を尽くしたつもりだった。

 歩み寄れるように。許してもらえるように。

 けれど。


 シェイルは冷たく目を細めたまま、心動かされた様子はない。


 それどころか、さらに忌々しそうに睨みつけられる。


「――ゼインさまはお忙しいのに、おまえのことばかり気にかけている」

「え……」

「こないだだってそうだ。時間がないというのに、おまえに会うとおっしゃって聞かなかった。それで集合に遅れて、騎士の奴らに嫌味を言われた」

「……こないだって、温室に来てくださった時の?」

「そうだ」

「…………知らなかった」


 ゼインは生来、おっとりした性格をしているようで、慌てたところや怒ったところを見たことが一度もない。それでもツユリは、多忙な彼のことをもっと気にかけるべきだったのだ。


「……気がつかなくて、ごめんなさい」

「反省しているのなら、身の振り方を考えろ」

「身の振り方って……?」

「……ゼインさまに縁談があがっていることは知っているか?」

「……」

「それくらいは知っているようだな。――まぁ、そういうことだ」

  

 言ったシェイルの腕に、一筋、赤い線が走っていることに気がつく。


「……それ」

「ん? ああ、これくらい、別に大したことはない」


 東の村で、魔物と対峙した際にできた傷のようだった。攻撃魔法はゼインに次ぐと言われているシェイルも、自己治癒は得意ではないらしく、よくそうしてあちこちに怪我を作っていた。


「治しましょうか? それくらいならわたしも」

「胡麻擂りか?」

「ちが」


 言いかけたツユリの背後で、草を踏む音がした。シェイルの表情が俄かに固くなる。


「どこに行ったのかと思えば、何をしているんだ。シェイル」


 聞き間違えるわけもない恋人の声に、ツユリはぱっと後ろを振り向いた。


「ゼインさま……っ」

「ただいま、ツユリ」


 寄ってきたゼインのローブも、シェイルほどではないが土と血で汚れていた。


「お帰りなさい、お怪我は?」

「俺はないよ、大丈夫。――それよりシェイル、早くおいで。聖女さまが待っている」

「は……っ」

「全く。そんな体でうろつくものじゃないよ。どれだけ心配したか」

「申し訳ございません」


 気落ちしたシェイルに寄り添うと、ゼインはすまなさそうにツユリを見やった。


「邪魔したね、ツユリ」

「い、いえ……」

「落ち着いたらまた来るよ」

「……はい」


 さわさわと風が鳴る。

 ゼインは以前と変わらず優しい。でも。


「シェイル。痛むところはない? 熱は?」

「ありません」

「本当に? ……はぁ、俺なんか庇うからだよ」

「そんなことおっしゃらないでください。あなたは唯一無二の存在です」

「はは、ありがとう」


 シェイルを連れ、ゼインはゆっくりと聖女さまのいる塔のほうへと向かっていく。



 ――この半年で生死を共にするふたりの絆は、目に見えて強くなっていた。



 ツユリの入る隙などないほどに。



「身の振り方を考えろ」――先ほど言われた冷たい声が、心の深い場所に根付く。


(わたしが、ゼインさまのためにできることは何かしら)

 

 ――ツユリはゼインのそばにいたくて、両親に無理を言い、都の魔法学校に通わせてもらい、必死の思いで魔術師になった。恋人になれた経緯も、「ツユリから迫った」と言われれば否定できない。すべては、ツユリの強い意志の結果だった。


 それでも付き合いはうまくいっていると思っていた。ゼインは部屋にも招き入れてくれるし、短い時間でも会おうとしてくれるから。


 けれどこの頃は出陣のない日でも、シェイルと過ごしてばかりいる。魔術の特訓だとわかっているから、やきもちを焼いたことはない。でも、寂しさは募っていた。


 もしかしたらわたしは、心配するふりをして、ゼインさまを独り占めしたかったのかもしれない。


 自分の烏滸がましさ、浅ましさに気づき、ツユリは両手で顔を覆う。こんな醜い心、絶対に知られたくない。


「……ゼインさま」


 呼んでも、彼は戻らない。

 傲慢さに打ちのめされ、ツユリはその場にうずくまる。

 ゼインの隣にいられるシェイルが、羨ましくてたまらなかった。だから――







 ――ぽたぽたと、血が落ちる。

 鼻から出たそれが口に入り、やっとツユリは正気を戻した。


「わ、まずい」


 魔力切れだ。

 ツユリは慌ててハンカチを取り出し、鼻と口を急いで覆った。誰もいない時間でよかった。ホッとしながら、少し休もうと椅子に腰掛ける。


 そこは魔術師専用の演習棟だった。

 攻撃魔法を放っても周囲に害が出ないように結界を張られているため、魔術師は思い切り訓練ができるというわけだった。


「うーん、もっと効率よくできる方法はないものかしら」


 ツユリはそこでひとり、攻撃魔法と防御魔法の練習をしていた。

 魔術書をめくりながら、うんうんと唸り続ける。


 と、その時。


「ツユリ……!」


 勢いよく扉が開かれ、血相を変えたゼインが現れる。


「え? ゼインさま……?」


 どうして、と問う間もなくツユリは抱きしめられていた。その力のあまりの強さに、ツユリはきゅっと目を瞑る。


「い、痛いですゼインさま」

「痛い? どこを怪我したの、見せて」

「や、怪我じゃなくて」


 体を離され、蒼白な顔色をしたゼインに全身を見聞される。


「ツユリ、血が……!」

「あ、これは違うんです。ただの魔力切れで……あんまり見ないでください」


 慌てて顔を覆い、ツユリは背中を丸める。


「魔力切れ……? ……どういうこと? というか、こんな時間にこんな場所で、何をしてたの」


 困惑気味に尋ねられ、ツユリはそっと視線を逸らす。


「………………と、特訓を」

「特訓?」


 さらに不思議そうに首を傾げられる。

 ツユリは顔の下半分を両手で押さえたまま、ぼそぼそと打ち明けた。


「その、もっと攻撃魔法も上手くなりたくて……」


 ――これでも必死に考えたのだ。ゼインの恋人でい続けられる方法を。


 シェイルにはきっと呆れられるだろう。

 でも、やはり、ツユリにはこれしか思い浮かばなかった。


「……今度の、上級魔術師の試験を受けてみようと思うんです」

「……どうして……薬師なら今のままで十分」

「わたしも前線に……ゼインさまと一緒に働きたいからです」

「……は」

「すぐには難しいかもしれませんが、薬師の知識もあれば、遠征でもお役に立てるんじゃないかと」

「ツユリ」


 ふたたび、強く抱きしめられる。ゼインの鼓動を直に感じ、ツユリはその心拍の速さに驚いた。ゼインも人の子だったのだ。


「寿命が縮んだ。きみのせいだ」

「!」

「先に言っておく。きみを前線には行かせない」

「え」

「上級魔術師を目指すのはいいと思う。応援するよ。でも、遠征は許可できない。あの場に、きみには向かない」


 戦場の悲惨を目の当たりにしているからだろう。ゼインは苦しげに言った。


「……ゼインさま」

「きみは言ってたよね。俺が怪我をすると嫌だって、心配だって。俺もおんなじ気持ちなんだ」

「でも」

「お願いだ、ツユリ。きみは城にいて」


 懇願するように言ったゼインが、腕の力を緩め、ツユリを覗き込む。

 ゼインの権限があれば、ツユリを前線に行かせず止めおくことは簡単だ。けれどゼインは、願うようにツユリを見つめる。


 その瞳はずるい。

 ツユリは逃れるように頷いた。

 するとゼインは、ようやく安堵したように頬を緩める。


「……それにね、きみの薬はとてもよく効く。前線なんかに連れて行ったら、俺がきっと怒られるよ」

「そんな」

「いや、本当に」


 言ってゼインは水の魔法で自分のハンカチを湿らせると、ツユリの顔を拭き始めた。


「ゼ、ゼインさま、自分で」

「駄目。魔力が切れるまで練習してたの?」

「…………申し訳ありません」

「いいよ。二度としないなら」


 よし、綺麗になった、とゼインは柔らかく微笑む。

 

「約束できる?」

「……できます」

「いい返事」


 笑ったゼインが両目を細める。


「あ、でもゼインさま。どうしてわたしがここにいるってわかったんですか」

「え? だって、誓約のまじないをかけてるじゃないか」

「ああ、あれ」


 そうか、とツユリは頭を抱える。魔力切れも、身の一大事であることに変わりはない。本当に気をつけようと、ツユリはぎゅっと拳を握った。だってゼインの方は約束通り、あれから一度も身を危険に晒していないのだから。


 と、そこへ偶然か謀ったのか、演習着姿のシェイルが姿を現す。


「ゼインさま、もういらしてたんですね……って、なぜおまえもここにいる」

「シェイルさま……!」

「シェイル、前にも言ったけど、ツユリをおまえと呼ぶのはやめてほしい」


 時計の針はもう深夜をまわっている。

 なのに、彼らはこれから稽古をするというのだろうか。


「ツユリも見ていくかい? きっと勉強になるよ」

「! はい……! ありがとうございます!」

「なぜですかゼインさま! そんな薬師」

「今度の昇格試験を受けるみたいだから、俺も協力したくて。いいだろう?」

「…………わかりました」


 苦虫を潰したような顔でシェイルは頷く。しかし演習棟のそこかしこに、ツユリの魔力の残滓が漂っていたからだろう。少し、ほんの少しだけ、その態度が緩やかになった気がした。


「おい、邪魔はするなよ」

「はい……!」

「ツユリはこっちにおいで」


 ゼインに呼ばれて、彼の後ろで待機する。次元違いの演習が始まった。






 * * *


「おまえは神に選ばれた子だ」


 そうゼインが告げられたのは、まだ物心ついたばかりの頃。孤児院に引き取られた夜だった。


 魔力量を検査され、その膨大な量に、魔術師たちはざわめいていた。


 これできっと世界は救われる。そう、喜ばれた。


 ゼインは水や炎、風といった自然現象を自由に操ることのできる魔術が好きだったし、だから勉強にものめり込んだ。新しい魔術を編み出すたび、周りの魔術師や友人に喜ばれるのが嬉しかった。

 

 だから率先して、戦場にも身を投じた。


 どれだけ疲弊していても、足元がおぼつかなくても、両親に捨てられた自分にはそれしかないのだと思って。縋りついた。


 けれどあの子は、ツユリはそんな自分を心配してくれた。戦わなくていいと、戦わないでほしいと言ってくれた。驚いたけれど嬉しかった。ただ食事をしているだけでも彼女は笑ってくれるから。いつまでもそばにいてほしいと願った。




「シェイル、足元」

「!」


 炎の塊を打つ。シェイルがもつれながら避ける。そこへすかさず氷の刃を放つ。光の盾で防がれる。


「…………」


 背後でツユリが言葉を失っているのがわかった。

 厳しすぎる……と思われていないだろうか。


 でも、シェイルには一刻も早く成長してもらわなければならないから、ゼインは指導の手を緩めない。そのために、彼との稽古を優先しているのだから。

 

 シェイルもきっと、神に選ばれた子供だ。


 この子の実力なら、そのうち自分を追い越してくれるだろう。そうなればゼインは、晴れて最強の肩書きを下すことができる。煩わしい縁談も自ずと消えていくだろう。


 シェイルの攻撃魔法がゼインの頬を掠める。


 冴えわたる、いい魔術だった。 


「ゼインさま! だ、大丈夫ですか」

「うん、平気」


 ツユリに笑みを返し、近い未来を待ち遠しく想った。



 


 おしまい

読んでくださりありがとうございました☺︎

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― 新着の感想 ―
なろうでは少ないですが、こういう余韻が残る感じの小説は想像力が捗って大好きです❤️これから溺愛がひどくなるのだろーなー☺️
設定がありそうなのに、展開が全部中途半端で残念でした。
途中で終わってます?
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