第一六夜「星影の別れと再会」
焚火は細く、朱に染まった炎が夜気に震えている。枯れ木がときおり弾け、星の光と火の粉が交錯する。風は止み、森は息を潜めたように静かだった。
老子は粗い布の袖を正すと、イエスに視線を向けた。彼の皺深い手が杖を握りしめる。「そろそろ時が来たようですね」
イエスの白い衣が焚火に照らされ、その輪郭だけが浮かび上がる。彼は微かに頷き返した。「また会いましょう、別の場所で」
イエスは砂を払うように立ち上がり、火の温もりを一度だけ胸に抱いた。その目は炎より深く燃えていた。
「あなたがたの中に、ひとつの光がある。それを消さぬように。」
言葉を残し、彼は振り返らず、露に濡れた草を踏みながら、来た方向とは反対の、夜の奥へと姿を消した。
老子もまた、節くれ立った指で杖を掴み、そっと立ち上がった。杖を一度だけ地にトンとつくと、石がぶつかるような乾いた音が鳴った。
「流れることを恐れるな。水もまた、道を創る。」
彼の影は細長く地面に伸び、ほとんど音を立てず、イエスとは別の方角、東の暗がりへと溶けていった。
ガリレオは火を見つめたまま、指先で頬の髭をなでていた。彼の目は赤く縁取られ、炎の反射が瞳に踊っている。ソクラテスは彼の表情に刻まれた深い思索の跡を読み取ろうとしていた。
「彼らは去っていく」ソクラテスはつぶやき、壊れた木片を火中に投げ入れた。「しかし、言葉は残る」
ガリレオはゆっくりと顔を上げ、夜空を仰いだ。無数の星々が、青い瞳に映り込む。「私たちの言葉など、星の光に比べれば儚いもの」
「それでも、光は光」ソクラテスは言い、火を掻き混ぜた。「たとえ小さくとも」
「疑うことを教えてくれたのは、あなただった」ガリレオはソクラテスを見つめ、風化した石のような彼の顔に目を留めた。「その疑いが、私を星々へと導いた」
「疑いは知恵の始まり」ソクラテスは頷き、額の深い皺が動いた。「だが、その先にあるものは何か」
ガリレオは関節の音を立てながら立ち上がり、傍らに置いてあった大きな望遠鏡に手をかけた。木と真鍮で作られたその器械は、人一人が担げるほどの大きさはあるが、彼にとっては愛おしい荷物だった。磨き上げられた筒は、星明かりに鈍く光っている。
「それを知るには、まだ私は若すぎる」彼は微笑み、深い溝のある額に月光が落ちた。「それでも…」
そして少し間を開け、彼は重い望遠鏡を肩に担いだ。足音を殺すように歩き出す。だが、少し離れたところで、背を向けたまま振り返らず、一言だけ残した。
「それでも、問いは動く。」
彼の後ろ姿は、やがて夜の帳に飲み込まれていった。残されたのは、砂地に刻まれた足跡のみ。
焚火の周りには、ソクラテスただ一人が残される。火の光に照らされた彼の顔は、古代の石像のように深い陰影を帯びていた。
静かに、彼は消えかけの火を見つめながら、ぶつぶつと独り言を呟く。その声は、夜の静寂にかき消されそうになる。
「……誰も”答え”を持っていなかった。誰も”正義”を叫ばなかった。だが、なぜだろう。この火は、まだ……あたたかい。」
ふと、草の擦れる音がする。ソクラテスは振り返った。月光の下、そこには——仏陀が、再び立っていた。彼の姿は月の光を宿し、柔らかな影を地面に落としている。
仏陀は立ったまま、静かに微笑んでいる。焚火の名残りの光が彼の穏やかな顔を照らし、目元に刻まれた笑いの跡を浮かび上がらせていた。
「……それでも、問い続けておられるのですね。」