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火に問う  作者:
15/17

第十五夜「星影の善悪論」

焚火の炎が揺らめき、四人の哲学者たちの顔に温かな光を投げかけていた。先ほどの愛についての対話から、しばらくの静寂が流れていた。イエス、ソクラテス、ガリレオ、そして老子—彼らはそれぞれの思索に耽っているようだった。


「先ほどの愛の話から考えると」ソクラテスが静寂を破った。「善とは何か、悪とは何か、という問いにも通じるものがあるのではないでしょうか」


イエスは穏やかに微笑んだ。「愛と同じく、善もまた与えることから生まれる。他者の幸福を願い、行動すること」


「しかし」ガリレオは焚火に小枝を投げ入れながら言った。「あのジャックという男のことを思い出さずにはいられない。彼は去り際に何と言ったか。『私も愛のために殺した』と」


一同は沈黙した。先日、彼らの対話の輪に突如として現れたジャックザリッパー。その冷酷な目と、残虐な行為を正当化しようとする言葉は、今も彼らの記憶に鮮明に残っていた。


「彼の言う『愛』とは、歪んだ欲望だ」イエスは静かに、しかし力強く言った。「真の愛は破壊ではなく、創造をもたらす」


老子は杖で地面に円を描きながら言った。「善と悪は、陰と陽のように互いを定義する。光があるから影がある。しかし、その境界は私たちが思うほど明確ではない」


「どういう意味ですか?」ガリレオは老子を見つめた。


「同じ行為が、時と場所によって、善にも悪にもなりうる」老子は答えた。「水は命を育み、時に命を奪う。強さも同じこと」


ソクラテスはあごに手を当て、考え込んだ。「では、善悪を決めるものは何か。それは結果か、意図か、それとも…」


「両方だ」イエスは言った。「心に蒔かれた種が、行動という木を生み、結果という実を結ぶ。すべてはつながっている」


「ジャックは自分の行為を愛と呼んだ」ガリレオは言った。「しかし、彼の目には恐ろしい空虚があった。彼は自分自身の中に何かを埋めようとしていたのではないか」


「欠けたものを外に求める者は、永遠に満たされない」老子はうなずいた。「道を見失った者は、より激しく走るほど、さらに迷う」


「私が教えた愛は、十字架の上でさえ与え続けるもの」イエスの声は柔らかかった。「『彼らをお許しください、彼らは何をしているのか分からないのです』と」


ソクラテスは深く頷いた。「赦しもまた、善の形だ。しかし、悪を赦すことは、悪を容認することとどう違うのか」


「赦しは過去を解放し、新たな可能性を開く」イエスは答えた。「容認は未来の悪を許す。その違いは大きい」


「私の時代、教会は真理を容認しなかった」ガリレオの目は遠くを見ていた。「彼らは善のためと言いながら、知識を恐れた」


「知への愛と同じく、善への愛も時に盲目になる」老子は言った。「自分の正しさを信じるあまり、他者の痛みを見ない者がいる」


焚火がはぜ、火の粉が星空へと舞い上がった。


「善とは何か」ソクラテスは再び問うた。「それは普遍的なものか、それとも時代や文化によって変わるものか」


「善の形は変わるかもしれない」老子は言った。「しかし、その本質—調和、バランス、そして自然の道に沿うこと—それは変わらない」


「私にとって善とは、神の意志に従うこと」イエスは静かに言った。「それは愛であり、慈悲であり、正義だ」


「しかし、神の意志を解釈するのは人間」ガリレオは指摘した。「そして人間は間違える。教会は私の発見を異端と呼んだが、星々は嘘をつかない」


「だからこそ、知恵が必要だ」ソクラテスは言った。「無知を自覚し、問い続けること。それなくして真の善は見つからない」


「ジャックは自らを善だと信じていた」イエスは悲しげに言った。「彼は『罪深い女たち』を『浄化』していると。それこそが最も危険な悪—自分の行為を善と思い込む悪だ」


「では、私たちはどうやって自分が本当に善を行っているか知るのか」ガリレオは問うた。


老子は微笑んだ。「行為の後に残るものを見なさい。平和か、混乱か。調和か、分裂か」


「そして、それが自分のためか、他者のためか」イエスは付け加えた。「真の善は自己を超える」


「先ほどの愛の対話で言ったように」ソクラテスは思い出した。「愛なき知識は冷たく、知性なき愛は盲目だ。同じことが善にも当てはまる」


「知恵なき善は、時に最大の悪となる」老子はうなずいた。


焚火の周りに静寂が戻った。彼らはそれぞれの思索に沈んでいた。やがて、ガリレオが望遠鏡を取り出し、星空に向けた。


「星々は、私たちの善悪の概念を超えて輝いている」彼は言った。「宇宙の法則は、私たちの道徳観を気にかけない」


「だからこそ、私たちは道徳を持つのだ」イエスは優しく言った。「星々は選択できないが、私たちは選べる。善を選ぶか、悪を選ぶか」


「そして選択には責任が伴う」ソクラテスは深くうなずいた。「自分の行いの結果を引き受けること」


老子はゆっくりと立ち上がり、夜空を見上げた。「最高の善は水のようなもの。すべてのものに恵みを与えながら、争わない。誰もが避ける低きところに身を置く」


「謙遜もまた、善の形だ」イエスは同意した。「高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」


彼らの対話は夜が更けるまで続いた。善と悪、光と闇、愛と恐れについて。彼らの言葉は星の光のように、闇の中で輝いていた。


そして、東の空が少しずつ明るくなり始めたとき、ソクラテスはつぶやいた。「私たちは答えを見つけたでしょうか。善とは何か、という問いに」


イエスは微笑んだ。「愛と同じく、善もまた問い続け、求め続けることの中にある」


「そして行い続けることの中に」老子は付け加えた。


ガリレオは望遠鏡をそっと置いた。「ならば夜明けとともに、また新たな問いと向き合おう」


焚火の最後の炎が消えゆくとき、朝の光が彼らの顔を照らし始めていた。善と悪の境界は、夜と朝の境目のように、明確でありながらも、どこかぼんやりとしていた。

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