第一話・始まり
黒い煙を吐き出しながら、鉄橋を汽車が走る。
”特別監察官”として、帝国の国境地帯を訪れるのは、これで四度目だ。私の仕事は読んで字のごとく、“監察”。人呼んで“ネズミ”、少しマシな言い方だと“内偵”だ。帝国―正式名称は「ヴァイツェン立憲帝国」―は私の生まれ故郷であり、なおかつ愛すべき祖国だ。しかしながら、これから向かう西部国境地帯の“国民”は必ずしも私のような模範的市民ばかりではない。
帝国の西部国境は「共和国」との戦争の末、帝国に割譲された土地であり、現地人の感情は到底友好的とは言い難い。
更に悪いことに、厭戦気分の高まりで徴兵制を廃した帝国は人手不足に陥り、西部国境の守備隊に現地人を大量に採用している。その結果、本国から派遣された上官との対立が日常茶飯事となり、国境警備の業務に支障が出始めている。
私の仕事は現地出身兵のうちで特に“反抗的”な危険分子を見つけ出して本部に報告すること。電報で報告しようにも、通信隊にすら現地人を採用したためにわざわざ私が汽車を乗り継いで帝都にある司令部まで直接報告するという状態だ。
西部のひんやりとした空気がプラットフォームを包んでいる。以前は焼け焦げた駅舎が放置されているような状態だったが、少しばかりは復旧が進んだようで、ひしゃげた鉄骨がひとまとめに並べられている。
「少尉。お迎えにあがりました。」
張りのある声で呼びかけられ、制服の皴を気にしながら振り向く。グリュー軍曹は私の西部での付き人で、不慣れな私がふらふらと地雷原に迷い込んだりせぬよう、案内をしてくれる。彼は三年前に採用された、現地採用組では最古参になる。
「ありがとう。今日は司令部に寄るだけだから迎えはいいのに。」
「いえ、万が一があってはなりませんから、ご一緒します。」
非常に真面目な彼は、恐らく私が帝都から来ようが、共和国から来ようが全く気にせず粛々と為すべきことを為すのだろう。理想的な軍人だ。
「そう。それじゃあ朝ごはんを先に食べようかな。この辺りでレストランかカフェはあるかしら。」
「少尉のお好みに合うかは分かりませんが、この辺りでは駅舎通りのカフェが一番上等です。」
軍縮真っ最中の我が国では少尉といえど、決して余裕はない。何なら付け届けのある下士官の方がベルトにぜい肉をめり込ませるくらいだ。とはいえ他に店があったとて味は値段相応かそれ以下だ。西部への物資は一番優先順位が低いため、密輸でもしない限りはまともな食事にはありつけない。
「いいわ。じゃあそこに行きましょう。」
「分かりました。ご案内します。言い忘れていましたが、一つ注意点が。」
と、一呼吸置いた彼の顔が曇る。
「店主は戦争で娘さんを亡くされました。なるべく本土のアクセントは抑えて下さい。」
よくあることだ。こちらが軍服を着て、腰に拳銃を差していなければ厨房から包丁を投げつけてくるような人間が西部にはうじゃうじゃいる。とはいえ、経済が崩壊した西部で一番の高給取りは、私の目の前にいるような現地採用の軍人なのだが。
駅を出てすぐ目の前に店はあった。火災の痕が壁に残っているが、店内は綺麗に整えられている。
「すみません。水と、あとランチの日替わりを。」
注文を聞くと店主はすたすたと厨房に戻り、鍋をがちゃがちゃ言わせながら準備に取り掛かる。昼の真ん中というのに、店内には私たちだけだ。テーブルクロスもどこか埃っぽく、何週間も使われていないであろう日焼けしたメニューが無造作に放り出されている。
「ここは昔からこんな感じ?」
「いえ、戦争前は予約で二か月先まで埋まっていました。」
「そう。」
かちゃり、かちゃりと食器の音だけが響く。
西部国境司令部は車で三十分、運河のほとりの要塞の地下にある。
「おお、本部の、ええ、はい、もちろん聞いております。奥へどうぞ。司令がお待ちです。」
年若い番兵は私の顔を見ると慌てて名簿を手繰り、鉄製の防空壕へのドアをぎいぎいと引いた。
「・・・戦争は終わったのに、こんな穴倉暮らしとはね。」
何度も足を運んでいるはずなのに、愚痴をこぼさずにはいられない。地下へ続く階段は湿っぽく、踏みしめるたびに靴底に絡みつくようだ。地下一階、階段を降りて右側の部屋から司令の声が聞こえる。取り込み中だろうか、と思って首をひょいと覗かせると、陽気な大佐の顔がこちらを向く。
「おお、ご苦労さん。少尉、そこへかけてくれ。」
ローゼンベック大佐は私の西部国境での上官にあたり、帝都にはごくまれにしか戻らない。少尉風情が帝都への報告のほとんどを担っているのも、彼の面倒くさがりを私一人で引き受けているからに他ならない。
「帝都はどうだった?相変わらず窮屈だろう、あそこは。」
と、大佐は私の苦労を吹き飛ばすように煙草をすぱすぱ吸っている。配給が滞っているからと、わざわざ帝都から持ち込んでいるそうだ。その熱意を仕事に振り向けて欲しいものだが、彼も軍縮のあおりを食って随分と肩身が狭いらしい。
さて、私は別に探偵ごっこだけをしに来たわけではないし、ましてや彼の副流煙を味わうために来たわけでもない。一呼吸置き、本題に入る。
「本部からの指示がいくつかありますが、まずは口頭で報告いたします。」
「おう、本部のお偉いさんは何だって?」
「結論から申し上げますと、西部国境地域への入植者の選定基準が再検討に入り、移送完了までは我々に基準が公開されることはありません。」
「いつものワンマンだ。他には?」
「他は些末なことです。先日の内偵調査の結果に基づき、三名の下士官の処分の許可が下りたのと、今日からの一週間の内偵は一か月に延長とのことです。」
「相変わらずスパイごっこが好きだな、あいつらは。」
報告を聞きながらも、大佐は心ここにあらずといった様子で古びた灰皿に煙草を押し付け、壁に並ぶ勲章と古地図に目をやっている。戦争以来、ずっと西部国境に張り付いている大佐からすれば、自分の身内を疑うことには気が進まないのだろう。
「報告は以上です。」
「ああ、ご苦労。旅の疲れもあるだろう。慌てずゆっくりやってくれ。」
階段を上がり、少しばかりさっぱりした地上の空気を肺に吸い込む。
「ここは規律がちゃんとしてるね。本部にも見習ってほしいよ。」
皴一つない制服を身に纏い、てきぱきと働く集団を見ながら思わずこぼしてしまう。軍縮の影響で失業した軍人の処遇は、全国規模の問題だ。規律の低下と治安の悪化が各地で報告される中、不安定な西部国境地帯でここまで規律立った部隊統制ができている。さすが、あの大佐も戦争を生き抜いただけはあるな、と思う。
「少尉、この後はどうなさいますか?」
地下に入ってからずっと黙っていたグリュー君がようやく口を開く。
「せっかくだし、運河施設をちょっと見ていこうかな。」
「かしこまりました。車を回します。」
ここ西部国境地帯は北方の大港湾へつながる運河を中心に構成されており、帝国南部の工業地帯からこの運河を経由して北方の商業連合の港湾から世界に輸出する、文字通り帝国の大動脈だ。先の戦争も、共和国との運河使用権の紛争がきっかけだった。車窓から見下ろす大運河も、戦後三年が経過したとは思えない侘しさだ。南部の工業も政府から民間への移管が終わったばかりであり、まだまだ輸出できるほどの回復には程遠い。
じゃり、と川岸に降り立つと、眼下には幅50mはあろうかという運河が広がっている。戦前、まだ共和国と帝国が蜜月関係だったころ、この運河を跨ぐ鉄道の建設計画があったそうだ。対岸の共和国領にはちらほらと人が居るものの、はしけのようなものを担ぐ民間人ばかりで軍人は少ない。
「彼ら、毎日夜になるとこちらに渡ってくるんです。密輸、というか、闇市ですね。」
同情するような、憐れむような、そんな目を投げかけながらグリュー君が対岸を見つめる。まともに配給が来ない以上、こういった不正が増えるのは必然だ。本来なら本部に報告すべきだが、それで事態が改善するとは思えない。
二人で川岸に立っていると、オートバイがこちらに向かってくる。
「少尉、帝都から電報です。」
くしゃくしゃになった電報を懐から取り出して差し出す。電報とは、よほど緊急の要件のようだ。
「少尉。席を外しましょうか。」
やはり、彼は真面目だ。
「ええ。ごめんね。」
薄い電報を破らぬよう、気を使って電報を広げる。
<軍需省 本部 特別機密 西部 国境関係>
:第一回移送
・人数は1000名/日
・西部国境地域との境界線(旧国境)は明朝より封鎖される
・内偵を一時停止、至急帝都に帰還せよ
・西部国境地域と共和国の境界は共和国軍との共同警備とする
・あらゆる手段によって西部国境地域は完全に封鎖される