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呪殺少女の帰り道

 後ろを振り返ると、腕が浮いていた。空間の裂け目から突き出るように、肩口から指先まである腕が、二本浮いている。右腕と左腕の一揃い。透明人間の双腕だけが露わになったような、みっともない浮遊物。まだ距離を詰められてはいない。

 私は眉をひそめ、舌打ちした。クソ忌々しい。だれかが私を殺そうとしている。上等だ。殺意には殺意を以て応えるのが礼儀だ。それが私の優しさだ。

 私を殺そうとしているのはだれか? 十中八九、同じクラスの生徒だろう。学校と呼ばれる不快なモルモット養殖場において、私は大多数の人間から恨みを買っていた。最近はクラスメイトからの怨念がことのほかかまびすしい。そのなかにまぎれている私と同じような呪者が、生意気に牙を剥いたのだろう。

 ゴギブリは、一匹見かけたら数十匹いると俗にいう。社会のいたるところに遍在してうごめく汚れた眷族ども。私の同類。こそこそ物陰にだけ隠れていればいいものを。我が物顔でこちらの縄張りに侵入してきた害虫を、私は決して許しはしない。何匹いようが手当たり次第にぶち殺すだけだ。

 私は学校まで歩いて通っていた。家から近いというほどではない。それなりの距離はある。だが、歩くのが好きなのだ。歩いているといろいろな発見がある。鳥居のそばに落ちた藁人形。犬小屋に塗りたくられた経血。道路の白線に刻まれたルーン文字。見える者には見える、愉快な魔の痕跡。こころ温まる通学風景だ。鳥の糞からゴーレムを造ったりと、私も戯れによく遊んだものだ。

 我が家の本棚に眠っていたウイチグス呪法典。その神聖なる書物によって私は呪いを学んだ。いわば独学だ。独学者は排斥されるのが世の常だ。私の呪いは私の個性。私の呪いは私の福音。私の呪いは私の遊戯。敵対する者は、必ず殺す。それが私なりの処世術だ。

 いまは気怠い帰り道。私の背後、十メートルほど離れた位置に、腕は間抜けに浮遊している。こちらの歩行に合わせてついてくる。腕だけのストーカー。双腕の死神。きっとその手相は白紙だろう。未来を持たない哀れな傀儡。最初から死んでいる死体。クソ忌々しい。

 私は空のネットにアクセスする。私が契約しているのは六百六十六羽の鴉。街のそこかしこで私の呪眼が目覚める。六百六十六のチャンネルが私の視界に花開く。飛行中の鴉、電線・街灯・屋根にくつろぐ鴉、欄干に佇む鴉、信号機に降り立つ鴉、ゴミ漁りに精を出す鴉、アスファルトを跳ねまわる鴉、それら六百六十六羽の鴉のつぶらな眼を借りる。

 私に向かって呪力を発信している不埒で恥知らずな呪者を探す。疑わしきは殺す。私を絞殺しようとしているのはだれだ?

 帰宅途中の同級生たちが視える。集団でぞろぞろ歩き、馬鹿笑いする男たち。こいつらではなさそうだ。自販機に蹴りを入れている女。こいつでもなさそうだ。本屋から出てきて唾を吐き捨てた男。こいつも違う。

 いた。公園のベンチで、スケッチブックを開いている女。紙に拙劣な魔法陣を描き殴り、ぶつぶつと詠唱に精を出している。市民の憩いの場で下品な殺意を放射しやがって、恥ずかしいと思わないのか? 公共空間における衛生水準の向上のためにも速やかに抹殺しなければならない。

 私は自分の眼で背後を確認する。腕は着実に近づいている。物欲しげに卑猥な指をうごめかしている。あの魔法陣によって召喚されたのだろう。殺意が存在理由とは、憐れなものだ。右の手のなすことを左の手に知らすな。だがこの双腕は同罪だ。二本まとめて仲良く葬ってやる。

 私は私と契約している六百六十六羽の鴉をスケッチブック女の公園に呼び寄せる。街の方々から私の濡羽色ぬればいろの守護天使が馳せ参じる。

 不穏な気配を察したのか、スケッチブック女はうつむけていた顔をあげた。公園の木々や街灯にいつの間にか集まっているおびただしい数の鳥を見て、ぎょっとする。恐怖に歪んだその表情を、私は六百六十六羽の眼を借りてさまざまな角度から堪能する。いい怯えだ。そのままくたばれ。

 編隊を組んだ十二羽の鴉たちがスケッチブック女に向けて急降下する。未熟な呪者未満の柔肌を好きなだけついばめばいい。

 ところが、鴉の編隊はなにかに弾かれたようにその軌道を阻まれ、悲鳴をあげて空へと引き返した。

 スケッチブック女がくすくすと笑った。こいつ、結界を張ってやがる。クソ忌々しい。鴉を傷つけられた怒りで、私の頭に血が上り、こめかみがひくついた。

 スケッチブック女は顔を伏せて、早口で詠唱を再開した。私は自分の眼で背後を見る。空中に浮かんだ双腕が、速度を増して接近してくる。馬鹿が。焦りは隙を生む。こいつももう終わりだ。

 結界は、つまるところ数式だ。この惨めな呪者未満が必死に組み上げた自慢の結界も、私が数式を鮮やかに解くことができればめでたく無効だ。こいつは発見された焦りでぼろを出した。おかげで必要なタスクをずいぶん省略できた。攻撃は最大の防御。最大の隙でもある。こいつは攻撃を焦り、失敗した。私はそんなてつは踏まない。私は私を守るために、私に殺意を向ける人間を全力で殺す。

 私は眼を閉じた。組み上げられた艶かしい糸の結界を、優しく穏やかにほぐしていく。私は首に圧を感じた。追いつかれた。恥知らずな双腕が、私のか弱い細首を締め上げようとしている。スケッチブック女の忍び笑いが聞こえる。糸は解けた。私は眼を開いた。

 ふたたび舞い降りた十二羽の鴉の編隊が、スケッチブック女の顔面を蹂躙じゅうりんした。今度はなにも阻むものはない。悲鳴があがった。詠唱が中断され、私の首にまとわりついていた双腕は、力を失ったように地面に墜落した。私はその腕を踏みつけ、指を一本一本くだきながら、呪文を詠唱し、塵になるべきものを塵へと還した。

 さて、あの女のむくろでも見に行くとするか。

 公園に着くと、私の守護天使たちは去った後だった。ベンチのそばに、魔法陣の描かれたスケッチブックと、眼をえぐり取られて上半身が血まみれの女の死体が転がっていた。夕暮れの光にさらされた死体は、絵画のように美しく、現実のように醜かった。

「ラザロ、ラザーロ、ラザロラロ!」

 私の呪文によって、死体であった血まみれの女が、ラザロのごとくに甦る。眼も元どおり、お肌もぷにぷに。私は優しい人間なので、無用な殺生は好まない。私への殺意を砕きさえすれば、あとはどうであれ好きに生きればいい。知ったことではない。もちろんいちど死ねば、魂はすでにない。だが魂のないまま生きる人間なんて、この世に腐るほどいるのだから、所詮は瑣末な問題だ。

「あら、かなえさん。いまお帰り?」

 大正時代の女学生もかくやと言わんばかりのおしとやかすぎる口ぶりで、さっきまで死んでいた女はにこやかに微笑んだ。

「ええ、帰宅中。あなたは?」

「私は……」

 言葉が途切れ、甦りたてほやほやの女は、辺りを見まわした。落ちているスケッチブックに訝しげに眼を向けて、自分がなにをしていたのか、自分が何者なのか、思い出そうと努力している。もう二度と、思い出されることはないだろう。

「さようなら、葛原真木之城くずはらまきのじょうさん。元気でね」

 私は親切にも彼女の思い出せない名前を呼んでやり、魂を喪った女に別れを告げて、自らの帰路についた。殺した後の夕暮れは、格別の淡さだった。

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