小さな幸せ
いままで書いていなかった『恋愛物』をチャレンジしてみました。
「あ、おはよ。早いね」
素っ気なく挨拶する彼女。
春人が予想よりも早く出てきたのに驚いたのか、目を大きく見開いて硬い表情をしていたが、直ぐにその硬さが取れ柔らかな笑みに変わった。
飾り気のない黒髪をポニーテールに結わえ、見る人によってはキツい印象となるようなちょっとつり目がちな瞳が特徴的な少女がそこにいた。
この女性こそが、春人の幼馴染であり、初めての恋人である桜庭 七海である。
「おはよう。 ……七海」
やっと言い慣れて来た下の名前で彼女を呼ぶ。
お互い茶化されるのを嫌うタイプであるため、教室では名字で呼び合ってる。そのため通学の最寄り駅までの道のりだけが恋人同士で居られるわずかな時間なのだ。
「うん。おはよう、春人」
ハニカミながらもう一度挨拶する七海。
その唇は夏休みに一緒に買ったリップが塗られており、薄っすら桜色に染まっていた。
その唇に自然と視線が行ってしまう。
くそっ、父さんがキスなんて言うから、意識しちゃうじゃないか!
その唇の動きに、心臓の鼓動を激しくする春人に、七海が小さく首を傾げて「どうしたの?」と訊く。
「べ、べつに何でもない。久々の制服が、その、あの、か、可愛いな、と思って」
言葉がうまく出てこない。
「な、なに言ってんのよ。もう」
七海が顔を赤らめ、視線をそらす。
小さい頃。春人がまだ魔王の生まれ変わりだと思ってた頃は、何も感じなかった。
むしろ、七海が空手を始めて腕っぷしでは敵わなくなってからは、いつかまた追い抜いて見せると、ライバル視をしていた。
子供ながらに隠れて腕立てなどをこっそりしたりもしたものだった。
それなのに、いつからだろうか、異性として見るようになったのは。
多分それは中学の中頃かと思い返す。
小学校では集団登校で毎日一緒に通学していたが、中学に上がると同じ中学だが個々に登校するようになり、会う機会が激減した。
そして、久しぶりに会った彼女は女の体型になっていた。しなやかな筋肉に包まれた身体は、男性とは異なり丸みを帯び、女性ならではの凹凸も目立つようになっていた。
今まで通りぶっきらぼうに話しかけてくる幼馴染に、今までと同じように言葉を返していたが、心の奥底で芽生えた感情は春人の心臓をいつもより激しく鼓動させた。
そして、中学卒業の日。
卒業式の後で、女子空手部の後輩から花束を渡された彼女は、珍しく人前で大粒の涙で泣いていた。嬉しさと、中学時代の部活での事柄を思い出して涙が堪えられなくなったようだ。
その後、帰りの道路で春人は告白をした。
本当は気持ちを伝える気などなかった。
だが、気持ちが抑えられなかった。
斜向かいの家で帰り道が一緒だったため、少し距離を置いてだが二人は歩いていた。
七海は泣いた顔を見られて恥ずかしかったのか無言であった。
春人も無言だった。
無言で歩く二人。
普段見れなかった七海の感情剥き出しの涙を見て、その頃には大樹のように育っていた春人の想いは爆発寸前であった。
そして、限界を迎える。
家まであと数十メートル。
春人は立ち止まって、七海に向かって振り返る。
肩を震わせて、驚く七海。
「好きだ!」
一言。心から湧き上がる言葉を発する。
急な言葉に、目を見開く七海。
沈黙。
それは短い時間であったが、春人にとっては永遠のような時間であった。
「なにそれ、告白?」
七海の言葉に、春人はやっと正常な判断を取り戻し、自分のしてしまったことに気づく。
幼馴染に対しての、突然の告白。雰囲気も流れもあったのもじゃない。
恥ずかしさが全身を駆け巡る。
「私を異性として、見てくれてたんだ」
続く七海の言葉。
春人はなにも返せない。
すると、卒業式で涙を拭いて少し赤くなっていた頰に新たな涙が一粒溢れた。
「よかった。私もはるくんのこと、ずっと好きだったから」
そして柔らかく微笑んだ。
はるくん。子供の時に呼んでいた渾名で(ちなみに、七海のことはミーちゃんと呼んでいた)呼ばれドキリする。
「それって、オッケーってことかな?」
おずおずと問い返す春人に、七海は仏頂面になって言葉を返す。
「もう、今の話の流れで分かんないかな?
オッケーに決まってるでしょ」
そう言うと、たたたと家まで小走りで駆ける。
「ちょ」
春人は慌てて追いかける。
七海は家の前で振り返ると、悪戯っぽく笑う。
「これから恋人同士、って事で、よろしくね。春人」
そう言葉を残して七海は家に入っていった。
こうして、春人と七海は付き合うようになって約半年。
子供の頃のあだ名から、下の名前で呼び合う様になり、やっと手を繋ぐようになった(←イマココ)である。
妄想の中ではすんごいことになっているのに、現実に彼女を前にするとなかなか前へ踏み出せない、我ながらヘタレだなと春人は苦笑する。
「どうしたの?」
微苦笑した春人に、七海が問いかける。
「なんでもないよ。行こう」
そっと右手を差し出す。
「そうね」
七海の左手がゆっくりと春人の手に触れ、指を絡ます。
駅に着くと同級生に鉢合わせる可能性があるので、家から最寄り駅の近くまでの約10分間。
二人きりで手を繋ぎ、他愛ない話をするこの短い時間が春人にとってとても大切な時間であった。
子供の頃に夢に見た、世界を滅ぼしうる圧倒的な魔王の力など要らない。
なにも出来ない一人の高校生で構わないから
願わくばこの幸せな時間がずっと続いて欲しいと願うのであった。
しかし、その願いはこの日、儚く散ることとなることを、春人はまだ知らないでいた。
名付け小噺シリーズ
建物系の名前として
桜『庭』七海
としました。
ヒロインの髪型がポニテなのは作者の趣味ということで(^^)