逃避行
前回のあらすじ
大賢者と呼ばれた絶対権力者のマーリンは、聖刻により縛り絶対服従させているはずの異世界人より不意の反撃を受ける。
それは自らの命を絶ち行われたゾンビアタック。
不意な反撃に自らもゾンビ化してしまったマーリンは異世界人の反撃に死ぬ事も出来ず永遠なる苦痛を与えられるのであった。
……だが、それは春人の【魔王眼】が見せた幻であった。
「ぐぁ、あぁっ……」
棒立ちになったまま虚空を見つめてマーリンが苦悶の声を上げている。
「ねぇ、春人。先生、どうしちゃったの?」
やっと冷静を取り戻した七海が聞いてくる。
「先生には俺の瞳に宿ったスキルで幻覚を見てもらっている。このスキルが発動しているうちは先生からの攻撃や妨害はないから安心してくれ」
春人はマーリンに視線を向けたまま答える。
【魔王眼】の完全催眠の発動条件として視線を合わせ続ける必要があるため、視線はマーリンに固定したままである。
本来ならば【思考加速】を併用して、目があった瞬間に時間を10,000倍に引き伸ばして幻術を叩き込むため相手を見続ける必要はないのだが、七海の様子が気になったため、【思考加速】は行わず、当倍速で幻術を発動して様子を見ることにしたのだ。
マーリンに性的暴行をされかけた七海は、最初は取り乱していたが、何とか落ち着いた様である。
「まずは、七海にかかった呪いを解かないと、だな。七海、少しだけ胸元に触れるな」
「う、うん……」
七海の合意を得て、指先で七海に触れる。
ちなみに、胸元と言ったのは基本的に呪いを刻むのが心臓でありその近くの肌に触れる事で呪いの解析が効率が良いワケで、胸に触りたいからではない、断じて!
「んっ……」
触れた瞬間、七海から艶かしい声が漏れた。
胸元といっても触れたのは鎖骨と鎖骨の間あたり、どちらかと言えば首元に近いのだ。
やましいことは何もないのだが、その声に春人は少し動揺する。
くそ、思春期男子に今の声は反則だ。【魔王眼】を発動しているので、半裸状態の彼女に視線を向けられないのも相まって、春人の心の中は穏やかではなかったが、なんとか賢者の心でその衝動を抑え込んだ。
「禁呪[呪滅呪]」
特級魔法である禁呪を発動する。
闇属性で唯一呪いを解く魔法である。いや、正確に言えば呪いを無効化する呪いだ。毒を持って毒を制す、という奴である。
七海の体内に流れ込んだ魔王の魔力が呪いとなって、その他の呪いを食い尽くす。そして、全身を巡った魔力が発動起点である胸元にホクロの様な黒い点の様な刻印を残す。
「今、頭の中に【魔王の加護】を取得したって言葉が聞こえた。それに【聖刻】が無効になったってことも」
七海が自らの身に起きたことを伝える。
そうか、呪いは加護としても扱われるのか。
取り敢えず【聖刻】を無効化できたことは良しとするが、まんま魔王って付いてるけど大丈夫かな……
自分がこの世界の魔王である事がバレないかドキドキしながらも、取り敢えずはこの世界の人間に縛られる呪いが解けたことに安堵する。
これで【魔王眼】のスキルを終えても問題ないだろう、と目蓋を閉じる。
使ってみて分かったがこのスキルめちゃくちゃ燃費の悪いスキルであった。魔力がガリガリ減っていき、更に呪いを解くために使った禁呪も大量に魔力を消費した。確認すると1,100あった魔力が265まで減っていた。
それに疲れ目がヤバイ。徹夜でゲームやってもここまで疲れないだろうってくらい眼が疲れている。布団に入ったら秒で熟睡できるだろう。
目頭を押さえながらゆっくり目を開くと、マーリンが四つん這いになり過呼吸に陥っていた。
「がはっ、はっ、はっ、はあっ! な、なにが。う、うえぇぇっ……」
マーリンは状況を把握できずに嘔吐していた。
鼻が潰れて血塗れな上に、吐瀉物が重なった。汚らしいったらありゃしない。
まぁ、七海に酷いことをしたのだからこれくらいの懲罰は当然であろう。
春人はマーリンを無視して七海をゆっくりと立たせる。
「七海。大丈夫か? みんなのところに戻ろう」
七海は小さく頷く。未だにマーリンの事が怖いのか、きゅっと春人の上着を握り締めている。
「き、きしゃ、貴様ぁっ」
完全催眠での仕置きに恐慌状態のマーリンは呂律が回っていない。
「いい悪夢見れたかよ? これに懲りたら、二度と七海に手を出すなよ」
睨み付けると、マーリンは慌てて目を逸らした。どうやら目が合う事がスキルの発動条件だと悟ったようだ。
「幻術が効いたからって、調子に乗るなよ! 儂らには【聖刻】の制約があるんじゃからな」
そう言い、マーリンは【懲罰】を発動させた。
が、当然の如く何も起こらない。
七海も身を固くしたが、懲罰の痛みは襲ってこなかったようで、安堵の吐息を吐き出していた。
「ば、ばかな。何故……」
呆然とするマーリン。
「ふん。幻術を掛けているうちになにも対策しなかったと思ったのか?
俺は世界を渡るときに【呪術無効】のスキルを手に入れたから【聖刻】の呪いは受けなかったんだ。七海の呪いは先生が夢を見ている間に俺が解いた。
これから部屋に戻って、クラスのみんなの呪いも解くつもりだ。俺たちはお前らの奴隷となるためにこの世界に来たんじゃないからな」
春人は冷たい目でマーリンを見て、そう言い放つ。
「くっ、くぅっ……
衛兵、衛兵っ、出あえーーっ!!!」
マーリンが大声で叫ぶ。
すると、今まで魔法で封じられていて開けたくても開かなかった扉が開き、鎧を身につけた衛兵が部屋に雪崩れ込んでくる。
春人は、なんだ、扉が開くんじゃん。魔力残量が心許ないから【影移動】使わずに部屋を出れるからラッキー、と安直に思っていた。
だが、当然の如くそう簡単にはいかない。
「マーリン様。その傷は⁉︎」
慌てて問う衛兵。
「あいつにやられた。あの少年は我らが施した制約を破り、反旗を翻した危険分子だ!
お前ら、あいつが我らに害なす前に始末するのじゃ!」
マーリンが指示を出すと、衛兵達は問答無用で抜刀する。
「なに言ってんだ。この欲情ジジィが、この子に対して性的暴行をしようとしたのを止めただけだ。むしろ、このジジィは異世界人を人と扱わず、性的欲求を満たそうとする糞野郎だ。はやく、とっ捕まえて牢に打ち込むべきだ」
春人がそう訴えるが、衛兵達は剣を構えじりじりと間合いを詰める。
「異世界人が儂に傷を負わせる、それだけでこの世界に対する脅威でしかない。殺れ!」
マーリンのその言葉を受けて、衛兵が一気に切りかかってくる。
「はぁ? お前ら俺の話を聞けよ!」
春人が必死に訴えるが、聞く耳を持たないようだ。
「闇魔法[斥力波動]!」
春人は初級の闇魔法で、切り掛かってきた衛兵を弾き飛ばす。
「何をやっておる。こいつはもう召喚されたばかりのヒヨッコじゃない。本気を出せ!」
マーリンからの檄が飛ぶと、衛兵達は剣を構えなおし、圧縮言語で魔法を詠唱し身体強化と武装強化する。
これは、マズイかな……
城を守る衛兵の全力。残り魔力の少なさと、七海を守りながらの戦いになる事に、春人は早々に不利を悟る。
「逃げよう。七海、一緒に来てくれるか?」
小声で七海に問うと、七海は不安げに春人を見たが、意を決したかのように力強く頷いた。
「馬鹿め、逃げられると思うなよ!」
いつの間にかマーリンが杖を手にしていて、その杖の先には膨大な魔力が集まっていた。
「逃げてみせるさ」
春人はそう言うと、七海をお姫様抱っこで抱える。突然のことで七海は「きゃっ」と小さく声を上げた。
「逃げれるものなら逃げてみろ。拘束魔法[バインド]!」
マーリンが魔法を放つ。魔力の鎖が春人を拘束する。
「死ね!!」
更に衛兵が魔力によって強化された武器で切りかかってくる。
「ちっ!」
対応が遅れた春人は、七海を守るように身を丸める。
ザン! ザン! ズバン!
そんな春人の背を凶刃が襲う。
「春人っ!!」
七海の悲痛な叫びが響く。マーリンが「くっくっく」と喉を鳴らして嗤う。
「問題ない。それより七海、怪我はないか?」
しかし、春人は何事も無かったかのように、七海に声をかける。
「う、うん」
驚きながらもそう返事を返す七海に微笑み返すと、春人は一気に魔力を放出して衛兵と拘束魔法を吹き飛ばした。
「なん、だとっ!」
壁際まで吹き飛ばされた衛兵とマーリンが驚愕の声を上げる。
まあ、魔王としてアホみたいに体力が高いから、衛兵程度の攻撃だったら余裕で耐えられるのだ。装備は魔法によって強化された護衛の剣によって切り裂かれたが、春人自体には引っ掻き傷の様な痕がなかっただけであった。
それでも予想以上にダメージはあったのだが、それについては表に出さない。
「んじゃ、遠慮なく逃げさせてもらうよ」
余裕を持ってそう宣言する。
衛兵達も逃すものかと、一つしかない出口の扉を固めていた。
「ふん。出口を固めていれば逃げれんじゃろ。衛兵の攻撃に耐えるとは予想外じゃったが、儂の極大魔法は耐えらるるかな?」
マーリンは立ち上がり、呪文を詠唱し始める。
しかし、詠唱破棄がある春人の闇魔法の方が先に発動する。
「闇魔法[漆黒闇圧球弾]!」
濃縮された闇の球が部屋の壁を破壊する。
「なっ、この部屋には絶対防御の結界が張られているはずなのにっ!」
衛兵が驚くが、知ったことではない。
部屋に夜の外の空気が流れ込んでいる。
春人は昼に[影探知]を発動していたため、城の構造と近くの建物の配置は把握していた。
春人は一気に駆け出す。
詠唱を終えたマーリンの極大炎魔法が春人に向けて発動する。
春人は迷わず破壊した壁から外に飛び出すと、一瞬遅れてマーリンの魔法がすぐ脇を駆け抜けた。
「ちぃっ!」
魔法が外れてマーリンが舌打ちをする。
「ここは城の3階だ。そのまま地面に落ちれば命はないはずだ!」
衛兵の言葉が聞こえたが、そんなことは知っている。
「闇創生魔法[漆黒の翼]」
春人が魔法を発動し、闇の翼を纏う。外が夜だったのが幸いして、すぐさま闇の羽が具現化された。
「飛行系の魔法だと!?」
「チィッ! 逃すか! 光魔法[探索光弾]!」
衛兵の1人が春人に向けて魔法を放つ。
それは逃亡者に光の目印を付ける魔法であった。
こちらの世界に来たばかりで魔法の操作に慣れていない春人は回避できず、その魔法を背に受けてしまう。
「なっ、光属性の魔法かっ」
魔法の効果で春人の体から上空に向かって光の柱が立ち上る。
それは逃亡者に目印を付けるだけの魔法であったが、春人にとって最悪な追加効果が発揮された。
立ち上る光によって闇で具現化した翼がかき消されてしまったのだ。
墜落した春人は、しかし強靭な肉体で地面に着地した。
「くそっ。全身を発光させる魔法か。今の俺と相性最悪だな。近距離発動型の闇魔法が使えなくなっちまった」
着地時に痺れた両足に鞭を打って、春人は駆け出す。
目指すは西門。警備が薄そうだということと、城を抜けた城下町も西側はそこまで栄えていなそうだったこと、さらに、この国の西には森が広がっているので、そこにさえ逃げ込めれば、身を隠すことができるであろうという算段があるからである。
まぁ、そのあとの事は、なるようになれ、な感じであるのだが。
しばらくすると、警戒の鐘が城から鳴り響いた。
『城で捕らえていた賊が脱走した。凶悪極まりない賊のため生け捕りは不要! 見つけ次第、殺処分すべし!』
さらに国中にアナウンスの声が響く。
殺処分とか、表現がヤバいだろ。
必死に駆けながら春人は頭を働かす。
衛兵が次々と目の前に現れる。
「黒魔法[盲目付与]!」
中距離の敵には視界を奪う闇魔法で対応。
さらに魔力温存のため一瞬だけ【魔王覇気】で威嚇したのだが、萎縮どころか撹乱したり気絶したりと意外と効果覿面であった。
しかし、遠距離からの攻撃に対抗手段がなかった。城壁に近づくと、城壁に整列して現れた衛兵からの遠距離炎魔法[火炎投槍]が一斉に降り注いだ。
近距離発動型の魔法が封じられているため、魔法での防御が出来ず、その攻撃を七海を庇い自らの体を盾とすることで防ぎながら強引に突き進んだ。
「春人っ!」
腕の中で七海が悲痛の声を上げる。
「大、丈夫っ。こんな攻撃、屁でもない」
言いながら、自分でも無理していることが分かる。
幾つもの炎の槍が体に突き刺さり、体力もガリガリと削られている。
チラリとステータスを見る。
[体力]678/2,200
[魔力]126/1,100
このままだと、魔王が討伐されて世界に平和が訪れちゃうな。と自虐的な事を考えているが、ここで殺されるつもりは毛頭ない。
「[闇穴]!」
魔法が近距離で発動出来ないなら。闇のある遠距離に発動させればいいのだ。
城壁近くに生み出された闇の穴は、衛兵の放った炎の槍を全て呑み込み、さらに衛兵までを引き摺り込もうとする。
「うおおおっ、な、なんだこれはっ! うわぁっ、ひ、引き摺りこまれるっ!」
城壁の上に整列していた衛兵がパニックに陥る。
その隙をついて、城壁に近づく。
そこで嬉しい誤算が起きる。[闇穴]が春人から立ち上る光をも呑み込み、春人の周りに薄ら闇が生まれたのだ。これならば威力は落ちるが近距離発動型の闇魔法が使える。
この機会を逃さずに、春人は部屋を抜け出した時と同じく[漆黒闇圧球弾]を放ち城壁を破壊。一気に城下街へ躍り出た。
あと少し。このまま街を突っ切り、国を囲う外壁を抜ければ身を隠せる森だ。
幸いに村人が襲ってくることも無く、村人は家に引き籠もっているようだ。
あとは外壁を護る国境警備隊さえなんとかすればーー
!!
瞬間、背後から凄まじいプレッシャーが襲う。
振り返ると5つの影がこちらに迫っていた。
馬に乗った全身鎧の騎士達。その影の中の一つより凄まじい圧力を感じる。
このままだと、外壁にたどり着くまでに追いつかれてしまう。
「くそっ!」
一筋縄ではいかなそうな逃亡劇に、春人は思わず汚い言葉を吐いてしまった。
「いい悪夢見れたか?」は春人が好きな漫画の決めゼリフです(^^)
作者も厨二病が言いたそうな決めゼリフNo.1だと思ってます。
あと、悪役が正義の味方を目の前にして「であえー、であえー」ってもの鉄板展開としてやってみたかった(^^)




