残り【16日】〜夜のひととき〜
「リータはベッドに寝かしておきました」
執務室で書類整理をする俺はエリナからそう報告を聞いた。エリナの優秀さには俺も言葉がない。俺には勿体無い使用人だ。
「それで、旦那様。お話があるのですが」
そういえば、エリナは来てからずっと俺に苦言を呈したそうにしていた。こういう時は俺に説教をしたい時だと長い付き合いだから分かる。
「リータのことか?」
「ええ、そうです」
エリナはキッパリ言った。あまり突っ込まれたくない内容だが、俺はあの時覚悟を決めたのだ。いくらエリナに反対されても、俺は前に進まなければならない。
「例の件にも手を貸されているようですし。責任の持てない事はしないとご自身でも仰っていたではないですか。ただの同情であの娘を引き取ったというのなら、私は今すぐにでも彼女をほかの方へ引き渡します」
エリナはあの娘の苦しみがきっと分かっている。彼女もリータと似た苦しみを背負っていた事があったから。その上での意見なのだろう。
だけど、今の俺は知っている。
「あの娘を見て、知ったんだ。いや、改めて思い知らされた。奴隷はモノじゃないって。一人で立って歩けるんだって」
どんな苦境でも、決して折れない心があった。それはリータもエリナも同じだ。そして、エリナはその苦境を乗り越えたからこそ、今俺の目の前に立っている。
「俺は無責任でいいんだ。責任は全部自分で取れる。人ならば。俺はリータがそういう子であると信じてる」
彼女がいれば、世界も変わるんだ。
エリナに話すのはこっぱずかしいが、何とか言葉に出来た。俺の複雑な思いも、考えも恐らくは彼女に伝わっただろう。やがて、エリナは口を開いた。
「私は旦那様の使用人です。貴方が死ねば、私はここを去らなければならない。リータは独りぼっちになりますよ?」
「何とかなるさ」
「旦那様の死を彼女に背負わせるのですか?」
「リータなら乗り越えられる」
「彼女は真に“奴隷”から抜け出せると思いますか?」
「うん」
エリナはその質問攻めの後に、「はぁー」と大きな溜息を吐いて、
「旦那様が無計画なんだってことがよぉーく分かりました。このままだとリータが行き倒れになる未来が想像できて、とても不憫です」
「そうならないように色々考えてはいるんだけどねぇ……」
問答無用な意見に俺は言葉もなかった。確かに今のままではダメなことはわかっている。いまだに心は“奴隷”に縛られたままだ。
俺はエリナに意見を仰いでみた。
「そうですねぇー。まずはやりたい事を見つけさせることですかね」
「やりたいこと?」
「奴隷が奴隷であり続ける所以、それは命令を聞くだけの機械であるところです。子どもの頃から奴隷を強いられている子は特に顕著です。だから、まずはやりたい事を作らせる、これが一番です」
「詳しいね」
「嫌味ですか? 今や奴隷なんていなくてはならない労働源です。私も使えるところでは使っていますから」
だから、旦那様がやろうとしていることはとんでもないことなんですよと釘を刺された。こればかりは、長年の夢だったので今更止めることはできないけど。
「参考になったよ。ありがとう」
「私もここにいる間は出来る限り協力します。では、失礼しますね」
エリナはそう言うと、お茶だけ机に残して下がっていった。やはり、頼りになる使用人である。休憩がてら、机の端にある小さな額縁を手に取った。そこには、最愛の人が描かれた肖像画が入っている。
俺は君になんで謝ればいいんだろう。あんなフリ方をした俺には謝る資格すらないだろうか。
「……」
俺は額縁を伏せると、寝るまで書類仕事に明け暮れた。