終幕 鬼灯録
………………
薄闇漂う静寂の中、頁が捲られる音だけが、規則正しく響いている。
見通せぬ程に広く、見通せぬ程に高い ―――、書架。
隙間無く居並んでいるのは、分厚い本であった。
所々擦り切れて綻んだ古めかしい装丁のものから、インクの香りが立ち昇りそうな真新しいものまで。
ここは、書庫。
【生きとし生ける者】によって綴られ、【人ならざる者】によって記された ―――、記録庫だ。
淡く、碧が発光するのは、表題。
そのどれもが異なり、解読不明の文字となって刻まれていた。
………………
頁が、捲られている。
音のする方へと向かえば、頁を捲る音の合間に、新しい微かな音を聞くことができるであろう。
床も無く、天上も無い。
ただ、整然として広がる、そのただ中で、
「、、、、、」
闇色の【冥衣】を纏った一人の男が、書架に背を預けている。
物憂げな表情で ―――、雪よりも真白の髪を背に流して。
宙に広げられた、これもまた真白な頁に、細い筆を奔らせている。
人ならざる者による ―――、文字の羅列。
細い筆先が、傍らの金色の匣へ。
虹色の輝きが、その筆に含まれる。
人の魂魄、その記憶を吸い上げ、文字は筆先で一度、極彩色の輝きを放つと、平凡な墨色となって頁に収まり、新たな頁が捲られるのだった。
………………
いつからそうしているのだろうか。
細やかな文字の羅列が、規則正しい速度で紡がれ続け、
「、、、、、」
筆が、紙面から離れた時、役目を終えた金の匣は、掻き消えた。
手にした、橙緋の書 ―――、【鬼灯録】
手近な書架に差し入れんとして、
「、、、、、」
青い唇が、意味深な笑みを浮かべたところであった。
宙を歩き、不可視の階段を上る。
指先が悪戯に、居並ぶ鬼灯録に触れた。
辺りに響いた、玲瓏と澄んだ音色。
反響し、そこここで奏でられる雅樂に彩られ、幾つ、書架を巡ったことだろう。
「、、、、、」
佇んだ先には、そこだけ空になった棚が広がっていた。
懐から、古びた一冊を取りだした。
捲っても捲っても、そこには何も描かれてはいなかった。
その書は、忽然と、この書庫に現れた。
魂の回帰も許されず、その生きた記録さえも遺されること無く、【闇】に消えるさだめにある者のものであると言う。
まずそれを、棚に差し入れてから、
「思えば、ここからすべては始まった、、、、、」
その【鬼灯録】に立て掛けるようにして、古めかしい装丁ながら白紙の ―――、曰くつきの【鬼灯録】を納めた。
数多の書架のその中で、一際精彩を放つ、二冊の【鬼灯録】。
「帝都異聞鬼灯録、とでも銘を打っておくべきか、、、」
うっそりとした、誰に宛てたでもない ―――、呟き。
白き髪が、巻き上がった。
袖がはたはたと音を立てたかと思いきや ―――、冥衣が、宙を舞った。
そのまま漆黒の花弁となって、辺りに漂い、闇へと還る、その彼方。
薄れゆく陽炎の如き書架の、その向こう。
見通せぬ薄闇に、点々と続く、白銀の軌跡。
波紋を刻むかのように、宙に光の輪が広がり、重なっては、連なり行く。
闇を従え遠ざかる白き巨躯は、更に姿を変えて、金色の光体へ。
さながら、闇夜に煌めく ―――、明星。
冥界の深淵。
【無限の闇】と言う、その【宇宙】に在って、一際、燦然と輝き続けるのであった。