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亡影

 規則正しく響く、蹄の音。

 闇の中から現れたのは、漆黒の肥馬鋼雨と、闇色の大地をまるで水を掻くかのようにすべらかに泳ぐ、無限坂は冥府の守【壱岐媛】。

「来たか、、、」

 待ちくたびれたとでも言いたげな様子で遙絃は、いつの間にか、漆黒無地の戦袍に身を包んだ胡露の肩に、しなだれながら言った。

 朱金の毛並みの巨虎が、燕倪の姿に肩を竦めて見せた。

 それに片手を挙げて応じると、一行が立つ【淵】へ。

 そこから覗き込めば、

「こりゃ、、、、夢か?」

 燕倪は、眼をしばたいた。

「夢であれば、どれ程心安い事か、、、なぁ?」

 胡露の肩越しに、紺碧の切れ長の眸が、奏伯をやんわりとめた。 

 錫杖を付きつつ、燕倪の傍らに立つと、

「紛れも無い。これが、帝都の亡影ぼうえい、、、」

 静かに言った。

 闇の大地にぽっかりと口を開けた、巨大な裂目クレパス

 その遥か彼方、薄紫の燐粉を巻き上げる巨都の姿が広がっている。

「なんだそれ、、、?」

「現世の都と取って代わらんとする、もう一つの【負の都】、、、」

「おいおい。そんなものが、存在するのかよ」

「この世が存在しているのなら、【無限】に、な、、、」

「無限⁈」

「一夜にして人の都が消えたと言う伝承が、世界各地の神話に残っている。それが、この亡影の仕業だ。無限と言ったところで、【時】が重なるのは、稀だがな、、、」

「まったく、意味が分からんぞ。で、呑まれると、どうなるんだ?」

「全てが、闇に還る、、、」

「闇、、、」

「見通せぬ深淵が顔を覗かせ、その大地を封じることとなろう。噴出す瘴気に、少なく見積もって数十年、近隣の民が、飢饉や疫病に苦しむ、、、」

「手は、あるんだろうな?」

 低くなった燕倪の声に、

「そのために、我らがおる」

 遙絃が応じた。

「地仙は、楔。いざと成れば、この身に代えても止めて見せようよ」

「ちょっと待てよ。何故そこまでして、地仙や神は、人の都を、、、?」

「いちいち話の腰を折る男だな?」

「す、すまん、、、」

 無知である事を痛感し、項垂れた燕倪を見て、

「、、、ふん、まぁいい。これも縁だ、左少将。聞いておけ。いいか、地仙に成ると言う事はな、大地に在る者を見守り、記憶するということだ」

 遙絃は、その素直さに心打たれたのか、燕倪に向き直った。

「私は、けして人に都合の良い地仙などになるつもり無いが、それでもこの地に生ける様を見ていれば、情も湧く、、、」

「情、、、」

「大いなる奔流こと、天地を繋ぐ氣の流れを、龍脈と言う。その末端とは言え、帝都が亡影に呑まれたとなれば、噴出した瘴気が龍脈に乗って、天空を覆うやもしれん。そうなれば、我らの縄張りを侵す不届きな怨鬼が、我がもの顔で蔓延はびころう。それこそ、一大事」

「奔流、、、氣の流れ、、、龍脈?」

 聞き慣れない言葉の羅列に、眉間に皺を寄せ、腕を組む、燕倪。

 額の辺りを揉みながら、遙絃も言葉を選べば、

「地脈、水脈、風脈、、、この世に張り巡らされた、言うなれば、血管のようなものよ」

 それらは時に枝分かれし、そして交わり、流動するものだと言う。

「人が集まり活気漲れば、呼応して龍脈は空より降り注ぐ。それまでは、怨霊、槇廼尭元まきのぎょうげんの怨念とも言うべき想念が龍脈を拒み、人柱による結界が機能していたが、それも無くなったでな、、、」

「まっ、、、待ってくれ。それじゃ、俺が悪かったってのか?その、あの時、その、、、【解放】、しちまったから?」

 俄かに、心当たりに瞠目した、燕倪。

 遙絃は、

「いや、、、」

 首を横に振った。

 小さなため息が、蠱惑的な唇を、ついて出た。

「こればかりは良いとか、悪いとかの問題ではない。全てはこうなるべくして、なったのだ、、、」

「、、、、、」

 呟きにも似たその言葉に、『分からない』と首を傾げた。

 遙絃の紺碧の双眸は、こちらを静かに見つめていた。

「亡影の成り立ちは、我らとて良く分かってはおらん。【稀】、過ぎてな。ただ言える事は、鬼の成れの果てが行き着く、常闇の世。すなわち、【魔境】が生み出す想念だと言うことだ。この都は、無益な血が流れ過ぎた事も手伝って、【時を引き寄せ】、その【矛先】となったのだろう」

「無益、、、」

 ― 皮肉なものだ、、、 ―

 燕倪は、拳に力を込めた。

 今だ、まざまざと耳に残る、阿鼻叫喚。

 無益な、血。

 その先兵とも言える己の存在が、ここに在る。

 怨恨。

 ただそれだけが凝縮し、やがて統合され、形成されたもの ―――、帝都の副産物【亡影】。

「現世に現れ、全てを呑み込む事が、目的だと言うのか?」

「呑まれてみねば分からぬが、おそらくは、、、」

 遙絃の沈黙に、燕倪は改めて眼下の都を見つめた。

「こんなに美しいのに、哀しく歪んでいるのだな。いや、歪ませたのもまた、生きる者達か、、、」

 それは、深い哀れみを含んだ声であった。

 誰も、何も返せぬ沈黙の中、

「私は、ここに残る」

 遙絃が、静かに言った。

「最悪、この裂目ごと常世に、お前達諸共、封じねばならんからな。何、万一の事があれば、この身を霊紫に還元してでも、止めてやるぇ」

「なれば、私めも、、、」

 眉宇を寄せ、振り向いた、胡露。

 その申し出を、

「ならん」

 ぴしゃりと遙絃は跳ね除けた。

「遙絃、、、」

 縋るような眼差しに、しかし、

「胡露」

 天狐遙絃は、いつもの秀麗な貌で微笑んだ。

「よいな?」

「っ、、、」

 その微笑に胡露は、有無を言わせぬ主君としてのめいを、見た。

「、、、仰せのままに」

 こうべを垂れるように頷いた胡露を、視線の端で捉え、

「では、胡露よ。稀代の探花使長と、あの花王に言わしめたその一臂、私に、、、」

 花王、それは、全ての花精の頂点に立つ者の称号。

 天津国の浄域にあると言われる浮島の一つ ―――、【花宮】。

 門扉、固く閉ざしたその最奥に在るその者を、この男なら或いは知っているのかもしれない。

「お望みとあれば、都守、、、」

 拱手して応じた胡露に、無言で頷いた、奏伯。

 その眼差しが、次に映したのは、

「伯、、、」

「、、、、、」

 それまで、ずっと黙って燕倪の袖を掴んでいた、伯。

 名を呼ばれ、奏伯の前へ。

 彼が袖から取り出したのは、伯が帝都で暮らす際に首に掛けている、翡翠と瑠璃硝子の管の連珠 ―――、翡翠輪。

「これを、、、」

 それを、伯の袖へと仕舞いながら、

「ソウ、、、」

 まっすぐに見上げてくる、菫色の大きな眸を見つめ返す。

「それともう一つ。真名を、還しておく、、、」

 差し出した、白い手。

 水干の胸元に、握られた手が押し付けられると、

「、、、、、」

 伯は黙って、その手に両手を掛けた。

「お、、、」

 燕倪の驚嘆の声が、上がった。

 伯の胸元が、湖面のように波打つ。

 伯は、奏伯の手を、そっと導きいれた。

 ざわ・り・・・

 風も無いのに群青の髪は巻き上がり、

「おお」

 いつの間にか、一行の足元に滲んでいた巨影が、身震いをした。

「、、、、、」

 やがて、ゆっくりと伯の胸元から引き出された手は ―――、広げられていた。

 青く薄い唇に、珍しく穏やかすらある笑みを刷いて、

「すっかり、巻き込んでしまったな、、、」

 奏伯が、伯だけに聞き取れる程の小声で、詫びた。

「ぅ、、、」

 伯が、小さく首を横に振った ―――、駄々をこねるように。

「、、、、、」

 金色の眸が、手首を見つめている。

 伯の両の手は、まだ、そこにあった。

 沈黙がもどかしく、

「名乗り、、、ぉあっ、、、挙げヌッ」

 いやいやと首を振るその肩に、宥めるように手を置けば、伯が腰にしがみついた。

 柔らかなその髪を撫でて、

「ならば、我が真名を、その供に、、、」

 そっと、瞼に触れた。

 目尻に結ばれた、黎明を映す泪の欠片を払えば、

「伯よ。頼りにしている、、、」

「、、、ん」

 伯が、小さく頷いた。

「銀仁」

「ああ、、、」

 心得た巨虎が、伯の傍らへ。

 伯の肩を押せば、鼻を啜りながら、その広い背に乗る。

 闇色の大地に、巨大な口腔を晒す ―――、裂目。

 伯の慕情を振り切るように、巨虎が身を投じた。

 それを見送って、

「では、我らも」

 胡露が、淵に立った。

「飛び降りるのか、、、」

 さすがに躊躇する燕倪に

「人の身である我らには、さすがに無理であろうな、、、」

「おい」

 他人事のような声音の主を、いつものように燕倪が睨んだ。

「今更、怖気づいてもらっては困るのだが、、、」

「誰が怖気づいたって?」

 鼻息荒く、今にも襟首をもう一度掴みそうな燕倪に、

「ご心配無く、、、」

 それまで、遥か眼下に在る都を見つめていた胡露が淡く、微笑んだ。

 腕に掛けていた虹色の羽衣を、胡露は裂目に垂らした。

「本来ならば【羽衣】と言うものは、天津国へと渡るためのものですが、、、」

 虹色の粒子が、大きく宙に螺旋を描いて行く。

「羽衣が、、、」

 光の帯は、長く長く伸びてゆき、程なくして彼方の都へと続く、揺らめく雲気オーロラにも似たきざはしとなった。

「地仙級が持つ神器ともなれば、術者の力量次第でこのような事すら、造作もありません」 

「神器?」

「神仙や神霊の属性、とでも言いますか。力の根源のようなもので、扱い易いように具現化したものです」

「それじゃ、武器にもなるのか?」

「勿論です」

 足を乗せれば、湖面に浮かべた筵の上を歩いているかのような、感触。

 不安定な足場を行く二人を先に、

「八火を、ここに残しておく」

 奏伯は、草履の紐を結び直しながら言った。

 ふわりと長く、重なり伸びた九尾の上に、寝そべるように横になっていた遙絃が、

「その身は、人。真名も預け、あまつさえ、己が【属性】までも、ここに残すとは、、、」

 どこか呆れたような声音で応じた。

 自慢の金糸の髪に合わせたのか、こんじきの曼珠沙華の簪を挿しなおしながら、

「つくづく、甘い男だな、、、」

 真珠色に染めた厚い唇を尖らせて、どこか蟲惑的な流し目だ。

「他人の事は言えまい、天狐よ」

「む、、、」

 一瞬ではあったが、遙絃の双眸に剣呑な感情が滲んだ。

 有無を言わせぬその眼差しに、奏伯は、心得ているとばかりに薄笑みを浮かべ、

「そなたも属性を、胡露に預けただろう」

「一緒にするな。私は神体。【ただの人の身】とは違う」

 話題を、反らしたようだった。

「ふむ、、、異論はあるが、まぁ、そうしておくか。八火は、攻に長けた荒ぶる【我が属性】。人の身で、かつ真名を持たぬ私には、存分には扱えぬ。例外は、【守】における【防】、、、」

「ふん。これより先、その一切は使わぬか、、、」

 遙絃の言葉を受けて、浅く頷いた、奏伯。

 見つめた先に、懐手で胡露と肩を並べて歩く、燕倪の姿。

「だが、無腰ではない、、、」

「強がりめ」

 茫洋と現れ出でたのは、八柱の褐色の肌と八色の火焔を纏う、鬼神。

 八火業焔衆。

 鬼神の姿にられたそれは、奏伯の神器であり、荒ぶる本質。

 荒御魂たる ―――、属性。

「おーいっ、奏伯ッ」 

 彼方から、燕倪の声が聞こえた。

 遊環が、

 ジャ…ㇻㇻン…

 どこか物々しい音を、立てた。

「都守」

 裂目から、虹色の階へと歩き出したその背に、

「気負わずやれ。しくじれば、共に、永劫の闇路を彷徨わん」

 どこか穏やかな遙絃の声音が、掛かった。

 振り向く事無く、眼下で待つ二人の元へ向かいながら、

「この顔触れでは、いささか御免だな、、、」

 奏伯が、うそぶいた。

 みるみる小さくなる、その三つの人影を見送って、

「まったく、可愛げの無い者達ばかり、、、」

 溜息交じりに、ひとりごちた。

 鋼雨は、さすがに疲弊したのか、深紅の眼を閉じていた。

 壱岐媛は、落ちつかなげに忙しなく辺りを泳ぎ回っている。

 一方、ひっそりと傍らに控えるのは、八柱の鬼神。

 その八柱に守られた、一行を見守る遙絃の紺碧の眸はしかし、言葉とは裏腹に、慈愛に満ちたものだった。




 巨虎の四肢が着地の衝撃を吸収し、大地を捉えると、背に掴まった伯は、辺りを見回した。

 透き通ったそれは、紫水晶にも似た ―――、世界。

 街路樹として植えられた柳の並木、築地塀、草履の下の砂利のひとつひとつ。

 その全てが、くっきりとした輪郭を持つものの、澄みきった水晶そのものに見えた。

「お、、、」

 伯の手が、築地塀に触れると、

 ピシャ・シャ・・ンン・・・

 波打ち、世界は彩を宿した。

「これは、、、」

 思わず、銀仁は呻いた。

 行き交う、人々。

 頬に当たる風の冷たさ。

 煌々と眩しくも降り注ぐ、陽射しの強さ。

 肌で感じる現実に、さしもの銀仁が、伯に身を寄せた。

 しかし伯は、緊張感の欠片も無い様子で、その頭を猫にするように撫でながら、

「ハクが、みている、ミヤコ、、、」

 白々とした太陽を、見上げたのだった。

「お前が見る都を、映したのか、、、?」

「ん、、、」

 伯は、こくりと頷いて、

「水の音、、、きこぇ、タ、、、」

「水、、、?」

 銀仁は鼻を鳴らしたが、その鼻をもってしても水の匂いを捕える事は出来なかった。

「お、、、」

 銀仁の鼻先に、ひらひらと舞い寄るのは、ルリタテハ。

 しばらく、眼差しを弄うように舞い遊んでから、空高く舞い上がると、築地塀の向こうへと消えてしまった。

 道行く者達を見れば、老いも若いも皆一様に、鮮やかな染の衣を纏っている。

 人々の所作の、一つ一つ。

 風に舞う、名も知らぬ花びら。

 尾を引くように細く流れる、雲の流れ。

 どこか緩慢に流れる時間の中で、それでいて日常にありふれている刹那に、

「眩しいくらいに美しい世界を、見ているのだな、、、」

「、、、、、」

 銀仁は感心したように、呟いた。

 人々は、そしらぬ顔で行き来し、銀仁と伯の体を擦り抜けては、歩み去ってゆく。

 視覚には、まざまざと映るのに、伴うはずの匂いが無い。

 それが銀仁に、これが現実ではないと告げてくる。

 伯と共に、往来を歩いていると、

「む、、、?」

 あることに気がついた。 

「影が、無い、、、」

 全てのものに、影が無のだ。

「、、、ハクがみる、セカイは、かげ、ない、、、」

 伯は、白い太陽を眺めた。

 普段はほとんど使わぬ【言葉】を選んでいるようで、しばらく黙った後、

「かげ、わぁ、、、マヨイ」

 可憐に澄んだ【声】を、紡ぎ始めた。

「なるほど、【迷い】か、、、」

 迷い、立止るばかりの銀仁には、伯のその言葉が少し、羨ましかった。

「影在るところが、【根】、、、」

「影ハ、影にシか、なれない、、、」

「こちら側に現れた、あちら側からの杭と言うわけだな」

「そ、、、」

「上出来だ。真名を得た、幼神よ。急ごう、伯」

 ひらりと背に跨る、伯。

 銀仁はくんと鼻を鳴らし、微かに点在する異臭を、噎せ返る瘴気の中から捕えようとする。

「濃いな、、、」

 しかしながら、瘴気の匂いに阻まれ、中々特定できない。

 ― 埒があかんが、、、 ―

 とにかく、方角を一つに定めると、駆け出した。




 大地を掴み、大地を蹴る。

 異形と巨虎の姿も、見ぬ人々の間を擦り抜けさせながらしばらく行くと、見覚えのある門構えが現れた。

「ここは、、、」

 脚を止め、覗き込めばその先の庭で、諸肌脱ぎで、素振りを繰り返す者の姿があった。

「燕倪」

 伯の中の都を映したのなら、何の不思議も無い光景であるのだが、

「お、、、」

 伯が、舞い降りた。

「こんなところで、油を売る時間はないが、、、」

 その背に続こうとして、

 ― まさか、、、 ―

 はたと、気がついた。

 鼻腔に甘く纏わりつく腐臭と、その足元に黒々と蟠る ―――、影に。

「、、、、、」 

 それまで、通り過ぎて行くだけだった人が、ゆっくりと振り向いた。

 手に、だらりと木刀を提げて、

「よお」

 屈託の無い、いつもの笑顔で伯に歩み寄る。

「待てっ」

 巨虎が伯の襟を咥え、屋敷の屋根に跳躍。

 鋭い眼差しの巨虎の姿に、

「しかし、そんな目立つ格好で、よもや往来を練り歩いて来たんじゃないだろうな、お前ら?」

 燕倪は、訝しげな表情で顎を撫でた。

 ― どう言う事だ。これではまるで、燕倪そのものだ、、、 ―

 まんじりともせず、相手を見据え続ける銀仁の鼻面を、伯の手が撫でた。

「、、、、、」

 さすがに喋り疲れたのか、無言で『ここにいろ』と言わんばかりだ。

「だが、、、」

「んー、、、」

 口を開けば、伯が擦り抜け、燕倪の広げられた腕の中へ舞い降りた。

 いつものように、その肩に攀じ登る。

「エンゲ」

「さてさて、どうしたものかな?」

 燕倪が、伯の膝を軽く叩けば、心得たもので、

「探ぃ、してた、、、」

「探していた?俺を、、、?」

「、、、、、」

 こくり、と頷いたのだった。




 奏伯、燕倪、胡露らが、虹色の階をまさに降りきらんとした ―――、時だった。

「む?!」

 淡く、仄かに発光していた帝都の【亡影】が、彩で満たされてゆく。

 身を乗り出し、目を眇めた燕倪に、

「伯が、仕掛けたようだな、、、」

 奏伯の、低い声音。

「大木が、大地から水を吸い上げるように、【亡影】が吸い上げる【人の陰気】を、水の気性に見立てたと、、、?」

「ああ。本来ならば、【大海の龍脈を司るために顕現した者】だ。真名を得た今、名乗りは挙げずとも、その本能は、異界と言う【理】を理解しているのだろう、、、」

「、、、なんとも末恐ろしく、畏れ多い方でございますね」

 ― 若君も、貴殿も、、、 ―

 その傍らで、隻眼を閉じた、胡露。

 一度、大気を吸い込んでから、辺りを指さした。

「お蔭で、いくつか瘴気の濃い場所が絞れました。北に一つ、北西に一つ、東に一つ」

「伯と、銀仁は?」

「、、、東に」

「ならば、我らは北西から ―――、」

「待てよ。北は、俺が行く」

 燕倪が、業丸の柄に手を置いて、応じた。

「ずっと、業丸の鞘鳴りが、止まらないんだ。俺に、行かせてくれよ」

 瘴気に呼応しているようだった。

「、、、、、」

「少将、お言葉ですが、、、」

 無言の奏伯に代わり、胡露が口を開き、

「あっ」

 次の瞬間、眉を寄せた。

 困惑気味に、傍らの存在を仰げば、

「あのように、言い出せば聞かぬやつでな、、、」

 青い唇に、いつもの不遜な笑みを浮かべた奏伯が、一足先に階段を駆け下りてゆくその背中を、見送っている。

 ― このような状況下でも、信頼している、という事か、、、 ―

 眼下に広がる、帝都の街並み。

 何が待つとも知れぬその懐へ、今まさに掻き消えんとしている、燕倪。

 共に見送ったところで、

「胡露」

 ようやく声が、掛かった。

「只今、、、」

 心得た胡露の返事と共に、奏伯の肩から先に、羽衣が纏いつく。

 虹色の長袖ちょうしゅうが、長く足元に垂れた。

 胡露が、奏伯の前に歩み出ると、恭しくも膝をつき、

「どうぞ、、、」

 戦袍の前を、露にした。

 羽衣の先端が、ふわりと舞い上がると、よくなめした革の如き胸板の上へ。

 青い血管が透ける白磁如き肌が波打ち ―――、先端を吸い込んだ。

 虹色の薄絹に包まれた指先が、波紋の中心へと吸い込まれると、

 ― 遙絃、、、 ―

 銀恢の隻眼が、ゆっくりと閉じられた。

 痩せぎすな体躯がしなやかに仰け反れば、長い砂色の髪が、大地に広がった。

 一方、肘まで、その身に沈め、

「天狐よ。そなたの剣、借り受けるぞ」

 奏伯は、一息に引き出した。

 波打った胸元から、裏返る ―――、胡露の体。

 鉛色の輝きが辺りに毀れ、砂色の髪の先が、大地を払う。

「、、、、、」

 奏伯が右腕を振るうと、白銀の刃が、鈍く輝いた。

 絶えず彩を変える薄絹に包まれた腕は今、砂色の血管で覆われ、奏伯の手の甲には銀恢の眼が一つ、蠢く。

 刀身は、無数の長針の如ききょくが密集し、絡み合っては幅広の太刀となっている。

「調子はどうだ、胡露?」

 珍しく、気遣うようなその口ぶりに、

『久々過ぎて、正直自分でも戸惑っているところです』

 胡露が身震いだ。

「すぐに、馴らしてみせようよ、、、」

『できれば、お手柔らかにお願いしたいのですが、、、』

「憂慮しよう」

 天狐の荒ぶる属性によって引き出される、胡露が属性の従属形。

 奏伯は、無造作に腕を振った。

 一閃が、築地塀を通り抜け、

「悪くない、、、」

 その冷ややかすらある視界の端で、崩れ落ちた。

『恐れ入ります』

 謙遜するのを他所に歩き出せば、見覚えのある通りに出た。

 水の流れる音が、聞こえてくる。

 恵堂橋。

 辻に立つ奏伯の足元まで、影が一つ長く、伸びていた。

 阿智川にかかる彼方の石橋に、見慣れた後ろ姿。

 水干の背に、青い綾紐で束ねられた群青の髪を流し、欄干の上に片膝を抱えたまま座って、団栗を投げ入れている。

 伯がひとり、遊んでいた。




 鏡面のように凪いだ、川面。

 流れている様子はないが、不思議とせせらぎが聞こえる中、投げ入れられた団栗は、常識を覆すかのように、幾重もの波紋を刻んでいた。

 その波紋は、夜光虫でもいるのか淡く水面下で発光しては、雲気のように揺らめいた。

『都守、、、』

「、、、、、」

 銀恢の眸が、手の甲の辺りからこちらを見つめている。

「ふ、、、」

 その眼差しの先で、青い唇が、いつものように吊り上がった。

『、、、、、』

 胡露は、その様子に【何か】を感じ取ったのか、口を噤んだ。

 奏伯は、無心に、袖から団栗を取りだしては投げ込む、その元へ。

「伯、、、」

 左手が、華奢な伯の肩に置かれれば、

「ん、、、」

 顏を上げた。

「待たせたか、、、?」

 穏やかな眼差しを受けて、伯はふるふると首を振った。

 その仕草は、【いつもの伯】そのものだ。

 無理も無い。

 これは、【亡影】が形作り、今となっては伯が映した都の姿でもあるのだから。

 いつものように、その群青の髪を撫で、頬に手をやると、

「では、殺しあおうか、伯よ、、、」

 静かに言った。

 伯は、まっすぐに金色の眸を見上げ、

「、、、、、」 

 にぃぃ…

 ぞっとするような笑みを ―――、浮かべた。

 刹那、

『都守っ』

 刀身が、撓ると同時に伯の体を弾き飛ばす。

 その身は弧を描き、猫科のしなやかさでもって着地すると、

「フシュ―、ルルㇽ、、、」

 鋭く伸びた牙を剥いた。 

 漆黒の爪には、奏伯の衣が絡まっていた。

 じわりと白い狩衣に滲んだ朱は、脇腹の辺り。

 確かな手応えに犬歯を剥いて、

「ククヶ、、、」

 さらに笑みを深くする、伯。 

 奏伯もまた、薄笑みを湛えたまま、

「その細首、縊る事を何度夢に見たことか、、、」

 無造作に、左手を引いた。

「あぐぅっ」

 その手に引かれるまま、伯の体が大地に崩れ、引き寄せられる。

 とたんに苦渋に歪んだ、その顔。

 胡露が、

『これは、糸、、、!?』

 呻いた。

 胡露も気づかぬ、まさに一瞬の出来事であった。

 奏伯の左手と伯の間に、煌くものが視えた。

「髪だ。伯、当人のな、、、」

 眼を凝らせば、右袖からも無数の輝きが毀れている。

 それらが、伯の全身を絡めとっているのだ。

「かぅう、、、」

「楔とて、生半には切れまいよ。この髪は、今となっては真名を持つ幼神の力の根源、その一端、、、」

 足元で、恨めしげに睨め上げる伯を、

「胡露、、、」

『畏まりました』

 刀身が無数の触手となって別れると、伯の身を覆い、手足は縛り上げられた。

 そのまま、首根っこを掴み上げる。

『御自ら、縊られるので、、、?』

 銀恢の眸が、見上げてきた。

 奏伯は、その問いには応えず、

「さて、あやつはどうしているか、、、?」

 途中で、任せて別れたその人の姿を探すため、振り向いたのだった。




「困ったな、、、」

 燕倪は、困惑していた。

 生まれ育った帝都であるのに、どこか違う。

 見知った屋敷の位置関係、反映した伯当人の記憶が、曖昧なためであろう。

 そんな事情も知らぬ、燕倪。

 業丸の鞘鳴りが無ければ、辿りつけたかどうか、正直、怪しいものであった。

 業丸に導かれるまま、見知ったようで、そうでないような往来を行けば、前方に見慣れた屋敷が現れた。

「、、、、、」

 妙な予感もしていたが、無人の門を潜った時、母屋へと至る玉砂利の敷き詰められた前庭に、まさに、その【相手】と対峙したのだった。

「どうした?ここまで来て、尻込みか、、、?」

「うーん」

 錫杖を手に振り向いた【相手】の向かいで、業丸の柄に手をやったまま、燕倪はたまらず呻いた。

 足元に蟠った影が、沸き立つかのように滾っている。

 何よりも、業丸の鞘鳴りが、止まらない。

 現れた【相手】こそが、まごうことなく【敵】であると、この時ばかりは無機質に、指先から全身へと伝えてくる。

 しかし、

 ― これは、早まったな。仔細を、聞いておくんだった、、、 ―

 勢い勇んで来たのはいいが、燕倪の目の前に現れたその【相手】が悪かった。

「試合うのはいいとして、、、なぁ、その姿、なんとかならんのか?」

 真白の浄衣姿、まさしく【蒼奘】に問えば、

「この都のどこかにいる童に、文句は言え。我らとて、好き好んでこのような姿をとったわけではない」

 どこか憮然とした声音が、返ってきた。

「童って、伯か?」

「とにかく、そやつが、一瞬にして我らをこのような形に映しめたのだ。思い入れのある姿に、力は宿るものだからな、、、」

「だからって、簡単に染められるなよ」

「返す言葉もない。吐き出され、混じり合った負の奔流であった頃は、個として姿を持つとは思いもよらなんだ。このような事は、さすがに初めてだ。割り振られたその童の想いと記憶に、奔流より切り離されし我らも、困惑している。詳しい事は分からぬが、、、ただ言える事は、純朴なる者こそ、ここではその力、大きく働くと言う事だ、、、」

「む?」

「負の感情などと言うものは、単純な想念に過ぎん。それ故に、このように強く現れる。逆を返せば、単純純粋な想いであればこそ、このような姿をも見せてくれる」

 その言葉に、燕倪はしばらく何かを考えるように、顎先を撫で、

「皆、あいつのような心持であれば、お前もこの都も、産まれる事は無かったのだな」

 ぽつりと呟いた。

 どこか、感慨深げな燕倪のその呟きに、

「、、、変わった男だな」

 蒼奘の姿をした者が、淡く笑んだ。

 錫杖の柄を大地につけると、

「斬るがいい、燕倪。私を、、、」

 その手が、離れた。

 遊環が大地に当たり、派手な音が響く中、

「簡単に言うなよ、その顔で、、、」

 憮然とした燕倪の声音が、迎え撃った。

「私は、この【都】の一端に過ぎん。個ですら無く、全なるものの、ほんの一部分だ。正直、人格までもを与えられた【このまま】にされても、混迷極まりないだけなのだ」

 少なからず、姿を映された方も動揺を与えているようだった。

 一度、柄に手を置く。

 握りこんだところで、

 ― 、、、丸腰の相手は、斬れん ―

 妙な気分であった。

 細く息を吐き出して、肩を落とす燕倪の様子に、

「そう時間はないはずだ。じきに、我らの【楔】が現世に穿たれる。急がねば、我らは現世に彷徨い出でて、常闇の風穴を開けるぞ、、、」

 これまた蒼奘の、妙な忠告であった。

「だが、この都の亡影に、お前のような話が分かる奴がいるとは、知らなんだ。探せば、共に生きる方法もあるかもしれんだろ?」

「共に、、、生きる?」

 怪訝な表情をした、蒼奘。

 燕倪は、大きく頷いた。

「ああ。俺達だって、生きて戻りたい。お前達だって、こうして、その人格に甘んじて俺の前に現れた以上、そうなんだろ?」

「、、、、、」

 その沈黙に、

「行こう。会わせたい奴がいる」 

 燕倪は快活そのものの笑顔で、敵に背を向けたのだった。




「ようやくの、おでましかぇ、、、」

 寝そべっていた秀麗な美丈夫は、ゆっくりと立ち上がり、ぐっと伸びをした。

 慎ましく揺れる、金色の曼珠沙華の簪に手をやると、

「私は焦らされるのが、嫌いでな。そこの鬼馬に屍魚よ。自慢の脚で、駆け抜ける事はできよう。巻き込まれたくなければ、鎮まるまで退いていろ」

 そのまま引き抜いた。

 腰まで覆う蜂蜜色の髪が、長く流れた。

 九尾の尾は、風も無いのに揺らめき、透けるように白い肌は、薄い銀毛で覆われる。

 涼しげな紺碧の双眸、その白目は血の色に染まり、目尻は大きく裂けた。

 クククォオオオ・・・ン・・・

 脱げ落ちた衣から、しなやかな獣神の巨躯が四脚を着いて遠吠えした。

 その九尾が振られると ―――、四尾となった。

「ついでに言うと、待つのはもっと嫌いだ」

 天狐としての、真の姿。

 ― 天狐解放で十分。この程度、空狐に遡るまでもない、、、―

 ゴゴゴゴゴガガアア・・・

 遙絃に付き従うように、茫洋と火柱が立ち昇る。

 静かに唸り声を上げながら、小波のように彼方からこちらへと近づかんとする闇の触手を牽制する、八柱の鬼神。

 しだいに、褐色の肌のその姿を現すと、一様に金色一色で占められた双眸を見開いた。

 その肩の一つに、獣神遥絃が、触れた。

「ふ、、、」

 噴煙噴き上げる手をそのままに、淡く微笑むと、

「【緋皇】と言うのか、与しやすい。が、、、」

 ガガ・・・

 緋皇と呼ばれた鬼神の、すぐ傍らに立っていた鬼神が、仰け反った。

 背に、腕が生えていた。

「【真名】は、【狛皇】。荒ぶるあの男の属性の中では、そなたが【核】。遠慮なく、使わせて貰うぞ、、、」

 背へ突き抜けていた腕が、一息に引き抜かれた。

 狛皇の身が白銀の粒子となって、漂った。

 そのまま腕を振るうと、

「こんなものか、、、」

 粒子がその手に集まり、形成したのは ―――、八重の羽衣。

 その身に、新たな羽衣を纏うと、彼方の闇に眼差しを注いだ。

「現世は、さぞや窮屈であったろう。彼の地は、制約が多すぎる。だが、ここは、異界と心得よ」

 ゴガガガ…

 口が裂け、迫り出す牙が、【任】を妨害すべく迫る【相手】への敵意を露わにする。

「これより先、この淵を【境界】とする。存分に暴れよ、八火業焔衆」

 艶然と微笑むその傍らから、火焔を纏った鬼神らが四散。

 薄闇を斬り裂くように、あちらこちらで火炎が上がった。

 鬼神らを見送ったその身が、ぶれた。

「さて、荒ぶる、我が荒御魂よ」

 ケケケヶェエンンッ・・・

 輪郭を変え、姿を変えて現れたのは、金色の巨狐。

 その背に腰を下ろし、額を撫でる者こそ、

「この身に戻るのは、どれ程ぶりだろうか、、、」

 黒髪黒眸。

 浅黒く華奢なその姿は、この地に在って、ひどく脆弱に見えた。

 狐憑き。

 かつて、その呪力で一つの国を滅ぼした生神が、いたと言う。

「あたしが滅びれば、同化しているお前も、また、、、」

 クケケ・・・

 感慨深げなその呟きに、喉鳴りが混じった。

『笑止』とでも、言いたげであった。

 そして、

 あぁぁあぁぁぁぁあああ

 大気が喚き、吹き上げる。

 淵へと向かい、果てしない闇の天蓋へと迸った巨大な波は、よく見ると細やかな、触手の群れ。

 津波の如く押し呑まんと、一斉に触手が撓んだ。

鵡吾守むあす、、、」

 それは、解放の名。

 撓んだ触手の中程に、円を描くように閃光が奔る。

 ぁあぁぁぁぁあ 

 斬り放たれた触手を、今度は極彩色の焔が焼いた。

 広大な淵のあちらこちらで、稲妻のような閃光が奔っては、火花が上がる。

「優美なものだ、、、」

 遙絃の伸ばした指先に遊ぶのは、羽毛の如き、その実触手であったものの成れの果て。

 灰鼠はいねずの残骸だけが、細やかな灰塵となって空から舞い降りてくる。

 轟々と、極彩色の火焔が入り乱れる中、

 ケェエェエエエ……ンンンッ

 巨狐の口から放たれる、閃光。

 鬼神と巨狐に守られて、遙絃は、亡骸降り積もるその淵を、振り返った。

 亡影を、現世へと浮上させんと集まったのだろう。

 絶え間なく、打ち寄せては押し流さんと迫りくる、触手の大波の先に、

「今頃、どの辺りにいるのだろうか、、、」

 巨狐の背で遙絃は、幻影然として燐光を放つ、【もう一つの帝都】を見るのだった。




 現れた男と、その背中にいる己の姿に、奏伯は額を揉んだ。

「燕倪。【何】を連れているのか、分かっているのか、、、?」

 さすがに罰が悪そうに肩を竦めた、燕倪。

「そりゃあ、まぁな。だが、お前に、斬れとも言われなかったぞ」

「まったく、お前という奴は、、、」

 呆れた声音ながら、その金色の眼差しは穏やかなものだった。

「で、お前こそ、その伯はどうしたんだ?」

「カゥウウ―――ッ」

 小さく睨み、唸る伯は、

 ― それに、その腕、、、あの胡露って、狗神かよ ―

 隻眼の奇妙な剣によって、捕えられている。

「可哀想なことするなよ。よしよし、、、」

 伯の頭を撫でようと、差し延ばされた手。

 その指先を、

「がうッ」

「うおっ」

「グゥゥウ―ッ」

 牙を剥いて、咬みつかんとする。

「この通りだ。気性が、荒くてな、、、」

 脇腹の辺りを指さして、奏伯のため息だ。

「早く言えよッ」

 燕倪が、指先を揉みながら、叫んだ。

 多少、切られた狩衣の辺りに血が滲んでいるが、いつものこの軽口、軽傷なのだろう。

 そこへ、

「ソウ、エンゲ、、、」

 燕倪に肩車された伯が、現れた。

「、、、、、」

 奏伯は、もう何も言わなかったが、

「伯っ、お、お前もか!?しかし、こうも揃うとさすがに、こりゃ珍妙だ、、、」

 さしもの燕倪も、己と瓜二つのその主に腕を組めば、伯を肩車しているもう一人の燕倪が、先程本人がやったように、肩を竦めて見せた。

「だんだん奇妙な事になってきたが、伯、銀仁はどうしたんだ?」

「、、、、、」

 もう一人の燕倪に肩車されたまま、伯が指を指した。

 先の辻から、申し訳なさそうに、そろりと姿を現したのは、朱金の毛並みの巨虎。

 その背には ―――、あとりの姿。

「、、、、、」

 無言の皆の視線にあって、

「、、、すまぬ」

 巨虎は項垂れた。

 影は無く、【楔】ではない様子だが、道中、偶然、出くわしてしまったのだろう。

「きぁぅう、、、」

 奏伯の右腕、胡露によって囚われていた伯が身じろぎ、呻き声を上げた。

 放せ、と言っている。

『、、、、、』

 奏伯の一瞥を受けた胡露が、心得たもので、束縛を解けば、

「はぁ、ふ、、、」

 くったりと大地に伏したその鼻先に、ふわりと伯が舞い降りた。

「あ、、、」

 顔を上げたその口元に鼻を寄せると、くん、と伯が鼻を鳴らした。

「ふ、、、」

 顔の横に上げた手に、もう一人の伯が手を合わせた。

「待てッ、伯!!」

 たまらず飛び出す燕倪の目の前で、二つの唇が重なり ―――、吸い込まれた。

 輪郭がぶれて、溶け合い、

『んんー』

 やがて一人が、とり残された。

 菫色の眸が、どこかぼんやりとして、宙を彷徨っている。

「おい、伯?!大丈夫か?」

 その肩に手を置き、頬を軽く叩けば、

「いっ、、、いあぃいー」

 燕倪の鼻先で、犬歯が覗いた。

「どこも、おかしくないか?!」

「ん、、、」

 伯は、さも不思議そうな眼差しで、慌てふためく燕倪を見上げて頷いた。

「いきなり、お前、、、」

 菫色の眸が、ひどく澄んで、

「だぃ、じょーぶ、、、」

 短く、そう言った。 

 それでも、時折、噎せ込むような咳を繰り返す。

「伯」

「う、、、」

 奏伯に名を呼ばれて、振り向いた伯が腕を伸ばす。

 その身を腕に抱き上げると、

「無茶をする、、、」

 子供にするように、背を擦り始めた。

 涙目で、胸の辺りに手を置く、伯。

 細く息を整える伯が、

「捉えたか?」

「、、、ん」

 奏伯の問いに、頷いてみせた。

「まさか、俺達もしろ、なんて事は無いよな、奏伯?」

 眉宇を顰める燕倪の眼差しの先で、もう一人の燕倪もまた、まっぴらだとばかりに首を振っている。

「理解したければ、そうするが易い。伯は、我らの先駆けとなって、先方の意思を汲み上げんとしたのだ、、、」

「都守。伯が、途中で【水の音】がすると言っていた」

「この【亡影】が、現世より派生したと言う事だ。吸い上げている【根源】は、地続き故に可能な証。その流れを、伯は水の音に例え、擬えて、己が視ている現世の都を映しだした、、、」

「純粋無垢な想いこそ、元素を実行支配し易いとは聞いていたが、、、」

「今の伯は、真名を得た、幼神。名乗りを挙げぬと言うのは、それだけで、一つの理を持つ。その力の行使は、大いなる存在が強いる制約外と言うことになる、、、」

 名乗りを挙げぬという事は、大いなる存在に帰依し、神意を授かる意に反してはいるが、力を行使する点においては、様々な利点があるのかもしれない。

「ソウ、、、」

 もの言いたげに見上げる、大きな菫色の眸。

「ああ、聞かせてくれ、、、」

 金色の眸が、まっすぐに見つめ返した。

 しばし、伯の内なる声に耳を澄ましていた、奏伯。

「、、、やはり、【亡影】は、【さかしまに生えた大樹】のようなものか」

 そう問えば、小さな咳を繰り返していた伯が、

「、、、、、」

 こくり…

 頷いてみせた。

「吸い上げられているのが、怨念ってのか、、、」

 感慨深げに、燕倪が辺りを見回した。

「悲しみも憎しみも、本来ならば地に還るもの。それが時として、魂から溢れ出て、想念の鬼となり、怨念として地中深くに浸み込み、朽ちる事も赦されず、蟠る。それが鬼窟であり、奈落、、、」

「魂は救われても、その瞬間に切り離された感情は、行き場を失い、この世に留まり続けている、と言う事か」

「そうだ」

「だが、そうすると、人がいる場所には、必ず、、、」

 そこまで口にして、燕倪は、言葉にするのをためらい、

「、、、極論は、人が存在している間には、解決できない、だな」

 力なく、呟いた。

 燕倪にしては珍しく、後ろ向きな答えであった。

 権力争いの先兵として、粛清に駆り出された駆け出しの頃を、思い出していた。

 燕倪の傍らで、奏伯が頷く気配があった。

「、、、、、」

 伯が、腕から下りて、しゃがみ込む。

 両の手を広げ、

「煽る者、、、イチバン、悪いっ」

 大地に叩きつけた。

 それは、子供じみた仕草であった。

 どこか可愛げさえ窺える、次の瞬間 ―――、

 ゴゴォゴゴゴ…ゴゴ…ッ

 ―――、 大地が、大気が、蠕動を始めた。

 色と言う彩が崩れ落ち、剥がれ落ちる。

 高みから降り注ぐのは、灰色の雲であったものか?

 空の青さも、どろりとした液体のようなものになって、辺りに極彩色の染みを作り始めた。

「胡露」

『はい。皆さま、こちらへ』

 羽衣が、頭上に広がる。

 駆け込んだ燕倪は、

「おい、お前達もっ」

 佇んだまま、こちらを見つめる者達を促した。

 銀仁の背に乗っていた、あとりの姿をした者が、

「ふふふ、、、」

 くるりと身を翻し、彩の雨の中に佇む、蒼奘と燕倪の元へ。

「あとりっ」

「だめっ、、、」

 たまらず追いかける銀仁の背に、伯が阻むように乗って、制した。

 にこにこと笑いながら手を振るあとりの肩に、二人の手が置かれた。

「次は、無いぞ、、、」

「ああ、斬るからな」

 辛辣な言葉となるはずが、耳にどこか柔らかい響きであった。

「お、おい、、」

「燕倪」

 追おうとした肩を、奏伯の手が掴んだ。

 降り注ぐ極彩色の雨に打たれて、三人の姿はあっけない程あっさりと、流れ出しては大地に、蟠ってしまった。

 棒立ちで、その様を見つめるしかなかった燕倪が、

「、、、教えてくれ、奏伯。俺が、斬っていたら、彼らは、救われたのか?」

 そう問うた。

 柄に置いたままの右手の下 ―――、業丸の鞘鳴は、止んでいた。

 帝都の輪郭すらも留めぬ、色彩の奔流。

「それは、【彼ら】にしか決められぬ、、、」

 交じり合い、黒き、闇よりも暗黒の渦と化す世界を見据えながら、

「分かる事と言えば、ここに居た者は一様に、対話を望みながらも、相容れぬ世に生きているという事実だけだ、、、」

 鬱々と、そう呟いたのだった。




先日、旅先から帰国。。。

久々に、異国の空気を吸ってきた煬です。。。


本当に、僕自身、異国体質だった言うことを実感してきた次第で、空気が性に合うと言うのか、、、叶うことなら、三度海外で仕事がしたいっ、とまぁ、駄々を捏ねてみたというのか。。。


雑多で混迷、近代的でもあってカラフルな建築物、無駄に高い関税が掛けられた嗜好品、メルヘンと思いきや安全性を問うくらい超弩級の絶叫マシン、政府公認の蠱惑的なお姉さま達、香辛料をふんだんに使ったスパイシーエスニックダイナミックス料理に、くっさくて最高に美味い果物。。。



・・・・・・ん?


はっきり言って、帝都という作品には、まったくもって皆無な刺激の数々だったなとか思いながら、もうすこし、この物語は続きます。。。

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