終幕への誘い
昼でもなお、鬱蒼とした雑木林。
木々の間を駆け回る栗鼠や兎、おしゃべりな小鳥らの姿も無く、その日は、ひっそりと静まり返っていた。
静寂の中、雑木林の暗がりから、ゆらりと人影が現れた。
「、、、、、」
足音は、そよ風が揺らす木の葉の如くで、おおよそ人ならぬ滑らかな歩みであった。
菅笠を目深に被った、平凡な旅装束。
ほっそりとした痩躯ながらも、覗く手足は健康的に焼けていた。
笠を僅かに上げて耳を澄まし、再び、歩を進める。
何かを探しているようでも、ただ、この林に迷い込んでしまったようでもあった。
ふかふかとした、枯葉の層からなる腐葉土。
草履の足裏に感じながら行けば、やがてぽっかりと空の天蓋を望む空間に出た。
今日の空は、曇っている。
「ん、、、?」
足元を見た。
色が変わった大地、固い土の感触。
草履裏で確かめながら、空間の中心へ。
微かに漂う焦げ臭さに、辺りを見回せば、黒き消し炭の残骸が目についた。
木洩れ日も遠く、それでいてじっとりして冷たきは、どこか獣の息にも似た陰の氣で澱む【元凶】で、それは確かに ―――、【そこ】に居たのだった。
≪ ヒィアア…ァァアア… ≫
「何を、啜り泣く?」
耳を劈く、幽鬼の声。
茫洋とゆらめきながらも、猛き青白の鬼火を纏った女の姿をしていた。
≪ ヒギッ…ィエェ… ≫
突然声を掛けられ、身じろぐ幽鬼相手に、
「そう怯えるな。まぁ、これも何かの縁だ。話してみろよ」
≪ ウギ…キゥ… ≫
足を止め、耳を傾ける物好きが、一人。
「、、、そうか、そうか。東国で名うての拝み屋であったか。ふむ、、、さも、恐ろしいものは、鬼でもなく、【人】であったと。お前を斬った相手が、憎かろう?のうのうと今もなお生きている【そいつ】が、恨めしかろう?」
≪ キシゥア…ェエェァァア… ≫
「俺の眷族に堕ちれば、そうさな、お前の憎きその相手に、一矢報いるくらいの鬼気は授けよう」
≪ ギ‥ギゥ…ァアアッ ≫
歓喜さえ混じった、その声に、
「だが、鬼となり、その魂魄を燃やしてはいけない。燃やし尽きれば、お前が【尽きる】。そんな相手一匹のために、何も、お前さんが消えることはないだろうよ」
≪ ヒギギッ…クェエガガ… ≫
揺らめき、勢いよく燃え上がった、青き鬼火。
まるで、その言葉に、たじろいだような…
「まだ、間に合う。その耳に、俺の言葉が届いているのなら、閉じられてはいない。どうする?」
≪ 、、、、、 ≫
青白き炎を纏った女が、黙った。
ゆらめくその炎の中へ、菅笠をかぶった若者の手が、伸びた。
「決めるのは、おまえ自身だ」
ゆらり…
炎が、その手を伝い、若者の全身へと、伝播。
しかし、
≪ ア… ≫
涙に濡れる、その頬へ。
とめどなく溢れ、頬を濡らす、魂の欠片 ―――、血涙。
構わず、指先で拭えば、
「、、、手段はどうあれ、帝都で名を上げる好機であったのだな。それは、無念であったろう」
≪ ウッ…ァワァァア――ッ ≫
その足に、たまらず女が、縋った。
振乱し、慟哭に暮れるその髪を、労わるように撫でながら、
「望んで鬼となる者なんて、いねぇのよ。縛られたのなら、まず、己の心を解放することだ」
左手で、印を結んだ。
肩に掛けていた薄絹を抜くと、そっと女に掛ける。
「ひふみよいむなや…ここのたる…」
薄絹が、風も無いのに、波打った。
青白き鬼火が揺らめき、赤々と燃え出す。
辺りが、明るくなる。
「ふるべ…」
菅笠の若者の手によって、薄絹が巻き上げられ、
「ゆらゆらと…ふるべ…」
宙にて、一際、激しく燃え上がる。
ゆらり…ゆら…
右へ、左へ。
揺らめき、舞い落ち、焼き消えてしまうその中を、
ひら‥ひら‥ら…
白き胡蝶が一羽、空へと舞い上がった。
「、、、、、」
雲間から覗いたのは、空に掛かった細い、弓張の月。
昼間の、その頼りなげな月へと向かい、溶けて行くのを見送って、
「ふ、ぅ、、、」
細く、息を吸い込んだ。
辺りに漂う鬼火の欠片が、そのまま薄い唇へと吸い込まれ ―――、消えた。
淡く、その身が発光し、
「、、、、、」
やがて元の姿へと、戻っていった。
佇む、痩せぎすなその背中に、
「これは、【先代】。お懐かしゅうございます」
「、、、、、」
声が、掛かった。
菅笠を目深に被った者が、ゆっくりと振り返る。
「、、、誰かと思えば。ははは、実敦坊かっ」
その先を上げて快活な笑い声を響かせたのは、端正な容貌の若者であった。
真白の行者装束の背に、最小限の荷の包みを負っている。
熊笹の茂みの向こうから現れた相手 ―――、天羽実敦に、閉じたままの双眸が向けられる。
「実敦様、、、」
不安げに実敦を見上げるのは、悠霧であった。
「、、、、、」
無言で背に、悠霧を庇うと、
「お達者なようで、なにより」
深々と、頭を下げた。
相手は、罰が悪そうに、ぼりぼりと頭の後ろを掻きながら、
「達者も何も。何者かが、ずっと後ろを付いて回ってやがるとは思っていたが、追いつかれたかな?」
からからと、笑った。
「御謙遜を。貴方様なれば、おれだと分かっていらっしゃったはず。それとも、頃合いだと、こうして顕現なされたか、、、」
固く閉じられた、その双眸。
けれど、実敦がそこにいるのが視えるようで、手にしていた杖に両手を置き、細い顎先を乗せると、
「うはははっ」
人好きのする笑みでもって、躱した。
今、目の前にいる相手は、
― 変わらない。何も、変わらない。この方は、紛れも無く、、、 ―
実敦が知っているままの【相手】、であった。
― それでも、、、 ―
頭で分かっていながらも、冷たい汗が一筋、頬を流れていった。
悠霧を押さえている腕に、自然、力が籠る。
― この吹き付ける【気】は、、、ッ ―
不快に纏わりつく、淀んだ陰気。
瘴気にも似た、それは?
対照的に相手はただ、にこにこと閉じたままの双眸を、向けている。
息を一つ飲み込むと、実敦は、意を決した。
その深紅の双眸でもって、相手を見つめる。
「先代。お答え下さい。何故、、、」
そこまで言おうとしたところで、
「ヨルッ、どこじゃ?!」
澄んだ声が、辺りに響いた。
森の奥、青き鬼火が、ちらちらと揺れていた。
「ただ今」
弾かれたように、振り向くところを、
「先代っ」
たまらず、捕まえようと、腕を伸ばす。
が、
― ふ、風伯、、、っ ―
寸でのところで、袖が巻き上がり、鼻先を、白き精霊が横切っていった。
実敦の願い空しく、むせかえる程に生茂った新緑の深みへと歩き出した背中が、
「実敦よ。今日は、良き日であった。ほんの一時であったが、確かに昔に戻ったようだった」
「ヨ、、、」
実敦には、どこか哀しげに見えた。
だから ―――、だったろうか?
「戻れますともっ」
「、、、、、」
実敦にしては珍しく、力が籠った声であった。
自分でも、何を言っているのか分からない程、溢れださんとする思慕の念が、声となって迸っていた。
「戻れます。ですからどうか、先代。陽の下へ、お戻りを、、、」
「、、、、、」
しばしあって、視界から遠ざかるその背中が、
「都守に伝えてくれ。【ヨルが待っている】と、、、」
そう言い放つと、振り切るように闇の中へと、消えていった。
「ヨル様、、、」
「、、、、、」
足を踏み出そうとして、
「実敦様、、、」
己が衣を掴む存在を、意識した。
何も知らぬ悠霧の鼻先に届いたのは、
「ん?あまい、、、花の、、、」
風によって運ばれた、噎せ返るような百合の香りであった。
それは、夢でも見ているようであった。
いるはずの無い、その人と出会った。
その人と、言葉を交わした。
この世に在ってはならない、【存在】。
その人が消えた辺りを、どこか茫洋と見つめる、実敦。
そのまま、夢路に在るようで、
「実敦様」
悠霧は、たまらず、袖を引いた。
ゆっくりと、焦点が戻るのを見計らって、
「あの御方は?」
そう、尋ねた。
「、、、ああ。父の師であり、おれの師でもあった方だ。先代の、都守、、、」
「師、、、都、守?」
俄かには、信じられぬ出来事であった。
「なのに、なのにどうして、死霊の、、、いいや、鬼の臭いがするんですか?!」
「、、、、、」
実敦は、改めて、その人が消えた方を、見た。
ただ、薄闇だけが湛えられたそこの先に、
「おれにも、分からんよ、、、」
苦々しいため息が、滲んだ。
実敦自身も、予期せぬ再会であった。
正直、訳が分からず、
「、、、、、」
肩を掴もうとした右手を、強く強く、握りしめたのだった。
※
楓の梢で、新緑の間から覗く太陽を、その葉越しに眺めていた、伯。
葉脈を透かし、風にゆらゆらとする様は、まるで紺碧の大海の浅瀬にでも、たゆたっているようで、
「ん、、、ぅ、、、」
暖かな陽気も手伝って、うつらうつら。
彼方で、力強い羽ばたきが聞こえてきた。
大気を捉え、自由に舞い羽ばたく、白き大鷹。
視界の端に、その優美な姿を捉えたところで、
「、、、、、」
夢見心地は、変わらない。
そんな伯の心地など、露知らず、
「よ。しばらくぶりだな。ちびすけ?」
「ッ」
聞き覚えのある声が元気よく、辺りに弾けた。
反射的に、小さな牙が剥かれ、
「ふぎぎッ」
跳ね起きて、睨み据えたその先に、
「んだよ。久々なのに、ご挨拶だな」
不敵に笑う ―――、悪戯小僧の顏。
「――――ッ」
血相を変え、大池に浮かぶ浮草を足掛かりに、奥の書院へと舞いゆく、その姿。
「若君?」
茶菓子を運ぶよう、汪果にいいつけられた琲瑠は、伯のその様子に振り向いた。
「待てよっ」
木立から続く小路を抜け、渡殿を、こちらへと向かってくるのは、
「ゆ、悠霧様?!嗚呼、そのように追いかけては、誰でも逃げま ―――、あっ、、、」
その、悠霧であった。
琲瑠の言葉など耳に入らぬ呈で、すぐ傍らを走り抜けてゆく。
「、、、まったく」
その様子が、琲瑠の目には、なんとも微笑ましく映るようで、
― 一人、二人と、いつの間にやら、増えていくものなのかもしれない、、、 ―
その背中を見送った。
一冬越えただけだと言うのに、悠霧の背中はどこか、一回り逞しくなったようだった。
大池に張り出した老松に、真白の大鷹が舞い降りる。
片翼を広げ、毛繕いをしつつも、その鋭い眼差しは、主だけを見つめている。
「、、、伝言、確かに伝えたよ」
色素の薄い、金色の髪が、長く背に流れていた。
褐色の肌に、切れ長の眸は ―――、深紅。
それだけでも、異形と呼ばれるに十分だったが、
「ああ、、、」
対峙する相手も、似たようなものであった。
脇息に凭れ、湖面に遊ぶ蝶を眺めていれば、
「―――ッ」
一陣の群青色の風が、懐へと舞い込んだ。
「お」
実敦が目を眇めた、先。
「、、、、、」
蒼奘の腕の中へと飛び込み、実敦の気配を受けて、そのまま背中へと逃げ込んだのが、
「うー」
伯。
そろりと顏を覗かせて、一度は、実敦を伺うが、
「しばらくぶりだね、幼神」
「、、、、、」
近づいてくる足音に、顏を引っ込めた。
「相変わらずの、人見知り、、、」
にこりとしたところで、
「なぁ、ちびすけは?ちびすけ、来なかった?」
足音が、人の形となって現れた。
「そこにいる。さ、悠霧、ここにお座り」
「うん」
実敦に言われれば、素直に、傍らに座った、悠霧。
幾分背が伸びて、あどけなさが抜けつつある顔は、精悍なものへとなりつつあった。
後から現れた琲瑠が、茶と菓子を勧めれば、すぐに悠霧の手が伸びた。
さすがに、甘いものとは無縁の旅なのだろう。
その様子を見つめていた実敦が、碗を受け取る。
辰砂の釉薬も瀟洒な、蓋碗。
その温もりを、掌で感じながら、
「で、都守、、、どうするんだ?」
未だ、その眼差しを庭へと向けたままの蒼奘に、問うた。
凭れた脇息の下から、手が伸びた。
高坏に盛られている琥珀色の飴を摘んで、引っ込めば、カリカリと、齧る音が聞こえてきた。
再び伸びる、手。
その指先へと、高坏を寄せてやりながら、
「先方からの、願っても無い【申出】だ、、、」
闇色の眼差しで、実敦を見つめた。
「待っていた、とでも?」
その問いに答えるかわりに、蒼奘は、青い唇に薄笑みを刷いた。
「そうか、、、そうか、、、」
その様子に、実敦は一人頷くと、そっと唇を碗に当てた。
舌先にほろ苦く、そして、微かに甘い。
「、、、旨いな。茶葉もいいが、水も、甘い」
部屋の隅に控えている琲瑠が、その言葉に、にこりとした。
「北の弩欒山系に降った雨が、長い年月をかけて濾過され、帝都では唯一、このお屋敷に湧いてございます。聞くところによりますと、先代は、裏鬼門にあたるこの湧水が、帝都中の水脈と繋がっていることに因み、ここに、お屋敷を建てることをお決めになったとか、、、」
感心したように、実敦が、頷いた。
「耶紫呂の【や】は、神代では【谷】に発し、【水湧く地】を示す。帝都の地中を廻る水氣が穢れれば、氣が枯れる。流れ込む龍脈が嫌気すれば、国が枯れる。あの方の事だ。清らかなこの湧水を、社の名で負い、屋敷を建て護る事で、裏鬼門の清浄を保ち、自然結界の要とされたのだろうなぁ」
水しぶきを上げて、鯉が跳ねた。
満々と湛えられた、大池の水。
咲き競う菖蒲の向こうで、緋鯉が優雅に、泳ぎ去っていくところであった。
渡殿で結ばれた四阿屋に、平橋が掛けられた、浮島。
そのどれもが人造美であるが、平素、大自然の中を移動する実敦の目に、反って、新鮮に映った。
自由気ままな、放浪の旅。
雨風の心配のない屋敷に在って、こうして歓待を受ければ、流石に、一息ついた心地であった。
「、、、、、」
それが反って、里心がついてしまいそうで、
「悠霧、そろそろ行こう」
「えっ、もう?」
早々に、席を立った。
「邪魔をしたね、都守」
そう礼を言えば、
「いや、、、」
蒼奘が、闇色の眼差しを、伏せて応じた。
「阜嵯弥、行くってさっ」
悠霧が声を掛ければ、老松の大鷹が、一足先に大空へと舞い上がった。
遠ざかる羽ばたきに、
「、、、、、」
蒼奘の肩の辺りから、翡翠の枝分かれした角が、覗く。
伺うようにこちらを見つめる、菫色の眸。
先に、庇の下に走り出していた悠霧が気づいて、
「またな、伯。達者でな」
実敦の傍らに従いつつ、手を振った。
「、、、、、」
伯の手が上がって ―――、 左右に振られた。
満足げに笑った、悠霧。
そのすぐ後ろを、見送りに、と琲瑠が従っていった。
「うー、、、」
さすがに、取り残された感が残るのか、伯が呻いた。
それでも、感情を伺わせない眼差しでもって、外を眺める。
陽射しは強く、それでいて、湖面を渡る風は、冷たい。
そんな中、
「伯よ、、、」
脇息に凭れたままの蒼奘が、名を呼んだ。
伯は、その白き髪を、手に取った。
握ったり、指に絡めたりを繰り返すのを好きにさせつつ、ふと、
「お前を大地に縛りつけ、どれほどの時が流れたか、、、」
「、、、、、」
掠れた声で、呟いた。
「月並みだが、長いようで、短いようで、あった、、、」
「、、、、、」
伯の手が、髪から離れていった。
風が、いつの間にか止んで、湖面が鏡のように、凪いでみえた。
千切れ雲の影が、いくつもいくつも通り過ぎていった。
衣擦れの音が、した。
伯が、蒼奘の広い背中に、自らの背を預けるところであった。
「、、、、、」
「、、、、、」
帝都の喧噪も遠い、書院。
静かな時が流れる中、蒼奘が、目を閉じた。
背中越しに感じる伯の温もりを、惜しんでいるかのようにも、見えた。
ご無沙汰しております。
鈍りがちな、最終話。ゆっくりゆっくり、更新していきます。。。
一年以上、更新しておりませんが、ほぼ毎日、書いてます。必ず、終わらせます。
海藍編の最終話は、ほぼ書き終えているんですが、本編が終わらないと、都合、載せられず。。。
リアルでくったくたで、PC画面開くと、眠ってしまうんですねー
おつきあいくださる方、どうぞ、気長に、よろしくお願いします。。。