|----- Another Sky フエノタヨリ 燕倪×羽琶
白霧の里を訪れた後、非番を待って遠野へと赴いた、燕倪。。。
ただ、その人に逢いたくて。。。
「あっ、燕倪様、あれに」
童女のように無邪気な声が、蒼天の下で弾けた。
薄紅色の花船が、幾つも幾つも流れる水面に映るは、連銭葦毛の肥馬。
鞍上には、
「おお、なんと可憐な躑躅、、、」
「ここよりずっと川上の土手には、一面、躑躅が植えられているところがありますから、そこからきっと、、、」
遠野は愛智姫の末、鷹乃杷羽琶と、備堂燕倪。
穏やかな陽気の中、庵に籠りがちの羽琶を、『遠駆けにでも』と、誘ったのだった。
ゆったりと編んだ、白銀の髪。
淡い萌黄に染めた狩衣の肩には、薄紅の被衣。
陽射しを浴びて、ほんのりと朱の差した、頬。
艶やかな黒き眸が、今日はくるくるとよく動く。
水面を滑る、躑躅の花。
小魚が跳ねて、ゆらゆらとする様を眺めれば、ふと、
― いつかの【楔の姫】を、思い出すな、、、 ―
異界で出会った姫を背に負って、『千草に乗って、秋の川に流れる木の葉の錦を見よう』と、連れ出した日の出来事を、思い出していた。
― 世界は、こんなにも眩いと言うのに。瑚麝姫、、、 ―
異界の楔。
暮れることも、明けることもない、【永遠の黄昏刻】に魅入られた、不憫な哀しき姫であった。
鼻の奥が痛くなって、
「、、、っ」
燕倪は、水面を睨んだまま、顏を顰めていた。
「、、、、、」
背後にいるその人が、急に静かになって、怪訝に思ったのは、羽琶。
振り向いて、その様子を伺うと、
― 燕倪様、、、苦しそう、、、 ―
そっと、懐から鹿の皮をなめした袋を取り出した。
桃色の爪先が添えられたのは、漆の塗りの篠笛。
唇にあてると、
― 燕倪様の心を、わたしは垣間見る事はできないけれど、せめてその苦しみに、この音が、寄り添えたのなら、、、 ―
ヒュ―――…ァァ―――…
重厚で、それでいて艶やかな音が、響き渡った。
ㇶウウ…ヒョ―――…ロロ…―――
伸びやかで、柔らかい。
その音は、風に乗って大地を駆け抜ける。
彼方では、農作業に励む者達が手を休め、土手に腰を下ろして、耳を傾けていた。
茂みで草を食んでいた野兎は立ち上がり、獲物を探していたはずの鳶は、優雅に風に乗って、空に弧を描く。
水面を睨んでいた川蝉は、羽繕いをし、遡上する若鮎は、川底で身をくねらせ、白銀の腹を煌めかせる。
芽吹きの季節を享受する、生きとし生ける者達の賛歌を、そのまま代弁しているかの如く【音】であった。
― 、、、あ ―
羽琶の笛の音に、我に返った、燕倪。
「、、、、、」
ゆっくりと眸を、閉じた。
瞼越しに光を感じ、肌には、陽射しの暖かさを感じる。
そして、
― なんと穏やかな、旋律だろう。春の野に遊ぶ胡蝶、そよぐ草花が、目に浮かぶ。羽琶殿の笛の音が、この世界と共に、我が身に染み入るようだ、、、、、、 ―
なんとも言えぬ心地に、大きく、深呼吸。
自然の息吹を、胸いっぱいに吸い込んでから、目を開けた。
燕倪が見上げた空は、
「、、、、、」
やはり、たまらなく眩しかった。
― 、、、いや、違うな。この世が、こんなにも眩いと教えてくれたのは ―――、瑚麝姫だった、、、 ―
ちぎれ雲が、幾つも頭上を流れていった。
やがて、
―――…ロ…ロ…ァァ…
余韻の尾をひいたまま、羽琶が唇から、篠笛を放した。
「、、、、、」
「、、、、、」
燕倪は、華奢な背中を見つめていた。
一曲、奏じて、小さく上下する、その背中に、
― そして、その世界が、愛おしいものだと、そう感じさせてくれたのが、、、 ―
燕倪は、特別な想いを、見る。
「羽琶殿。海に、行きませんか?」
「え、、、」
息を整えながら振り向いた先で、燕倪が、にこりと笑った。
「海ですよ。行きましょう」
子供のように、輝く、その鈍色の眸。
頭上高くから降り注ぐ、陽光。
「、、、でも、燕倪様。陽のあるうちに、帝都へお発ちにならなければ、明日のお勤めに、、、」
眩しさに俯いて、小さく言えば、
「なぁに、夜通し駆ければ、この千草の脚。十分間に合いますよ。この燕倪、これでも武官の端くれ、心配ご無用っ」
からからとした笑い声が、返ってきた。
― 本当に、この方は、、、太陽のような、、、 ―
羽琶が、改めて感じ入る。
けれど、
「あ、、、潮風は、嫌いですか?」
俯いたままのその様子に、勘違いした燕倪は、慌てた様子で羽琶の顏を覗き込んだ。
新雪よりも白い垂髪が、羽琶の顏を隠して、
「い、嫌なら行きませんよ。もちろん」
行き場を無くした、大きな手が、おろおろと宙を掻いた。
くすくす、、、
そのうち、小さな笑みが漏れ聞こえて、
「あの、羽琶殿、、、?」
燕倪は、思わず怪訝な顏。
そんな男を見上げて、
「嫌だなんて、一言も言ってません。行きたいっ」
大きく、頷いて見せた。
遠く、南の方角。
広がる平野には、ぽつりぽつりと背の高い木々が、青々とした枝を広げ、街道へ至る幾筋もの細い道には、人々の姿。
水を満々と湛え、緑萌える田圃を割って、陽光に輝くは、白銀の帯。
悠然たる、その姿は、海へと至る、芭螺川だ。
「なれば、参りましょう。暗くなる前に戻らねば、御身に障る。少し速足で参りますから、しっかり、掴まって」
「はい、燕倪様、、、」
初夏の訪れを感じさせる薫風に、優しく鼻孔をくすぐる香りが、混じった。
燕倪の視線の先。
白銀色の髪が靡いて、
「お、、、」
その拍子、手に感じた、温もり。
手綱を持つその手に、羽琶の手が、置かれていた。
鈍色の眸が、穏やかに眇められる。
と、次の瞬間、
「う、、、羽琶ど、の?」
白銀の髪が、風と共に胸へと舞い込んで、燕倪は、羽琶の背中を預かっていた。
突然の事に、頭の中が真っ白になって、何度も何度も、状況確認。
すぐ鼻先に、ほっそりとした首筋が窺い見えて、
― 嗚呼っ、、、これは夢ではないのか?! ―
声無き歓喜だ。
羽琶の衣に焚き染められた、梔子の香りに包まれて、眩暈すら覚えながら、温もりを確かめようと、そっと、手を返して握り返した。
「ふふ、、、」
羽琶が振り向いて、微笑んだ。
「お、ぁ、、、」
目と目が合って、狼狽える燕倪を余所に、その人の眼差しは、すぐに前方彼方へ。
― 耳が、熱い、、、 ―
きっと、頬だけでは無く、耳の先まで紅潮していることだろう。
背中に、こそばゆさを感じながらも、頬が緩んでしまう、燕倪。
早鐘のように、全身に反響する、鼓動。
気取られまいと、千草の馬首を返し、脾腹を蹴った。
力強く、大地を捉える、千草の蹄。
大地を跳ね上げ、風を纏う、連銭葦毛。
その鞍上に在る二人が、躑躅の花船を従えて睦まじく、滔々と流れる芭螺川の水面に、映っている、、、
ふと、場面が浮かんでくる時がある。。。
そのワンシーンを切り取って、言葉で描いて、繋いで、綴って、直しては、また、着色して。。。
その繰り返しの中に、彼らが息づいてくれると、幸いですなwww