第拾ノ伍幕後 ― 白砂邂逅 ―
自然結界の【楔】であった滝守、彗鼓。幽世に舞い降りた彼女の元に、とある冥官が現れて、、、
死人還りの都守蒼奘、業丸を継ぐ武官燕倪、幽身であるがこの世に縛られた伯。それぞれが紡ぐ異国絵巻、第十伍幕後編。。。
サラサラ…サ…ラ…
何かが、白い砂となって、体から零れ落ちてゆく音が、する。
― ここ、は、、、 ―
サラ…サ…サ…
細かい粒子が、延々と続く白い坂の表面に溶けては現れ、それ自体が生き物であるかのように、大きなうねりとなって、滑り下りていった。
― 、、、ああ。ここ、が、、、 ―
瞼が、重い。
― 年月を経たとて、肉体を失って久しい、この老いぼれができることは、わずか。後は、皆に。今は、少し、、、ほんの少しだけ、、、眠り、たい、、、 ―
瞬きを、繰り返す。
久々に、五感を取り戻したかのような、ひととき。
だが、感慨に耽る時すらも、その身には残されていなかったのかもしれない。
風に攫われ、ふわりと舞い降りた、世界。
脆弱な魂魄として感じる世界は ―――、白かった。
どこまでも、白い。
大地も空も、大気すら、それ自体が仄明るく、発光しているようであった。
白い世界のその先へ、行かねばならないのに ―――、その精神は、とうに限界を迎えていた。
魂魄が、溶けてゆく。
白い世界に、呑み込まれてゆく。
― さすがに、疲れた、、、 ―
瞼が、落ちてくる。
暖かな砂が、静かな入江に寄せる小波のように、肌を優しく撫でてゆく。
安らかな、心地であった。
頬を預けた、その先。
サラ…ㇻㇻ…ラ…
視界は、ゆっくりとそのすべて侵食せんとする白い世界を、歓迎したのだった。
それは、長いようで、短いようで、あった。
どれ程の【時】が、過ぎたのだろう?
光が、細い割れ目から、差し込んできた。
上下の瞼、その境目。
一度は沈みかけた意識へと差し込んだ、光であった。
瞬きを繰り返して、
「、、、、、」
ふと、誰かの背中にいる事に、気がついた。
それまで、漆黒の衣の背に預けていた、頬。
「、、、、、」
上半身を起こすと、白い世界よりも真白な髪が、目についた。
「ん、、、」
背中で身じろいだ気配に、白い髪を緩く編み、肩から垂らした主が、振り向いた。
あれは、まだ、視角が残っていたころだったか。
面影のある貌が、こちらを向いて、にこりとした。
「気がつかれましたか?」
どこか間延びした、声音。
聞き覚えはあるが、まったくの別人のようでもあった。
「あんなところで倒れているなんて、風邪、ひきますよ」
若者が指をさした方を、眺めた。
遠く、どこまでも続く白い斜面が、これまた白い空へと溶けていた。
「無限坂、、、」
ぽつりと呟いて、彗鼓は、小さく笑った。
魂魄が行き着く世界 ―――、冥府。
見渡せば、成程、どこか懐かしい。
延々と続く、平坦な大地。
時折、蠕動し、隆起すれば、同じ方向へと向かい、連なる人影が、見えたような気がした。
蜃気楼のように、掻き消えてしまったその人影を、探しながら、
「最後に会ったのは、いつだったか ―――、蒼奘よ」
その名を、口にした。
「ええっと、確か、、、先代の帝も、お師さまも、存命中の頃だからぁ、、、」
小首を傾げ、記憶を辿る。
白い世界は昼夜の境無く、過去の出来事も、そのまま白く塗りつぶされ、【その人】と過ごした大切な記憶すら、どこか曖昧に感じた。
「今よりももっと、背も小さくて、髪も黒くて、、、」
「ふふ、そうだった。そちは前髪立ちの、まだ水干が似合う年頃だったか。こうして、背負うてもらうなど、、、まったく、見違えた」
その言葉に、闇色の衣を纏った若き【冥官】は、
「図体ばかりが大きくなってしまい、結局、肝心な時に、何もお役に立てなかったようで、、、。面目ない」
項垂れた。
ついつい、毀れた弱い本音に、
「そうでもない、、、」
彗鼓は、その背に頬を、預けた。
布地越しに伝わる、温もり。
それは、久しく感じることが無かったもので、白い世界の中で、今は、何よりも心強いものであった。
静かな、世界であった。
どこまでもどこまでも続く、白い砂海。
現世に在った頃の記憶も、一歩一歩と、その深みへと向かうごとに、どこか遠い日の出来事であったかのように、思えてくる。
― 現世に在った頃、胸中は、いつも小波立っていた。けれど、どうだ?今は、安らかなものだ、、、 ―
不思議な心地であった。
うとうとと、まどろみに、たゆたう。
頬を、冥官の背に預け、童女よりもさらに幼い ―――、赤子の姿をした彗鼓は、やがて、瞼を閉じた。
若き冥官は、肩越し、安らかなその寝息を聞きながら、
「おやすみなさい、彗鼓様」
白い空を見上げ、呟いたのだった。
一夜明け、翌昼。
白霧の里。
「あの、、、」
昨夜の酒席の喧噪は、どこへやら。
いつものように、七霧滝の音が轟々と、それでいて、静かな離れ。
差し込む陽射しも暖かく、草花の香りを運ぶ風に髪を撫でられながら、庭先では伯と子供達が、持ち寄った木の実をぶつけ合う遊びをしている。
早朝の出立の準備に、荷を纏めていた蒼奘と燕倪。
その傍らで、
「僕、もう少し、ここに残ってみたいんです」
薬房より預かった書籍を整理していた瞪樹が、乞うた
「と、言うと?」
「はい。その実、こちらの薬房には、見たことの無いものも多く、伺えば、その効能も様々。つきましては、口伝に残るそれらをも、後学のために、書き留めておきたいのです」
瞪樹の真摯な眼差しと申し出に、顏を見合わせた、二人。
蒼奘は、大して興味の無い様子で、手にした符を、囲炉裏にくべはじめた。
結界固めに用意してきて、不要になったものだろう。
薄暗い室内に、煙が細くたなびき、やがて、赤々とした焔となった。
埒があかない相手に、
「ったく、、、」
燕倪が、舌打ち。
額を揉みながら、口火を切った。
「瞪樹。ここは不可侵の地であり、直轄地。宮中に籍を置く者として、帰還を遅らせるわけにはいかんぞ?」
燕倪は、鈍色の眸で、瞪樹を見返した。
「ずいぶんと勝手なお願いだとは、承知しております」
瞪樹が、まっすぐ見返す。
「そこを、お願いします。僕にできること、探したいんです。今度こそっ」
「、、、参ったな」
その強い輝きに、燕倪は思い出す。
― 関所で会った時とは大違いだ。子供だとばかり思っていたが、、、 ―
あの時は、蒼奘が取り合わず、その場から離れた。
次は、自分の番なのかもしれない。
言葉を選んでいると、
「、、、好きにしたらいい」
囲炉裏辺から、声が掛かった。
闇色の眼差しが、静かにこちらを、見つめていた。
「だが、蒼奘、、、」
「薄気味悪がって、誰も訪れぬ里だ。我らとて、多忙の身。そう易々とこの地を、訪れるわけではない。【繋ぎ】は、必要だ、、、」
「だからって、いくらなんでもお前の一存で、、、」
青い唇の端が、不敵に吊りあがった。
「同行している以上、お前も含まれる、、、」
闇色の一瞥に、
「お、俺もかよっ!!」
燕倪の苦鳴が、混じった。
「そう言う事だ、瞪樹。後は、どうとでも、私から言っておこう、、、」
「あ、ありがとうございますっ!!」
嬉しそうに、頭を下げた。
「浮葉を貸そう。鋼雨程とはいかないが、霧を出さえすれば、帝都までの道を覚えている、、、」
「嗚呼、助かります、都守。僕、早速、呉巴さんに、滞在を伸ばして頂けるよう、お願いしてきますッ」
纏めた荷を縛ろうとした手を止めると、瞪樹は、軒下に置いてあった草履を引っかけ、滝守のいる四阿屋へと駆け出して行った。
その背中を見送って、
「お前、これ見越して、瞪樹を連れて来たんじゃないのか?」
向かいで火箸を手に、炭を突く蒼奘に言った。
「さて、どうであろうな」
「あっ、、、お前、こんな昼間っから?!」
含みのある嘯きに振り返れば、昨夜の給仕の娘が一人。
その傍らで瓶子を手に、微笑んでいた。
満々と満たされた、杯。
一息に干して、
「都を離れた時くらい、大目に見ろ、、、」
「まったく、瞪樹の件も、大目にってか?」
「ふ、、、」
青い唇に薄笑みを湛えたまま、杯を燕倪へと、差し出すのだった。
※
出立の朝。
ホ―…ホ―…ホホ―…
朝靄に抱かれた、白霧の里に、山鳩の声がこだまする。
静寂の中、離れを出て、七霧滝に詣でれば、呉巴が瞪樹と共に、待っていた。
「使い番の件は、直接、私が預かったとは言え、上の連中を誤魔化すのも、精々、一月が限度だ、、、」
「はいっ」
それだけを釘を刺し、見送りは無用と、白霧の里を出た。
それでも、呉巴の計らいにより、霧衣と呼ばれる白き衣を纏った若者達の道案内で、川向こうまで送られた。
「あっという間の帰路、だな」
燕倪が、少し先を行く、白い背中に問えば、
「そうだな、、、」
短く、蒼奘が、応じた。
先を行きたがる千草を、宥めつつ、
「なぁ、、、」
「、、、、、」
その白い背中に問いかけたのは、ほんの少しだけ、心に引っかかっていた事を問うためだった。
「その、、、」
「、、、、、」
見慣れているはずの白い背中が、この時ばかりは別人に見えて、
「ううむ、、、」
思わず、呻き声が出た。
煮え切らぬ燕倪の様子を感じ取ってか、
「なんだ、、、?」
今度は蒼奘が、問うた。
燕倪は、大気を吸い込んだ。
自然の息吹を、体の隅々まで行き渡らせる。
出立が早かったせいか、まだ少し、ぼんやりとする、頭。
「、、、滝守は、何故、いくつもの姿を持っていたんだ?」
「、、、、、」
こめかみの辺りを揉みながら尋ねれば、闇色の一瞥だけが、静かに向けられた。
見る者によっては、侮蔑を含み、あるいは、すべてを見透かしたようにも見える、深淵を湛える、漆黒の闇。
燕倪の鈍色の双眸が、まっすぐに受け止める。
淀みの無い、澄んだ眸であった。
「、、、ほぅ」
それまで引き結ばれていた青い唇から、不意に笑みが、こぼれた。
前を向くその傍らに、馬を寄せると、
「な、んだよ?」
「燕倪よ。なぜだが、分からぬのか、、、、?」
「なぜ、って、、、?
訳も分からず、思い当る節も無い。
ますます困惑し、濃い眉を寄せる。
「俺は、武官だ。この世の有様なんぞ、よく分からん。だから、お前に、聞いているんだろうが、、、」
思わず睨んだ先で、
「人は【願望】を、都合良く【現実】に上塗りすることがある。【そう見せたい】と望み、【そう見たい】と両者が望めば、そこに【かりそめの現実】は成立する、、、」
「ううう、よく分からん。が、、、全ては、お互いの合意の上って事、なのか?」
「そうなるかな、、、」
細く、神経質な横顔が、頷いた。
「だが、お前は、姿を見なかったんだろ?」
「私は、【現状】を、【視】ようとした。彗鼓殿も、私にそれを望むが故に、そう【見せた】。だから、声のみが、聞こえてきたのだ」
「じゃ、俺には、どうして、人外の獣のような姿で、、、」
鼓膜を穿つ、低い声音が、鬱々と告げたのは、
「夢見が悪かろう。女子供、老婆を斬ったとなれば、、、」
「ッ!!」
その真相であった。
思わず、息を詰めた、燕倪。
蒼奘は、
「昨年、連れて来たお前を、一目見て、決めたのだろうよ。お前ならば、あるいは、と。そして、業丸を手にしているお前は、無意識に、気づいたのだろう。お前は業を負う覚悟があり、彗鼓殿は、自ら負うた業から、解放されたいと、、、」
霧に煙る前方を眺めながら、呟いた。
「滝守の心情など、私には分からぬが、、、今を生きる世代へ、託したかったのかもしれない」
「、、、、、」
滝守の配慮に触れた、燕倪。
沈黙が、全てを物語り、
「、、、すまなかった」
そこに詫びが、混じった。
燕倪は、押し黙ったまま、業丸の柄に、触れた。
その糸巻の感触を、確かめてから、
「謝るな。お前が、悪いわけじゃない」
きっぱりと、言い放った。
鈍色の眸が、霧を透かし、木の葉を透かし、降り注ぐ陽光を受け、強い輝きを宿す。
「斬る、斬らないは、俺の判断だ。今更、お前に、責任転化するつもりもない」
いっそ、潔いその言葉に、
「、、、そうか」
蒼奘は、手綱を握り直しながら、浅く頷いた。
白一色の世界に、ちらほらと新緑が姿を現し始めた。
徐々に薄くなってくるのは、白霧の里からだいぶ離れたからだろう。
小鳥の声と共に、どこからともなく現れたのは、青黒の美しい蝶、烏揚羽。
ひらひらと、鋼雨の前を横切ろうと、鼻先を掠めて、対岸の茂みへ。
「うがっ、、、」
ブルッ…グググッ…
鋼雨が、首を振った。
その拍子に、鬣に掴まっていた伯が前にのめりになり、
「うー」
寸でのところで、蒼奘によって襟首を掴まれた。
道中、静かだったのは、二度寝の最中だったらしい。
そのまま目を擦り擦り、おとなしく腕の中に入るのを、
「伯。あれだけ寝て、居眠りか、、、?」
「、、、、、」
燕倪が、からかった。
黒いつぶらな眸で一瞥すると、そのまま蒼奘の胸に顏を埋めてしまう。
やや癖のある髪を、撫でやりつつ、
「抜けたぞ、、、」
蒼奘が、短く言った。
葦毛の肥馬、千草が、鋼雨の隣で立ち止まる。
「おおっ」
空の遥か高みから降り注ぐ陽光が、懐かしくも眩く、視界を新緑に染め上げていた。
切り立った崖に馬を寄せれば、霧は眼下に流れ、空の青と春の山々の緑が、彼方で鬩ぎ合って見えた。
幾重にも連なった、山稜。
崖伝いに獣道を降り、山を幾つか越えれば、宵の口には、街道へ至るだろう。
「むぅう」
小さな、呻き声。
蒼奘と燕倪が、その主を見れば、忌々しいとばかりに景色を睨み、むくれている。
「ははは。山ばかりで、うんざりか、伯?」
燕倪の問いに、
「、、、、、」
こっくり、、、
この時ばかりは、素直に頷く。
その様子に苦笑しながら、
「だが、束の間の平穏こそ、何よりの贅沢ってもんだ」
燕倪が、大きく伸びをした。
どこまでも青く、高い、春の空。
あくびが口を突いて、
「ん?!」
小さな赤い点に、視界を、横切られた。
目を、凝らす。
風にちぎれ、流れる雲間に、【赤いもの】が、見えた。
何かを探すように旋回する、その姿。
燕倪の傍らでは、
「、、、ああ」
蒼奘が、闇色の眼差しを、眇めた。
【赤いもの】は、そのまま、こちらへ向かってくる。
「なん、だ?」
点であったものが、双翼に風を従えている様が見えるまで、そう時間はかからなかった。
青空に映えて鮮明な、その姿は、
「緋色の大鷲。汪果の使い羽だ、、、」
自然界では不自然に赤き羽の、大鷲であった。
蒼奘が腕を伸ばすと、羽ばたきと共に舞い降りて、
キシ…シシッ…ェエエッ…
その耳元で、忙しなく鳴く。
しばし、その声に耳を傾けていたが、
「、、、そうか、わかった」
そっと腕を上げた。
「おー」
大鷲は、伸びてきた伯の手から逃れるように、その身を崖へと躍らせた。
伯が、残念そうな声を上げて、蒼奘の肩へよじ登った。
大きな羽が風を捉え、上空へと舞い上がるのを見送って、
「急ぐぞ」
蒼奘が、鋼雨の腹を蹴った。
大地を蹴り上げる重厚な蹄の音に続き、緑濃き薫風が、燕倪の頬をしたたか打った。
「千草よ」
葦毛の手綱を引き、馬首を返す。
蹄の音が、重なる。
「おいっ、蒼奘!!帝都で、何かあったのか?!」
先を駆ける白い背中に問えば、
「憑き物落しの依頼だそうだ。琲瑠が出向いたらしいが、どうにも手に負えぬらしい、、、」
青い唇が、薄笑みを浮かべたところであった。
一方、その肩では、光の中へと溶けゆく鳥影を追って
「、、、、、」
伸ばした伯の手が、もどかしく宙を、掻いている…
夜空が、たまらなく美しい季節でございます。。。
ふたご座流星群、月も無く、暗い夜空に幾筋ものお星さんが流れる様は、まさに宇宙に想いを馳せるに十分な、そんなひとときとなったものですな。。。
時折、空に白龍を視たり、UFOらしきものやら、妖精的なものを目にする機会があり、、、
それらが、こんな文字の羅列を、呼び起こすのかもしれない。。。