第拾ノ伍幕中 ― 白霧霧中 ―
白霧の民の心の寄る辺、滝守。その身を蝕む異変と、切なる願いを知りながらも、里の若き指導者、呉巴は迷っていた。滝守の想いを汲んだ蒼奘は、、、
死人還りの都守蒼奘、業丸を継ぐ武官燕倪、幽身であるがこの世に縛られた伯。それぞれが紡ぐ異国絵巻、第十伍幕中編。。。
華奢な背中。
その背中を手拭いで拭ってやりながら、
「お前、やっぱり、背が伸びたよな?」
「、、、、、」
一抱えはある桶の中で、水に浸かっているのは、伯であった。
手に、子供達からもらった竹とんぼを、持っている。
ひとりでに舞い上がるそれを、水浴びの最中も離さない。
くるくると、手の中で回している。
両肌脱いで、手桶に水を汲むのは、燕倪。
「うう、冷てぇっ」
七霧滝から引いた、その冷え切った水を、頭から掛ける。
沸かしてもらおうと言ったが、何故か、当人が嫌がった。
象牙色の肌を、水の珠が、転がってゆく。
うねって腰まで伸びた群青の髪が水を吸い、艶々と濡れ光った。
「この角も」
燕倪の鈍色の眸が、その頭頂部を覗き込んだ。
随分と伸びた、翡翠の角。
背はともかく、成長の証しだ。
「、、、とんぼ」
くすり、と小さな笑みが、聞こえた。
気に入ったのだろう。
「お、おいおい」
伯が、桶に寝そべり、竹とんぼを眺めはじめる。
手拭いを固く絞ると、燕倪は、古傷が無数に浮かんだ逞しい上半身を、拭きながら、
「そういや、瞪樹」
開け放たれた離れの、一画。
行燈の側で筆を持っていた瞪樹が、顏を上げた。
「滝守に会ったろう?どうだった?」
「どう、とは?」
「【何】に見えた?」
悪戯っ子の顏をして、燕倪が問うた。
「何、って、、、童女でしたけど。調度、これくらいの背丈の、、、」
己が胸辺りに、手をかざせば、
「ははは、そうか」
からからと、笑い声をあげた。
「よもや、あのように若い方だとは、思いもよりませんでした」
「そうか、そうか。俺なんか、あいつについて、何度がお目に掛かっているが、、、」
「?」
そこで、声を顰めると、
「どう見ても、白く大きな【山猫】だぞ」
「やま、、、」
瞪樹が思わず、鈍色の眸を見返した。
「言いたいことは分かる。だが、実際、そうなんだな、これが。伯」
水に顏を埋めていた伯が、貌を上げる。
「お前は?滝守に顏、掴まれてたろ?」
「うー」
「うー、じゃなくて。何に、見えたんだ?」
ばりばりと、頭の後ろを掻きながら、菫色の眸が、煩わしいとばかりに見上げてきた。
「、、、ばーば」
「あ?!お前は、婆さんに見えたのか?」
「ん、、、んー、、、」
こくり…こっくり…
頷いた。
「そっか。さ、伯。そろそろあがれよ」
「、、、、、」
燕倪に促され、素直に水からあがったその体を、布で包み込む。
どうして、と問う機会を逃し、もごもごと口の中で言葉にならない言葉を、飲み込もうとして、
― 群青色の、髪、、、 ―
青が群れ、濃き、稀有な彩。
その異形の童相手に、
「体拭いてやってる時くらい、竹とんぼ、置いとけよ」
「や」
「、、、お前ねぇ、誰も取りゃしねぇって」
「やー」
「あー、そう」
慣れた様子の、そんな、やりとり。
父子のような感すら窺え、
「ぁ、、、」
目の当たりにした瞪樹も、自然と目尻が下がってしまう。
【都守】の遠出に同行している以上、不可思議な出来事と遭遇するのは、必然。
― 動揺しては、迷惑。ここは、少将に倣って、自身の目で視えたものを、一つ一つ、受け入れて行かなきゃ、、、 ―
手元を照らしていた、灯明の位置を調節しながら、筆に墨を含ませる。
瞪樹は、先程訪れた薬草園にあった草木の名を書き出し、燕倪は、髪を拭き、袖に腕を通した時だった。
「お、戻ったか」
薄靄が、白い人の形をとって現れた。
「結界の再構築、珍しく手間取ったのか?」
「、、、、、」
軒先に腰を下ろした、蒼奘。
懐紙でもって、錫杖の泥を落としながら、
「無駄足だった、、、」
「無駄足?」
青い唇から、鬱々とした、いつもの声音だ。
「すでに、為された後だった、、、」
「為されていた、って、、、この里の結界は、代々の都守が検めるんじゃないのか?」
「いや、そうでもない。この里は、自然神霊の恩恵を受けるだけの礼を尽くし、加護を得ていた。その術を、里を拓いた先人達は既に、熟知していたのだ。だが、それとて、完全では無い。【霧隠れ】の自然結界として構築、定着させたのが、先代都守だ、、、」
「で、結界を検めることができる里の者が、いたってのか?」
「いや、、、」
その唇から、細く息が吐かれた。
「滝守のはからいで、先代都守によって、結界石には目くらましが掛けられていてな。感覚が鋭い、里の人々への影響を配慮して、あまり強いものでは無いが、名うての陰陽師辺りでなければ、石までは辿りつけぬくらいには、なっている、、、」
「宮中じゃ、未だに鬼が棲む里などと言われている。神祇官とて、畏れておいそれと口にしない程だ。いったい、誰が、、、」
衣擦れの音が、した。
顏をあげれば、蒼奘が、麻で編まれた円形の敷物に、腰を下ろすところであった。
脇息に凭れ、どこか物憂げな、闇色の眼差し。
先程抜け出してきた、白霧を眺めつつ、
「一人だけ、いる、、、」
鬱々と、呟いた。
「、、、あっ」
燕倪は、鬼面の男と、その供である悠霧を、思い出した。
「実篤殿、か、、、」
今は、どの辺りを流れていることだろう?
自然の有様、森羅万象に精通する、実篤の事だ。
今年は帝都の雪が深かったのを知って、一足先にこの里を、見回ってくれたのだろう。
伯の帯を結んでやりながら、
「相変わらず、義理堅い御仁だな」
燕倪の頬が、思わず緩んだ。
いつかの出来事に、【借り】を感じているのかもしれない。
「伯よ」
名を呼ばれた伯が、翡翠輪を手に、蒼奘の元へ。
脇息に凭れた腕の辺りに、伯が背中を預ける。
春雪よりも白い手が、癖のある群青の髪を梳きながら、
「、、、そうか。愉しかったか」
「、、、、、」
伯の細首に、翡翠輪を潜らせた。
角は消え、髪と眸は漆黒へ。
それまで、部屋の一画で、書面と向き合っていた、瞪樹。
「何度見ても、、、」
呟いたその筆が、止まっている。
一々動揺しては迷惑だろうと、先程心に決めても、この有様。
こういった類は、やはり不思議なものだ。
そう簡単に見慣れるものでも、無く…
そんなことなど露知らず、
くるくる…くるくるくるる…
伯の手の中から飛び立った、竹とんぼ。
行燈の明かりの中で舞い上がり、
「、、、、、」
天井に当たって、舞い落ちる。
大人しくしていたのは、束の間で、部屋の隅へと乾いた音と共に転がっていったそれを追いかけて、伯が、瞪樹の傍らをすり抜けていった。
その背中を見送って、
「今、滝守の話をしていたところだ」
「ほう、、、」
白袍の前を寛げながら、闇色の眼差しが、燕倪へと向けられる。
「俺は、今年も同じだ。大きな白い【山猫】。瞪樹は【童女】。伯に至っては、【老婆】ときた。お前は?」
楽な小袖姿になったところで、白銀の髪が、背に払われた。
「、、、何も、見えなかった」
「は?」
簡素な造りの離れに、素っ頓狂な燕倪の声音が、響き渡った。
「声、だけだ、、、」
柱に背を凭れ、車座に。
思わず、瞪樹も顏を上げ、燕倪と顏を見合わせる。
肩の辺りを揉む、蒼奘の横顔。
行燈の明かりが、その容貌に陰影を刻む。
「冗談よせよ」
「、、、そのうち分かる」
そのまま、ゆっくりと、目を閉じた。
眠っているとも、瞑想しているとも、そのどちらとも見て取れた。
仕方なく、業丸の手入れでもと、太刀に手を伸ばしたところで、軽やかな衣擦れの音が、廊下を渡ってきたのだった。
呉巴が、垂髪の年若い娘らを伴い、現れた。
一様に、手に手に膳を持って、
「夕餉のお支度に参りました。何もございませんが、ささやかな里の幸をご用意しましたので」
囲炉裏のある、一室へ。
伯が、物珍しげに見つめる中、囲炉裏に炭が入り、吊るされた鍋からは、湯気が立ち昇る。
「霧が立ち込めれば、ぐっと冷え込みます。燗をつけますので、どうぞこちらへ」
呉巴が、鼬の敷物を敷く。
各々が、囲炉裏を囲むように座ると、給仕の娘たちが酒器を提げた。
水音に、火の粉が爆ぜる音と、ふつふつとする鍋の音が、混じった。
霧に煙る夜の帳は、膳を囲んでいる間に、数名の里の者によって、几帳で遮られていた。
離れの一画に、褥の準備を、してくれているようだった。
「肴は、鹿の干し肉、いわたけの佃煮に蜂の子、甘藷の蔓の甘露煮、沢蟹の塩辛。こちらの椀には、鴨と里芋の煮物。つわぶきのおひたし。山菜の白和え。田舎豆腐の田楽。若鮎のせごし。お手前のものは、岩魚の塩焼き。汁は雉でございます」
「おお、これは馳走」
膳に乗りきらず、横に置かれる椀の数々。
霧に守られた山間の、ささやかな歓待の宴。
遠くに聞こえる滝の音に、箏の音が重なった。
「さ、どうぞ、一献」
呉巴の一言で、娘達が酒器を手に、客人の傍らへ。
「この里の濁酒でございます。温まりますわ」
瞪樹が、両の手で杯を差出し、
「あ、、、」
娘の【手】を見て、小さく驚嘆の声を上げた。
「ふふ、、、」
娘は、動ずることもなく微笑んだだけで、その杯を満たした。
白濁した酒から、湯気が霧のように立ち昇っている。
「頂こう、、、」
蒼奘が一息に、燕倪もまた杯を空けると、向かいの呉巴へ返杯。
二人の傍らでは、
「、、、、、」
杯を持ったまま、別の意味で固まっている、伯の姿。
清酒と違う、濁酒。
水氣の性質がそうさせるのか、霧や濁ったものは好まぬらしく、満たされた杯とにらめっこ。
されど、周りの空気は感じているのか、
「、、、、、う」
一口だけ、その可憐な口をつけ、
― あ、置いた、、、 ―
そっと、床へ。
水神、式神と言えども、姿は幼子。
その一挙一動に、自然と視線を釘づけにされる、瞪樹。
「、、、お酒は、苦手で?」
注がれたままの杯を手に、伯の様子を眺めていれば、傍らにいた娘に問われ、
「っ、、、」
我に返って、赤面。
「あ、いえ、、、い、頂きますっ」
ぎゅっ、と目を閉じると、喉に流し込むようにして杯を干した。
とろりとした甘味が口腔いっぱいに広がり、後味のように苦味が混じって、慌てて呑み込む。
喉から、胃の腑へ。
すきっ腹が、熱く灼熱する。
― 百薬の長とは良く言ったものだ。酒の良さなど、僕には分からないよ ―
酒席を愉しむには、瞪樹はまだ、若過ぎるのかもしれない。
「ははは、いいぞ。酒も付き合いのうちだ。早く慣れろよ、瞪樹」
傍らの燕倪が、肩を叩く。
その瞪樹に、
「瞪樹殿は、この里が初めてですから、我らの姿にも驚かれたでしょう?」
「え、あ、、、それ程、は、、、」
呉巴が、淡く微笑んだ。
「火乃絵、初麻、紀衣琉」
呉巴が何を言わんとしているのか、すぐに察した娘達が、瞪樹の方を向いた。
首に痣のある娘が、言う。
「わたくしは、先見が少々、、、」
耳の先が尖った娘が、言う。
「祖先の声が聞こえます」
瞪樹に酒を注いだ、六本の指を持つ娘が、言う。
「雨を喚ぶことができますわ」
三人の眼差しに、
「あ、、、」
瞪樹は、言葉を探し ―――、俯いた。
― 死人還りの都守に、鬼斬りの左少将、式神の童に、こちらの滝守、そして異相の呉巴殿、、、 ―
加えて、生まれながらにして、神通力を宿した娘達だ。
― あらためて見回して見れば、平凡なのは、僕だけ、、、 ―
たまらず肩を、落とした。
同時に、無力感すら、感じる。
非凡な祖父に憧れ、医学の道へ進んだが、大して才があるとも言えぬ。
それでも直向きに勉学に励み、今へと至るが、
― 分かっているんだ。本当は、誰も来たがらない【場所】だと言う事だって、、、 ―
さすがに、気づかぬ瞪樹ではない。
以前、同じような理由でもって、郡司によって、辺境の里へと派遣された過去がある。
封鎖された峠の入口で、都守一行と出会ったが、当時の瞪樹に許された事と言えば、ただその帰りを待つ事だけ、であった。
そして、改めて周りを見回した。
― ただ、遠い。こんなにも近くにいると言うのに、皆を、遠くに感じる、、、 ―
何の因果か、またこうして、目の当たりにしなければならない現実が、あった。
瞪樹の胸の裡を知ってか知らずか、
「この国が、まだ、幾つもの邑に分かれていた頃、【尊ばれた者】達だ。そして ――、」
蒼奘が、長い指で杯を弄びながら、どこか物憂げな様子で、言った。
銀糸の髪が長く、肩から胸元へと、流れてゆく。
心得た給仕の娘が、瓶子を傾けた。
異形と呼ばれる非凡が、ここにも一人、
「時代によって、【畏怖された者】達でもある、、、」
静かに、杯を口に運んだ。
瞪樹は、改めて辺りを見回す。
時代が時代なれば、このような鄙びた山里に隠れ住まずとも良かったはずだ。
苦労はしていないと、一様にそう言うが、年頃ともなれば、興味がないわけではないだろう。
肩を寄せ合い、ひっそりと生きて行く中で、自然とその血は濃くなり、研ぎ澄まされていく。
故に、【鬼の里】と呼ばれてもいる。
「、、、、、」
それまで聞こえなかった、ぱちぱちと火の粉が爆ぜる音が、近い。
静寂が滝の音を運んで、冷えた夜気が、俄かに囲炉裏辺まで、忍び込んでくるようだった。
― 何か、言わなくては、、、 ―
沈黙に焦り、言葉を探すが、そうそう出てくるものではない。
それほどまでに里の者が負った歴史は重く、それ故に瞪樹は、言葉を選びきれずに、いた。
「、、、だが」
沈黙を破ったのは、それまで、黙って聞いていた燕倪だった。
「これだけは、言えるぞ」
行燈の明かりが温かく滲む、鈍色の眸が、囲炉裏辺を囲む面々を、ぐるりと見渡す。
そして、
「皆、美しい」
そう言って、にこりと笑った。
まさに、一瞬の事。
大きな目を見開き、娘達が顏を見合わして、
「まあ、少将」
「去年いらした時は、まだ子供だとおっしゃったこと、わたくしたち、忘れてないわ」
「そうよ」
隣にいた娘の一人が、燕倪の腕を抓った。
「痛ッ!!お、おいおい、いちだんと綺麗になったと褒めてるんだ。つ、抓るなっ、、、って、いてててっ」
「許してあげない」
久々の来訪者を里に迎え、娘たちも嬉しいようで、頬に笑窪が浮かんでいる。
張りつめた空気が、一瞬で霧散。
娘達との掛け合いを楽しみながら、
「そちらの方々も、火の傍へ」
控えていた里の者達にも、声を掛ける。
箏を爪弾いていた者、褥の支度を終えて控えていた者らが、顏をあげる。
「夕餉と言うのは、皆で囲んだ方が、美味い」
燕倪の手招きに応じ、囲炉裏辺に集まった里の者達。
杯が増やされ、新たな明かりが灯される。
俄かに、賑やかさを取り戻した、離れ。
歌声に嬌声が響けば、一人、また一人と里の者が、集まり出すのだった。
酒気を帯びた、大気。
漂う白霧にも、人々の熱気が溶け込んだかのようで、夜気に混ざる冷気も、どこへやら。
箸を、軽やかに瓶子へ打ち付ければ、娘らが立ち上がり、袖が舞った。
囃し声は、歌声となって、頬被りの男衆が、踊りに混じった。
誰かが、離れの一画で、喚いた。
立ち上がり、声を張るその顏は、泣いているようでもあった。
数人が、その肩を抱いて、杯を持たせる。
頷きながら杯を干すと、踊りの輪へと背中を押された。
「、、、、、」
離れの、奥の間。
行燈の明かりが消され、青白き大気で満ちていた。
めぐらされた几帳越しに、人々の様子が窺えるが、それでも、喧騒は幾分遠い。
そこに、白い人影があった。
蒼奘に抱えられ、野兎の毛皮を敷き詰められた褥に寝かされたのは、伯。
疲れか、ろくに何も口にせぬまま、眠ってしまった。
長く、頬にかかる、前髪。
「、、、、、」
そっと手で払ってから、蒼奘はひとり、離れを後にしたのだった。
「、、、、、」
轟音轟く、四阿屋。
水音遠く、人々の嬌声を聞きながら、その姿はあった。
長椅子に寝そべり、ひじ掛けに頬杖をついて ―――、いたのかもしれない。
瀑布によってもたらされる飛沫は、極薄の絹布のように揺らめき、幾重にも重なっては、水面に溶けてゆく。
そこに、空の高みより冴え冴えとした月光が差し込めば、七霧滝に、昼とは趣きの違った白銀の虹が、架った。
「、、、里の者と語らうのは、苦手か?」
眼差しが、宙を彷徨い、
「【人と語らう】、そのものがな、、、」
どこか憂いを帯びた声音のする方へと、注がれる。
「ふ、、、」
歯に衣着せぬ、ぞんざいな物言い。
狩衣の袖に、両の手を差し入れた主が、浮橋をこちらへと歩んでくる、
「ちいさいのは?」
その傍らに、伯の姿が無いのを問うた。
「この滝の波動に調律されたようだ。あの騒ぎの中、ぐっすり眠っている、、、」
うっそりと見上げた先に、霧に煙る、瀑布。
四阿屋から、浮橋の中程で見上げる蒼奘の傍らへ、軽やかな衣擦れの音が、する。
すぐ傍らで、同じように七霧滝を見上げると、
「、、、世話を掛ける」
小さく、詫びた。
「いや、、、」
蒼奘は首を振り、
「、、、今一度、問おう」
後方を、振り返った。
霧に煙る一画を見つめ、
「本当に、良いのか、、、 ―――、呉巴」
闇色の双眸を、眇める。
その眼差しの先、
「覚悟は、とうに、、、」
霧が、人の形をとって現れるところであった。
どこか飄然と、こちらへ歩むその少し後ろには、
「まったく。ろくに酔えやしねぇ」
両手を首の後ろで組んだ燕倪の、不満顔。
「蒼奘、後で、覚えておけよ」
「ああ、、、」
鈍色の鋭い一瞥に、応じて頷けば、
「ふふ、、、」
蒼奘の傍らで、笑みが毀れた。
これから迎える顛末を知って尚、この二人のやり取りだ。
絶対の信頼を、滝守は二人の間に、垣間見たのかもしれない。
「滝守」
呉巴が、その前で、膝をついた。
金と銀の双眸がゆらめき、手を伸ばす。
その手を取って、己が頬へと導けば、
「、、、、、」
色違いの滝守の眸が、呉巴を見つめた。
顏を上げたままの、呉巴。
その双眸に映る滝守の姿は ―――、うら若き娘の姿を、していた。
白々としてほっそりとした手が、頬骨、鼻梁、唇へと至り、手の甲で耳の辺りまで触れて、
「、、、、、」
「、、、、、」
そのまま輪郭を辿って、顎先へ。
言葉を交わすことも無く、ゆっくりと、離れていった。
指先が、全てを語ったのかもしれない。
呉巴が、立ち上がった。
道を空けるように、滝守の傍らへ控える。
そこへ、燕倪が歩み寄って、
「いつでも、、、」
にこりと微笑みながら、腰の辺りに手を置いた。
腰には、業丸が、佩かれていた。
霧に透け、柔らかく差し込む月明かりが、その双眸に青みがかった鈍色を、浮かび上がらせる。
「、、、、、」
一度、その姿を、まっすぐな眼差しで、捉える。
燕倪の眸には、どこからどう見ても、ほっそりとした【山猫】に似た異形が、映った。
― 不思議なものだ。が、、、何であれ、俺は業丸を、信じるだけだ、、、 ―
業丸のその想いに呼応し、手に鞘鳴りの感触があった。
顎を引き、細く息を一つ、吐く。
宥めるように、その柄に軽く手を乗せ、そのまま動かなくなった。
≪ ザㇻㇻ、ザㇻㇻ、白霧に、
今年も七霧、顕れた
天地を廻って、
顕れる、
ザㇻㇻ、ザㇻㇻ、白霧の、
子守唄だよ、七霧滝、、、 ≫
離れから、人々が歌う童歌が、遠く、遠く、聞こえてきた。
力強い歌声は、その反面、どこか【哀しみ】を、はらんでいるようだった。
滝守が、一度、七霧滝を振り返った。
白々と飛沫を上げる、その姿。
その姿を、五感すべてに焼きつけて、
「再び、この地に生れ、この大滝の傍に、【その】傍らに、在りたいものだ、、、」
そう言って、そっと頭を垂れる。
「、、、、、」
黙って佇んでいた、蒼奘。
闇色の双眸を伏せると、両の手を合わせた。
ざわざわと、風も無いのに、白銀の髪が巻き上げられると、昏き闇に、金色が混じった。
「なれば、地祇の元津気を得るとしよう。八火よ。自然結界を、内側から補完せよ。このまま【楔】を、挿げ替える、、、」
鼓膜を穿つ、抑揚に欠けた低い声音が告げれば、その頭上高くで、揺らめき顕れた八柱の輝きが、散った。
やがて、空に八色の光の帯が、揺らめいた。
白き霧を染め、たゆたう様は、北の最果てで時折見られるという、光る雲気にも似ていた。
「かけまくも かしこみむすびのおおかみたちの くすしきみたまによりて…」
朗々とした蒼奘の声音が、水音に混じり、響き渡った。
「…よに あらゆるものを なしさきはへたまへる いともくしびなる みたまのふゆにむくいたてまつらむとして」
頭上を揺らめき、混じり合う光の雲気によって、白霧の天蓋は、虹色を帯びた彩雲へ。
その一画、細く細く、月明かりが差し込むのを、
― あれは、、、しろい、ひかり、、、まるくて、しろい、月、、、 ―
呉巴は、見た。
不意に、蒼奘の袖が払われた。
左手で印を結び、
「ただえことを えまつるさまを たひらけくやすらけく きこしめせとまおす…」
右手が、上がった。
「、、、、、」
その合図で、全てを心得た、燕倪。
抜手を見せず、白銀の一閃が奔り ―――、
「お、、、」
呉巴は、思わず声を、漏らした。
――― 、白銀の残像を断つように、新たな閃光が、もう一閃。
カ…チチ…
短い金属音がして、視線を落とせば、太刀が鞘に収まるところであった。
― 滝守、は、、、 ―
その姿を探し、目を凝らし、
「お、、、」
白銀の髪が、視界を遮った。
狩衣の袖が、受け止めるような仕草をし、
「長きに渡る【滝守】の務め、見事果たされた、、、」
そう、労いの言霊を贈った。
その瞬間、
「うっ、くっ、、、っ」
理解するよりも先に、喉が、引き攣った。
心を決めたとは言え、さすがに熱いものが込み上げて、
「た、滝守ッ」
たまらず、声が出た。
蒼奘の腕を掴み、その腕の中を覗き込んで、
「!!」
息を、呑んだ。
唇が、今更になってわなわなと震え、呉巴は、その場に座り込む。
蒼奘が、ゆっくりと、体を起こした。
その腕には ―――、【何も】、無かった。
寄る辺を失った夜に、一層、鬱々と響く、低い声音が、
「亡骸もすべて、結界の対価。人としての【滝守】は、とうの昔に朽ち、魂魄だけと成り果てても、こうして里を守らんと、楔の役目を担っておったのだ」
そう、告げた。
「髪の一筋も、、、骨、すら、も、、、」
震え、しゃがれた声に、
「ああ、、、」
蒼奘は、静かに言った。
風が巻いて、長く垂れた銀糸の髪が、巻き上げられた。
こちらを見つめるのは、どこまでも冷え切った ―――、金色の双眸。
心の底までをも見透かす、怜悧なその眼差しに、
― わ、わたしも、、、最後は、、、 ―
今更になって、恐怖が、込み上げてきた。
握りしめた、拳が、
― こ、この期に及んで、わたしは、、、わたしは、っ ―
【滝守】が消えた哀しみよりも、本能的に己が身を顧みんとした現実に、震えた。
払拭しようと、頭を振ったその耳に、
「長きに渡り、誰も引き受けなかった【大役】だ。無理も無い、、、」
思わぬ、言葉が、飛び込んできた。
「都、守、、、」
八色の光の粒子が混じり合う、頭上を覆う雲気を見上げた。
滝守が在った頃は見たことがない程、神々しく ―――、禍々しい。
そんな空模様であった。
「滝守は、孤独なものだ。肉体を失った以上、出歩けるわけでもない。七霧滝の恩恵がなければ、その姿を現世に固定することも難しい。かつての滝守を知る者達は先に逝き、その子々孫々を、遠く見守る日々。そんな日々の中、ある童が、問うたそうだよ。【寂しくはないのか?】と」
「ッ」
呉巴は、心臓が強く脈打つのを、感じていた。
― 、、、ああ、そうだ。忘れようはず、ないではないかっ ―
それは、幼き頃の記憶であった。
子供の興味本意とは、時に残酷で、それ故に、的を射てしまうのかもしれない。
褥を抜け出し、滝守の子孫が住む屋敷の裏手に回った、あの日、
眩しいくらいの月明かりの中、七霧滝に佇む、その女性に、
【滝守さま。滝守さまは、いつもおひとり。寂しくないの?】
かつて、幼い自分は、そう問うたのだった。
神々しいまでに美しい、その女性は、ただただ穏やかに微笑むだけ。
その微笑みが呉巴には、
― 滝守。貴女はいつも、微笑んでおられたが、、、その眸は、とても、お寂しそうだった ―
そう、見えてしかたなかったのだった。
「その申し出が、何よりも嬉しかった、と。昨年、ここを訪れた折り、そう言っていた、、、」
「滝守、、、」
細く、息を吐いた。
滝の音が、今日は、いつになく耳につく。
「滝守は、、、いえ、彗鼓様は、この里の最古の巫であらせられた。多くの里の民を、この滝と同じく、見守ってこられた方です」
その七霧滝を見上げ、
「彗鼓様の解放は、この里の民、全ての願い。そのために、この一年、話し合いを重ねてきました。別れは、辛うございますが、、、」
呉巴は、それまで沈黙を守っていた燕倪を、見つめた。
未だ、業丸に手を掛けている。
差し込む月明かりによって、青鈍に澄んだ双眸。
「業斬りの大太刀、【業丸】を持つ方を、都守が、お引き合わせ下された、、、」
「、、、、、」
呉巴の言葉を受け、燕倪は無言のまま、蒼奘を見た。
― 現実を突きつけるような、そんなやり方ばかりだが、、、 ―
白い背中は、いつだって、大切な事は何も語らないが、
― 不思議なもんだな。業丸を振るうたび、【お前】と言うやつが、解かってくるような気がするんだ、、、 ―
業丸の柄から、手を放した。
そのまま、一足先に四阿屋を離れた。
霧の中、離れへと戻る燕倪の背を見送って、呉巴は自嘲気味に小さく嗤った。
「心は、決まった筈なのに、正直、揺れました。貴殿の、一言は、、、」
「そうかね、、、」
抑揚に欠ける、なんの感情も伺わせない相槌であった。
それでも呉巴は、
「髪一筋、残らなくとも、彗鼓様の遺志は、後世へと受け継がれゆくもの。心安く生きる、それは、我ら異形と謗られし者の、未来そのもの、、、」
浅く、何度か頷いた。
― 山伏に拾われ、この里に受け入れられた、わたしには、身寄りも無い。この里が、わたしの故郷なればこその、誉れ、、、 ―
自らに言い聞かせるようでも、己が心を確かめるようでも、あった。
蒼奘の、金色に染まったままの双眸が、
「、、、、、」
ひたと、呉巴を捉える。
その表情は、打って変わって穏やかであった。
そして、
「お待たせしました、都守。わたしを、楔に、、、」
いつもの、淡々とした口調で、そう、乞うたのだった。
『、、、、、』
夢を、見ている。
浅い、夢の浅瀬だ。
そこには、黄昏に染まったままの空の下で、白銀の砂浜が延々と続いており、打ち寄せる波は、翡翠の色。
琥珀の飛び石が、点々と彼方まで続き、空の彼方へ溶けていた。
その汀に、
『キレイなところッ』
『んんーっ、水が、甘いよ!!』
『今度は、あっちに行ってみよっ』
昼間の顔ぶれが、そのまま、集まっていた。
夜も集まって遊ぼうと、別れた子供達だ。
皆、思い思いに連れだって、駆け回っている。
その輪から外れ、男童が一人、汀に座り込んだ。
足元を濡らし打ち寄せる、翡翠色の小波。
そっと手を伸ばし、水を掬い上げれば、赤や翠、白や青、紫の石となって、砂浜に散らばった。
伯であった。
どこからか流れ着いたのか、拾い上げた木の枝でもって、水を掻けば、そこから色が生まれ、混じり合い、鼻先に小さな虹が、架った。
『ほ、、、』
虹を掴もうと、手が、伸びた。
ここは、夢路。
思い描く、世界。
ひとり、もう一つの別の場所へと、描いたのかもしれない。
孤独なその背中に、
『どうしたの?』
声が、掛かった。
虹に触れるか触れないかのところで、手を止めた伯。
その貌を覗き込んだのは、
『皆と、遊ばないの?』
『、、、、、』
金と銀、色違いの眸を持つ、童女。
伯は、その顏を見つめ、
『、、、れ』
小さく、蚊の鳴くような声で、
『だ、れ、、、?』
問うた。
菫色の双眸が、まっすぐに童女を見つめた。
童女が、微笑むと、二人の間に、風が、生まれた。
風は、無邪気に遊ぶ子供達の間をすり抜ける。
伯の声を、運んで ―――。
子供達が、いっせいに振り返った。
『伯?』
『そのこ、だぁれ?』
汀で一人、足を水につけていた伯の元へ、子供達が駆け寄ってきた。
無垢な眼差しが、一人の見知らぬ童女へと注がれる。
肩の辺り、蔓の髪紐で括られ、揺れる黒髪。
裾を短く仕立てた、紅の花で染めた橙緋の着物。
鹿の毛で作った長靴は、一昔前、里の誰もが纏っていたものであった。
『ねぇねぇ、どこから来たの?』
『さとのこ?』
子供達に囲まれて、にこにこと微笑む、童女。
『、、、、、』
じっと、その様子を見ていた、伯。
やがて、
『、、、っ』
黎明を宿した双眸が、大きく見開くと、可憐な唇が、開いた。
『ふ、、、ぉっ』
指を、指さんと伸ばしたところで、
『もう少し、皆とこうしていたかったが、お別れだ、、、』
聞き覚えのある、優しい声音が、聞こえてきた。
そして、
『あッ』
一人の子供が気づいた時には、音も無く迫ってきていた大波が、皆の頭上。
避ける間も無く、誰もが ―――、伯すらも、声を出す間も無く、目を瞑った。
衝撃に、身を強張らせたところで、
『皆、仲良くな、、、』
頬を、髪を、撫でる感触に目を開けた。
辺りは、一転。
『おぁ、、、』
翡翠色の光で、満たされていた。
肌に温かく、そして、どこか懐かしい、水の中。
呆気にとられる子供達の間を、【白いもの】が、名残惜しげに泳ぎ回っていた。
ひとしきり、子供達を撫でると、
『また、逢おう、、、愛しき子らよ、、、』
いつか四阿屋で聞いた声が、聞こえてきた。
『滝守さま、、、?』
『滝守さまぁっ』
すぐ耳元で、泡が弾ける音を聞きながら、長い尾鰭をくねらせ、白き月明かりの中へと消えてゆくのは、
『滝守さま、キレイ、、、』
人の姿をして魚の尾を持つ、人魚の姿を、していた。
水の飛沫で煙る、七霧滝。
四阿屋の左手には、その滝壺へと大岩が張り出している。
青々と苔生し、水の珠を結んだそこを、蒼奘は呉巴を伴い、渡った。
雲気で覆われた空の下、足を止めたのは、七霧滝のちょうど中央であった。
その名の通り、七筋の細い滝が、規則正しく流れ落ち、二人の足元を濡らしている。
蒼奘は、狩衣の袖を探り、何かを取り出した。
土を練って焼いた、簡素な杯であった。
川の水を汲むと、
「【結界固めの杯】、と言ったところか、、、」
呉巴へと、差し出した。
押し戴くようにして受け取ると、呉巴は、その杯を見つめた。
なみなみと、冷たく透明な水が、湛えられている。
手指をしたたか濡らし、肘へと伝う中、一息に呷ろうとして、
「待て、、、」
呉巴の鼻先に、手が伸びた。
「都守、、、?」
「楔だ、、、」
その手が開くと同時に、
ピシャ…ン…
杯の中で、水が、跳ねた。
「これ、が、、、楔?」
杯の中には、真白な勾玉が、一つ。
彗鼓が消え去る刹那、蒼奘が受け止めた【もの】であった。
「そうだ。五元の地祇からなる、自然結界の楔よ、、、」
まろやかな曲線も優美な、勾玉一つ。
弥勒は、杯に口をつけた。
― 滝守、、、 ―
舌先に冷たく、喉の奥へと、滑り落ちてゆく。
胃の腑へと、冷たき流れが収まった時、
― 雲気が、、、晴れ、て ―
頭上を覆っていた、八色からなる雲気が、白々と染まって行く。
四方八方から、清らかな風が吹き込むのが、視えた。
それが、呉巴の周りへと集まり、溶け合い、七霧滝の水面へと、吹き抜けてゆくのだった。
すぐ傍らで、白き髪が、流れた。
目元を押さえながら、四阿屋へと戻るその背中越しに、
「自然結界の再構成化。【楔の権限】は、正常に移行した、、、」
蒼奘が、短く言った。
手を握ったり、開いたりする。
「、、、、、」
特に、変わったことは、無い。
― これで、わたしは、楔。いよいよ、人外の存在と、なったのか、、、、 ―
人外の存在、【異形】。
一度、この白霧の里を出れば、否が応でも、好奇の視線に晒される。
だが、外見こそ異なるが、この里の者達は紛れもない、【人】だ。
― 滝守は、眠らなかった、、、―
亡骸も無く掻き消えてしまった、【滝守】。
薄く透けたその姿こそ、【人ならざる者】。
四阿屋に、もう、いるはずのない彗鼓の姿を探しながら、
― わたしも、そのように、、、 ―
しみじみと、そう思った。
不思議と嫌な感じはしなかった。
感慨深げに、その人が在った場所を眺めていると、
「酒宴へ戻るぞ、呉巴、、」
「は、、、?」
思いもよらぬ声が、掛かった。
橋のちょうど、中程。
何の感情も伺わせない、怜悧な闇色の眼差しが、こちらを見据えていた。
「し、しかし、都守。わたしは、その、、、既に、、、」
咄嗟の事に、狼狽える、呉巴。
その様子に、蒼奘の青い唇は、意味深な笑みを湛えた。
「勘違いするな。そなたは楔とは言え、未だ、人だ。彗鼓殿は人の生を全うし、その後も、楔の役割を、果たしていたのだ、、、」
「人の、生を、、、?」
「ああ。この里の中を出歩くことに、何の障害も無い。人の生を全うする事も、だ、、、」
「あ、、、」
「自然結界の楔である以上、そなたが、この里から離れてしまえば、白霧の加護を得ることはできぬ。霧は晴れ、里への道が、人目に触れるやもしれぬ。だが、、、」
鼓膜を穿つ、どこか鬱々とした響きの声音。
青い唇から紡がれる言葉は、眼差しとは裏腹に、
「人の生のあるうちに、この里が拓けば、結界の必要も無くなるだろう、、、」
未来を、示唆するものであった。
「里が、拓く、、、?それは、隠れ住む我らが、、、陽の、下へ?」
全身が、総毛立った感触を覚えた。
陽のあたる場所へ。
それこそ、敬遠され、時代の中で淘汰されんとした祖先らの悲願だ。
蒼奘、短く、ため息を吐くと、
「、、、そのために、我らがいる」
白い己が髪を、抓んでみせた。
【死人還り】。
幽界から戻った人間の、謂わば、諡。
人外の存在を知らしめるとも、その叡智を還元するためとも、あるいは、死神に魅入られた者とも言われる、異形の姿。
その【死人還り】が、帝の形代でもある【都守】を、継いでいるのだ。
そして、度々、白霧の里を訪れていた先代の都守は、【破眼】であったと言う。
― なんとも、豪気な御方であった。山深くに在る、深い翠湖。その水面に映る、望月。その色のお目を、里の者は、皆、覚えているだろう。その先代都守が、彗鼓様の嘆願を、時の帝へ届け、この里は、その庇護を受けるに至った、、、 ―
年に一度、雪解けを待って都守が訪れるようになり、十数年の年月が、流れようとしていた。
「これは、次代の【滝守】である、白霧の里の長へ渡すよう、仰せつかった帝の勅だ」
蒼奘が、懐を探る。
桐の細箱が、貝紫の組紐で留められていた。
「勅、旨、、、?」
「ああ」
差し出すそれを、駆け寄った呉巴が、恭しく受け取る。
震える手でもって紐を解き、書簡を広げる。
白霧を透かし、差し込む月明かり。
浮かび上がる文字を、呉巴の眸が辿り、
「こ、、、れはっ、、、」
何度も何度も、ある一点を辿ってから、蒼奘を見上げた。
「帝の仰せに、詮議を重ねた結果、星読寮、並びに陰陽寮は、白霧の里より修業生を迎える運びとなった。もっとも、それをそなたらが望めば、だが、、、」
「おおっ、、、」
それは、針の先ほどの穴から、ひとすじの光が、差し込んだようであった。
恨みもせず、憎みもせず、許し、そして、許される日をただ、じっと耐え待つ身の上であった。
里しか知らず、一生を終える者が、ほとんどであった。
― 彗鼓様。貴女は、今を生きる者の選択を、どこまでも重視された方でしたね、、、 ―
呉巴は、試された、と知ったのだった。
誰に、――― ?
七霧滝を振り返り、そして、橋の向こうを、見つめた。
―――、 彗鼓と、霧の中離れへと向かう、白い背中に。
寒い。。。
あー、寒い。。。
もう、それしか無い。。。
こんな季節は、火燵に潜って、文字の世界に微睡んでいたい。。。
宇宙を妄想して、世界を創造して、時空を歪ませたり。。。
現在、、、
現実逃避行中。。。