第拾ノ四幕後 ― 付喪神 ―
その願いを、伯に映し、【鈴】は【想い】を知る。そして、顕現した意味である【神意】を、その心に、刻むのだった、、、
死人還りの都守蒼奘、業丸を継ぐ武官燕倪、幽身であるがこの世に縛られた伯。それぞれが紡ぐ異国絵巻、第十四幕後編。。。
ただ、舞いたい。
そのために、【鈴】は生まれてきた。
巫女たちもまた、それは、同様だった。
シャ…リリン…
袖が、翻る。
舞い散る雪と共に、被った薄絹がはためいて、
シャンッ…シャ‥ンッ…
手首が振られ、神楽鈴が鳴く。
祈りを、
許しを、
加護を。
それは、人に都合良く、築かれたものだったのかもしれない。
それでも―――、
―――、それでも。
シャッ…リリ…ィイン…
未だ、鳴りやまぬ、甲高き笙の調べに合わせ、鈴が、鳴く。
思い出すのは、懐かしくも戻れない、共に在った日々。
乞い、
願い、
問う。
人は、様々な場面において、人外の存在に、それらを求めてきた。
そしてその度に【鈴】は、巫女と共に、舞った。
陽光降り注ぐ、舞台の上で。
薫風そよぐ、磐座の前で。
篝火焚かれた、刈入れ前の田畑の中で。
季節を問わず、場所を選ばす。
シャッ…シャン…ッ
白い袖が風を纏い、紅の袴は大地に軽やかな衣擦れの音を、残す。
鴉の濡羽色した豊かな髪を、ゆったりと結い、茅で作られた草冠を頂き、目元涼しげな巫女が、舞う。
雪空の下、巫女の手に在る神楽鈴は、幸せだった。
シャ…リリ…リ…
嗚呼、こうしてまた、【あの地】で舞えた。埃を被り、暗がりに閉じ込められていたころは、哀しみに占められていたこの身だったが、この晴れやかな心持は、いったいどうだ。嗚呼っ、嗚呼っ、思い残す事など、もう、何も、、、 何、も、、、?
リ…ジ、ジジ…
不意に、音が乱れ、
ぽつり、また、ぽつり。
降り積もる雪に、雨が混じった。
「、、、、、」
黙って、塀に背を預けていた蒼奘が、目を眇める。
、、、、、
鈴は、その雨が、巫女の眸から溢れていることに、ようやく気がついた。
チ…リ…イ…イイ…
なぜ、、、?どうして、泣く。巫女?
「、、、な、ぃ」
その姿は、巫女であったが、
「ワカラナイっ」
その叫びは紛れもなく、想いの【映手】である、伯のものだった。
袖で、溢れる涙を拭い、拭い、
「ぅっ、、、くっ、、、」
溢れる想いを御しきれず、膝をつく。
その拍子に神楽鈴は、手から落ち、
リ…ロロ…ン…
錆びついた鈴となって、雪の上へ。
「ひっ、、、ふっ、、、ううっ」
しゃくりあげるように泣きじゃくる、伯。
その傍らに、錆びついた鈴、ひとつ。
リロン…ロロン…
ど、うして、、、
抑揚に欠ける問いが、何度も何度も、繰り返される。
闇色の双眸が、ゆらゆらと不安げに揺れる鈴を一瞥すると、
「代々、大切に祀っていた神の元を、故郷を、去らねばならなかった、巫女、、、いや、村の民の想いでも、あったのだろう」
伯を立たせつつ、そう口にした。
白い吐息が、冬夜に滲んでは、消えてゆく。
「皆、心残りだったのだ。そなた、だけでなく、な、、、」
チリ…リ…
皆、、、
ぽつりと呟いて、鈴は、蒼奘の掌に載せられた。
リリリ…
この想いは、皆のもの、、、?
「そうだ。そなただけのものでもあるが、皆のものでもある、、、」
リ…ロロ…ロ…
皆の、、、皆、も、、、
鈴が、
ロンッ…リリィリンッ…
どこか嬉しそうに、くるくると回り、
ロロンッ…チリリ…ンッ
皆と、一緒っ、、、
掌の上で、ころころと転がる、鈴。
「ぅっ、くっ、、、ふっ、、、ん、、、」
嗚咽を堪える伯は、蒼奘の袖にすがったまま、目を擦り擦り、掌を覗き込んだ。
リロンッ‥ロロン…リリン…ッ
ひとちぼっちじゃ、なかった。いつも、皆と、、、
くるくる…ころころ…
【気づきの時】を迎え、いても立ってもいられぬその様子は、確かに嬉しそうだったが、
「、、、、、」
伯の頬は、泪が結晶となって、とめどなく伝い落ちてゆく。
嗚咽を、喉の奥で押し殺しながら、
「、、、、、」
伯は、鈴もまた、泣いているかのように見えて、しかたなかったのだった。
まだ、薄闇漂う、暁前。
雪が止んだのを見計らい、厩から引き出されたのは、鋼雨。
白い息を吐きながら、しきりに頭を振っているのは、眠気を振り払っているようだ。
樹氷と化した、梅の枝。
氷柱が下がった母屋の庇の下では、小さな氷筍が、いくつも顏を覗かせていた。
その、草木も凍える寒気の中、
「鷸哉様。何も、このような時分に。陽が高くなってから、せめて朝餉を、、、、」
侍女頭の声が、響き渡った。
慌てて身形を整え、追いすがった、白い背中。
同じく、眠気眼の若い馬丁によって着けられた鞍に、手を掛けたところで、
「事は為した。哉彬殿には、済んだ、と、、、」
短く告げ、馬上の人となった。
「せっかくのお越しに、なんのお構いもできず、なんとお詫びしたら、、、」
「いや、、、」
一見、冷ややかすらある闇色の眼差しが、屋敷の内を見渡した。
広い庭園の向こうに聳えるのは、他の屋敷よりも高い塀であった。
その眼差しに、射竦められるかと恐る恐る見上げたところで、
「姫には、多少気晴らしが必要やもしれぬ」
「あ、、、」
打って変わって穏やかな眼差しが、向けられた。
異形と畏れられる、白銀の髪が、肩からさらさらと毀れてゆく。
伏せ眼がちな切れ長の眸、高い鼻梁。
細い顎先に、透けるように、白い肌。
― 似て、おられる、、、あの方に、、、 ―
その容貌に、【彼の人】の面影を見て、侍女頭は、思わず息をのんだ。
「伯、、、」
蒼奘が、短く名を呼んだ。
雲間から覗く星々を、遠く眺めていた伯が、振り向いた。
「んー」
手を伸ばすのを、引き上げると、
「当屋敷の門に、閂は無い。先代の方針でな。都守の名で、この囲いから抜け出せるのであれば、参られよ、、、」
うっそりと告げ、馬腹を蹴る。
「あっ、鷸哉様。せめて、先の辻まで、、、」
我に返り、続こうとしたところで、
「見送りは、無用、、、」
腹腔に響く低い声と共に、馬蹄の音も優雅に、鋼雨が歩きはじめる。
『それでも、、、』と、言葉を探し、
「鷸哉様、、、」
結局、何も出てこなかった。
遠ざかる、その背中を、門の内から見送って、
― あれは、もう何年も前のことだろうか、、、 ―
侍女頭は、かつて、同じように見送った背中を、思い返したのだった。
雪止んで、朝陽差し込む、浮海の屋敷。
氷柱の先から、透明な雫が煌めいて、庭石を穿つ中、
「まだ、陽も明けきらぬうちに、お屋敷をお出になられました」
「なんだと?!」
甲高い声音が、北の対に響き渡った。
着替えを手伝っていた、まだ若い妻女が、おもわず肩を震わせた。
「ああ、すまぬすまぬ。驚かせてしまったなぁ」
「あ、、、いえ、、、」
華奢な肩を擦ってやれば、俯いて首を振る。
そのあどけない仕草に、たまらず、目尻を下げる。
今一度、昨晩のように抱きすくめたい衝動に駆られながらも、
「それで、あやつらは、何か?」
襟を正して、扇子を手にとった。
冷え冷えとした廊下に、控えていた侍女頭が、
「旦那様には、ただ、『済んだ』と、お伝えするようにと託かっております」
恭しく、そう告げた。
「済んだ、、、?都守としての責務を、果たしたという事か。では、ゆあらは、、、」
「いつもならば、眠れないとお起きになられる時刻でございますが、いまだ、ぐっすりとお休みに、、、」
「おお、そうかっ!!そうかっ!!」
飛び跳ねんばかりに喜ぶ様に、侍女頭は、冷ややかな一瞥の後、踵を返した。
ゆあら姫の寝所へと向かいながら、先ほどの哉彬の顏を思い出し、
― 分かりやすい、お方。病のせいで頓挫していた縁談を、進めるおつもりね、、、 ―
ゆあら当人の顏を、思い出した。
屋敷に、閉じ込められるようにして育った、ゆあら。
他人からは、言動奔放とみられていても、乳母代わりも務めた侍女頭には、分かるのだ。
庭に放した鶴への ―――、執着も。
― 翼があれば、いつかは飛び立てる。その翼を奪い、地に留め、囲う。姫さまは、鶴に己を、重ねていらしゃる、、、 ―
やるせないため息が、唇から、毀れていく。
年の近い兄弟がいれば、あるいは、違ったものになったかもしれない。
思わず、胸に手を当てた。
軋むような痛みに、
「雪螺さま、、、」
今は亡き、その名が、口を突いた。
かつて、侍女頭は、その人について、この屋敷の門を潜った。
そして、
― なんたる、因果。また、見送るとは、、、 ―
まだ幼い、【鷸哉】を連れたその背を、見送った。
たまらず、唇を噛み締めれば、かつて押し殺した激情が、今更になって込み上げる。
― あの時、雪螺さまに、ついてゆくことも叶わず、さりとて、遺された鷸哉様の孤独に寄り添う事もできず、、、わたくしは、、、わたくしは、、、 ―
悔しさが、一筋の輝きとなって、頬を滑り落ちた。
縋った欄干の、冷たさ。
骨身に染み入り、鼓動が止まれば、笑い声の絶えなかったあの頃に、戻れるだろうか?
― 雪螺さま、、、 ―
軋む、胸。
袷を、握りしめたところで、
「陽衣?どこか、痛むの?」
可憐な声が、掛かった。
振り向けば、寝着姿のゆあらが、渡殿の先に佇んでいた。
「姫さま、、、」
裾を抓んで、侍女頭、陽衣の元へと駆け寄る。
「薬師を呼ぶわ。無理をしちゃだめよ」
「姫さま、、、」
心配顔で、そこにいる。
陽衣の姿が無いことに、不安になったのかもしれない。
そのまま、腰に腕を回してしがみつくと、子供のように、いやいやを繰り返す。
「姫さま。もう、大丈夫ですから」
そっと、髪を撫でれば、頬を膨らませ、こちらを見上げる。
「本当に?」
「はい。雪の照り返しに、目が眩んだだけですわ。それよりも、姫さま、お体は?ゆっくり、お休みになれましたか?」
見つめ返したその先で、ゆあらは、にこりと笑って、頷いてみせた。
深かった隈が、今はもう、すっかり無い。
「体が、軽いわ。二の兄様のお蔭ね。何をなさったのか、聞いてみようと、お部屋に声を掛けたけど、、、」
首を傾げたゆあらだったが、
「二の兄上様は、多忙なお方。暁と共に、御発ちになられましたよ」
「えっ、、、もう、お帰りに?そんな、、、早すぎる」
陽衣の言葉に、たまらず俯いた。
ゆあらが知る、数少ない来訪者だ。
その日を、心待ちにしていたのを、知っている。
ゆあらが気落ちするのも、無理はなく、そっと、冷たくなった手を包み込む。
「日を改めて、お礼に伺うのが、よろしいかと。わたくしからも、哉彬様にお願いしてみますから、今日のところは、姫さま、、、」
「、、、ん」
「二の兄上様も、忙しい中、姫さまの身を案じて、こうしてお越しくださったのです」
「本当、に、、、?」
「ええ、そうですとも。いつでもお屋敷に、と、お帰り際、おっしゃってくださいました。さ、御加減が良くなったのに、風邪を召されては、大変。こちらへ、、、」
「うん」
華奢な背中を押せば、素直に歩き出した。
ケケ…ェェ…ン――…
クォ…オオ…ン――…
ゆあらを呼ぶ声が、する。
双鶴の元へと急ぐ歩みの最中、振り返ると、
「約束よ、陽衣。哉彬兄さまに、、、、ね?」
そう、念を押す。
何度も『約束』を繰り返すゆあらに、頷きながら、
― わたくしは、この方にお仕えして思うのです。生涯、ただ一人が叶わぬとなった今、あなたさまの分まで、この姫さまにお仕えしようと。寛大な、あなたさまならば、きっと、許してくださいますよね、、、 ―
陽衣は、今は亡き主に、そう誓うのであった。
陽光眩く、鶯は歌い、季節の花々は、狂い咲く。
胡蝶は野に遊び、風に弄われ、花弁となって舞い降りる。
雲間から現れた龍魚は、大河となって空を映す水面に飛び込み、七色に変わる水草は、澄んだ音を立てて、小波を喚ぶ。
「浮海の姫は、大層美しいと帝都では評判だ」
水面に突きだした、浮見堂。
その長椅子に寝そべった女主が、濃紫に染めた爪でもって弾けば、
ロロ…
シャ…リリ…ィイ…ン…
イ…ィイン…
賑やかな、鈴の音が、響いた。
蜂蜜色の髪に、玉を通し、いくつもの笄や簪でもって結い上げた、その姿。
雪色の寛衣に、長藤を縫い取った薄絹の重ね。
巫女を彷彿とさせる装いでもって、
「何事も、過ぎれば、他を害す。が、、、熟知し、使えば、得ともなる。なるほど、美しい姫君は、それだけで家に良縁を齎すが、その良縁を、自らの糧とするならば、そこいらの男どもよりも、貪欲なる権力者と成れるやもしれん、、、」
どこか酷薄すらある笑みを、その丹唇に、刷いた。
天狐遙絃である。
「籠の鳥と思っていれば、それまで。とどつまり、当人が【どうしたいか】、さ」
その手に、神楽鈴を、持っている。
寄越せとばかりに、手を伸ばしたところで、
「気づこうとせねば、見えぬ。何事も、、、」
柱に凭れていた蒼奘、袖から引き出した手を、広げた。
ころり、、、
錆びついた鈴、ひとつ。
薄笑みを浮かべたまま、遙絃の指先が、鈴をつまみ上げた。
鈴が連なる、神楽鈴。
その一番、下。
ひとつだけ抜け落ちたその場所に、あてがいながら、
「聞いたか、伯?」
すぐ傍らで、いつものように九尾にじゃれついている伯に、言った。
「、、、、、」
菫色の眸でもって、ちらりと遙絃を、一瞥。
厭きた、とばかりに、橋へと向かう。
欄干に腰を下ろし、足をぶらぶらさせているのを、遠目に眺めつつ、
「何を、吹き込んだ?」
蒼奘が、問うて、
「何も何も」
遙絃が、嘯いた。
ふいに風が巻いて、
リロロ…ン…
遙絃の手の中で、ひとりでに神楽鈴が、鳴った。
錆びついた鈴が連なりに加わると、埃まみれだった神楽鈴が、かつての在りし日の金色を、纏った。
遙絃は、その姿を満足気に眺めつつ、
「山車は先月、布津稲荷にてお焚き上げされたが、この神楽鈴だけは、潰せなくてな。人々の想いと共に生まれた付喪神なれば、その想いと共に我が境内に在って、巫女と舞うがいい」
リリリ…ロロロ…ィイン…
鈴らが玲瓏と鳴れば、
「ほほ。嬉しいかぇ?そうか、そうか、、、」
満足気に、頷いた。
その様子に、蒼奘が、踵を返す。
長い橋の中程で待つ、伯の元へと向かう背中に、
「行くのか?」
引き留める様子でもない声が、掛かった。
「ああ」
短く応じて伯を伴うと、優美な湾曲を見せ伸びる橋を、彼方の母屋へと向かっていった。
途中、
「お帰りでございますか?マギの国のお酒をご用意致しましたが、、、」
酒器の乗った盆を手にした、隻眼の若者、胡露と、すれ違った。
先を行く伯に、袖を引かれた蒼奘が、
「一晩、屋敷を空けていた。厄介事が、舞い込んでいるやもしれぬ、、、」
薄笑みを浮かべたまま、通り過ぎた。
遠ざかるその背を、今日ばかりは見送って、卓子に頬杖の女主の元へ。
眇められた、紺碧の眸。
「遅い」
「お待たせ致しました、地仙」
短い言葉に、思わず苦笑して、杯を円卓に置いた。
薄い花弁を、幾重にも重ねたような杯に、透明な酒が満ちれば、芳醇な香りが漂った。
遙絃は、一息に干して、
「、、、ふ」
微笑む。
喉を焼く程に、強い酒。
蠱惑的な唇を粗野な仕草、手の甲で拭うと、
「返杯だ」
そう、胡露に持たせた。
なみなみと満たされた杯を、白い細首を晒し、呑み干す様を見つめて、
「吉日を選んで、これを、拝殿へ納めてくれないか?」
卓上の神楽鈴を、一撫。
銀恢隻眼が、それを一瞥。
「付喪神、で、、、?」
「ふ、、、」
厚く、蠱惑的な丹唇が、意味深に吊りあがる。
「違うな。正確には、人々の想いと、共に舞った巫女ら、そして、その音によって精錬研磨された、今となっては【御神体】、そのものだ」
「この鈴、が、、、?」
「神楽鈴は、【媒体】であり、【憑代】。自身さえも、気づいていないが、【宿った】のだろう、、、」
指先で鈴を揺らせば、
リロロ…ンン…
玲瓏と、鳴り響く。
羽衣を肩に纏い、梔子の香りをさせて、遙絃が立ち上がった。
大きく伸びをしながら、浮見堂の欄干から、水平線へと続く、大河の果てを見つめた。
鈍色の縞に、赤き斑点を持つ惑星が、ゆっくりと沈むところであった。
「無から生まれ、悟りを開き、神意を得れば、【神】に至る。なぁ、胡露、、、」
遙絃に呼ばれ、胡露は、その傍らへ。
欄干に置いた腕に顎を乗せると、紺碧の眸が、
「お前は、まだ、天津国に席を得たいか?」
見上げてきた。
その問いに、僅かに眉を寄せた胡露であったが、
「、、、いえ。今は、もう、それ程は」
そう、首を振った。
「空に在った頃、侮蔑の対象であった【もの】が、その実、悪くはないものだと、知り得ましたし、、、」
そう言って、後ろを振り返った。
橋の上に、既に二人の姿は無いけれど、
「柵と呼ぶか、絆と呼ぶか、か、、、」
水面を見つめたまま、歌うように、遙絃が言った。
「一方的に、そう思っているのかもしれませんがね。貴女だけだと、言わなくてはいけないのでしょうが、、、。嘘は、お嫌いでしょう、遙絃?」
「ふふ、、、」
ふわりと、九尾が揺れた。
懐くように、脚にやんわりと纏わりつく、その感触。
銀恢隻眼を眇めると、
「けれど、なんでしょうねぇ。仮に一方的であったとしても、改めて貴女に、【柵】や【絆】だと突きつけられると、その、、、なんとも、こそばゆい」
胡露は、苦笑を、浮かべたのだった。
※
梅香るその日は、雪が、ちらついていた。
傘を手に、門前に現れたのは、
「お前に出迎えられるとはな、蒼奘」
「そこの庭先に、いたのでな、、、」
海老染めの狩衣を纏った、その人。
その背に続いて樹氷の小路を行きながら、燕倪は、腰の辺りに手を置いた。
七宝を散りばめた、白鞘。
破魔の大太刀【業丸】を、佩いている。
その柄の感触を確かめながら、
「あれは梅雨の時期だったが、、、」
ふと、昔を、思い返していた。
業丸を継ぐ、以前。
鐡丸を、佩いていた頃だ。
少し先を行く、蒼奘の横顔に、
「駆け出しで、逆賊の取締に、連日駆り出されていた夜だったな。もっとも雨だったが、お前に、こうして迎えられた時は、正直、救われた気がした、、、」
苦笑した。
闇色の一瞥が、傍らの燕倪に、投げられた。
酷薄とすら感じさせる笑みを、湛えたままの青い唇。
いつかの怜悧な面差しは、今もなんら変わらぬようで、
「、、、門前で倒れられても、困るだけだ」
「皮肉屋」
それでいて、変わったような、、、?
樹氷然とした、大池へと続く、木立。
その中程にある、楓の若木を見上げた。
いろとりどりの鳥の羽根に、季節外れの風鈴らが、雪に弄われ、揺れていた。
「さすがに、母屋か?」
辺りを見まわして問えば、
「浮島にいる、、、」
鬱々と響く、いつもの声音が応じた。
薄氷の張った、大池。
水源から引き込んだ水が流れ込む中程の水面は、それでも凍るには温かいのか、鴛鴦の番いが、仲睦まじく羽繕いをしていた。
浮島を繋ぐ、平橋。
その先にある、四阿屋へと案内される途中、
「ん?」
燕倪が、思わず、立ち止まった。
バラ…―ㇻンン…ラ、ㇻ―ン…
月琴の音が、階の辺りから聞こえてきた。
左右に大池を囲むよう両翼を広げる、寝殿造りが一望できる、その位置。
優美な曲線の、平橋。
その中に在って、開けた視界に飛び込んできた光景に、
「これは、、、」
思わず鈍色の眸を、眇めた。
前方に見える浮島で、浅葱の長袖が、翻る。
その手には、白き鶴の羽根。
宵闇迫る、冬の黄昏時に、その貫けるような白さが、目を惹いた。
背に流れる黒髪と言い、陽炎のように茫洋と透けて視える背丈は、見慣れぬ者の姿であったが、
「、、、伯、なのか?」
白いため息が、思わず口を突いた。
淡い朱華の被衣を被り、紅をさした巫女、一人。
対岸で、汪果が爪弾く月琴の音に合わせ、舞うその様は、燕倪が知る者では、なかった。
毛氈の敷かれた長椅子に、腰を下ろした蒼奘が、
「水の気性は、他を映す鏡。浮海の屋敷に赴いて、しばらく経つが、此度はなかなか同調が解けず、難儀している。この際、【気が済むまで舞う】、そうだ、、、」
薄い口元に笑みを湛えたまま、頬杖だ。
「浮海の屋敷でなんかあったのか?」
「ああ。少しな、、、」
琲瑠が、燗をつけた酒を運んできた。
二人の間に瓶子を置くと、四阿屋の片隅に置かれた火鉢の炭を足し始めた。
チチジ…ジ…パチチ…チ…
新たな火種が生まれる、音。
それだけで温かく感じるも、寒空の下で舞う伯は、燕倪の目に、
「、、、、、」
どこまでも孤独に見えた。
杯に唇を当てた蒼奘の傍らを、一度は杯を手にした燕倪が、通り過ぎていった。
はらはらと舞う、粉雪の中。
なだらかな大地が沈み込む、浮島の波打ち際に立つと、懐を探る。
金襴の布にくるまれているものを、取り出す。
武骨な手には、いささか可愛すぎる気もする、龍笛であった。
笛を覚えるのならばと、遠野の姫、羽琶が燕倪に貸したものだった。
バラン…ㇻン…バラㇻン…
汪果が爪弾く月琴の音に、
ヒョウ・ヒョ―…ュルル―――…
燕倪の龍笛が、重なった。
手にした鶴の羽根が、振られた。
舞い上がる、長袖。
山絹で紡いだ被衣が風に浚われ、豊かな黒髪が、流れた。
広げた、腕。
舞い吹く雪を、胸に掻き抱けば、髪が、群青色へと変わっていった。
漆黒の眸、
「、、、、、」
その一瞥が、笛の吹き手へ向けられ、菫色へと澄んでいく。
風が、巻いた。
旋風が、群青の髪を巻き上げる様は、そのまま空の高みへと誘うようで、
「、、、、、」
四阿屋では、蒼奘が、目を眇めた。
辰砂の釉薬が掛けられた、小ぶりな杯。
瓶子を傾けながら、
「巫に楽師が、揃ったようで、、、」
琲瑠が、そっと蒼奘に耳打ちした。
青い唇の端が、僅かに吊り上がり、
「神楽舞は、【捧げられる者】あっての供物、、、」
うっそりと、告げた。
心得た琲瑠が、
「はい。それでは頃合いを伺い、酒席の用意を。どうぞ、ごゆるりと、、、」
伏せられたままの燕倪の杯を下げ、四阿屋を後にした。
浮島では、巫の記憶に触れた伯が、ひらりと舞い上がり、大池の湖面に降り立ったところであった。
薄く、燐光纏うその姿は、研磨された水の神氣で満ちていた。
手にした鶴の羽根を振れば、
ピシャ…ン…
ピシャ…
温かな水底で眠っていた鯉達が、次々と跳ねた。
上空では、雪雲が、その巨体な胴をうねらせたところであった。
白いため息が、大気に滲む。
泡肌が立つ腕の辺りを、擦りながら、
― 深淵に在っては、縁ないものであったが、、、これは、成程、、、 ―
蒼奘は、【荒御魂】たる鬼神らが、呼応するかのように遥か頭上、その高みで揺らめくのを、感じとっていた。
体内深く、湧き上ってくる神氣が、仮初めの器を満たしている。
「、、、、、」
そっと、自らの肩に手をやった。
人の姿は、そのままであった。
やがて、くすくすと、小さな笑い声が、聞こえてきた。
まごうことなき、子供の笑い声だ。
一度は、水面に溶けた雪が、水滴となって舞い上がっていた。
ゆらゆらと、浮遊するその合間を、くるくると、伯が舞う。
― 分からぬものだな、、、 ―
その姿は、玩具を得た子供のようで、
― この世に在って、存外、愉しんでいたか、、、 ―
蒼奘の目にも、伯が、今、この時を、謳歌しているように、見えたのだった。
ども、馬の骨でござい。。。
前編時には、書き上げていたのだが、更新をだらだら遅らせてまった。。。骨組とか書かない行き当たりばったりだから、一話丸々書き上げないと、更新できねぇんだな、俺www
ご近所さんの名字、浮海を拝借。響きもいいが、漢字にすると、なおいいなぁ。。。
九十九の字も良いが、付喪が一般的だろうから、そっちがいいとか思いつつ、両方入れてみたり、まったくもって、いい加減。。。
そろそろ、冥府の方を戻してやらねばなるまいよ、と。。。
それでは、おかわりしてくださる方々、次作はいまだ、未定につき、晩秋にでも、覘きにきてくださいまし。。。