|----- Another Sky スズノオトシゴ 伯×野狐
伯と、ある野狐の起点。。。
海藍編では、お馴染みのあの娘とのエピソード。。。
荷車の轍。
その軌跡が、往来いっぱいに、描かれている。
修繕中の築地塀。
その向こう側から、こちらに伸びる山茶花の花枝。
日差しに煌めくのは、薄紅色の花弁や海松藍の葉に、つつましく結ばれた露であった。
大気に、甘い香りを滲ませる様を尻目に、
「、、、、、」
やや癖のある黒髪を、背に流した童が、一人。
南北に延びる大通りを、北へ向かっている。
ぬかるむ大地を避けたと思えば、行き来する者達を眺め、鳶の声に、空を見上げる。
急ぐでもない、その足取り。
伯であった。
つい今しがた、屋敷を出たところである。
辻に、出た。
先に見える、古びた様相の屋敷。
青銅の重そうな扉は、その実、天狐の屋敷だ。
「、、、、、」
伯は、恵堂橋は渡らず、その辻を、右に折れた。
大通りに比べれば、随分と細い、路地。
リ…ロロロ…ィイン…
帯から下げた鈴が、小さく鳴く。
路地の影には、取り残された雪が、白く白く、蹲っている。
蹴り上げたとて、咎める者などいない。
人気の無い、路地。
「、、、、、」
ふと、顔を上げた。
築地塀に嵌め込まれた、古びた潜り戸。
伯の足が、止まる。
視線の先。
ちょこなんと、座っているものがいる。
猫にしては小さく、狸にしては、細身。
リリ…
小さく鈴が、鳴いて、伯は再び歩き出す。
路地から、路地へ。
次第に入組むが、伯の歩みは慣れたものだ。
チリ…リリ…ロン…
・・・・・
ロロ…ン…
・・・・・
リリ…ィ……
足が、止まる。
「、、、、、」
振り返る。
「、、、、、」
・・・・・
前を、向く。
再び、歩き出す。
リリ…
・・・・・
リリン…リリ…
・・・・・
「、、、、、」
気配が、着かず離れずで、ついてくる。
リン‥ロン‥ロロ…ン…
・・・・・
歩みが、速くなる。
鈴の音を共に、袖が翻り、足早に、先の辻に出た刹那、
「っ、、、」
走り出す。
旅人や商人で賑わう、界隈。
そこを、走り抜ける。
途中、
「きゃっ、、、」
使から戻った若い娘が、走り抜ける伯に驚き、短く声を上げた。
危うく落としそうになった、反物の包みを抱え直し、
「え、、、?」
目を、瞬かせた。
足元を、小さな影が、横切っていった。
視線の先。
ちょうど、旅籠の向こうへと消えた童を追って、
「て、貂、、、?」
曲がるところであった。
毛氈に、蛤の貝殻が、円を描くようにして、整然と並べられている。
花鳥の蒔絵も豪奢な貝桶を傍らにひきつけ、身を乗り出すようにして、覗き込んでいるのが、
「ううー」
眉間に皺を寄せ、貝を睨む、女童。
その向かいには、
「そろそろ、一つ選んではどうだ?」
朱金の斑毛を背で束ねた異形が、さすがに痺れを切らし、苦笑を浮かべた。
ゆったりとした大陸の寛衣を纏い、火箸でもって、真紅の炭をつつく。
大陸渡来の虎精、
― 相変わらず、勝気な姫君だ。この分では、我の番は、いつになるやら、、、 ―
銀仁。
呻き声にその姫君の顔を伺えば、青みがかった黒瞳が、忙しなく貝殻の上を行き来している。
部屋の中で小さくなっているせいか、豪奢な唐衣が、重そうだ。
「むむ、、、どれもこれも、同じように見えてきたのじゃ」
額を揉みながら、女童、あとりが首を振る。
二人の傍らで、句と、それにちなんだ草花が描かれた貝殻が、転がっている。
形勢は、一目瞭然。
あとりに、不利。
手を抜けば怒る、あとりの性格上、勝ちを譲ることもできない、銀仁だ。
これは、と顔を近づけたり、表面の模様を見比べる様を眺めながめていれば、
「、、、、、」
屋敷に張り巡らせていた結界が、揺れた気が、した。
「銀仁、、、?」
締め切られた板戸を開き、庭を眺めれば、あとりの不安げな声が、聞こえた。
「そこにいろ、あとり」
それだけを告げると、庭へと続く階を降りた。
そのまま、西門へ向かい、
リリリ…
「お、、、」
小さな鈴の音が、聞こえた。
敷き詰められた玉石の先。
門を潜ってすぐの辺りで、白い吐息を大気に滲ませ肩で息をしている珍客を、見つけたのだった。
「伯ではないか。一人で、参ったのか?」
銀仁が声を掛ければ、
「、、ぁ、、、はぁ、、、」
こく…こくり…
息を整えながら、頷いた。
化身している状態では、人の童と変わらぬらしい。
西の対と車宿を結ぶ渡殿を、軽やかな衣擦れの音が、渡ってくる。
「あっ」
冬空に、艶やかな緋の色の唐衣が、映える。
「伯、よう来たっ」
痺れを切らし、様子を見に来た、あとりであった。
「まったく、退屈しておったところじゃ」
手招きに応じて伯が、あとりの元へ。
「さて、何をして遊ぼうかの?貝合わせには飽き飽きしていたところじゃ。碁か、双六か、、、ん?」
待ちきれないとばかりに、階を上がる伯の腕を引きながら、あとりの黒瞳が、瞬いた。
「伯、そこの【ちいさいの】は、そなたが連れてきたのか?」
「、、、、、」
伯が、振り向く。
既に気づいていたのか、銀仁の視線は、未だ、西門に釘付けだ。
二人の視線の先を辿り、
「あぅ、、、」
伯が、項垂れた。
門の隅に、ちんまりと、座っているものが、いた。
黒っぽい柔毛が、生え換わったばかりの、まだ若い狐であった。
子狐と呼ぶには大きく、さりとて成熟した狐と呼ぶには、いささか幼い。
― これは、ただの狐ではない。斗々烏にいた地仙の眷族、野狐≪やこ≫の一匹だが、、、 ―
銀仁が、思わず金色の眸を眇めれば、
チキキッ…
すっかり居竦まれ、身を伏せてしまった。
「これ、銀仁。可哀そうなことをするでない」
「あとり、、、」
そうこう言っているうちに、
「、、、、、」
伯が無言で、門へと戻っていく。
「走ってきたようじゃが、その【ちいさいの】を、撒くつもりだったのか?」
「、、、、、」
野狐の前に立った背中は、答えない。
キキュ…
零れ落ちんばかりの、大きな琥珀色した眸が、上目使い。
「、、、、、」
クキュッ…
しゃがみ込まれてしまえば、耳まで伏せた。
しばらくして、
「、、、、、」
伯が、あとりの元へ。
階を上がってくると、
「ほほ、、、それならば、すぐに分かる」
あとりが、にこりと、笑って伯に言った。
そして、
「そなたも、こちらへおいで。そこでは、寒かろう」
未だ、何が起きたのか理解できず、小さくなっている野狐を、手招くのだった。
「なぁ、そろそろ迎え、行かないか?」
北の空から、東の空へと滲みだした、黒い雪雲。
まだ、陽の入りには時間があったが、雲行きを見て、書院に顔を出した、燕倪。
行って帰ってくる頃には、雪がちらつき始めるだろう。
促されるまま、蒼奘は長衣を羽織ると、燕倪と共に、東門へ向かった。
琲瑠によって、引き出されていた【鋼雨】と【浮葉】の鞍に手を掛けた時であった。
「む、、、」
「ん?」
二人の視界の端に、白いものが、映った。
「ありゃ」
燕倪が、ぽかんと、口を開いた。
水干を纏った、伯であった。
窮屈だったのか、首から翡翠輪を外せば、群青の髪が、長く背に流れた。
陽の下で見ると、枝を増した一対の翡翠の角が、一層鮮やかだ。
その後ろに、
「確かに、送り届けたぞ」
臙脂の狩衣を纏った偉丈夫、銀仁の姿。
送ってくれたようだ。
「寄っていけよ」
家主よりも先に、燕倪が声を掛けるが、
「たまの非番でな。あとりが、待っている」
門の辺りで、苦笑しつつ片手をあげると、早々に往来に消えてしまった。
「久々だったのにな」
残念顔の燕倪を、
「、、、、、」
伯が菫色の眸で見上げた。
「で、伯、あとりと何して遊んだんだ?」
「す、、、くぉ」
「すく?」
首を傾げ、顔を歪めた燕倪に、
「双六と碁、だそうだ、、、」
蒼奘が、答えた。
「お前ら、いったい、どこで会話してんだよ」
諦めたとばかりに、ため息だ。
母屋へと戻っていく、その途中、
「んん?そういや、お前、鈴、どうした?」
軽やかな音色が、聞こえないことに気が付いた。
「、、、、、」
当人はすでに、中島の辺りに目を凝らしている。
そこに取り残された芒の中で、
「お。よく見つけたな」
青き小鳥が、羽根を休めていた。
「ありゃ、瑠璃鶲≪ルリビダキ≫ってんだぞ」
「、、、、、」
じっと見つめる伯の眸に、
― なんだか野良猫の目つきに、、、って、、、 ―
燕倪は、今にも走りだしそうな肩を、反射的に押さえていた。
「ちょい、待て。お前、あれの羽根が、、、」
「ん」
腕を払われる。
案の定、燕倪の鼻先で、一息に跳躍せんと水干の袖が、翻る。
が、
「やめとけっ、て」
「むぁ」
舞い上がったところで、燕倪の腕が、その細腰を捉えた。
そのまま脇に抱えられた伯の手が、宙を掻き、
「暴れんなよ」
「ううっ、、、あ、あぁぁ…」
「あっ」
湖畔での騒がしいやりとりに気づいたのか、瑠璃鶲が、
「牡丹雪、か、、、」
抑揚に掛ける蒼奘の声と共に、塀の向こうへ。
つられて見上げれば、
「本当だ」
「おわ、、、」
北の山稜より張り出した雪雲が、帝都上空を覆い、ゆらゆらと舞う牡丹雪を、誘ったようだ。
ゆっくりと舞い降りる様は、さながら、
「こりゃ、雅な。真白な羽根のようだ」
燕倪が、鈍色の眸を眇めて、そう言った。
傍らで、蒼奘が薄く笑う。
「あ?」
その白い髪に肩に、牡丹雪を、遊ばせながら、
「お前から、【雅】と言う言葉を、聞くとは、、、」
「おい、そこ。思っても口に出すなよ」
一足先に、階を上がっていった。
「ったく、、、そんなんだから、宮中でも浮いちまうんだよ。お前、あんな皮肉屋になるなよ」
「やー、、、?」
腕の中で、伯が小首を傾げた。
意味は、分かっていないだろう。
大地に、伯を降ろす。
その鼻先を、弄うように、ひとひらが舞い降りて、
「、、、、、」
ひらいた両手の中、ゆっくりと溶けていく。
「今日は、それで、我慢しておけよ」
「ん」
塀の向こう。
山稜の姿も、隣屋敷の木々も、白々と塗りつぶされてゆく。
見慣れているはずなのに、いつもとは違う。
見知らぬ世界が、広がっていくようだった。
「若君、それに、燕倪様。そのようにいつまでもお庭に降りていますと、風邪をお召しになりますよ」
「お、おお。それも、そうだ」
伯の好物か、蒸し菓子をこんもりと盛った高坏を手にした、琲瑠の声。
その甘い香りが、庭先まで、漂ってきた。
傍らの伯と共に、階へ。
― あれ、そう言えば、何か忘れているような、、、 ―
草履を脱ぎ散らかして、
「まぁっ、若君ッ」
足を拭かんと待ち構えていた汪果の手をすり抜け、母屋へと駆け込む、伯。
伯の草履を汪果に渡し、母屋への階を上がったところで、振り向いた。
夕暮れが迫っているのか、辺りが、暗くなってきた。
燕倪は、今しがたまで佇んでいた辺り―――、黒白≪こくびゃく≫の世界と化した庭園を眺め、
「、、、まぁ、いいか」
苦笑すると、背を向けた。
母屋の奥では、暖かな灯りが揺れ、蒼奘が爪弾くのか、月琴の音が、聞こえてくる。
雪に湿らぬようにと、草履を提げた汪果が母屋へ消えると、雪に煙る庭は、静寂に包まれた。
音もなく舞い降りる、牡丹雪。
木々の枝に宿り、大地に蟠り、水面に溶ける。
夕暮れと共に気温が下がると、より一層、その数を増していった。
松の濃い緑も、温かな水底へと潜り込む緋鯉も、慎ましく蕾を結んだ蝋梅、鮮やかな紅の藪柑子さえも、その一切を、失っていくようであった。
― あれは、、、 ―
銀恢の隻眼が眺める、その先。
― あのように飛んだり跳ねたり、、、あの子にしては、珍しい、、、 ―
一面の花畑で、野狐が集まっている。
野狐≪やこ≫。
若い狐精達だ。
一匹の野狐が、高く跳ねた。
リ‥リリッ…ン…
可憐な鈴が細首に煌めけば、その周りを、他の野狐らが駆け回る。
組紐を解いて、首の後ろで乱雑に結ばれた状態だが、それでも、全身で嬉しさを表しているようだった。
長椅子に腰掛け、その様子を眺めていれば、
「ご機嫌な音色だな、、、」
膝に頬預けた屋敷の女主の呟きが、聞こえてきた。
「地仙、お目覚めでしたか、、、」
顔を伺えば、まだ目を閉じたまま。
細く息を吐いて、
「赤狐、瑰翡の娘だな、、、」
「ええ。耳障りなようでしたら、すぐにでも、、、」
そのまま、口元に笑みを刷き、
「いい。どのような理由であれ、あの子が自らの意思で外に出てゆく事は、私にとっても、喜ばしいことだ。この領布を、返す時も、近いやもしれん、、、」
双肩に掛けられた、虹色の領布をつまんで言った。
「ええ。遙絃が、この屋敷にあの子を連れて来たばかりの頃は、屋敷の隅で、いつも独りでした」
「ああ。私の中では、野狐らに打ち解けた事で満足だったが、神通力の修練もするようになったと聞いた時には、驚いたものだ、、、」
「それもこれも、都守のところの、若君のお蔭でございますな」
遙絃が、小さく欠伸を、した。
ぐっと、一度だけ体を伸ばすと、
「ああ。ま、当の伯の方は、気づかぬだろうがな。ふふ、、、歯痒さもまた、いじらしく見えるわ」
再び、その膝に、頬を摺り寄せる。
「遙絃、、、」
そのまま、
「もう少し、、、寝か、ろ、、、」
肩を寄せるように、身を縮こませると、細い寝息が聞こえてきた。
「、、、、、」
遙絃に、掛けていた長衣。
身じろいだ際、落ちた長衣を肩まで引き上げると、その隻眼を優しく眇めた。
そっと、秀麗な貌に掛かった髪を、払う。
胡露にしか見せない、無防備な寝顔。
― 遙絃、、、 ―
穏やかな時が、刻まれている。
安らかな寝息と、花園にそよぐ、薫風。
そして、
リ…チㇼリ…ン…
軽やかな鈴の音が、胡露の耳に心地良く、いつまでも聞こえてくるのだった。
煮詰まった挙句に、詰め込み過ぎた、前話。。。
そのすぐ後の話で、ちょっと小休止の箸休めを、書いてみた。。。
野狐、誰?な、お客様は、帝都外伝、海藍編にお目を通してくだされば、分かります。。。
暇潰しにでも、覘いていただけたら、光栄なり。。。