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第拾ノ弐幕後ノ前 ― 犬神筋 ―

 夢路で交錯する、それぞれの想い、、、辿りつく、その先は?


 死人還りの都守蒼奘、業丸を継ぐ武官燕倪、幽身であるがこの世に縛られた伯。それぞれが紡ぐ異国絵巻、第十二幕後の前編。。。

 

 ― 暗い、、、 ―

 闇の中、【鵺】鴎弩は、細く息を吐いた。

 ひっそりと、導師の傍らに在りながら、

 ― 纏わりつく、、、血肉が腐敗し澱んだ、粘着質の【闇】、、、 ―

 視線は忙しなく、辺りを窺う。

 情報を得んとする、習性のようなものだ。

 置かれたことのない状況下がそうさせるのか、

 ― なんとも、、、 ―

 体内で脈打つ鼓動が、早い。

 鬼窟と呼ばれる異界に入ったのは、初めてだ。

 いかに、数多の修羅場を潜り抜けてきた【鵺】と言えども、このように、不可思議な空間に置かれれば、緊張するのも、無理は無い。

「胡弓を、、、」

 低く、それでいて澄んだ声に、我に返った。

「、、、、、」

「、、、、、」

 袖に抱いていた絹布の包みを差し出せば、導師が代わってその腕に抱いた。

 ポタ・・・タ・・・

 不意に何かが滴り、闇色の大地に、濡れた光沢をばら撒いた。

「、、、、、」

 見上げれば、頭上彼方の闇から、あの若き鵺がさかしまに生えていた。

 手足首には、闇色の触手が絡みつき、無惨な形相、そのままに。

「ああ、、、」

 すぐ傍らに立っていた導師が、鴎弩を見、頭上を仰いだ。

 逆しまに吊られた、それは―――、人柱。

 タ・・・・・タタ・・・ポタタ・ッ・・・

 乱れた髪、鼻、指先から滴れば、辺りに鉄錆に似た臭いが、広がった。

 導師は、それに無機質な一蔑を与えると、

「骸は、楔。現世から、異界に降ろした、錨だ。これは、神都を繋ぐ先端を、留め置くためのもの、、、」

 背を向け、歩き出した。

 いつもならば、その姿を隠しつつ、付き従う鴎弩だが、この時ばかりは、その背に続く。

 辺りは、不気味な程、静寂に包まれていた。

 緩やかな勾配が、不可視の闇路へと続いている。

 茫洋と、浮かび上がるのは、先を行く背中。

 その背を追いながら

「言っておく。この闇路に在るうちは、一切を排除しろ」

「は、、、」

 細く、息を吐いた。

 薄く、細く、息を吸い、細く、長く、吐く。

 視界の端で、何かが、蠢いた。

 耳に、【この世ならざるものの声】が、聞こえた気が、した。

 生暖かくも、首筋に針の束を押し付けられているような、殺気交じりの視線を、感じた。

 それら一切を排除する方法は、鴎弩にとって、さして難しいことではなかった。

 ― 心音、、、 ―

 体内の躍動を感じ、その先にある鼓動に、耳を澄ます。

 ― 、、、、、 ―

 その音が、小さく小さく、ゆっくりと、遅く―――、なってゆく。

 常に現世に在るはずの意識が、急速に、遠退いていく。

 無の境地へ。

「、、、、、」

 後は、ただ、仄かに発光しているのか、白々と前方に浮かび上がる背中の後を、追うだけだった。

 

 

 

 灯り窓から微かに毀れる、細く頼りない、月明かり。

 室内との気温の差によって結ばれた水滴が、凍結し、板戸をきしきしと鳴らす中、

「、、、、、」

 あつらえた簡素な寝台の上、華奢な人影が、上半身を起こした。

 薄い肩を、艶やかな黒髪が滑り落ちる。

 寝台についた、手。

 柔らかな感触を確かめるように敷布を弄れば、

「ふ、、、」

 安堵の吐息が無意識に、薄い唇から毀れた。

 一般的な褥とは違い、銀狐と羊の毛皮が、寝台に敷かれていた。

 視界の端、いくつかの場所に、闇にぼんやりと、朱が弾けている。

 大振りの火桶の中で、

 ぱち・・ちち・・・じじじ・・・

 炭が、鳴いている。

 そのお陰か、冬夜というのに、毛皮の保温効果と相まって、背中が汗ばむ程、室内は温かかった。

「、、、、、」

 それまで毛皮の感触を楽しんでいた手が、宙へと、伸びた。

 闇の中でも、艶々とした光沢を放ち、冷やりと手指に纏わりつくそれは―――、牡丹の葉。

 見れば、部屋のいたるところに鉢が置かれており、それぞれ、季節外れの花芽を結んでいる。

「、、、、、」

 ひとしきり、葉に触れた後、陶器の水差しで喉を潤し、再び横になった。

 闇の中、ここでは、植物達に囲まれているせいか、風の音が、遠い。

 故郷とまではいかないが、

 ― 緑の、香り、、、 ―

 それでも、この香りに包まれれば、安心する。

 ― 老爺は、温度差で体調を崩すと言われるけど、、、ここは、天幕うちにいるみたいだ、、、、 ―

 馬具や、弓の手入れをする、父の広い背中。

 幼い弟をあやす、母の歌。

 弓を置き、祖父が爪弾く、胡弓の音。

 そして、左側には、決まって、、、

「、、、、、」

 堪らず、拳が、握り締められた。

 未だ、人、一人分を空けてしまうのは、その名残。

 右に寄って眠るその癖は、直りそうにない。

 思い起こす、祖国での日常。

 そのどれもが懐かしく、

「ぅ、、、」

 恋しい。

 闇の中、じわりと滲んだ、涙。

 こぼさぬように、ゆっくりと、眸を閉じた。

 時折、悪夢にうなされるわけでもないのに、こうして目が覚める時がある。

 眠たくないわけでもないし、目が冴えるわけでもない。

 不安がそうさせるのだろうか?

 それでも回数は、徐々に減ってはきているような、気もする。

 胸元に、手を置いた。

 風邪を引くと、よく母が、そうやって暖めてくれた。

「、、、、、」

 息を、吸う。

 肩から力が抜け、身体が弛緩すれば幸い、眠気が、込みあげてきた。

 ジジ・・ジ・・・

 炭が小さく鳴く、音。

 瞼の裏に、黒い靄が、立ち込めてきた。

 意識が、徐々に剥がされてゆく中、

 ― あ、、、 ―

 キュ・・・ィィイ・・・・ヒュゥ・・・ン・・・

 耳に懐かしいが、聴こえてくるのだった。

 

 

 

 雪が、ちらついている。

 雲間から垣間見える星々は、赤や橙、銀や緑と忙しなくまたたいていた。

 どこかで羽根を休めているのか、梟の声が遠く、聞えてくる。

 静かな夜であった。

 大池のある庭へと降りる、階。

 羽二重の寝着、肩に深藍の長衣。

 欄干に手をつき、佇んでいるのは、

「、、、、、」

 屋敷の主、蒼奘、その人。

 北の方角を見つめ、目を、閉じている。

 静寂に、風の音が、混じった。

 少し遅れて、池の水面が、僅かに揺れる。

 それから少しして、ひたひたと、大地を素足で歩く足音が、聞こえてきた。

「啼いているな、、、」

 蒼奘がゆっくりと、目を、開く。

 闇色―――、では無く、炯々と光る金色が、現れた。

「、、、、、」

 群青色した風が、ふわりと母屋に舞い込めば、

「ぅうう、、、」

 肩に貌を埋めて、ぐずりだす。

 背中を優しく擦りながら、宥めれば、

「、、、、、」

 すぐに、大人しくなった。

 やや癖のあるその髪を、梳いてやりながら、

夢袷ゆめあわせ。今宵は、夢路も喧しい、、、」

 低く、そう告げた。

「夢袷は、互いの同調なくしては適わない。故に、当人が帝都に在るとしても、夢路は、異界。この地を負うた我らとて、管轄外。それを、どう言うわけか先方は、よく知っているようだ、、、」

 翡翠の、枝状に伸びた角が、視線の先で動いた。

 菫色、黎明を思わせる大きな眸が、

「、、、、、」

 今にも零れ落ちそうに、こちらを睨んで寄越す。

 その眸が、【眠りたいのに、これでは眠れない】、と訴えている。

 夢路が騒がしいその事情など、この際、伯にはどうでもいいようだ。

 ― 常人であれば、気付くことはおろか、なんら支障もないが、、、 ―

 幼神である伯には、帝都の外と内で共鳴し合う【夢】の影響を、受けずにはいられないらしい。

 それほどまでに、その【夢】は、深い。

 ― 求めに応じ、応えたとなれば、地仙はおろか、祖である青目とて阻む理由を、失う、、、 ― 

 耳を澄ませ、垣間見ていた、夢路。

 蒼奘の腕に掛かっていた伯が、手に力を込めた。

 人柱の結界を失った今、【星詞】や【夢路】の影響を受けてしまう、脆弱さ。

 もどかしさが、そうさせるのだろう。

 ― できる事と言えば、、、 ―

 金色を湛えたまま、視線を落とす。

 胸に貌を埋め、ぎりぎりと歯軋りする伯の頬に、冷たい指先が、触れた。

「、、、、、」

 もう一度、貌を上げた、伯。

 澄み渡った、菫色。

 紫玉となって、零れ落ちるその前に、

「眠れぬなら、呑み明かせばいい。酔いもまた、醒めねば、夢、、、」

 そっと涙を、指先で弾いてやった。

「伯よ」

 その眸を覗き込んだまま、

「共に、渡るか、、、?」

「、、、、、」

 問えば、ただ、ひとつ。

 こくり、、、

 小さく、頷いた。

 何度も、瞬きを繰り返す伯を腕に座らせると、蒼奘は、欄干から離れた。

 母屋の奥へと向かいながら、

「今頃、夢見の姫も、難儀していることだろう、、、」

 誰に言うでもなく、そう、呟いたのだった。

 

 

 

 鼻腔に懐かしい、故郷の香り。

 草原の香りが、する。

 薄闇の中、今し方まで歩いていた世界が、俄かに見覚えのある緑の大地へと姿を変えた。

 ― これは、、、 ―

 耳に心地良い、いつかの音色。

 忘れるはずの無い、その調べは、

 ― 翠雲哀歌、、、 ―

 翠雲を離れた【あの日】、奏でられた、別れの曲。

 緑濃いその丘に、風が、吹く。

 頬を撫でる、優しい風。

 見慣れた、緩やかな丘陵の向こう側。

 住み慣れた白き天幕群が、姿を見せるだろう。

 素足に冷たく、それでいてすべらかな草の感触。

 一歩一歩と足を踏み出すごとに、

「、、、、、」

 いつの間にか、宵藍の足は、駆け足になっていた。

 その先の、丘の果てを、目指して。

 燦々と降り注ぐ陽光の中、黄色の胡蝶は舞い、銀の穂は、しゃらしゃらと澄んだ音を奏でる。

 懐かしむ間も惜しんで、逸る気持ちのまま、丘を一息に駆け上がると、

「あっ」

 息を、呑んだ。

 ― 良く似ている。良く似て、、、だけど、ここは、、、 ―

 開けた視界は、一面の緑の大草原。

 延々と続くその大地のどこにも、一族の姿は、無い。

 軽い眩暈を覚えながら、宵藍は肩を落とした。

 ― ここは、違う。翠雲じゃ、ない、、、 ―

 大地に膝を、ついた。

 風の音が遠のき、草の香りが、薄くなる。

 太陽は雲に隠れてしまったのか、辺りは薄暗くなった。

 ― これは、幻、、、 ―

 落胆が、吐息となって毀れ落ちた。

 自分は、とうの昔、この地を離れたのだと今更になって、思い出した。

 自嘲ぎみな笑みが、薄い唇に刷かれた―――、時だった。

「ん、、、?」

 不意に、視界の端で、銀の穂が揺れたような気が、した。

 反射的に顔を上げた宵藍が、

「ッ」

 目を、見開く。

 銀の穂と思っていたものは、立派な尾。

 大の大人をも凌ぐであろう、堂々たるその巨躯。

 目と鼻の先に、

『、、、、、』

 白銀の大狼が、鮮やかな青い双眸でもって、静かにこちらを見つめていた。

 世界に風が、巻いた。

 大地を覆い尽くす草花の息吹が、足の下に、確かに在る。

 先程よりも増して、降り注ぐ、陽光。

 世界が、いろを取り戻せば、

 キュィイイ・・・ルルゥ・・・インッ・・・

 遠く、遠く、胡弓の音色が、聞えてきた。

『、、、、、』

 大狼が、視線の先で、背を向けた。

 大きな耳が、小刻みに動いている。

 耳を澄まし、音の出所を、探っているようでもあった。

 ― そうだった。この曲を辿って、、、気がついたら、ここに、、、 ―

 宵藍は、膝に力を入れた。

 ― 草藍、、、 ―

 ただ、一人。

 今ははっきりと、その人の顔を、思い出した。

 立ち上がったところで、大狼と目があった。

『、、、、、』

 首だけこちらに、向けている。

 導くようでもあり、阻むようでもあった。

 宵藍は、大きく頷いた。

「風狼、行こう」

 前を、向いた。

『、、、、、』

 こちらの顔を窺うように見つめる、大狼の傍らを、宵藍は通り過ぎた。

 大狼は、すぐさま宵藍の傍らに、駆け寄った。

 音色を頼りに、膝までゆうに埋まる草原を行く、宵藍。

 その表情に曇りは、無い。

『、、、、、』

 大狼が、宵藍の前に出た。

 宵藍が歩くその少し先を、大狼が導くように、草の海を渡って行く。

「、、、、、」

『、、、、、』

 草花が触れ合い、風が渡る様子が、見える。

 大海原のように、波打ち、陽光に細波を刻むかのように煌く、緑の大草原。

 もの悲しい胡弓の調べが風に乗り、一人と一頭を、その深みへと手招いているようだった。

 

 

 

 温く、体に纏わりつき、それでいて、不快ではない感触に、包まれている。

「、、、、、」

 頭に靄でもかかっているようで思考は鈍っているが、【ここ】が見知った場所だと、直感が告げてくる。

 瞼が、重い。

 こじ開けるようにして、瞼を押し上げれば、薄靄漂う空間に、

「、、、、、」

 たゆたっていた。

 ゆらゆらと、浜辺に打ち寄せる波のように、揺れている。

 ― 心地良い、、、 ―

 このまま瞼を閉じれば、深い眠りに落ちてゆくだろう。

 反対に抉じ開け、立ち上がれば、夢路を散策できる。

 ― 夢の、浅瀬、、、 ―

『あまり長く、身を置くな、、、』

 そんな言葉を、ぼんやりと思い出した。

 ― あれば、確か、都守が言っていた、、、 ―

 以前、天狗の娘、雫玖菜姫に同調した。

 その夢に寄り添い、一時は、目覚める事そのものを忘れてしまったが、都守と銀仁によって、再び現世に舞い戻ることができた。

 後日、改めて見舞いに訪れた都守は、多くを語らなかったが、確かにそう、忠告されたのだった。

 ― だが、ここはこんなにも心地良い、、、 ―

 木漏れ日の中、ふわふわと浮かんでいるようでもあり、揺籠の中にいるようでもあった。

 魂も眠る深い夢に落ちてしまう前に、もう少しだけ、この感覚を味わっていたい。

 それは、うたた寝の感覚にも似ていた。

 身を丸め、薄く目を閉じた時だった。

 ヒ・・・ィイアア・・・ッ

「っ、、、」

 引き攣るような旋律が、どこからとも無く、響き渡ってきた。

 思わず身体を跳ね起こし、辺りを見回す。

 ヒュ・・・ィイイン・・・

 ― これは、、、 ―

 音の聞こえる方へと、薄靄の中を、歩き出した。

 昇っているような、下っているような、進んでいるような、いないような。

 相変わらず現実味の薄い世界ではあるが、それでも徐々に大きくなる、音色。

 聞いた事の無い、異国の調べであった。

 ふと、胸元を押さえた。

 込みあげる感情に、

 ― 何とも、哀しげな、、、 ―

 あとりは、顔をしかめた。

 薄靄のその向こうへ。

 泳ぐように、宙を掻いた。

 ふわりと舞い上がる、華奢な身体。

 薄桃色に染められた寝着の袖が翻り、黒髪が、風も無いのに巻き上げられる。

「あ、、、」

 しかし、その身は、次の瞬間、元居た位置へと、戻ってしまった。

 いつもなら、その壁をも通り抜けられるのに、今日は、薄靄の見えない壁に阻まれた。

 そっと、たおやかな手を伸ばした。

 硬質な感触だけが、冷やりと手の平から伝わってくる。

 キゥウ・・・ンンン・・・ィイインッ・・・

 異国の調べはその先から、確かに、聞えてくる。

「、、、、、」

 あとりは、不可視の壁に背を預けると、そこに座り込んだ。

 物悲しい、その調べに、

「、、、、、」

 たまらず俯くと、膝に、顔を埋めた。

 ― 音色が止んだら、ここから出よう、、、 ―

 深い眠りに入るでもなく、目覚めるでもない。

 ただ、その音色があまりにも哀しすぎて、後ろ髪を引かれたあとりは、そこからしばらく、離れられずにいるのだった。

 

 

 

 遥か高みより、降り注ぐ陽光の下。

 一面の緑の大地を、光の筋が割っている。

 子供でも容易に飛び越えられる程の小川が、蛇行を繰り返し、群れるように咲く可憐な黄色い草花と共に、地平線へと融けている。

 キュウゥルルル・・・・ルル・・・

 調べは、その小川の畔から、聞えてきた。

 川面かわもに、迫り出すようにして聳える、水楢みずならの古木。

 その、地上に剥き出しになった根に、腰を下ろしている者が、いる。

 病的なまでに細い指先が、絃を繰れば、膝に抱かれた胡弓が咽び泣く。

 小川を渡るそよ風に揺れる、鼠色の髪。

 青鈍の、地味な長衣を纏い、

「、、、、、」

 俯きながら、無心に弓を、操っている。

 風に乗ってどこからか、草木を掻き分ける音が、近づいてきた。

 キルルゥ・・・ィイン・・・

 大気が震える余韻を残し、弓を持つ手が、止まった。

 ゆっくりと、顔が上がる。

「、、、、、」

 風に、漆黒の布が、はためいた。

 

 

 

 草花が生い茂る坂を下りきると、小川のせせらぎの音と水の香りに、包まれる。

 その中で、見覚えのある胡弓を抱いた若者が、顔を上げた。

 ― この人、目が、、、 ―

 漆黒に染められた細い布が、何重も、若者の目元を覆っている。

 それなのに、

「、、、、、」

 覆われたその双眸が、布越しにこちらを見ている奇妙な感覚が、ある。

 なんと、声を掛けるべきか。

 躊躇っていると、ふわりと腕に、柔らかな感触があった。

 銀の尾。

 その先に、

 ― 風狼、、、 ―

 抜けるような青い眸と、ぶつかった。

 ひとつ、浅く頷くと、宵藍はまっすぐに若者を見つめた。

「その曲は、、、わたしの故郷に伝わる歌でございます。貴方は、翠雲ツイユンのご出身で?」

「、、、、、」

 眼差しの先、若者はゆっくりと首を振った。

 膝に、弓を置くと、

「幾度も、聞くうちに、、、」

 抑揚に欠ける声音が、応じた。

「幾度も、、、?」

 若者は頷くと、そっと、手首を返した

 それまで見えていた胡弓の胴、その側面の部分から、子猫の皮を張った腹の部分へ。

「ッ」

 宵藍が、思わず息を詰める。

 白いはずの腹には、黒ずんだ花弁が幾枚も、散っていた。

 一瞬、紅梅を描いたものかと思ったが、よくよく目を凝らしてみれば、

 ― け、血痕っ、、、 ―

 生々しくも、血が跳ねた痕であった。

 若者は、そっと、その胴に手を置いた。

 優しく一撫ですると、

「その娘、草藍と、、、」

 謳うように、そう呟いた。

「ツォ、、、草藍ツォイラン、、、」

 それは、耳に懐かしい名前であった。

 忘れるはずもない、その名は、

「草藍は、、、姉さんは、神都にいるっ!!どうして、あなたが、、、それをッ」

 宵藍の―――、姉の名であった。

 胸に、熱く滾るものが、込みあげてきた。

 見ず知らずの者に、その名を汚された憤りでもあり、俄かに思い出される、共に過ごした日々への懐かしさ、でもあった。

「姉さんの胡弓【銀王】を、何故、、、ッ」

「、、、、、」

 それには応えず、若者は、若草色に染めた絹布で、胡弓をそっと包んだ。

 布が擦れる、小気味良い音が響く中、

「夜毎、後宮で奏でられれば、いつしかその音色に、遠く離れた故郷を恋しく思う蛮姫も、少なくない、、、、」

「後宮、蛮姫、、、っ」

 強い風が、二人の間を吹きぬけた。

 長く垂らしたままの前髪が、巻き上げられる。

 終始、前髪の奥で伏し目がちだった宵藍の双眸が、きつくきつく若者を、睨む。

 感情のまま、一際精彩を放つ、その眸。

 その色は、

「探しました。天藍ティエランの眸を持つ者、、、」

「!!」

 天空の青、天藍。

 歯を食いしばり、視線を離せない宵藍の前に、大狼が、割って入った。

 フゥゥウウ・・・ッ

 低く喉を鳴らし、鼻に皺を寄せると、牙を剥く。

 前肢に力を込めた体勢でもって、今にも飛び掛らんばかりだ。

 若者は、僅かに首を傾げると、塞いだ双眸でもって、

「ここは、夢路。互いに呼応し、結ばれた、異界。招かざる客に尽くす礼は、無いぞ、、、」

 冷ややかな、一蔑。

 ググググッ・・・

 俄かに殺気立ち、豊かな銀毛を逆立てた、大狼。

 牙を剥けば、旋風が草花を高く高く、大空へと舞い上げた。

 どこか遠く、稲妻が宙を奔る音が、聞えてきた。

 俄かに湧き出す黒雲に、空は陰り、

「待って、、、」

 背中に、温かな手が、置かれた。

『、、、、、』

 振り向けば、宵藍が、傍らに並んでいた。

 吹き荒ぶ風の中、

「草藍は、、、草藍は!?」

 それは、震えるような、声だった。

 ゆっくりと、若者の顔が、こちらを見た。

 色の薄い唇が、

「病が元で、先日後宮にて、、、息を引き取った」

 淡々と、そう告げた。

「草藍、、、が、、、」

 俄かには、信じたくない、言葉であった。

 聞きたくない、言葉であった。

 近くにいなければ、知らなければ、きっと、辛くはないと、そう思っていた。

 だが、実際は、どうだ?

「嘘だ、、、草藍がっ、、、嘘をつくなッ」

 空色を湛えた眸から、青が、溢れた。

「嘘、だ、、、っ」

 見開かれたままの眸から、止めどなく伝う、この感情は、どうだ?

 まだ、自分の目で確かめたわけではないと言うのに、今更になって、痛む、この胸の内は?

「、、、、、」

 宵藍は、絹布に包まれた胡弓を、見た。

 先ほどまで、咽び泣いていたその余韻が、まだ、辺りに漂っているようだった。

 まるで、ずっと己が名を叫んでいたかのように。

 ― 草藍、、、 ―

 とたんに、折れそうになる、心。

 若者の言葉が、

『病が元で、先日後宮にて、、、息を引き取った』

 何度も何度も、脳裏を過ぎる。

「ッ!!」

 払拭しようと、たまらず首を振った。

 ― この男、わたしを、騙そうとしているんだッ ―

 拳を握り締め、仁王立ちのまま、若者を睨む。

 耳元で、轟々と風が、巻いている。

 崩れそうになる膝に、力を込める。

 しかし、

「嘘ではない。そうでなければ、さしもの我ら【鵺】とて、次の【蛮姫】を、探す必要はなかった」

 若者は、無表情でそう言い放った。

 相手の心情などお構いなしの、冷酷な口ぶりであった。

「鵺、とは、、、?」

 溢れる涙を拭いもせず、宵藍は、若者を睨んでいる。

 今に雹でも降りそうな荒天の下、若者は腕を組んだまま、

「神皇直属の隠密部隊。北の蛮族を平定した大戦では、そこの異形、風狼とやりあった、、、」

 細い顎先で、控えている大狼を指し示す。

「翠家はかつて、北の大地を統べた、蛮族の長。風狼をも従えたと言う、、、」

「、、、、、」

「他の騎馬民族同様、その末の男子が、直系を名乗る。そして、その娘は代々、青きまなこで生まれると言う。何故か、、、?」

 若者の指先が、伸びる。

 漆黒に塗られた長い爪が、振られると、

「ッ!!」

 はらりと、髪を結わえていた紐が、切れた。

 長く、豊かに背に流れた、黒髪。

 姿こそ、水干姿の少年のものであったが、

「翠家に生れ落ちた青き眼は―――、」

 その、香るようにたおやかな立ち姿は、紛れもなく―――。

「―――、神皇への供物、、、」

 不可侵の―――、対価。

 古の時代に交わされた、契約。

「くっ、、、」

 食いしばった歯の隙間から、たまらず苦鳴が漏れた。

 グルルオオァァアア―――ッ

 不意に、銀の一閃が、視界を占めた。

 大狼が、若者へ飛び掛かる。

 鋭い鉤爪が、その身を引き裂かんと肉薄し、牙は喉笛に狙いを定めていた。

 なす術無く立ち尽くす若者―――、に見えたが、次の瞬間、

「?!」

 轟音と共に、一瞬にして視界を白く染め上げんとする―――、閃光。

 思わず、袖を顔の前へとやった、宵藍。

 ガッ・・・ガガガッ・・・

 続いて、大気を割り、震わせる、独特な爆音。

 同時に、身体に走った、鈍い衝撃は?

「ぐぅっ」

 耐えきれず、大地に倒れ込んだ。

 耳に、わんわんと爆音の余韻が残る中、恐る恐る目を開けると、

「あっ、、、」

 ぐっしょりと全身、紅に染まった大狼が、自分が立っていた辺りに、横たわっていた。

 大地は抉れ、草木は縮れ、赤く濡れていた。

 構わず駆け寄り、大地に打ち臥した頬の辺りに手をやれば、

 ゼー・・・ゼー・・・

 荒いが吐息は幸い、確かなものだった。

 薄く開いた青き眼が、こちらを見つめる。

 クルル・・・

 その身に傷を負ってなお、気遣うような喉鳴りが、

 ― わたしを、、、庇っ、て、、、 ―

 優しかった。

 宵藍の元に照準を定めた落雷は、若者が喚んだものだろう。

 その矛先は、始めから、大狼。

 大狼に直接落雷を落とすよりも、結果、その効果は火を見るよりもあきらかだった。

 もし、大狼が、庇ってくれなかったら?

 そう考え、宵藍は、首を振った。

 その恐怖が、全身を押しつつまんとしている。

 そんな、宵藍の胸の裡など他所に、顔色一つ変えることなく、

「ここは、夢路。貴殿であれば、その程度、すぐに快復するはず。話が済むまでの間、そこに伏しておられよ、、、」

 ゆっくりと立ち上がった。

 腕に、血胡弓【銀王】を抱き、草を掻き分け、こちらに歩んでくる。

「く、、、来る、なっ、、、、、、」

 腕に大狼を掻き抱けば、唇は震え、歯は触れ合って、かちかちと忙しない音を頭蓋に響かせた。

 視界が、赤い。

 鉄錆の香りが、すぐ腕の中から、香った。

 じわりと温かく、衣を濡らす感触だけが、生々しかった。

 ― これは、現実に起きていること、、、けれど、どうなって?分からない。分からないッ!! ―

 もどかしさに腕に力を込めたところで、

『拒むのなら、、、』

「!!」

 宵藍は、声のしたほうを、見た。

 腕の中、吸い込まれそうな青い眸が、こちらを見つめていた。

 腕の中の大狼は、

『拒むのなら、、、』

 静かな声で、もう一度、口を開いた。

『そう、言いなさい、、、』

「い、言、う、、、?」

 大狼が、僅かに頷く。

『貴女の言葉が、、、そのことばが、、、私の力になる』

 母の声にも似た、柔らかな響きであった。

 風の音に混じって、足音が、近づいてくる。

『【古の契約】に、異議を唱えなさい。その詞が、【荒ぶる私の属性】を、現世よりこの異界に―――、喚ぶ』

 顔を、上げた。

 若者は、もうすぐそこまで来ている。

「、、、、、」

 視線を外すことができない。

 青褪めた頬を、冷たい汗が一筋、伝った。

 その耳に、

『求めなさい。これは、貴女の未来、、、』

「、、、、、」

 再び風が、巻いた。

 ― 未来を、、、 ―

 長い黒髪が、頬を打つ。

 ― わたし、は、、、 ―

 吹き上がり、巻き上がった。

「、、、、、」

 再び、その眸が現れた時、澄み渡った青き眸が、若者を見据えていた。

 ― 怒り、恐怖が、、、消えた ―

 若者の歩みが、止まった。

 腕から、大狼が抜け出すと、

 フ、ゥウ―・・・

 よろつく脚を踏ん張り、首を一振り。

 血潮が飛んで、緑の大地を、したたか染めた。

 こちらは殺気を隠さぬ、鋭い眼差しであった。

 若者は、構わず、その傍らで膝を折った。

 見えぬのに、刺す様な眼差しを、宵藍は、確かに感じた。

「わ、たしは、知りたい。草藍は、、、草藍は、今、どこに?」

 自分でもぞっとするほど、冷静な声が、出た。

「氷室に、、、」

「ひ、むろ、、、」

 それは、胸に冷たいものが落ちてゆくような、感覚だった。

「屍軀門は、我が命で、、、」

「、、、、、」

 屍軀門シグムン

 それは、俗に不浄門とも呼ばれる、御所や王宮で死した者を運び出すための門、を指す。

 寵愛無き、それも蛮姫ならば、すみやかに運び出され、郊外の墓所に埋葬されるところだ。

 それを、この若者は氷室に安置し、屍軀門をも閉ざしているという。

 ― 嗚呼、草藍ッ、、、本当に、本当に、、、ッ ―

 冷たく凍える、氷室。

 脳裏を過ぎったのは、そこに横たわる、その人。

 たまらず握り締めた拳に、

 ― 会いたい。会いたいよ、草藍、、、 ―

 爪が、食い込む。

 いっそ、痛みで目が覚めれば、と思った。

 すべて夢だと、何もかも夢だと。

 そう思えば、喉が、震えそうになった。

 目覚めたら、天幕の天井が見えて、母が淹れてくれる酥油茶の香りに包まれる。

 草藍と一緒に、寝具の隙間から、皆の朝食の準備をする母の背中を眺め、起きているのだと気付いて欲しくて、わざと物音を立てたりするのが、何よりも楽しかったあの幼き頃に――――、戻れたら。

「いつまでも氷室では、冷たかろう。せめて、妹御である、貴女の手で、、、」

「、、、、、」

 しかし、皮肉にもこれが現実だと、痛みは告げる。

【今】、現実に、この身に起きているのだ、と。

『天藍』

 静かな、それでいて心地良く、力強くも響く声音が、すぐ近くで聞えた。

 あの青い眸は、今、こちらを見つめていることだろう。

 だが、今は、

「、、、、、」

 その目を見る事が―――、できなかった。

 揺れているのだ、心が。

 ― 私の、未来、、、望む、もの、は、、、 ―

 自分の深いところに、宵藍は、問いかけていた。

 ― 草藍、、、花守も、、、おじい様だって、、、父さん、母さんも、、、みんな、、、ッ -

 だか、その答えを得る前に、鼻先が熱く痛みを伴う。

 じわりと眸に、溢れんばかりに押し寄せる、感情。

 彼らと過ごした記憶が、鮮明に脳裏を過ぎっては、いつかであったその日へと、去ってゆく。

 ― みんな、わたしを守るために、、、っ ―

 そう思うと、たまらず胸が、熱くなった。

 ― みんなは、わたしを、、、わたし、は、みんなを、、、 ―

「わた、、、しは、、、」

 そう吐き出して、唇を強く、噛み締める。

 震える唇が、答えを―――、

「、、、たい」

 紡ぐ。

「わたしだって、みんなを、、、守りたい」

『天藍ッ、、、』

 凜と澄んだその声に重なったのは、他でもない。

 その名を呼ぶ、悲鳴じみた叫びであった。

 呆然と、しかし、悲痛な色を宿した青き眼差しに、

「ご、めん、、、でも、、、っ、、、わたし、いつも、みんなに守られてばっかりで、、、」

 小さな呟きが、毀れた。

「それなのに、ずっと、わたしを守るために科せられた掟に不満顔して、、、生きて、いて、、、」

 自嘲気味な笑みが、おもわず、口元に刷かれた。

「うぅっ、、、」

 そこで、いったん言葉を切ると、はらはら、と、涙が頬を伝うのを、手の甲で拭った。

 嗚咽でひくつかんとする喉を、押さえ込む。

「だ、から、、、これまで通り、平穏を約束されるのなら、、、わ、たし、、、」

『天藍!!およしなさいっ、それ以上はッ』

 大狼が、身を捩る。

 その身に駆け寄り、

「背負いたい。草藍が負ったものを、今度は―――、わたしがッ」

『ッ』

 その言葉に、震えた。

 宵藍は、ひとつ、大きく息を吸った。

 懐かしい、草の香りがする空気が、肺腑に冷たく、

「、、、、、」

 心地良かった。

 そして、

「わたしだって、、、わたしだって、、、【翠族】だ」

『おぉっ、、、何、を、、、』

 大狼の、見開かれ、毀れんばかりの青い眸と、ぶつかった。

 膨らんでいた毛がすっかり萎縮し、尾は、力なく、

『、、、、、』

 下がっていった。

「、、、、、」

『、、、、、』

 互いに、交わす言葉を失った、その時、

「ッ、、、!!」

 手首に、強い衝撃が走った。

 見れば、若者の手が、掛かっていた。

「その言葉、夢路の事と、違えてくださいますな、、、?」

 華奢なわりに、随分と力強い、それでいて死人のように冷たい、手であった。

「、、、、、」

 宵藍は、奥歯を強く、噛み締めた。

 ギリリ、と歯が擦れて軋む音が、頭蓋に反響する中、

「、、、、、」

 己に言い聞かせるようにゆっくりと、頷いてみせたのだった。

 

 

 

 黒髪に、そよ風にも似た柔らかな感触が、触れた。

 頭を、

「?」

 撫でられている。

 ゆっくりと顔を上げたあとりは、

「!!」

 鼻先に立つ者に、思わずびくりと身を震わせた。

 視線の先で、群青が、揺れていた。

「こ、こんなところでっ、な、何をしておるのじゃ、伯!?」

「、、、、、」

 あとりの視線の先に立つ伯は、無言で、首を傾げてみせた。

 つぶらな菫色の眸が、青みを帯びた黒瞳を、見つめている。

「わ、わらわは、哀しげな音色に惹かれ、、、あ、れ?」

 耳を、澄ます。

 伯も、辺りを見回す。

 濃淡を繰り返す霧と静寂が、茫洋と漂う薄闇に、どこまでも融けているだけだった。

「、、、、、」

 菫色の眸が、こちらを見つめる。

「う、、、」

 思わず呻いた、あとりだったが、

「本当に聞えたのじゃっ、あれは、、、胡弓の音色だったっ」

 負けじと唇を尖らせる。

 一方、伯は、

「、、、、、」

 そっと、あとりの袖を引いた。

「おっ、、、伯?」

 袖を引かれるまま、立ち上がれば、伯は、くんと、鼻を鳴らす。

「ど、こへ?」

「、、、、、」

 そのまま、歩き出す、伯。

 その、自分よりもまだ少しだけ小さい背中を見つめ、自然、あとりも続く。

 漂う霧の中、その歩みは、しっかりとしたものだった。

 平坦なようで、昇ったようにも、下ったようにも、感じた。

 改めて辺りを眺めながら、

 ― 何度来ても、ここは、姿を変える、、、 ―

 ふと、そんな事を思った。

 あとりが知る、夢路。

 星のようなものがある時もあれば、雲中にいるような時もあり、水が満ちている時もある。

 同じ場所のはずなのに、同じものなど、ひとつとしてない。

 それなのに、以前も来たという感覚だけが、確かにある。

「ん?」

 ふいに、濃い霧が、湧き上がって来た。

 あっという間に包み込まれれば、袖を掴む伯の手だけが、見えた。

 とっさに、その手を掴んだ。

 驚いたのか、少しだけ引いた感覚があったが、あとりは、その手を離さなかった。

 夢路とは言え、せっかく会えたのに、掻き消えてしまうのは、どうしても嫌だった。

 現実感は、ない。

 そのまま、夢なのかもしれない。

「、、、、、」

 掴まれていた伯の手が、開いた。

「、、、、、」

「、、、、、」

 二人は、無言のまま、手をしっかりと握った。

 伝わる温もりが、心強い。

 ふいに、

「ぁ、、、」

 濃い霧が、晴れた。

 すぐ先に、見覚えのある背中が、現れた。

 ほんの少しの間だと言うのに、懐かしさが込みあげ、

「、、、むっ」

 その感情を払拭しようと、あとりはぶんぶんと頭を振った。

 ― 銀仁に比べれば、ずいぶんと、頼りない、、、お? ―

 もごもごと口を動かしたところで、前方から、差し込む光を、見た。

 ― 朝陽、、、 ―

 それが、まもなく明けようとしている光だと、すぐに気がついた。

 どうやら伯が、【夢の浅瀬】へと、送ってくれたらしい。

「あ・と・り」

 伯が振り向くと、光の方を、指差した。

「べ、つにわらわは、一人でも帰れ、、、た、、、」

 語尾も小さく、菫色の眼差しから視線を逸らすと、手を離した。

 耳まで熱くなるのが分かる。

 あどけなさを残す、その横顔。

 頬がほんのりと、紅潮していた。

「ぅう、、、」

 我が事ながら、肩を怒らせると、ずんずんと、伯の前に出た。

 背中に、視線を感じながら、

「たっ、、、たまには、遊びに、まぃ、れ、、、」

 あとりが、伯に声を掛けた。

「んー」

 行くとも、行かぬとも受け取れる、なんとも間延びした声が、応じた。

 あくびを、しているようだ。

 一方、

 ― いったい、なんなのだ、、、この気持ちはッ ―

 何故だか分からないが、振り向くことができない。

 胸のあたりが、なんだがもどかしく、悶々とする。

 胸に手を置いて、一呼吸。

 口元を引き締めると、足を踏み出した。

 駆け出したい気持ちを抑えながらも、平然を装うと、あとりは夢路を、後にするのだった。

 

 

 

 重く圧し掛かるのは、今更になって口にした、決意だろうか?

「、、、、、」

「、、、、、」

 沈黙が、息苦しい。

 このまま、目覚めることができれば、この胸の痞えから、解放されるのだろうか。

 帰りたいとこいねがっていたはずなのに、一面に広がる懐かしい大草原すら、今は、疎ましく思えた。

「聞いただろう?」

 手首を掴んだまま、若者が、首を廻らせた。

「?」

 何の変哲も無い、大草原。

 そこに、一陣の風が、吹き込んだ。

 千切れた草が、顔をしたたか打つ。

 おもわず顔を顰め、再び、若者の視線の先を追えば、

 ― あ、、、 ―

 白い人影が、忽然と佇んでいた。

夢袷ゆめあわせ。そこの犬神ならまだしも、人の身で入り込むとは、、、」

 布越しに向けられた、冷ややかな眼差しに、

「これでも、器用な方らしい、、、」

 薄笑みを湛えたまま、そう嘯いた。

 ― あの、人、、、 ― 

 見覚えのあるその姿に、宵藍が目を細めれば、

「貴殿が噂に聞く、倭の都守、、、」

「左様。大陸の【導師】よ、、、」

 死人還り特有の、色素抜け落ちた髪が長く、風に靡いた。

 若者が、目を眇めた。

 炯々とした眸が、一瞬、剣呑な色を宿し、

ッ」

 顰められた、顔。

 押さえた、半顔。

 手の下から滴ったのは―――、紅の雫。

 ― 深い。夢路とは言え、この覇王眼でも見通せぬとは、、、やはり、ただの人では、、、 ―

 呻くように、乾いた喉から声を絞り出そうとして、

「そなたも、、、」

「、、、、、」

 心の裡までも見透かすのか、その闇色の眼差しに、遮られる。

 喉の奥、言葉にならない声が、

≪ コォォオオ、、、 ≫

 毀れた。

「っ」

 口を引き結んだ若者の顔を、蒼奘が見つめ、

「、、、、、」

 視線は、宵藍の手首を掴む、その手へ。

 手首を掴む若者の力が、緩んだところで、

「くッ!!」

 宵藍は、手首を返し、その手を外した。

 痺れる手首を擦れば、

「あっ、、、うッ」

 白い薄絹が幾重も舞い、視界を包み込んだ。

 何が起きたのか?

 それすら理解できぬまま、横抱きにされ、

「青目」

 静かな声と共に、足が大地についた。

 這い出すようにして、顔に掛かった布をどければ、

「ッ!!」

 すらりとした長身の背中が、在った。

 こちらを庇うように、両手を広げている。

 その身に纏った淡い色の薄絹が、長く風に舞い上がっては、はたはたと音を立てた。

「断ち切らねば、、、」

 小さな、それでいて、澄んだ声で、あった。

 血塗れた衣が、髪が、物語る。

 ― あの、風狼、、、 ―

 今、人の姿を取って、目の前に、いる。

 いろんなことが一度に起きて、

 ― でも、、、どうなって、、、 ― 

 整理することができない。

 それでも、

「一族はこの娘を逃し、生かすことを望みました。それは、そのまま、我ら風狼の総意、、、」

 大狼であった者、青目の声に、

 ― 風狼、総意、、、この人、一族を、、、 ―

 釘付けになる。

 吹き抜ける、風の音。

 はためく長袖、その向こうで、

「それも、草藍が生きていれば、の話。先の大戦の折、蛮族根絶やしを免れ得た、時の神皇との【契約】は、【絶対】でなくてはならない」

 若者が無情に、言い放つ。

「かつて、そなた達が、我らの大地を穢したように、、、我らもまた、それに倣えば済むこと、、、」

 青目が、牙を剥けば、大地が震え始めた。

 小刻みに、しかし、徐々に、大きく。

「、、、、、」

 蒼奘は、ただ黙って、同じところに佇んでいる。

 大地が割れんとしても、二人の言葉に、耳を傾け続けるつもりなのかもしれない。

 強くなりつつある揺れに、

「、、、それでは、真に、怨恨は薄れえぬ」

 誰に宛てるでもない呟きと共に、若者が胡弓を、胸に抱え直した。

 ― あ、、、 ―

 何気ない、その仕草。

 ひっかかりを覚えながらも、ぐらつく足場に、大地に手を付けば、

「退け、青目、、、」

 腹腔を震わせる低い声音が、静寂を、呼んだ。

 風は止まり、大地はぴたりと蠕動を、やめた。

「冥真君っ」

 聞き慣れぬ【音】に、顔を上げれば、

「ここまで来て、今更、、、退けと?!」

 怒りに、その貌を歪めた青目が、声を荒げたところだった。

「此度の夢袷。双方が望むものであればと、地仙は目を瞑ったようだ。従って、立会いは、私一人と言う事になる、、、」

「望む?天藍は、邪法によって誘われたのです。それに、ここは夢路。異界の扱い。現世の理とは無縁だということ、お忘れか、、、?」

 威嚇するかのように、低く青目の喉が、鳴った。

「いかに邪法と言えども、この世のことわりが応えた【法】に、変わりない。我らが異を唱えることは、できぬ、、、」

「邪法もまた、理が示された【法】と呼ぶと?!」

 激昂隠せぬ青目を前に、蒼奘は、ゆっくりとかぶりを振った。

「それだけではない。夢路は異界だが、その身は、帝都に在る、、、」

「ッ」

 細い顎先が上がり、無機質な闇色の眼差しでもって、青目を見つめると、

「翠族が姫の意志を、私は、確かに聞いた、、、」

「冥真君、先の大戦では、わたしは天津国に縛られておりました。けれど、今は、、、大地に帰参した、今ならっ、、、」

「青目」

 一瞬の瞬きの後、その眸は金色に、澄み渡っていた。

 見覚えのある、その眸。

「、、、、、」

「、、、、、」

 視線を反せぬまま、訪れた沈黙に、

 ― 冥真君、貴方なら、、、 ―

 青目の心が、揺れようとしていた。

 ここより遥か空の高みに在った頃、互いに肩を並べた時が、あったのかもしれない。

 そんな青目の胸中を他所に、

「そこの者の意に反し、その魂を攫うのなら、次は―――、」

「冥、―――」

「この地を負うた私が、そなたを、、、追わねばならん」

「!!」

 紡がれた言葉は、息を呑むものだった。

 憤りと、やるせなさ。

 激情が滲んだ、青きまなこ

 ― わたしを知る、貴方なら、、、分かってくれると、、、ッ ―

 堪え切れず、震えたその拳を、

「っ、、」

 包み込むものが、あった。

 振り返らなくても、分かる。

「もう、いい。もう、、、」

 それは、搾り出すような、か細い声と、温もりであった。

 打ち震える声音が、恐怖と困惑、そして何より、決意を、青目に、突きつける。

 ― 嗚呼ッ、、、わたしの、、、っ ―

 幾年月も経たと言うのに、この溢れんばかりの感情は?

 思う様に、漂う導師の魂に喰らいついたのなら、治まるのだろうか?

 神皇の使者とも言える、導師へ吹きつける殺気は、強まるばかり。

 ― ぐぅっ、、、掻き、毟りたい、、、 ―

 その血肉に餓える、この喉を。

「あ、、、」

 包み込んだままの、手の体温が、下がってゆく。

 同時に宵藍は、大気が張り詰め、凍えてゆく感覚に、顔を上げた。

 包み込んだ手に、振り払われるような気がして、

 キュィ・・・ン・・・ッ

 不意に、胡弓が、啼いた。

 導師は腕を覗き込み、蒼奘の眼差しも、自然、そちらへ向けられた。

 大人しく腕に、掻き抱かれたままの胡弓は、啼くでもなく―――、変わらず、そこに在った。

 ― いけないっ ―

 弾かれたように、その音に動いたのは、宵藍だった。

「翠雲の大風狼、、、」

 広げたままの、腕。

 宵藍は、その両腕を、背中から縋りつくようにして、抱きしめた。

 たとえこの手を振り払われたとしても、どこかへ、行ってしまわぬように。

 華奢な背中に、頬を摺り寄せ、顔を埋めれば、冷え切ったその背中に、

「っ、、、」

 温もりが、生まれた。

 それまで、激情に歪んでいた貌から、感情の一切が失われる。

 そして、

「天藍、、、」

 回られた腕に、青目の両の手が、触れた。

 あたたかい、手であった。

「ふ、ぅ、、、」

 小さな溜息が、唇を突いて、出た。

 胸元に、置いた手。

 一度だけ強く、握られた。

 強く、強く。

「、、、、、」

 長い睫毛が揺れ、伏せられた、瑠璃色の眸。

「冥真君、、、」

 再び貌を上げた時、その身体から立ち昇っていた殺気は、憔悴に、変わっていた。

 どこか、縋るような眼差しに、

 ― 青目、、、 ―

 さしもの蒼奘、目を背けた。

 訪れた、沈黙。

 いつの間にか、そのすぐ傍らに佇んでいた若者は、頭上を見上げた。

 どこまでも青く、そして、姿無き陽光照りつける空は、入って来た時となんら変わらぬように見えるが、

「まもなく、満ちる頃合だ」

 ぽつりとそう、呟いた。

 蒼奘も同じく空を見上げると、

「満ちて、その濁流に呑まれれば、囚われる、、、」

 深い闇を宿した眸が、二人を見つめた。

 ゴゴゥウウオオオ・・・・

 遠く、風が巻くような、海鳴、地鳴のようにも聞える音。

 だんだんとその音が大きくなる中、宵藍は、

「あっ、、、」

 地平線彼方の空が、剥がれ落ちているのに、目を瞠った。

「空が、落ちて、、、」

 それは、空そのものが瓦解してゆくに相応しく、青色を帯びた断片となって、次々と剥がれ落ちては大地に融け、そのまま波のように押し寄せる闇色の【外側】に、吸い込まれては遠ざかってゆくのだ。

 得体の知れぬ恐怖に、今更になって膝が、震えた。

 思わず後に、一歩、後退さる。

 その目の前に、

「陛下の花嫁となる姫君よ。恙無く、お送りしよう」

 差し出された、手。

 すがりたい。

 堰を切って溢れ出んとする感情に身を任せ、泣きじゃくりたい。

 ― それとも、いっそ、その濁流に、、、 ―

 宵藍殿・・・

「っ、、、」

 ふいに、脳裏を過ぎった、その顔は?

 ― 嗚呼、お逢いしたいっ、、、一目、、、もう一度だけっ ―

 噛み締めた奥歯のせいで、頭痛がする。

 握り締めた拳が、胸の前で、震えている。

 言葉を紡ごうとした唇は、差し出された手を睨んだまま、

「、、、、、」

 ただ戦慄いて、引き結ばれた。

 若者は、変わらずそこに佇んでいる。

 やがて訪れるであろう崩壊を待って、その手を取るのを、見越しているのかもしれない。

 ぎりりと、噛み締めた奥歯が軋んで、嫌な音がした。

 視界の端では、闇の侵蝕が近づき、

「?」

 不意に白いものが、視界を掠めた。

 水干の、袖だ。

 小柄な背中が、手と、宵藍の間に、割って入り、

「キシシシィイ・・・」

 犬歯の間から、威嚇にも似た音を若者に向かって放った。

「獣神に、都の守。幼神まで、、、。招かざる者ばかりが、境界線をいともたやすく擦り抜けるとは、、、」

 若者の手が、引かれると、

「我が腕も未熟であったが、もとよりこの地、よほどいびつなようだな」

「、、、、、」

 蒼奘、何も応えぬ代わりに、青い唇の端を吊り上げてみせた。

「もっとも【守】ともなれば、それを知らぬで務まらぬか、、、」

 愚問だった、と若者は、腕に胡弓を抱き直す。

「あ、銀王、、、」

 思わず、宵藍が小さく声をあげた。

 その呟きに、

「これは、次にまみえた時に、必ず、、、」

 目を眇め、そう応じた。

 優しげに。

 けれど、そう思ったのは、一瞬の事。

 再び、炯々とした光を隻眼に宿すと、

「本日定刻。北の湿原にて鬼窟を開き、待っている」

 腕組みのまま、黙って聞いていた蒼奘に言い放った。

 宵藍の肩に、手が添えられた。

 びくりと、身を竦める程冷たい手であったが、

「翠姫よ、、、」

「あ、、、」

 力任せに、引き寄せられはしなかった。

 闇の瓦解が、もうすぐそばまで、近づいている。

 傍らに、

「、、、、、」

 青目が、寄り添った。

 その貌は、感情の一切を窺わせぬ能面の如き様相であったが、ふつふつと腹腔深くより湧き上がる焦燥に、青褪めているようにも見えた。

 若者の前で、鼻をひくつかせていた伯が、

「伯」

 名を呼ばれ、袖を掴んだ。

 続いて、

「後ろを、振り返るな」

 そう言われ、顔を、上げた。

 どこまでも続く、翠の大地。

 吹き付ける、優しい風。

 白いちぎれ雲が行く、青き空。

 そのすべてが、現実のものではないと分かっていても、

「ぅ、、、」

 心揺さぶられるほどに、懐かしい。

 止めどなく、頬を濡らす涙は、いつかは乾くだろうか?

 ひきつるような喉の痛みは、いつかは忘れられるのだろうか?

 その人の、顔は?

 そっと、柔らかい布が、目元に当てられた。

 涙が、青目の袖に、吸い取られてゆく。

「今は、前だけを、、、」

 胸の裡を読んだかのような言葉に、背を押されたような気がした。

 辛うじて小さく頷くと、

「長い夜も、まもなく明けよう」

 その声に、顔を上げた。

 視界一杯に広がるのは、光芒眩い大草原。

 若草色から、金色へ。

 柔らかな風が吹く―――、その先へ。

 

 

 

 くゆる薄靄の、その向こう。

 頼りなげな人影、一つ。

 さも、陽光が雲間から差し込んでいるかのような、やわらかな光の中へと、融けてゆく。

 その、華奢な背中を見つめながら、

「奉華門。献じられるは、蛮姫の涙、、、」

 足場が、瓦解するのを感じた。

 吸い込まれるように、光が、靄の奥へ。

 やがて、闇色に塗り込められると青目は、人影があった辺りをぼんやりと見つめたまま、その身を、訪れた闇へと投げ出した。

 右へ、左へ。

 上へ、下へ。

 不規則に、時に緩急を伴いながら、身体が、揺さぶられる。

 不可視の波に、揉まれているようだった。

「わたしの、・・め、、、」

 乾いた、青き双眸。

 そこに込みあげるものは―――、ない。

 ただ、俯くその貌は、ひどく年老いて見えた。

 長く、癖の無い髪が、巻き上がっては、靡き、頬を打つ。

 脆弱な生物のように、その身は跳ね上がり、別の波へと、叩きつけられる。

 ― 過去、記憶、感情、器、神命、、、何もかも見失えば、そこに救いは、あるのでしょうか、、、? ―

 上も下もない、夢路の深淵を漂いながら、細い吐息が唇から、漏れた。

 衣に滲み、肌を濡らしていたはずの血潮が、時を遡るかのように、肉が弾けたままだった肩の辺りへと、吸い込まれてゆく。

 激しく波間に揉まれながらも、滑らかな白き肌を取り戻せば、薄く開かれたままの、唇が、戦慄くかのように震えた。

 そして、

「ごめんなさい、、、翠玥ツィユエ

 誰に宛てたものか、か細い詫びの言葉が、ぽつり・・・と、吐き出されたのだった。

 

 

 

「、、、、、」

 小さな手が、闇へと伸びた。

 前方彼方。

 波に浚われ、襤褸布のように夢路を漂う青目の姿が、あった。

 ふわりと、水干の袖が舞い上がる。

 翻る、その前に、

「伯」

 その袖を、掴まえた。

「う、、、」

 菫色の大きな眸が見上げてくるのを、

「その気になれば、いつでもここを抜け出せる。実際、青目は、それ程の神通力の持ち主だ、、、」

 腕に、抱き上げた。

 遠く遠く、夢路の沖へと浚われてゆく青目に、無情にも背を向けると、

「結果はどうあれ、当人が決断するより他ない、、、」

「、、、、、」

 後ろ髪を引かれる伯が、肩越しにその姿を、追う。

 そこだけ取り残されたような、静かな闇が、漂うその辺り。

 見えない床でもあるのか、遠ざかるように歩き出す。

 肩に両手を置き、身を乗りだす伯の背を、宥めるように叩きながら、

「かつて、天津国の浮島にて語らったことがある。大切なものを失い、二度と【降りぬ】と聞いた。それを覆し、大地に降りたのだ。いずれは、気持ちの折り合いを、つけるだろうよ、、、」

「、、、、、」

 片袖を、探った。

 何かを掴むと、手を握ったまま、袖から引き出す。

 振り向いた伯が、

「おぁ、、、」

 蒼奘の言葉に、【分からない】とばかりに、左右に首を傾げる。

 その、伯の鼻先で、ゆっくりと広げられる、手。

 チリリ・・・ィ・・・

 その掌で、藍と貝紫で染めた、組紐に結ばれた小さな白銀の鈴が、一つ。

 冴え冴えとした輝きを、放った。

「うー、わっ、、、」

 小さい呟きと同時に、伯の指先が、鈴を摘み上げた。

 リリ・・・ィイ・・・リロ・・・ン・・・

「ああ。篠笛の包みについていた、鈴。羽琶姫の鈴だ、、、」

「ん、、、」

 紐を摘み上げて揺らせば、

 リリリ・・・チ・・・ロン・・・ィイイ・・・

 可憐なその音色が、辺りに響く。

 無心に揺らせば、揺らすほど、伯のささくれ立った胸の内を、宥めてくれるようだった。

 リィ・・チチ・・・

 リリリ・・・ン・・・

 不意に、鈴の音が、重なった。

 リリ・・・

 リ・・・リロロン・・・

「?」

 貌を上げた、伯。

 その手が、鈴を包み込んだ。

 辺りを、見回すが、

 リリリリ・・・リリ・・・ン・・・

「、、、、、」

 掌の中にいるはずの鈴の音が、明らかに別のところから、聴こえた。

 じっと、自分の手を見つめる、伯。

「迎えが、来たようだ、、、」

 蒼奘は、鈴の音が聴こえる方へと、歩き出す。

 闇の中。

 瓦解を免れたのか、二人がいるところは、穏やかなものだった。

 リリリ・・ロン・・・

 鈴の音の鳴る方へ。

「夢路と現世への、呼鈴だ」

 蒼奘の手が、ゆっくりと伯の目元を覆った。

 温かく、落ち着く。

「んん、、、」

 目を閉じれば、

「まだ、早い。今少し、眠れ、、、」

 コポコポ・・・リィ・コポポ・・・リ・・ィイ・ン・・・

 泡が水を渡る音が、する。

 思い出したかのように、睡魔がやってくる。

「ぁ、、、あ、、、」

 唇が、小さな吐息を吐き出せば、鼻先を、あぶくとなって昇っていった。

 リン・・・リ・・・コポ・・ポ・・・ン・・・

 鈴の音から、水の音へ。

「ぅ、、、」

 その意識は、まどろみへと、沈んでいくのだった。

 

 

 

 吐く息が、白い。

 肌を刺す、清々しくも、凜と張り詰めた寒気の中。

 牛に引かせた荷車が行き、鶏を籠に入れ背負った者、寝坊したのか、主の屋敷へと急ぐ若衆。

 薄暗い往来には、まばらながら、すでに人々の姿があった。

 小さく風が巻くと、どこから運ばれてきたのか、落葉が乾いた音を立てた。

 都守の屋敷。

 薄く積もった新雪に散る、消炭の漆黒。

 篝火の始末をしつつ、屋敷の門前を掃いていた、琲瑠。

「お、、、」

 顔を覗かせた朝陽の眩さ。

 腰の後ろを叩きながら、

「、、、、、」

 ふと、顔を上げた。

 燃えるような緋の色から、白々とした光が広がっては、雲を焼く。

 たなびく雲が、藍、鼠、紺、橙、白金、紅と、その彩りを、変えてゆく。

 徐々に、消えゆく星々の灯り。

 白く、雪化粧を施した山稜が、浮かび上がる中、

 ― 今日は、良い天気になりそうだ。、、、ん? ―

 先の辻の辺り。

 ― あれは、、、 ―

 その向こうから、こちらへ向かって歩んでくる者が、いる。

「これは、、、」

 地味な、褐色の狩衣。

 長い髪を、肩から胸元に垂らしたその相手が、口を開くその前に、

「お待ち致しておりました。いらせられると、主が申しておりましたから、、、」

 にこりとして、頭を下げた。

「あ、、、」

 その相手にしては珍しく、面食らった様子だったが、すぐに口元を引き結ぶ。

 いつも柔和な表情が、今日は固い。

 琲瑠は、箒を手にしたまま、

「お取次ぎ致しますので、中でお待ちください。どうぞ」

 雪が薄っすらと残る屋敷の内へと、招き入れたのだった。

 

 

 

 朝焼けが美しい、大気の澄んだ、暁の空。

 大池に、薄く張った氷に、影が映る。

 早起きの鴈の群れが行く、その下。

 衣擦れの小気味良い音が、する。

 リリリ・・・リ・・・

 飴色に磨かれた床に、紫の輝きが揺れている。

 紫水晶を、薄く削って作り出した、鈴。

 ロロン・・・リロロ・・・ン・・・

 金属が放つものとは違い、低く澄んだ音であった。

 最奥の、屋敷の主の寝所までくると、艶やかな緋の色の唐衣の裾を払い、

「主様、お目覚めを、、、」

 膝をついた。

 リ・・ロロン・・・

 そのたおやかな手の中で、鈴が、鳴いた。

 蔀戸の先、降ろされたままの御簾の向こうで、脇息にもたれていた人影が、僅かに身じろいだ。

 俯いているが、目は閉じていない。

 薄く、開いたままの眸。

 固定されていた視線が揺れ、焦点が戻れば、

「っ、、、」

 気がついた当人が、額を押さえた。

 酒が、残っていた。

 長い前髪が、貌を覆う。

 額を揉みながら、白銀しろがねの髪の間から覗いた、切れ長の眸。

 鮮やかな金色から澄んだ琥珀、暗く沈んだ鳶色へと変化し、

「、、、、、」

 やがて、漆黒へと落ち着いていった。

 転がっている瓶子に、手を伸ばしたところで、

「わたくしが、、、」

 心得た汪果の手に、盃を持たされた。

 注がれたものを一息に飲み干せば、次第に酒が回り、頭痛が治まってゆく。

「ほ、、、主様、、、」

 思わず、剣眉をひそめた、汪果。

「芳しくない旅路、だったようで、、、?」

「ああ、、、」

 起酒にしては、随分と荒っぽい、呑みっぷりであった。

 その拍子に、肩に掛けていた滅紫の長衣が、落ちた。

 火桶に炭を足していた汪果が、そっと、肩に掛け直す。

 寝着の、布地越しに触れた双肩は、

「、、、すぐに、何か温かいものを、お持ち致します」

 案の定、冷え切っていた。

「ん、、、」

 小さく、何かが、鳴いた。

 蒼奘の膝の辺り。

 群青の髪が、揺れた。

 小さな手と、群青の髪だけが、覗いている。

 毛氈に包まって眠る伯が、寝返りを打つところであった。

「若君は、、、」

「【夢の浅瀬】だ。そのうち、目覚めよう、、、」

 蒼奘の手が、袖を探った。

 リリ・・・

 小さなあの鈴が、鳴いた。

 蒼奘の手が、覗いている伯の手に触れ、広げると、小さなその鈴を握り込ませた。

 掌の中にあるものを確かめるように、微かに動いた手指が、するりと毛氈の中へと隠れてしまうと、

「主様、、、」

 蔀戸の向こう。

 庭先に、箒を手にした琲瑠の姿。

「胡露様が、お見えに、、、」

 なんとも、困ったような、いつものその顔。

「ああ、、、」

 心得ていたのか、さして驚くでもなく、

「地仙は夢路に渡らず、青目は未だ、戻らず、か。書院に通せ」

 短く命じた。

「では、そのように、、、」

 琲瑠が、胡露を迎えるべく踵を返すと、

「お召し物は、こちらに」

 そこは、そつがない、汪果。

 隣室へ、と先に立った。

 用意した襲の色目は、お気に召すだろうか?

 そう、脳裏を過ぎったところで、

「主様?」

 後ろにあるはずの気配がないことに、気がついた。

 ちょうど、几帳を抜けた辺りで振り向けば、

 ― まぁ、、、 ―

 天の川を追いやり、白々と明け始めた空の元、蒼奘が、差し込む朝陽を遮るようにと、褥の帳を、下ろしているところであった。

 

 

 

「、、、、、」

 弓形の視界が、開ける。

 ぼんやりと、見上げているのは、梁も立派な天井。

 温かい毛皮の感触に、瞬きを繰り返すと、灯り取りの窓から陽光が差し込んでいる。

 陽が、高い。

「!!」

 跳ね起きて、喉が引き攣るように痛いことに気がついた。

 目が、腫れぼったい。

 指で押さえれば、まるで泣いた後のように、ぽってりとしていた。

 細く、息を吐く。

 艶やかな緑の中、緋、紅、桃、黒紫、黄の蕾らが、見えた。

「、、、、、」

 寝起きしている、いつもの部屋だった。

 近くの火鉢を見れば、くろぐろとした炭が、増えていた。

 よく眠っている宵藍を起こさぬようにとの、花守の心遣いだろう。

 目元に触れれば、指にざらりと、涙の痕。

 泣いたのだろうか?

 視線を落としたところで、

「痛ッ、、、」

 じん、と、手首が痛んだ。

 自然、右手手首へと視線が吸い付き、

「ひっ、、、」

 息が、詰まった。

 首の後から、みるみる血の気が引いてゆく。

 視線が、

 ― これ、、、あ、、、ああっ ―

 反らせない。

 反対の手で、手首を、押さえた。

 擦る―――、取れない。

 強く、擦った―――、取れない。

 強く、強く―――、・・・

「はぁっ、、、はっ、、、はあッ」

 息が、上がる。

 喉が、灼熱する。

 頭が、痛む。

「う、、、ぁぁあッ」

 低く、腹腔震わせて、声が、口を突いた。

「うああああァァァッ」

 痛む、痛む、痛む。

 夢中で、手首を擦った。

 黒々と残るのは、紛れもなく―――、掴まれた痕だ。

 視界が、ぼやける。

 痕も、ぼやけた。

 ― どうしてッ ―

 今在る場所だと、ようやく近くに感じ始めていた世界、そのものが、遠退いてゆくような、気がした。

 それなのに、、、

 それなのに!!

 夢路の記憶だけが鮮明に、残酷に、

 ― 草藍ッ、、、 ―

 宵藍の脳裏に、蘇る。

 耳に残る、あの余韻。

「ああああぁあぁああッ」

 翠雲哀歌。

 胡弓の、旋律しらべ、、、

 

 

 

 ※

 

 

 

 敷き詰められた、玉砂利の上。

 昨夜、降り積もった雪の照り返し眩しい、昼下がり。

 宮中、左近衛府社殿。

 賑やかな足音を響かせ、渡殿を歩む者がいる。

「、、、、、」

 うっそりと首を廻らせれば、こちらに向かってくる大柄な武官が、一人。

 大きな口の端に、笑みを刻むと、

「都守から直々の呼び出しとは、ね」

 燕倪は、それまで庭先を眺めていた男に声をかけた。

「待たされたぞ、燕倪、、、」

 陽射しを避けるかのように日陰に入り、社殿とを繋ぐ渡殿の支柱に背を預けていた蒼奘は、闇色の眼差しを向けた。

 常人ならば、向けられただけで思わずたじろいでしまう、その眼差しにも、

「悪い。刑部と管轄の件で揉めちまって、ちょっと立て込んでいた」

 肩を竦めてみせただけで、動ずることはない。

 それどころか、鈍色の眸を輝かせると、

「で、業丸の出番か?」

 濃い眉を、おどけたように跳ね上げてみせた。

 その様子に薄笑みを、青い唇に刷きつつ、

「そんなところだ、、、」

 背を預けていた渡殿の支柱から、体を離した。

 屋根に積もった昨夜の雪も、顔を覘かせた陽射しによって融け、透明な雫となって煌くのを、

「お前、目が赤いぞ。何があった?」

 欄干に凭れた燕倪の手が、器用に受けた。

 冷たい雫が、掌の中で、ぽつり…また、ぽつり…と、弾ける。

「それが少々、変わっている、、、」

 蒼奘は、上にいる燕倪を見上げた。

「水臭いこと言うなよ。今更、驚かんぞ」

「では、一つ、、、」

「おう」

 子供のように眸を輝かせるのを、眺めつつ、

「随身を、頼みたい」

 そう、告げた。

「む、、、」

 その言葉を耳にしたとたん、燕倪の顔から笑みが掻き消え、背筋が伸びた。

「要人警護か?って、、、まさか、お前、また御上を、どこかに連れ出すとか言うんじゃないだろうな?」

 途端に怪訝な顔をした燕倪に、蒼奘は首を振ってみせた。

「入内する姫君、その随身だ」

「こんな時期に、入内?聞いた事がない」

 意味深な薄笑みを浮かべたまま、

「定刻通り、本日、戌の刻。永寿宮にて」

 背を向けた。

「永寿宮って、花守の屋敷じゃないか?」

 眉を寄せた、燕倪だったが、

「おい、、、」

 さすがに展開が読めたのか、片眉を跳ね上げた。

「行くぞ」

 短い声音は、誰に発したものか?

 一瞬、燕倪が言葉を忘れ、鈍色の眸が、その視線の先を追った。

 チチチ・・・リィン・・・

 いつか聞いた、鈴の音。

 視界の端。

 小さく蹲っていた背中が、立ち上がるところだった。

 帯のあたりに、輝きが毀れた。

 飾りにと、下げられた鈴がもう一度、

 リリ・・・、

 小さく、鳴いた。

「、、、、、」

 ありふれた、黒髪黒目のその姿。

 故に、燕倪は、

 ― 窮屈そうだ、、、 ―

 そう感じ、目を眇めた。

 そんな燕倪の心境を他所に、大きな黒瞳で一蔑すると、

「、、、、、」

 淡い薔薇色の唇を、尖らせた。

 手には、拳大の霜柱の塊。

 土を掘り返して、遊んでいたのかもしれない。

 袖と裾に、土がついている。

 ― あいつ。さては、俺が気づくか試して、隠れてたか、、、 ―

 そのまま、蒼奘の後に続く、伯。

 遠ざかろうとする二人の背中に、

「なあ、おい。一体、誰を、どこへ、入内させるつもりなんだ?」

 つい、声が大きくなった。

 案の定、蒼奘は多くを語らず、肩越しに、

「待っているぞ」

 冷たい大気に白い息を、滲ませたのだった。

 

 

 

 細い、枯れ枝のような痩躯の主が、寒空の下を、歩いている。

 藁の雪囲いを頂いた、牡丹の木々。 

 それぞれ、薄紅、桃、淡黄、赤紅、黒紫といった色様々な花蕾を結び、慎ましく寄り添っている。

 ひとつひとつ覗き込んでは、葉に触れ、茎を見ては、根元に敷かれている藁を寄せやるなど、世話を焼く。

 一通り、見て回った後、花守は、腰を擦りながら、空を仰いだ。

 ― 皆、一先ず順調のようじゃ。大気もよく乾いている。しばらくは霜の心配もせずにすみそうだわい、、、 ―

 本格的な冬の訪れを目前に、貴族や素封家から預かったものだ。

 新年を迎える前に、枯らすわけにはいかないと、手塩に掛けて面倒を見ている。

 遠く、鐘の音が、聴こえてきた。

 後一刻で、陽も昇りきる、時分。

 ― さて、、、そろそろ、宵藍も起きて、、、 ―

 いつもなら、夜明けと共に置き出して、庭掃除の後、炊事の仕度を手伝ってくれる頼もしい宵藍も、今日は、花守が部屋に入っても、深い眠りに就いたままだった。

 疲れが溜まっていたのだろう、と、そのまま起こさずに部屋を後にした、花守。

 その頬に、涙の跡があったのが、ひとつ、気掛かりだったが・・・

 ビョウ―――ッ・・・

 耳に、大気を引き攣らせるかのような音が、響く。

 同時に、砂煙が舞い、顔をしたたか打った。

 深い皺が刻まれた顔を顰めれば、

「っ、、、」

 それも、一瞬の出来事。

 ざわざわと、木々が揺れ、音が、遠ざかっていった。

 花守は、空を見上げた。

 青空に、白く刷かれた雲が、遠い。

 いつもより高く、空を感じる。

 ― あの子を、この永寿宮へ迎えた日も、こんな空であった、、、 ―

 ふと、そんな事を思い出した。

 ― 大陸の連中が、嗅ぎ回っているようだが、今更、他へは移れん。このまま、何事も無く、済んでくれるといいのだが、、、 ―

 白髭を扱きながら、未だ姿を現さぬ宵藍の元へ向かわんと、渡廊へと歩き出す。

 渡廊に添って植えられた水仙が、甘い芳香を漂わせる中、

 トン・・・トン・・・

 小さな音を、聞いた。

「、、、、」、

 花守は足を止めると、彼方、柊の植え込みの向こうに隠れ見える扉を見つめた。

 トン・・・トン・・・ン・・・

 閂を掛けたままの扉が、再び、叩かれた。

 花守の足が、扉へと向かう。

 ト・・・トトト・・・リリィイ・・・

 小刻みな音に、小さな鈴の音が交じった。

 さては近所の悪童の悪戯かと思いつつも、

「どちらさんで?」

 声を掛けた。

「花守」

 聞き覚えのある低い声が、応じた。

「おお、、、お待ちを」

 大きな閂を外し、緑青吹いた重い門扉を引けば、珍しい来訪者の姿に、花守は苦笑した。

「はて、、、貴殿の牡丹、預かっておりましたかな?」

 見覚えのある男が、童を一人連れ、佇んでいたのだった。

 

 

 

「ん、、、」

 童が、鼻を鳴らす。

 屋敷の、過ぐる年を終えんとする、どこか哀愁をそそる庭とは打って変わり、季節の花という花が集められているせいか、それらが放つ芳香と、しっとりと湿った大気、それに大地の香りが濃い。 

 簡素な屋敷の造りだが、永寿宮とも、花宮とも呼ばれるこの屋敷には、目にも鮮やかな色彩が、陽光の元、溢れていた。

 広く取られた庭には、同系色の花卉が整然と居並び、色彩の帯を作っている。

 その合間に、渡廊がめぐらされ、脇には、細い水路が引かれている。

 水路に沿って、植えられているのは、今が盛りと咲き群れる、水仙。

 その白さの、向こう。

 苔むした石らに結ばれた露が、きらきらと光って見えた。

 渡廊が結ぶ門から、程近い離宮の前で、

「先代の命日は、もう少し先のはずでございましょう。今日は、何をご所望で、都守?」

 花守は、袖を童に掴まれ現れた都守、蒼奘に、問うた。

 いつもの、どこか物憂げな眼差しで、花守を見つめると、

「奉華門に手向ける、神皇の花嫁を、、、」

 青い唇が、そう、呟いた。

「む、、、ッ」

 花守は、口を引き結ぶと、皺深く、大きな目を見開いた。

 細い喉。

 突き出た喉仏が、上下し、

「み、都守、、、な、んと、、、っ」

 搾り出された声は―――、苦鳴。

 血管の浮き出でた手が、

「なんとッ!?」

 その袖を、掴んでいた。

 老人とは思えぬ程、力強い手であった。

 静かな湖面を思わす、闇色の眼差しが、

「、、、、、」

 その手を、見つめた。

「くっ、、、」

 息を詰まらせた、花守。

 ― い、いかん、、、 ―

 手が、離れてゆく。

「花守、、、」

「、、、、、」

 力なく、降ろされた手は―――、微かに、震えていた。

「、、、都守。そのような、大それた花は、この永寿宮のどこを探しても、ございませぬ」

 しゃがれた声は、ひどく疲れているようでもあり、表情には、苦渋の色が濃い。

「、、、、、」

 花守を前に、蒼奘は腕を組んだまま、庭を眺めている。

 千切れ雲が影を落とし、ゆっくりと、二人の間を通り過ぎていった。

 平静を装うつもりが、

「わしらは、、、」

 ますます掠れた声が、毀れた。

 訪れた静寂が、怖かったのかもしれない。

「わしらは、ただ、ひっそりとこの地で生きていたいだけ。花を愛で、風を感じ、季節が移ろう様を、人並みに感じ、生きていたいだけなのです」

「、、、、、」

「それ以外、何も望んではおりません。どうか、―――」

「、、、、、」

 深々と、頭を垂れる、花守。

「どうか、―――」

「、、、、、」

 再び、訪れた静寂。

 花守は、頭を、上げることができずにいた。

 いつもは耳につかない、水路を流れる水の音に、どこか遠く、鳶の鳴き声が、聞える。

 小さな旋毛風は、乾いた音をたて、枯葉を弄う。

 冷たい、大気。

 深く、深く、肺に吸い込んだ時だった。

「花守」

 返答は、至極、短いものであった。

「その意志―――、」

「、、、、、」

 花守は、息を呑み、

「翠族と、共に在った、、、」

「!!」

 払拭するかのように、頭を振った。

 ― 翠族と、、、ッ ―

 俄かには、信じたくない言葉、であった。

 花守の思慮深げな眸が、悔しげに、伏せらた。

 ― やはり、すべてを、知っていると!? ―

 たまらず、奥歯を噛み締めれば、

「今朝方、先方と、夢路にて交わされた。立会いは、私だ、、、」

「ぐッ、うゥっ」

 抑揚に欠けた声音に、花守の喉が、引き攣った。

 握り締めた、拳。

 震えを、もう一方の手で押さえながら、花守は、蒼奘を見上げた。

 歪んだ老人の顔が、そこには、あった。

「ゆ、、、夢、じゃて?夢で、そのような、、、っ、、、、貴殿ともあろう者が、とんだ世迷言を、、、ッ」

 呼吸が、荒くなる中、

「信じるも信じぬも、構わん」

 冷酷さすら感じさせる、声音。

 病的なまでに白い貌が上がり、闇色の眼差しを、ある一点に注いだまま、

「当人に、確かめるがよかろう」

 そう、言い放った。

「当、、人、、、」

 蒼奘の、視線の先。

 その先には渡廊があり、母屋が―――、

「宵、藍、、、」

 見慣れた光景の中、小袖を纏った、その姿。

 首の後ろで、束ねられているはずの黒髪が、今日は、そのまま背に、豊かに流されたままだった。

老爺ラオイエ、、、」

 小さく、呼ばれた。

 白―――、蒼白ですらある顔が、蒼奘を見、

「、、、、、」

 無言で、頭を下げた。

 深淵にたゆたう闇を思わせる眸も、

「、、、、、」

 この時ばかりは、伏せられた。

 そのまま、踵を返し、

「本日定刻、戌の刻。迎えに参ろう、、、」

 背を向けた。

「ぉあ、、、」

 水路を流れる冷たい水に、手を潜らせていた、伯。

 水仙の移り香を纏い、立ち上がると、門へと向かう蒼奘の袖を掴まえた。

 往来へと向かう、二人の背中。

「姉姫に続いて、宵藍―――、天藍まで」

 呆然と見つめながら、花守は、

「な、んとも、、、なんとも、むごいではないかッ!!」

 忌々しく、吐き捨てたのだった。

更新は、、、


リアルに忙殺予定なため、未定。。。


おかわりされている方には、ホント、申し訳ない。。。


年末年始は、、、


チ━━(* _ω_)━━ン 。。。


それでも、必ず書ききるんで、、、


そんな奇特な方々に、、、


僭越ながら、、、


俺から全力の、、、


良いお年を!!!!!(*≧д≦*)ノ

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