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第拾ノ弐幕中ノ後 ― 覇王眼 ―

 粉雪舞い散る、冬夜。帝都では、静かな死闘が繰り広げられていた。夜陰に紛れ、刃を交える、鵺と風狼。そんな最中、大陸では神都の守が、動き出さんとしていた、、、


 死人還りの都守蒼奘、業丸を継ぐ武官燕倪、幽身であるがこの世に縛られた伯。それぞれが紡ぐ異国絵巻、第十二幕中の後編。。。


 ― あか、、、い、、、―

 赤と、黒。

 混じりあいながら、うねっている。

 視界に重く圧し掛かっているそれらが、何なのか?

 今となっては、もう、分からない。

 覚えて、いない。

 ただ、生温いものに包まれているような感覚だけは、あった。

 瞼は、そのまま剥がされてしまったのか?

 身体と言う概念すら、喪失してしまった自我は、

 ― あか、くろ、、、また、、、あ、か、、、 ―

 視界を占めるものだけを情報とし、漂っている。

 剥きだしの視界に展開する、赤と黒のうねりに、果てはない。

 ― あか、、、くろ、、、あか、、、くろ、、、 ―

 延々と続く、その繰り返し。

 もう、どれ程の間、ここにいるのか?

 長いのか、短いのか。

 その感覚すら、欠落している。

 許されていることは、

 ― あか、、、くろ、、、あか、、、 ―

 やがて訪れる、【その時】を、待つことだけ。

 ふいに、

 ― あ、、、ああ、、、 ―

 雲間から、朝陽が差し込むように、白き光が、毀れた。

 ― あ、あああ、、、、っ ―

 顔を背けようと、眼を閉じようとするが、視界が揺らめくだけだった。

 それまで視界を占めていた赤も黒も払いのけ、白光に、包み込まれる。

 刹那、

 ― ッ、、、わ、い、、、ひかりは、、、こわい、、、 ―

 それは、拒絶であり、闇を選んだ瞬間でもあった。

 光に背を向け生きてきた者の、当然の選択だったかもしれない。

 じわり・・・

 視界に、墨が落とされたように、闇が滲んだ。

 みるみる色褪せてゆく、光。

 光が、喰われてゆく。

 ― くろ、、、くろ、、、くろ、、、 ―

 再び訪れた、黒き闇。

 その中で、考える。

 何時から、だろう?

 夜が来ると、心が安らぐようになったのは?

 何時だった、だろう?

 血塗れた所業のすべては、夜の闇で塗り潰し、その懐深くへと隠匿してしまえばいいと、教えられたのは?。

 あれは、あれは、あれは、、、

 ― くろ、、、よる、、、やみ、、、 ―

 呟きを舌に乗せている、そんな感覚だけは、ある。

 唱えたことなど無い、経文の一説のように。

 ― くらやみ、、、かげ、、、ぬえ、、、 ―

 闇の中、その感覚だけを、辿った。

 ― ぬ、え、、、ぬえ、、、あ、、、 ―

 残された自我は、それは緩慢に、侵蝕されていくはずだった。

 それが、

 ― 鵺、、、 ―

 言葉が、手繰り寄せたのは、断片的な記憶の欠片。

 嬌声に、酒の匂いが混じる。

 白粉と、甘い香が鼻腔をくすぐる―――、不快に。

 天井、軒下に潜み、あるいは、給仕に扮する時もあった。

 手には、ぎらつく刃物を持つ時もあれば、無腰で臨む時もあった。

 噴出す血潮に濡れる時もあれば、生々しく、死への蠕動を繰り返す感触だけが、手に残る時も、あった。

 押し寄せる、どこか懐かしい、記憶。

 その全てが、思い出であり、一人の【鵺』として、確かに生きた証であった。

 ― あ、、、 ―

 ふいに、ズルリ、と足が引っ張られたような気が、した。

 ズル・・・ズズズ・・・ズ・・・

 すぐそこにあった闇が遠ざかり、濃厚な闇の触手が、絡みつく。

 ― あ、、、血、の、、、、 ―

 とたんに、血臭が、鼻を衝いた。

 肺腑に心地よい、その匂いの記憶は、すぐに薄れてしまったが、齎すものは鮮明に、

 ― 血、、、死、、、死、、、 ―

 覚えていた。

 ― 死、、、 ―

 視界の闇に、赤が滲む。

 深く、深く、沈んでいく中、手を伸ばそうとして、

 ― !! ―

 息を、呑む。

 闇色に切り取られたそれは、かつては、【手】であった、【触手】《もの》。

 それは、自分のものであったのか、それとも、引きずり込まんとしている闇のものであったか?

 ― いや、、、だ、、、ッ ―

 今となっては、分からない。

 子供のように取り乱し、錯乱する、精神。

 それは、自我の崩壊であり、その人であった生の幕引きをも、意味する。

 視界が、濁る。

 肌がざわめき、あわ立ち、波に呑まれるようにして、

 ― 溶け、、、る、、、 ―

 トプ・・・ンン・・・ッ

 浚われる。

 、、、、、

 、、、、、

 、、、、、

 訪れた、静寂。

 もし、佇む者が居たとしたら、今、そこは、凪いだ大海原を連想させることだろう。

 穏やかでありながら、底知れぬ不気味さを秘めた、空間。

 ここは、奈落。

 光を拒み、漂い蟠る闇に抱かれたその魂に、残るものは、果たして?




 ポタ・・・ポタタ・・・タ・・・

 何かが滴る音が、する。

 噎せ返るように、充満しているのは、鉄錆に似た臭いだ。

 タタ・・・ポタ・・・タ・・・

 闇。

 とっくに太陽は中天にあると言うのに、光差し込まぬ、その一室。

「、、、、、」

 一人、闇よりも濃い染みを、床に作っている。

 ― 限界か、、、 ― 

 染みの中に、さらに暗く澱むものが、あった。

 見通せるはずなどないのに、その先には、深い深い穴が、どこまでも続いているように見えた。

 短い舌打ちが、乾いた唇から、漏れた。

 ― 海を隔てると、さすがに、遠い。彼の地の呼び水も、無い。餌さえあれば、あるいは、、、 ―

 貌を歪め、その染みを覘き込むように、背を丸めているのが、

「導師」

 その、人であった。

 僅かに身じろぐと、導師はゆっくりと声がした方を、振り向いた。

 涅色の衣をすっぽりと纏った【鵺】が、控えていた。

「陛下が、お呼びでございます」

 右の拳を床に着き、短く伝えれば、

「、、、、、」

 ゆらりと、立ち上がる気配があった。

 すぐ傍らを導師が、革靴の踵を鳴らせ、通り過ぎてゆく。

 布を、貌に巻きつける小気味良い音の後、

 ギィイ・・・ギギギ・・・

 光の縁取りが、徐々にその大きさを増すのが、見えた。

 錆付いた蝶番が、耳障りな音を立てる。

 押し開かれた扉は、差し込んだその光でもって、一室を照らし出した。

 閑散とした、何の変哲もない、部屋。

 ただ、床だけが、不気味なほど赤々と、濡れていた。

 キ・・・キキィイイッ・・・

 すぐにまた、闇が訪れると、鵺は立ち上がった。

 任に戻ろうとして、

「、、、、、」

 ふと、振り向いた。

 視線が吸い付いたのは、闇よりも濃厚に、床に伸びた染みだ。

 導師が、不可思議な術を使うのは、知っている。

 大陸中から集められ、神都に召抱えられている道士らとは、明らかに異質な術。

 ふらりと足が、向いた。

「、、、、、」

 その鵺は、まだ、若かった。

 吸い寄せられるように、その染みを、覗き込んでいた。

 噎せ返るような、血の匂いに、眩暈を覚える。

 狩りの香りだ。

 夜陰に紛れ、獲物を狩る、あの匂い。

 獲物は大概、男の場合が多いが、中には若い女の場合もある。

 名声や十分な地位を得ているにも関わらず、そう言った者程、よからぬ事を企てる者が、多い。

 抵抗赦さず、今まさに息絶えんとするその刹那は、夜陰に潜む自身らが他の誰よりも、あたかも高等な種であるような錯覚に陥る、瞬間だ。

「、、、、、」

 この若い鵺も例外ではなく、幾度かその感覚を、味わったことがある。

 ― あの、瞬間、、、 -

 その、何とも言えぬ高揚感を、思い出した時だった。

 ・・紅・・・隼・・・・・

「ッ」

 名が、呼ばれた。

 鵺の任を拝命してからと言うもの、久しく聞かなくなった【名】であり、【音】であったが、その声は鮮明に記憶を揺さぶった。

 声の主は、、、?

 ― 兄哥、、、いや、しかし、兄哥は任で神都を離れて、、、ぬッ?! ―

 視線が、血溜まりから外せなくなった。

 どう言うわけが、手足も、動かせない。

 声も、出せない。

 身体を揺すろうとも、石になったかのように、ぴくりともしない。

「、、、、、」

 冷たい汗だけが額を伝い、頬から顎先へと、滴っていった。

 こぽ・・・ん・・・

 水の音が、聞えてくる。

 視線の先で、泡がひとつ、弾けたところだった。

 こぽぽ・・・ん・・・

 もう、一つ。

 こぽぽ・・・こぽ・・・とぷ・・ん・・・

 ふつふつと、湧き上がるそれは、見る見る勢いを増し、影の鼻先をしたたか濡らした。

「っ、、、く、、、」

 からからに渇いた、喉。

 飲み込もうとした唾も、乾いてしまったようだった。

 目の前で起こらんとしている事を、頭で理解しようとしても、そう易々とできるものではない。

 赤い触手のようなものが、首に絡みついた時、眼前に迫った泡を見て、

「!!」

 眼を、剥いた。

 紛れもない、それは、人の目だ。

 見ている…

 それはこちらを、じっと…

 眼が、ゆっくりと近づいてくる。

 瞼を閉じることも、できない。

 眼球同士が―――、ぶつかる。

 刹那、

 ― なッ、、、 ―

 若い鵺は、息を飲んだ。

 それは、何とも奇妙な感覚であった。

 痛みも、触れ合った感触も、ない。

 それなのに、眼の中に眼が、在る。

 頭の中に、確かに在る。

 もっと、ずっと奥まで―――、這い入ってくる。

 己の意志など関係なく、それは侵入を果たした。

 急速に、羞恥が、押し寄せてきた。

 見られている・・・

 先ほど抱いた、浅はかな高揚感を。

「あ、、、」

 鼻の辺りから、何かが滴った。

 生暖かい、それでいて、大地に蟠るものと同色の体液が、唇に鉄錆の味を残し、滴った。

 カラカラに乾き始めてゆく眼球が、俄かに赤く、赤く、潤ってゆく。

 一筋だった赤い筋は、その両目から、鼻から、口から、とめどなく溢れ出す。

 やがて、

 しゃり・・・ごりり・・・ごきゅ・・・ごっ・・・

 頭蓋に反響する、不快な音。

「ぁ、、、あ、、、」

 布地の下で、眼球が反転し、白目を剥いた。

 ― 喰、われている、、、俺は、、、喰われ、て、、、 ―

 痛みは、無い。

 音だけが、体中に反響しているのだ。

「うぅ、、お、あ、、、」

 だらしなく開いた唇から、涎が滴り、全身が、弛緩してゆく。

 意識が混濁し、腕をつくことも敵わず、

「、、、、、」

 そのまま、血塗れた床に、突っ伏したのだった。




「、、、、、」

 導師が立ち止まり、後ろを、振り返った。

 歴代の王を祀る、霊廟。

 そのすぐ近くにある、石造りの離宮は、贅を凝らした霊廟とは対照的に、粉雪舞う曇天に、そのまま融け込んでしまうかのような、質素な造り。

 導師は、平素、訪れる者も限られるこの霊廟付きの離れを、使っていた。

「若さ故に、巣食われ、蝕まれた、か、、、」

 勢いを増しながら、降り荒ぶ粉雪に掻き消えた、その呟き。

 木々が揺れ、身体に巻きつけた布の端らが、強い風に、巻き上げられる。

 そんな中、

「、、、、、」

 風の音に混じり放たれた、声ならぬ若き鵺の断末魔を、聞いたのかもしれない。

 ― 神皇に仕えるにおいて、個は、不要。その好奇心は、他でもない。自身を滅ぼすと、教わらなかったのか、、、 ―

 雪の中から、抜け出す者が、いた。

 二人。

 すっぽりと、涅色の衣を纏っている。

 鵺だ。

 その鵺が、差し出すものが、あった。

 波状の白い髪が、面から垂れている。

 紅く塗られた肌には、漆黒の隈取。

 見開かれた金色のまなこでもって、見るものを威圧、睥睨する。

 剥きだしの鋭い牙といい、突き出した硬質な髭といい、その貌、異形。

 導師は、慣れた仕草でその面をつけると、腕を伸ばした。

「、、、、、」

 絹地に、彩雲に遊ぶ紅顔の異形、【鵺】と夜の月。

 別の鵺が現れ、導師の背に回ると、その腕を、裾の長い官服の袖に通した。

 小気味良い衣擦れの音を聞きながら、

「我が閨で、うぬらの同胞が一人、呑まれたようだ、、、」

 傍らの鵺を、横目に眺めた。

「左様でございますか、、、」

 無機質な声音が、応じた。

 何の感情も窺わせない、闇に生きて長い【鵺】の、短い返答であった。

「ああ。だが、拝謁から戻るまで、そのままにしておけ」

「御意、、、」

 ほっそりとした指先が、襟元の、氷のように冷たい象牙に触れた。

 象牙で作られた領子リンズを、止めながら、

 ― まぁいい、、、お陰で都合良く、鬼窟が開く、、、 ―

 導師は、薄い唇を、歪めた。

 ― 死したのは、あの若い鵺の縁者か、、、我が覇王眼によって開かれた【奈落】に呼応し、現世と幽世の境を漂っていたところで、祖国の仲間の、温かい血肉を欲したのだろう。呼び水が、彼の地で流された、鵺らの血潮とは、なんとも、、、 ― 

 面越しに見上げた空に、細く息を吐き出した。

 どこまでも冷たい、死人の吐息。

 ― 、、、すでに対価は、払われた ―

 面の下で、薄笑みを、自嘲気味な笑みに変えると、

 ― 神皇のご尊顔を拝した後、せっかくだ。蛮姫を迎えに、一息に鬼窟を、渡るとするか、、、  ―

 肩に降り積もった雪をそのまま、付き従う鵺らと共に、吹き荒ぶ雪間へと、掻き消えたのだった。




 飴色に磨かれた、床。

 足袋越しでもひやりと、冷たい。

 肺腑深くに吸い込めば、すでに陽も高いが、朝の清々しい大気がまだ、残っているようだった。

 パ・・・シャ・・・

 ふいに、水音が弾けた。

 に視線をやれば、母屋と書院を繋ぐ細い渡殿の下、大きな人影に驚いた緋鯉が、緩慢な動きで、青く澄んだ深みへと、黒く溶けていくところだった。

 渡殿の先、突き出した軒庇の下を、回り込めば、

「よう」

 換気のため開けられた蔀戸の先に、男童を膝に入れた、見慣れた貌があった。

 二人とも、所狭しと積み上げられた書簡の山に、埋もれている。

「こりゃまた、お前、溜めたな、、、」

 一目見ただけでも、民の切実な嘆願の声が、聞えてくるようだった。

「たいしたものはないが、年の暮れともなると、余計な心労が増えるようだ、、、」

 読み終えた書簡を巻き直せば、

「どれもこれも、片付けちまって、気分一新、新年を迎えたいって心理だな」

 顎先を撫でやりながら辺りを見回していた男が、同情するとでも言いたげに、逞しい肩を竦めて見せた。

「お、、、」

 視界の端。

 陽射しを受けて、煌くものが、あった。

 琥珀、梔子、翠、蘇芳、薄桃、紫苑に、瑠璃。

「いつもの楓の木、覗いたんだぞ、伯?」

 目にも鮮やかな色とりどりの飴玉を、真白の懐紙に広げ、

「、、、、、」

 カリカリと小さく音を立てて齧っていた伯は、菫色の視線だけを、向けた。

 いつも同じ場所にいると思うな、とでも言いたげだ。

「陽も高いうちに、珍しい。今日は、どうした、、、」

 その伯を膝に、文机に頬杖ついた蒼奘は、闇色の眸を、眇めた。

「お前に、見てもらいたいものがあるんだ」

 いつものくったくのない笑顔で、燕倪が、片手拝み。

 慣れたもので、さっさと空いている書院の片隅に陣取ると車座だ。

 袖を探れば、袱紗が、出てきた。

「んー、、、」

 伯が、膝から手を伸ばせば、

「言っておくが、菓子じゃないぞ」

 燕倪が思わず、苦笑。

「蒼奘。お前、この間、風狼がどうのとか言っていただろう?」

「ああ、、、」

 無骨な指先で、包みを解けば、

「警邏の最中、若い者が妙なものを拾ってな。もしやと思って、さ、、、」

 明り取りから差し込む陽光を受け、鈍い輝きが、転がり出でた。

 身を乗り出し、覗き込んでいた伯が、

「ッ」

 不意に水干の袖を膨らませ、部屋の片隅へと跳躍。

「お、おい、伯?!」

「、、、、、」

 群青色の髪はざわざわと波打ち、小さな犬歯が、剥かれる。

 澄み渡った黎明を思わせる菫色の眸には、朱が滲み、怒りとも、緊張ともとれる様子で、袱紗の中から現れたものを、睨んでいる。

「なんだか、、、まずかった、か?」

 伯の豹変振りに、さしもの燕倪が蒼奘を見れば、

「どれ、、、」

 すでに、鈍色の輝きは、その手に収まった後だった。

「ふむ、、、」

 蒼奘が、手の中のものを陽の光に、当てる。

 それは小指程の太さがあり、鋭い先端とは裏腹に、左に螺旋を描いて捩れている。

 鈍色を放つが、黒々と光を吸収しているようにも、見える。

「これ、なんだと思う?」

「、、、、、」

 文机の上に置くと、指先で、転がした。

 闇色の眼差しが注がれ、

「元は、法具、、、」

 聞き慣れた、抑揚に欠ける鬱々とした声音が、告げた。

「法具?」

「独鈷杵」

「仏が持っている、あれか?」

「その様なものだ。祓魔の力が宿っている」

「祓魔の、法具、、、」

 腕組みで首を傾げた、燕倪。

「しかし、もしそうだとして、そんな大層なもの、誰かが無用心に落としたってのか?」

「どうだろうな、、、」

 蒼奘が懐紙を取り出すと、紫檀の文机に、広げた。

 その上に置くと、切先の捩れが始まる部分に、爪を当てた。

 そのまま引っかくようにして動かせば、

「お、、、?」

 黒い欠片が、白地に幾つも毀れた。

 赤黒く、指を汚すその欠片に、 

「これは、、、」

 濃い眉を寄せた、燕倪。

 向けられた鈍色の眼差しに応える代わりに、蒼奘は青く薄い唇を、吊り上げた。

 その態度に、一瞬、憤然した燕倪だったが、自らが持ち込んだだけに、一つ深い溜息を吐いて、

「やっぱり、血生臭い事になっているじゃねぇか、、、」

 恨めしげに睨むに、とどまった。

 薄笑みを浮かべたまま、視線を外した、蒼奘。

「我らが介入すれば、民が巻き込まれる、、、」

「、、、、、」

 そう言われてしまえば、燕倪、

 ― 酌んでくれ、か、、、 ―

 押し黙るより他、無くなった。

 ひとしきり指先を懐紙で拭うと、蒼奘は、軽く膝を叩いた。

「、、、、、」

 それまで、壁際で硬直していた伯が戻ってきては、そろりと膝に入る。

 まだ多少、髪が逆立っているのは、得体の知れぬものを見て、警戒しているからだろう。

 菓子には目もくれず、片手は蒼奘の袖を掴んだままだ。

 その背を、擦ってやりながら、

「これはな、闇針イエンシンと呼ばれている」

 青い唇が、静かに語り始めた。

「闇針、、、破魔って割には、物騒な名前だな、おい」

 改めて、机の上に転がっているものを眺めれば、陽光の中にあっても禍々しい輝きを放っているような気が、した。

「ああ。それ自体に、不可視の呪が、刻まれているからな。強い、想念だ、、、」

「想念、、、」

「元より針とは、縫い止めるもの。この法具は調伏ではなく、むしろ、捕縛、、、」

「捕縛?何を、ってんだ?、、、まさか、お前、魑魅魍魎ってんじゃないだろうな?」

 青い唇に浮かんでいた薄笑みが、深くなった。

 燕倪は、濃い眉を顰め、

「その、まさか、かよ、、、」

 額を揉みながら、思わず呻いた。

「古より、異形のものとは、幽世や常世といった、現世とは別次元の存在として認識されている。そういったものは、あちら側から現世へと抜け出した時、現世の影響を受け難い性質があると信じられていてな」

「むむ、、、」

「これは、それらをこの世に縫いとめんとして、精錬研磨されたものだ」

「だが、刺されば、人でもただでは済まないだろうが、、、」

「そのどちらにも効果があれば、尚、いいだろう?」

「蒼奘ッ」

 ぞっとするような、冷ややかな眼差しで言えば、燕倪がたまらず、窘めた。

 同時に、びくり、と身を震わせた伯は、蒼奘の背へと隠れ、

「まぁ、燕倪様、そのような大きなお声で、、、」

「あ、いや、つい、その、、、すまん」

 盆を手に現れた汪果は、目を丸くした。

 茶器が触れ合う心地良い音に、どこかで琲瑠が庭を掃く軽やかな音が、混じる。

 やがて、蓋碗から薫り高い芳香が漂えば、伯がようやく顔を覘かせた。

「、、、、、」

 ちょうど二人の間に座ると、薄桃色の干菓子に手を伸ばす。

 小さく齧るその様を眺めてから、

「どのみち、こんなものが転がっているのなら、巻き込まれているって、言うんじゃないのか?そこまで、知ってるわけだし、、、」

 横目で、蒼奘の表情を、窺った。

「、、、、、」

 案の定、これといった変化は、無い。

 鈍色の眸を眇めると、

「あー、そうかい、そうかい、、、」

 その反応に、溜息だ。

 一方当人は、どこ吹く風で、

「、、、、、」

 闇針を袱紗に仕舞うと、薄笑みを浮かべたままの唇をそっと、碗に寄せるのだった。




 衣を巻き上げ、肌を刺す、寒気。

 夜の闇は、吹き荒ぶ粉雪によって、一面灰恢に塗り潰され、大地は、叩きつける雪が風を彩り、波打って見えた。

 皆、一様に、門扉を固く閉じ、朝陽を恋しく思っているころだろう時分、

 ズズ・・ズズズ・・・

 何かを引きずる音が、聞えてくる。

 ズ・・・ズズ・・・ズズズズズ・・・

 灰恢の世界の中、複数の影が、蹲っている。

 涅色の衣を纏い、一様に、同じ方向を見ている。

 大きく開け放たれた、離宮の扉。

 そこからちょうど一人、出てくるところであった。

 粉雪吹き込み、風によって、拝領の書画が巻き上げられるのも構わず、現れた導師の手は、

「、、、、、」

 物言わぬ骸の襟を、掴んでいた。

 それを、

 ズ・・・ズズズー・・・

 引き摺っている。

 霊廟前、広大な広場と思しきその中央へ向かえば、赤黒い染みが、離宮と骸とを繋いでゆく。

 弄うようにして、大地を舐めていた粉雪も、染みに触れれば、次第に赤く赤く滲んでは、染まっていった。

 やがて、鈍い音と共に、無造作に投げ出された、骸。

 導師の手が、顔を覆っている布を、取り払った。

 死者への哀悼の欠片もない、無機質な所作であった。

 風が、天高くへと舞い上げてしまえば、まだあどけなさすら残す若者の顔が、現れた。

 白目を、剥いている。

 それどころか、眼球は赤く赤く染まり、鼻腔、耳孔、口から溢れたと思われる血潮が、ぐっしょりと固まり、無残にも肌に、こびりついていた。

 導師が、自らの髪の中へ、手を差し入れた。

 何かを探りながら、

「皆、下がっていろ、、、」

 低く命じた。

 控えていた複数の鵺らが腰を曲げ、音も無く、後退。

 するりと、半顔を覆っていた布が、手に巻き取られる。

 手指が、左目の前で、何度か何かを引き抜くような動きを見せた。

 袖に、巻き取った布と、引き抜いた何かを仕舞うと、

「、、、、、」

 左目は閉じたまま、若い鵺の下瞼を引っ張った。

 指先が直に眼球に触れ、覗き込むと、その左目がゆっくりと、開く。

 ポタ・・・タ・・・

 若者の頬の辺りに、赤い雫が、落ちる。

 ポタタ・・・タタ・・・

 ひとしずく、ふたしずく・・・

 止めどなく左目から滴る、血涙だ。

 反転した白目を指で辿って戻すと、虚ろな視線が、導師を見上げた。

 ポタタタタ・・・ポポ・・・タ・・・

 血涙が、その勢いを、増す。

 若い鵺の頬を濡らしていたそれが、眼球に―――、落ちた。

 ピシャ・・・ン・・・

 凪いだ水面に落ちたかのように、眼球が、波打った。

 ピシャンン・・・

 もう、一滴。

 虚ろな眸が、赤黒く、滲む。

「おお、、、」

 離れたところから、導師を見守っていた鵺らから、どよめきが、漏れた。

 吹き付ける粉雪と風に、視界を奪われながらも、微動だにせず、導師の一足一動を見逃すまいとしている、鵺ら。

 その視線の先で、風が、巻いたのだ。

 粉雪は、そこだけ巻き上げられ、取り除かれた雪の下より現れたのは、異国より切り出され、千夜を掛けて遥々運ばれたと言われる、黒き御影石の一枚岩。

 見ろ・・・

 鵺の一人が、言った。

 血塗れた床に、無数の孔が・・・

 艶やかな光沢を放つ、天鵞絨を思わせる深い闇が、口を開けんとしていた。

 御影石の床が、細やかな流砂となって波打ち、穿たれた孔へと吸い込まれてゆけば、導師の身体も骸も、ゆっくりと沈んでいく。

 息をするのも忘れ、その光景を見入っていた鵺らの中から、

「鴎弩」

 一人の名を、呼んだ。

「、、、、、」

 音も無く、その傍らに立てば、流砂のように足をとられる不快な感触が、伝わってきた。

「導師」

「導師、、、」

 他の鵺らが、たまらず声を掛けたのは、すでに上半身まで沈み込んだ導師が、無言で布を左半顔に巻きつけ始めたためであった。

 慣れた様子で、髪の中で布を結びながら、

「二、三日、留守にする。戻るまで、誰も近づけるな。陛下、さえも、な、、、」

「はっ」

 一斉に蹲踞した鵺らを残し、導師と骸、そして、鵺一人は、完全に、闇に呑まれた。

 ゆらゆらと波打つ、御影石の床。

 そこに、さらさらと、粉雪が吹き込み始めた。

 何の変哲もない、御影石。

 その硬質な表面を、滑らかに舞う、雪の白さ。

 ゴウゴウ、ヒョュウウ・・・

 風が、強くなった。

 打ち付ける粉雪が、霙混じりになって、肌を打つ。

 ぽっかりと口を開いた闇を、その色がみるみる覆ってしまっても、

「、、、、、」

「、、、、、」

 残された鵺らは、目の前で起きた術を、整理しきれずにいるようだった。


 短ッ!!苦し!!


 それでも、一応、更新ちゅやぁ、更新やね...¢(・ω・`)


 非常に遅い更新、それでもオカワリしていただいてる方に、まずは、感謝を(´ゝз・`)ノ⌒☆って、そんな奇特な人、いんのだろうか。。。目下、不明。。。


 試験の合否はとにかく、お勉強漬けの日々から解放されて、ようやく、筆を進めることができるべ。。。もー参考書なんて、捨てちまおう。。。


 だが、来週発売のダークソウルの誘惑も待ち構えている。。。ブラ三も、2クール目、始動する。。。あのコとのお食事の約束も、合コンも。。。もー、誘惑に勝てる自信が無いぉ(´・д・`)


 まったく、、、


 秋ってやつは、誘惑の秋だな。。。

  

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