第拾ノ壱幕中ノ前 ― 夜鷹 ―
流星が放つ、星の詞。それは嘆きか、それとも福音か、、、
死人還りの都守蒼奘、業丸を継ぐ武官燕倪、幽身であるがこの世に縛られた伯。それぞれが紡ぐ異国絵巻、第十一幕中の前編。。。
「お、今帰りか?」
屋敷へと急ぐ者達の中にその姿を見つけ、燕倪が声を掛けたのは、氷雨が明けた翌日の事であった。
ようやく、季節外れの晩秋の長雨が明けたと思ったら、今度は身を切るような氷雨が数日続いた。
晴れ間が覗いた今日も、しっとりと湿ったままの大気がひんやりとして、肌寒い。
まだ、所々、翠を残す木々の葉も、いっせいに色づくだろう。
「これは、少将。ええ。これから、屋敷に戻るところです」
心労か、ただでさえ顔色が悪い稀水の顔に、雲間から差し込む乳色の陽射しが、翳を落とす。
「そうか。悠霧。もう、慣れたか?」
その傍らで、しっかと袖を掴まれているのが、
「うん。まぁ、ね」
悠霧だ。
稀水の教育の賜物か、以前よりは落ち着いて見えた。
ただ、刻限のせいか、往来へと出て行く牛車や、年頃近い牛追い童らの姿も多く見られ、視線はなかなか定まらない。
燕倪は、西の空へ傾きはじめる太陽を、眺めた。
陽の入りが早くなったとは言え、夕暮れはまだまだ先だろう。
「どうだ、これから?」
「何が、、、?」
訝しげに見上げてくる悠霧に、
「この重い束帯を着替えたら、都守の屋敷に顔を出すつもりだ。お前もどうだ?」
鈍色の眼差し。
「都守って、あのちびがいる?」
「ああ」
「行く行くっ、絶対行くッ」
「悠霧ッ」
悠霧は、稀水の心配を他所に、燕倪の腕を取って引っ張った。
― もし、都守の気に障るようなことになったら、、、 ―
あの冷ややかな死人還りの眼差しと、充慶の渋い顔が、脳裏を過ぎった。
「あの、少将。悠霧は、修業の身。その、この子をお連れになれば、きっとお手を煩わせるような事に、、、」
「ああ、構わん構わん。これぐらいの年頃なら、それくらい当たり前だ。そんな、気にするなよ」
「しかし、、、」
「蒼奘もああ見えて、気が長いんだ。どうせ伯も、退屈しているだろうし」
「そう、ですか、、、?」
なおも心配顔の稀水に、
「おうさ」
燕倪が、人好きする笑顔で請け負った。
その人柄が滲み出ている笑顔の前では、さしもの稀水も断る理由を、失った。
「ああ、悠霧。それでは、くれぐれも粗相のないようにするんですよ?!」
「子供扱いするな」
むくれる悠霧のこの顔には、さすがに慣れたのか、
「ちゃんと遅くなる前に、おいとまして、帰るのです。一人で帰れますか?」
釘を刺した。
「任せろ。伊達に夜中、屋敷抜け出してねぇよ」
「なっ、、、」
案の定、引きつった顔の稀水を他所に、
「主様、ああ、こちらにいらっしゃいましたか」
屋敷へ向かう牛車や、その供らで混雑する往来から、聞きなれた若衆の声が掛かった。
「おお。ここだ、ここだ。籐那」
大きく手を振れば、
「御車はこちらです。すいません。今日は少し遅くなってしまって、、、」
人混みの中から、飛び跳ねて見え隠れする、籐那。
燕倪は、
「おし。じゃ、借りてくぞ」
稀水の肩を叩き、悠霧の腕を取る。
人混みに消える手前、悠霧が、
「へへっ」
どこか勝ち誇った笑みでもって、稀水を振り返った。
人混みの中、遠ざかる燕倪の後ろ姿を、
「どうか、何も起きませんように、、、」
稀水が祈るように、見送っている、、、
「ふ、、ぁ、、、」
ぼんやりと、している。
傾き始めた太陽が、西の薄雲の中で橙色を滲ませる、時分。
見上げたその空が、
「ぁ、、、」
回っている。
「、、、、、」
闇色の、視線の先。
金銀に紅白、丹頂、黒。
忙しなく水面に口を寄せ合い、大きな鯉達が集まっている、ちょうど真上。
橋桁に腰を下ろし、空を見上げている伯が、
「ぁ、、、ぁ、、、」
うとうと・・・こくり・・・
舟を、漕ぐ。
大池に面した、奥の書院。
墨を筆に含ませていた蒼奘も、
「、、、、、」
先程から、浮島に掛かる平橋の上で危なげに揺れるその様を、眺めている。
どうやらここしばらく、体内を通過する星の詞が鳴り止まず、夜はろくに眠れぬせいであるらしい。
その【星詞】とやらも、人々の喧騒で掻き消える、日中。
そのほとんどを、眠っているような、いないような、こうした状態で、ぼんやりと過ごしている。
― 小康状態ではあるが、まだ影響下にあるか、、、 ―
流れ行く星の群も、そろそろこの星区を抜けてもいい頃合なのだが、余韻のように後を引いているようだった。
気に入りの楓の梢にも戻らず、かといって寝所にも寄り付かず、それでも何故か蒼奘の視線が届くところにいるのは、強がってはいても、不安がそうさせているのかもしれない。
「、、、、、」
視線の先で、また、こくり、とやった。
池の畔で、方々から舞い寄った枯葉を掃いていた琲瑠が、それを見かね、
「若君、床を延べましょうか、、、?」
何度目かの問いを、繰り返す。
しかし、
「んゃ、、、」
答えは、同じ。
ぶんぶん首を振ると、眼を擦り擦り橋桁から降り立った。
平橋を渡り、欄干を到底、人とは思えぬ跳躍でもって飛び越えて、肩に長衣を掛けた蒼奘の元へ。
「、、、、、」
心得たもので、そのまま膝に頬を預けるのを好きにさせつつ、再び筆を動かし始めた。
薄く開かれたままの、菫色の眸。
その目元に手を置けば、掌に睫毛が触れて、瞼が閉じたのが伝わってくる。
やがて、穏やかな寝息が、小さく聞こえてきた。
蒼奘は、古い異国の文字で書かれた暦の綴りをめくり、琲瑠は、屋敷の裏手へと集めた枯葉を運ぶ。
そろそろ夕餉の支度をと、竈に火を熾していた汪果は、目覚めたばかりの小さな焔の揺らめきに、眼を眇めていた。
それぞれに、それぞれの穏やかな時間が、流れてゆく。
上空では風が強いのか、優雅に弧を描いていた鳶が軌道を外し、千切れ雲の向こうへと流されていった。
ヒョ・ゥル・・ロロ・・ロ・・・
途切れた、鳶の声。
「、、、、、」
手の下から、抜け出す気配に、蒼奘は大池の向こうを眺めた。
木々の葉も落ち、茂っていた野草にも、冬を迎える衰えが窺え始めた木立から、
「よぉ」
見慣れた男が、少年と共に、現れた。
空が焼け、橙色の陽射しが水面に映れば、そのままもう一つの空となった。
どこからか舞い込んだ海老色の木の葉が落ちて、その空が、揺れる。
風が少し、ある。
池の畔に面した、阿四屋。
迫る夜の気配に、肌寒さを感じる中、
「なぁ」
群青の髪を首の後ろで束ね、翡翠の一対の珊瑚の角に、目尻に朱を滲ませた大きな菫色の双眸。
異形であるその姿を前にしても、動じるどころか、
「そっちの方が、絶対いいぞ」
満面の笑み。
伯はと言うと、
「、、、、、」
言葉も無く、蒼奘の背に隠れてしまった。
その背中を、覗きこんで、
「あのさ、お前、俺と組まないか?」
悠霧は、単刀直入に、申し出た。
「、、、、、」
感情を、微塵も感じさせない菫色の眸だけが、じっと、悠霧を見つめた。
「、、、、、」
「な、いいだろ?」
悠霧は、その眼前に、右手を差し出した。
健康的な桃色をした爪は長く、少年にしては不釣合いに、鋭かった。
伯の視線を受けて、
「俺は、こいつで、鬼を祓う。お前は?」
「、、、、、」
「また、だんまりかよ。ちびすけ」
「っ」
とたんに小さな犬歯を剥いた伯に、
「そうそう、そうこなくっちゃ」
待っていましたと言わんばかりに、悠霧の顔が近づいてきた。
「う、、、」
伯は、がちがちと歯を鳴らせた。
相手は、こちらの事などお構いなしの様子。
「、、、、、」
助けを求め見つめた先に、
「、、、、、」
長椅子の肘掛に凭れ、物憂げに池の水面を眺める、蒼奘の姿。
伯の、その視線を辿った悠霧は、
「、、、そっか。お前もう主取りしてんのか。逆らえないんだってな、式神はさ」
残念そうな、溜息を一つ。
名残惜しそうに、群青の髪を掴もうとするのを、手で払い除けつつ、
「ちぃ、がぁう」
「あ?」
「式神、ちがぁ、う、、、」
とたんに、輝きを取り戻す、悠霧の眸。
「違うのか?」
「、、、、、」
こくり、、、
「じゃ、俺と契約しろ」
「、、、、、」
しかし、それには、ふるふると首を振った。
「なんでだよ。俺となら、どんな奴だって敵わないぞ」
「、、、、、」
ふるふると、また、首が振られた。
「だから、なんで?」
「、、、、、」
今度は、ぷいっ、とそっぽ向いた。
「はっきりしない奴だなぁ」
椅子に仰け反った悠霧に、
「その子を、私が封じているからだ、、、」
それまで黙ってやり取りを聞いていた蒼奘が、口を挟んだ。
「封じるって、、、?」
「他の誰も使役できぬように、神霊としての理を奪い、封じた、、、」
「なんでそんな事?」
「さて、何故であろうな、、、」
嘯く、その端正な横顔に、
「じゃ、伯は、首輪つけられているみたいなものじゃないか?他の誰とも契約も出来ず、かといって、自由でもない」
鼻息荒く、言い放った。
「そうなるな、、、」
「なら、、、」
潤んだような眼差しの、一瞥の後、
「あんたがいなくなれば、こいつは俺のものになるのか?」
「ぅ、え、、、」
その手は、伯の手首を掴み、引き寄せる。
「俺を、選べよ」
ブンッ・・・
風を切る音。
傍らに立つ蒼奘に向かい、鬼を屠るその腕を一閃。
「つっ、、、ッ」
呻いたのは、
「いい加減にしろっ」
燕倪の手によって、手首を捻り上げられた悠霧、当人であった。
「喧嘩売りに来たのか?!」
「離せよっ、冗談じゃないか」
大人をどうとも思わぬ、不敵な笑みに、
「冗談にしちゃ、殺気があったぞ」
さすがの燕倪も、声を荒げた。
「いてててっ、やめろよっ、馬鹿力ッ」
「燕倪、よさないか。子供相手に、、、」
見かねた、蒼奘の声。
だが、と食い下がる燕倪に、
「私は、構わんよ、、、」
「しかしだなぁ」
「伯、、、」
蒼奘に名を呼ばれ、悠霧に腕を摑まれたまま、身動き取れぬ伯が、
「ぁうう、、、」
上目遣いで、呻いた。
「この際だ。しばらく、悠霧と共に行ってみるか、、、?」
「、、、、、」
さすがにあんぐりと口を開けたまま、言葉を失ってしまった伯に、
「おい、蒼奘。お前なあ、いつか言ってやろうかと思っていたが、、、」
黙って聞いていた燕倪が、握った拳を振るわせた。
「伯の気持ちもちったぁ考えた事、あんのか?!」
しばしあって、
「、、、いや」
いつもの酷薄な笑みを浮かべたまま、蒼奘は言った。
「お前っ」
その襟首に伸びた手を、
「エンゲ」
伯の手が、止めていた。
「伯、だいたいな、お前も嫌なら嫌だとはっきり言ってやれよ。そんなんで、今までろくな事なかっただろうが?」
「、、、、、」
こくり、、、
頷いた。
「なら、、、」
それでも、その手は離れなかった。
しばしあって、
「オレ、行く、、、」
「ああ?!」
「ユーギリ、、、と」
伯が、悠霧の顔を見つめた。
悠霧の顔に、笑みが広がった。
「ま、マジか?!」
「ん、、、」
伯が頷けば、
「おおっ」
悠霧がその身を抱きしめた。
「あ、ぐぐぅ、、、」
「じゃ、行こうゼっ!!」
「んぁあ、、、」
燕倪の手を振り払い、伯の手を引いて駆け出してゆく。
その手に引かれるまま、伯が木立の向こうに消えて行くのを見送って、
「お前が、あんな事言うからだぞ」
腕組みしつつ、燕倪が低く言った。
「いつもの事じゃないか、、、」
怜悧すらある、いつもの闇色の一瞥に、
「帰る」
燕倪もまた、木立へと歩き出した。
「あ、、、燕倪様」
阿四屋にいつもの酒盛りのため、火鉢を運んでいた琲瑠が、その背を追いかけていった。
毛氈を手に現れた、汪果は辺りを見回し、
「、、、、、」
いつの間にか書院に戻り、筆を動かしている、主の姿を見つけ、その元へ。
「あの、、、一体、どうなされたのですか?」
「どう、とは、、、?」
古い暦を書き起こしながら、顔も上げずに言った。
「あ、、、」
いったん口を閉ざした汪果だったが、
「いえ、なんでもございません」
そのまま、書院を後にした。
頬を撫でる風が、刺すように冷たい。
汪果は、二の腕の辺りを擦った。
振り返った先に、暮れゆく空を映す大池。
そこに浮かぶ、書院。
そろそろ、行灯に灯りを灯して回さねばならない刻限が迫っている。
「、、、、、」
見回せば、どこか閑散とした、屋敷の内。
冬の訪れも近い、寒気に滲むのは、
― 以前のお屋敷に、戻ってしまったような、、、 ―
かつての静けさを、少し寂しく感じる、汪果の溜息。
「まったく、あいつ、、、」
― 何考えてやがるっ ―
思い出せば思い出す程、腹が立ってくる。
肩を怒らせ往来を行けば、人々は道を開け、訝しげな眼差しでこちらを見つめている。
その傍には、
「すみませぬ、、、」
琲瑠が、なんとも言えぬ表情で、項垂れていた。
「お前が謝るなよ、琲瑠」
「自分でも、なんとも不甲斐無い従者だと思っているのです。先の一件でも、嗚呼、、、」
「お、落ち込むな。こんな往来で、、、」
薄い肩を叩けば、深い溜息が吐き出された。
蒼奘の申し出そのまま、伯を送り出してしまった事に、少なからず落ち込んでいるようだ。
「あの方の事、何かお考えがあるとは思うのですが、、、」
「ああ。そうか、、、」
今、気づいたとばかりに、燕倪は琲瑠を見つめた。
「魍魎屋敷の一件では、示し合わせていたんだろう?今回は、何も聞いていないのか?」
「まさか。燕倪様が、件の男童をお連れするなど、さしもの主様も夢にも思わぬでしょう」
「あ」
― なんだ。結局、俺のせい、てかっ、、、 ―
今度は燕倪が、項垂れた。
木枯しが、所々の辻で巻き上がっては、道行く人々は背を丸め、先を急ぐ。
阿智川に掛かった、石橋。
恵堂橋。
首の長い青鷺が数羽、どこからともなく落葉流れる水面を、見つめている。
琲瑠の見送りも、ここまでだ。
「厄介になっている屋敷は、陰陽頭の屋敷の近く、大納言は曽野叢殿の別邸、その裏手だそうだ。芳蘇家っていやあ、先々代の御世じゃ、参議を勤めた家柄だ。後で、行くんだろ?」
「はい。お屋敷の方々も困惑されるでしょうから、主様のお許しを頂いた後、その御名でご挨拶に。お酒やお召し物も届けねばなりませんし、、、」
「相変わらず、だな」
「若君にお仕えすることこそ、わたしの喜びですから、、、」
微笑んだ琲瑠であったが、すぐに翳を落として、
「主様のお言いつけ通り、翡翠輪はちゃんと身につけられているでしょうが、よりによって、宮中に出入りされるとなると、、、」
「まぁ、陰陽寮にゃ銀仁もいるんだ。しばらく様子を見るとしよう。何かあれば、俺も力になるから」
珍しい燕倪の放任的な、その物言い。
「、、、はぁ」
琲瑠は煮えきらぬまま、頷くことしかできなかった。
陰陽師や修業生らが詰める、社殿の一画。
棚から溢れんばかりの書物は所狭しと、床に山積みにされ、地方から送られてくる卜占の結果や気象の変化、報告された怪異などを纏めた月報らが、文机の上を覆っている。
皆、一様に書面と向かい合っている中、
「おいっ」
「、、、、、」
朝陽が眩しく差し込む始業時より、どたどたと不釣合で忙しない足音が、ずっと続いている。
「待てよっ」
「、、、、、」
うんざりした様子の伯を、悠霧が追い掛け回しているのだ。
どうも、昨夜から屋敷でもこの調子だったらしく、
― 離れの手入れが終っているといいが、、、 ―
稀水は額を揉みながら筆を走らせ、
「いつからここは託児所になったのだ、、、」
「お、陰陽頭っ」
その声に、顔を跳ね上げた。
定例会の招集に応じ、大内裏に出向いていた天羽充慶と、彼に付き従うのは、
「まったく、落ち着きの無い、、、」
虎精の銀仁。
「これには、その、、、」
なんと説明したらいいのかと戸惑う稀水を他所に、
「いぃんじん」
伯が、銀仁の背に逃げ込んだ。
黒瞳深いこの童には、見覚えがあった。
翡翠の連珠を首に掛けた伯に、充慶も、
「何故、都守のところの神霊が増えている、、、?」
訝しげに、眉を寄せた。
眼を眇める充慶の前に、
「おじさん」
歩み出たのは、悠霧。
「俺、こいつと組む事にしたんだ」
「組む、、、?」
思わず首を傾げた、銀仁の眼差しの先で、
「ああ。俺とこいつが組めば、都中の鬼が束になってかかってきても敵わねぇよ」
悠霧は、どこか得意げに唇の端を吊り上げた。
「ふむ、、、」
一方充慶は、銀仁の背に隠れたままの伯を一瞥し、
「神霊の気性を、お前はもう少し学ばねばなるまいよ」
「なんだよ、それ、、、?」
悠霧の頭に手を置くと、そのまま何も言わずに、書斎に向かい歩き去った。
取り残された銀仁は、背中にしがみつかれたまま、かける言葉を探していたが、
「来い」
「、、、、、」
そのまま伯を小脇に、渡り廊下へ。
「お、おいっ!!そいつをどうするんだっ?!俺んのだぞっ」
悠霧の喚き声に応じるは、
「皆の職務に差し支える故、しばらく預かろう」
有無を言わせぬ、銀仁の低い声音。
さしもの悠霧も、虎精の獰猛な眼光に射抜かれれば、
「ぐっ」
気迫にたじろいでしまった。
「稀水殿、宮中の見回りは?」
「あ、い、行きましょうっ」
稀水は、その場から逃げ出すように銀仁の広い背に、続いたのだった。
式部省の社殿。
人の出入りが多い美福門を右手に見ながら、銀仁は後ろにつき従っている伯に向き合った。
「いったい、何がどうしたんだ?」
気遣う銀仁を他所に、
「、、、、、」
伯は、いつものだんまりの構え。
その様子に、鼻から息を吐いた、銀仁。
「それが昨日、左近衛府の少将が、都守のお屋敷に悠霧をお連れになったのですが、、、」
宵の口に、ちゃんと戻ってきたと思ったら二人になっていた、と稀水が肩を竦めて語った。
「燕倪が、、、」
いったいどう言う事なのだろう。
珍妙極まりない修業生が二人になったと言う事は、神経の細い稀水にはとってはさぞ荷が重い事だろう。
しかもその一人は、陰陽頭の長男が送って寄越した者。
もう一人は、都守のところの式神だと言うではないか。
ただでさえ顔色が悪い稀水が、今日は一段と青白く、脆弱に見えてならなかった。
そこへ、
「むっ、、、」
同僚らと門を潜って通りがかったのが、
「燕倪っ」
「ん、、、?」
束帯姿の備堂燕倪、その人。
「義徳、直友、先に行ってくれ」
ひらひらと手を振ると、こちらに向かってずんずんと歩いてきた。
銀仁の前にいる伯を見て、
「さっそく問題を起こしたのか?」
事情を知る燕倪は、つい小声になった。
「大した事ではないが、陰陽頭も困惑しておいでだ。いったい、どうして悠霧の元に伯が、、、?」
「まぁ、なんと言うのか、、、」
伯を盗み見れば、朱鷺色の唇を引き結び、足元を列を成して行く蟻を、小枝で弄っている。
「年頃も近いし、友になればよし。なれねばそれまで、と言うのか、、、」
「?」
「好きにやらしておけよ。ガキ同士の付き合いに、俺達がとやかく口を出していい年でもないしな」
珍しく放任的な態度で背を向けた。
その広い背中に、
「燕倪」
呼びかけたところで、片手を挙げて応じたきり、さっさと、同僚を追って歩み去ってしまった。
「ますます分からんな」
「本当に、、、」
「燕倪のあの口ぶり。大方、都守のいつもの気紛れに苛立っての事だろうが、、、」
「、、、、、」
ふと、視線を落とせば、銀仁を漆黒の眸が見上げていた。
その通りだと言いたげな眼差しを、
「退屈するよりは、こうして屋敷の外に在ると言うだけ、マシと言うものか?」
琥珀色の眸が見つめ返す。
しばしあって、
「、、、、、」
こくり、、、
頷くと、伯は歩き始めた。
一人、陰陽寮の社殿へと向かうその華奢な背中を見送って、
「あのきかん坊の手綱を取れるのは、案外、、、」
銀仁は、ひとりごちた。
「早い所なんとかして欲しいものです。当屋敷でも、ずっと、あの調子でして。御簾は外すは、花器は割るわで、それでも終始、野放図にしておくしかないんですから、、、」
今日もまた、騒がしくて眠れぬ夜が来ると思えば、頭痛に胃痛が入り混じる稀水の悲痛な溜息である。
頭上から、影が落ちてきた。
見上げれば、長い髪がはたはたと硬い頬を打った。
遥か高みより降り注ぐ陽光の中から、白い輝きがその双翼に、風を従えていた。
猛禽類の中でも、両翼を広げれば大の大人の背丈にもなろう、王鳥。
力強い羽ばたきに続き、鋭い鉤爪をちらつかせると、空の高みより舞い降りる。
「どうしたんだい、阜嵯弥?」
鬼面の男は、肩に掛けていた長衣を二の腕に絡ませると、慣れた様子で白き大鷹を迎えた。
グッ、グググ・・・
獲物の肉を引き裂く嘴で、指を甘咬みしながら喉を鳴らし、くるくるとよく動く虎目石の如き眸で見つめてくる。
そのまま頭を掌に押し当てれば、男は心得て、すべらかな羽毛を撫でやった。
「ああ、そうか。お前、寂しいんだね」
子を諭すような、穏やかな口調でもって、男は大鷹に言い聞かせる。
「でもね、これはきっと必要な事なんだ」
クッ・・・クククク・・
首を傾げる、大鷹。
その口に、懐から取り出したのは、干した猪肉。
啄ばませながら、
「おれと居たら、人の中には戻れないかもしれない、、、」
高い空を、見上げた。
千切れ雲が、幾つも流れてゆく。
前方彼方に見えるのは、白い細波を刻む、暗黒の大海原。
どこまでも続く無人の原は、薄っすらと雪で覆われはじめていた。
北の果てでは、雪が早い。
腕を跳ね上げれば、天高く舞い上がる、大鷹。
高い太陽の光が差し込むその双眸は、深い紅。
「さぁ、行こう。古の御陵は、もうすぐそこだ」
菅笠を、目深に被り直せば、強い風が巻いて衣の袖を巻き上げた。
風花舞う一面の草原が、からからと音をたてる。
それは赤子だけではなく、鬼や死者をも慰める風車の音に、よく似ていた、、、
弓を思わせる月が、掛かっている。
大気が澄んで一段と冴え冴えと、しかしどこか頼りないその月明かりに、行灯の優しい橙色が、滲んでいた。
ここ数日で、俄かに冷え込み始め、火桶や温石を運ぶ者達の衣擦れの音が、耳を澄ませば微かに聞こえてくる。
池を挟んだ、ここは、芳蘇稀水の屋敷。
その母屋の対岸にある、瀟洒な離れである。
かつて栄華を極めた名家、芳蘇家だけあって、手入れの行き届いた竹林に抱かれており、帝都の喧騒も、ここでは遠い。
数日程前、予期せぬ来賓を迎え、その離れを解放したのは、他でもない。
陰陽頭の命に続き、都守の名が、決め手となった。
「若君、翡翠輪はなるべく、人目につかぬように、、、」
「、、、、、」
これから本格的な冬を迎えると言うのに、ふっくらと薄紅色に膨らんだ蕾。
寒気を受けてなお、つやつやと、深緑の葉。
寒椿。
その葉に結ばれた夜露と、頼りなげな水面に映る湖月を肴に、縁側で杯を手にしていた伯は、なみなみと注がれたばかりの杯を、一息に干した。
心得たもので、傍らに影のように控える従者に渡すと、寝衣の胸元を寛げる。
翡翠の勾玉と瑠璃硝子が触れ合い、澄んだ音を立てながら、薄い胸元へと滑り込んでいった。
「お体の具合は、どうですか?」
穏やかな声音の主は、他でもない。
ここ数日、雨だろうが、風の強い日だろうが、欠かさず訪れる琲瑠である。
その甲斐あってか、稀水の心労も半分に減った。
と言うのも、朝晩、必ずこの屋敷を訪れては家主らが恐縮するほど卒無く、二人分の世話を焼いているのだ。
湯浴みから着替え、夕餉の給仕に褥の準備。
さらには、今日は時間が余ったせいか、薪割りから、屋根の修繕、植木の手入れも済ませている。
「、、、、、」
漆黒の眸が、琲瑠を見つめた。
相変わらず無口な、伯。
― 、、、、、 ―
思念ですら何も発さず、ただ黙って、水面を眺めた。
幾筋もの鯉の背鰭だけが、水面に波紋を刻んでは、暗い水の深みへと消えてゆく。
「大分、良いはずだぜ。おっさん」
二人の調度頭上から、声は掛かった。
琲瑠が見上げれば、三白眼が印象的な少年の顔が覗いた。
屋根の上、夕餉はとうに済ませたはずだと言うのに、伯の御相伴に預かっていた悠霧だ。
「あなたも、聞こえるのですか、、、?」
琲瑠の細い眸が、さらに細くなり、さも不思議と言いたげに、少年の顔を見つめた。
「ん、ああ。でもきっと、こいつより、ずっと小さい音だけどな。よっとっ、、、」
空のお重を腕に抱いて、悠霧が猿の如く縁側に降り立つ。
「箒星の放つこの音は、嘆きか、それとも福音か、、、」
「嘆き、福音、、、ですか?」
悠霧の言葉に思わず面食らって、琲瑠は顎先にほっそりとした指をあてたまま、小首を傾げた。
「実敦様が、いつか言ってたんだ。箒星が落ちる時、それは自身も消滅する時。でも、中には、終末を告げる福音ともなるって、、、」
「終末を、告げる、、、」
琲瑠は、細い眼を更に眇めて、夜空を眺めた。
何の変化もない見慣れた夜空が、そのまま広がっている。
「箒星がここに落ちてきたら、俺達も死んじまうし、箒星だって砕けちまう」
「それは、、、そうですねぇ」
「中には、それが星命?って言うのか、、、神霊ってゆーのは、本来目的があって、そのために生まれ、生きているんだろう?」
「お詳しいのですね、悠霧様は、、、」
穏やかな眼差しで見つめられれば、悠霧は得意気に、
「ま、な。俺の師匠は誰よりも、すげぇんだから」
にっ、と唇を釣り上げた。
「箒星が、今を謳う賛歌とも言うし、旅を終える【いつか】を嘆いて啼くとも言うし、真相なんて、星じゃねぇと分かんないけど、、、」
悠霧は、伯を見つめた。
伯は、湖面を眺めたままだ。
その横顔を見つめたまま、
「俺達は、【かなしうた】って呼んでんだ」
「哀しいうた、ですか、、、」
「ああ。だって、、、」
悠霧は、ぽつりと、呟く。
「なんだが、ひどく寂しい音だろ?」
「寂しい、、、」
また、遠く星が、流れた。
琲瑠の視線の先、
「、、、、、」
柱に背を預けるように足を投げ出している伯の肩も、小さく揺れた。
「残念ながら、幾ら耳を澄ませても、わたしには何も。顕現して、まだ日が浅いものですから、、、」
苦笑した琲瑠に悠霧は、どこか寂しそうに、
「大昔は、みんなちゃんと聞こえていたのに、夜を畏れて眠るようになってから、気づかなくなっちまったんだって、、、」
そう、言った。
かつて、夜通し空と語り合う、そんな風習が当たり前のように存在していた頃が、あったのかもしれない。
人々は星の声を聞き、鬼を見、祖先と語り、大いなる流れの導きを感じながら、今よりもずっと親密に、互いに関わりながら生きていた時代だろう。
「、、、、、」
もし、その頃に生まれていたら・・・?
夜空を睨む悠霧の横顔を、
「、、、、、」
困ったような、泣きそうな、そんななんとも言えぬ顔で、琲瑠は見つめた。
「ん、、、?」
しばしおいて、その人の視線に気がついた、悠霧。
「ほいよ。美味かった」
「あ、、、おっと」
舐めたのか、と思えるくらいきれいに平らげられたお重を、投げ渡す。
ぐっと一つ、大きく伸びをすると、
「あぁふっ」
あくびまで、出た。
琲瑠は空になった瓶子や、手がつけられぬままの山海の肴を詰め込まれた伯のお重を、
「悠霧様も、眠れていますか?」
片付け始めた。
「ん、まぁ、最近はな。【かなしうた】が賑やかだった盛りも、過ぎたみてぇだ。伯は、気がつくと昼でも夜でもしょっちゅう寝てやがるし、、、」
炯々とよく光る、鳶色の三白眼。
視線の先、伯が犬歯を覗かせ、
「はぁわ、、、ぅ」
釣られてあくびをしているところだった。
「何よりです。それでは、わたしはこれで、、、」
深々と一礼すると、縮緬の大きな包みを手に琲瑠は離れを後にし、母屋の方へ。
月明かりの中、庭を渡り、退出の挨拶に遠ざかる琲瑠の、後姿。
「、、、、、」
痩せぎすなその背中を漆黒の眸が茫洋と眺め、そのまま崩れるように床に伏すと、瞼を閉じてしまった。
傍らに腰を下ろした悠霧は、長く床に流れた黒髪を手にとって、
「おい」
軽く、引っ張った。
「、、、、、」
うんともすんとも言わぬ、伯。
耳を澄ませば、小さな寝息が聞こえてきた。
「、、、なんだ、もう寝てんのか?」
目付役も消え、また今日も出掛けようかと思っていたのだが、
「、、、、、」
悠霧は一人、奥の間へと消え、すぐに戻ってきた。
その手には、誰かが忘れていったのか、艶やかな朱華色の打衣。
伯と背中合わせに横になると、悠霧はその体にも打衣を掛け、無人となった庭先を眺めた。
椿の葉の上に結ばれた夜露が煌いて、宙を滑ると、苔むした大地に当たって、砕けた。
さわさわと、夜風に遠く、竹の葉が擦れる乾いた音。
寝ぼけた鯉が水面を咬む、水音。
やがて訪れる冬に、命尽きるその前にと懸命に謳う、虫達の羽音。
悠霧の睫毛が、ふるふると、揺れた。
音も無く渡る薄雲が、北東は峻険な山々のその連なりの向こうへと消える頃。
規則正しい二つの寝息が、聞こえている、、、
深更。
枝を広げ、大地深くに根を張った、千年杉。
見上げれば山の如き巨木が、身を寄せ合うようにして軒を連ねる帝都の今を、見守っている。
風も穏やかな、静謐に満ちた夜であった。
湿気を含んだ夜気を吸って、絹で紡がれた薄衣が重く肌に纏わりつく。
豊かな金色の髪を踝まで垂らし、腕を組む姿が、その頂にあった。
ふっくらとした丹の色の唇の端を微かに釣り上げ、その眸は、閉じられたまま。
蝋のように白い肌、その細い顎先が、上向いている。
大きく広がった獣の耳。
それが小さく動いて、程なく、
「こちらにお出ででしたか、、、」
長い睫毛が、ふるりと揺れた。
紺碧の濡れた眸、
「さすがに、鼻が利く、、、」
虹色の領布を腕に絡め直し見下ろせば、腰の辺りで九尾が揺れた。
すぐ下の梢に、隻眼の白き大狗が、銀恢の眸で見上げていた。
「そろそろ、お屋敷にお戻り頂けませんか、地仙。野狐達が案じております」
その眼差しもなんのその、
「お前もここに上がって、耳を澄ませたらどうだぇ?」
天狐遙絃である。
その傍らへ、一息に舞い上がれば、背に遙絃が寝そべった。
太い首に腕を回し、漆黒に染められた鋭い爪でもって喉元の柔毛の感触を愉しみながら、
「彼の流星から放たれる、不可視の素粒子。彼らがこの星を通過するのは、百余年振り、、、」
「その年月を、懐かしく感じておられるのですか?」
胡露の問いを、鼻で一蹴。
「ここに来る前までは、な。だが、実際どうだ。ここに立ち、改めて見渡し、この胸中を占めたものは、その反対さ、、、」
そう一人ごちて、顔を埋めた。
甘さの無い、琥珀の香り。
「忙しなくも節操のない、人の世の有様。川はその流れを変え、大地は穢れ、大気は曇る。私がここに降り立った頃は、見渡す限り黄金の原が広がり、銀の大蛇の如き大河が、大きくうねりながら大地に融けていた。それをまあ、随分と好き勝手に、、、」
「それも愛おしいと、おっしゃっていたのは、、、?」
前肢の上に顎を乗せ、どこか呆れたような、その声音に、
「、、、相変わらず、可愛げのない奴だな」
水を差される形となった遙絃が、唇を尖らせた。
全てが、深い濃紺に塗りつぶされ、墨色の凹凸が描く、夜都。
遠く、野犬の遠吠えが聞こえれば、どこかで驚いた鳥達が、塒から飛び立っていった。
「やはりわたしには、喧しくて、いけませぬ」
「刹那を奏でる、この世に二つと無いものだ。そう邪険にするものでない」
長い爪先が、彼方で響いた音に合わせ、大狗の肌を打つ。
「この星の万物が、其に奏でられるための楽器のようなものだとしたら、、、そう、考えた事は無いか、胡露?」
「そのためだけ、とおっしゃるのでしたら、想像したくもありません」
終始穏やかな胡露の声音に、珍しく憤りのようなものが交じった。
装ってはいても、気位の高いこの男をよく知る遙絃は、
「私も年を食ったか。感傷的になったものだ、、、」
宥めるように、頬を寄せる。
今にも消えて無くなりそうな細い月が、雲間に隠れる様を、紺碧の眸で捉えながら、
「前回は、陽光に守られていたが、この分では、今回は明日の夜半になろう」
「朔、ですか、、、」
「ああ。月は眠り、流星らが祓い清めを終えた道を、いよいよ、その王が渡る、、、」
「王、、、」
「だが、それも遥か彼方の出来事だ。何も起らぬとは思う、がな、、、」
その背に座り直した。
心得たもので、大狗は立ち上がり、
「都守のお屋敷に、寄られますか?」
「水氣に火氣、挙句に冥府の匂いが入り混じる節操の無い屋敷になんぞ、足を踏み入れられるか、、、」
「左様で。では、、、」
町並みを遥か眼下に、跳躍。
風に長い髪を巻き上げられながら遙絃は、
「この都が奏でる音色、なかなかのものだったぞ、、、」
見る見る遠ざかる千年杉の頂を見つめ、誰に言うでも無く、呟いたのだった。
後宮、蓮華舎。
夜の帳に抱かれ、ひっそりと静まり返った社殿に、微かな衣擦れの音がする。
「、、、、、」
背に弓を負い、大太刀を提げたのは、緋色の戦袍を纏い、豊かな黒髪を首の後ろで束ねた右近衛府中将、天部清親。
後宮の見回りを兼ねてだったのだが、
「む、、、」
その鋭い褐色の眸が、闇の中、予期せぬ人影を捕らえた。
庭先に、白い花をつけた小振りな椿、詫助の木の下。
大太刀に手を掛け、足音を忍ばせて近づけば、
「鳳祥院?」
「わっ、、、」
人影が、びくりと肩を震わせた。
「お、脅かさないでよ。清親」
「御上。恐れながら、このような時分に、いったい何をなさっておいでです?」
跪く友に、よしてくれ、と手を振れば、深い溜息と共に、清親が立ち上がる。
声を潜めて、
「休めないのか?」
そう問えば、相手は子供のように肩を竦めてみせた。
「いやね、こうして自由にできる時間がないだろう?ここの女御達は皆、聞き分けが良くてね。その好意に甘えて、何も考えず夜空を眺め、花を愛でていたところさ」
終始、傅かれる身だ。
物心ついた頃より、緑豊かな仙洞暮らしが長かったせいもあって、こうして草花に触れる時間は、何より心が安らぐ時間なのかもしれない。
清親は、肩から長く掛けていた銀狼の毛皮を、階に腰を下ろしたその人の肩に掛けてやった。
「あ、わたしは平気だよ。寒くないから」
「いいから」
清親のすっかり骨ばった手が、その肩を押えた。
「御身に障りでもしたら、蓮華舎の女御達の面目、丸つぶれだぞ」
「それも、そうか、、、」
手の下で身じろいだその肩は、以前に比べると成長期を迎えた青年のものであったが、変わらず肉が薄かった。
背もすらりと伸びて、
― 皆に、追い抜かれてしまったな ―
けして背が低い方ではないのだが、それがなんだか少し寂しく、思えた。
傍らに在る女丈夫の、そんな胸中など露知らず、
「本当はわたしがあなたにしてあげなくてはいけないのに。自分の気の回らなさに、嫌気がさすよ」
「気にするな。勤務中だ。それに私は、お前と違って風邪などひかん」
「右の鬼中将には、かなわないね」
鳳祥院は、自分の隣りに座るように、叩いた。
首を振る、清親。
その袖を掴んで、
「清親」
鳳祥院が見つめてくる。
穏やかな眼差しの奥に、強い星の輝きを宿す、眸。
胸中に湧いた細波など、その眼差しの前にあっては、
「ね?」
「、、、、、」
すっかり凪いでしまう。
幼馴染なら、誰でも知っていることだ。
辺りに誰もいない事を確認して、清親は渋々腰を下ろした。
夜風が肺腑に冷たく、体にしみ込んでゆく。
凛と、それでいて甘く鼻腔を擽るのは、闇の中、可憐に揺れるあの詫助だろう。
夜風に揺れる、その白き花。
移ろう日々の中、草花に眼を止めたのは、いったいどれくらいぶりだろう?
「、、、、、」
それまで夜空を眺めていた鳳祥院は、清親の顔を眺めている。
平素はそこに居るだけで張詰める空気が、今はない。
童女が見せるような、清親の無防備な、その横顔。
鳳祥院の腕が、そっとその肩に回った。
「む、、、」
身じろいで、互いの肩が触れ合った。
すぐに離れた、手。
左肩を見れば、銀狼の尾が肩に長く、流れていた。
振り向けば、すぐ鼻先で、
「このほうが、暖かい。いいだろ?じきに褥に戻るから、、、」
鳳祥院が、子供のように笑って言った。
「まったく、、、」
呆れたように額を揉んだが、それっきりだった。
声を掛ければ、穏やかなこの時間も、去ってしまうような、、、
そんな、気がした。
「、、、、、」
「、、、、、」
ぽつぽつと星が流れ、細い雲が行く先を、無言で二人の眸が、追う。
けして交わる事の無い、互いの道。
触れ合ったままの、肩。
布地越しに伝わるその体温だけが、今を共に生きる者の証。
チョ・・・チョッ・・・
どこかで、夜鷹が啼いている。
夜は長く、暁は、まだ遠い。
この話で、
「あぁぁ(* ´Д゜*)??!天女って、まさか、、、」
伝わると、書き手は少し、嬉しかったり。。。(´*-ω-*`)
本編はあくまでファンタジーだが、実際、自身の経験に基づいて書いております。ほんの少しの霊感と第六感で、ね。。。
もっとも、お稲荷系とは、正直反りが合わないのだけれども。。。