第拾ノ壱幕前 ― 星詞 ―
怪異が報告された辻で出逢った少年、悠霧。その爪は、鬼を祓うと言う、、、、
死人還りの都守蒼奘、業丸を継ぐ武官燕倪、幽身であるがこの世に縛られた伯。それぞれが紡ぐ異国絵巻、第十一幕前編。。。
風も澱む闇の中、
「、、、、、」
朽ちた土壁を弄る凍てついた風の中に、ある気配が佇んだ。
重い、瞼。
気力でもって、抉じ開けた。
「、、、、、」
落ち窪んだ眼窩の奥。
虚ろなその瞳はかつて、見えざる者達をも捉える事が出来ると重宝がられ、そして、疎まれ、怖れられた。
闇の中にいても、うっすらと金色に視える、光。
それが、生ける者が平等に纏う光であることを、彼は知っている。
闇の中に在ってなお、
「、、、、、」
炯々と光る、眸。
その眸は、雪深い原を渡り訪れた、その光が、土壁に触れるのを、見た。
こちらに、伝わるはずなど無いのに。
こちらが、見えるはずなど無いのに。
怒りも憎しみも、悲しみすら削ぎ落とされた心には、
触れたい
ただそれだけが、全てを占めた。
骨ばった腕を、間接のひとつひとつを、懸命に伸ばした。
枯れ木のような膝、動けと念じた。
襤褸を纏っただけの体は、壁に縋るようにして手を伸ばし、けれど後もう少しのところで、届かない。
長い間、曲げたままの足の骨は軋み、紫がかって腫れ、凍傷にかかっているのか、もうなんの感覚も無い。
触れたい
ほんの少しの高みにある輝きが、遥か彼方にも思えた。
土壁の向こう。
金色の人型が、身じろいだ。
土壁に触れていた手が、輝きが、儚い夢であったかのように急速に色を失い、ただの朽ちた闇へと姿を変えた。
「、、、、、」
行き場も無く、伸ばしたままの手。
縋ったままの、体。
触れたい
かさついた唇が土壁に触れ、額が摺れて嫌な音がした。
突き立てた爪が折れ、鈍い痛みとなって手首へと走った時、
「、、、、、」
その眸は、
触れたい
そう願った輝きを、ぬくもりを、見る、、、
朽ちた土壁から差し込む光は、最初はいつか見た星々のように小さな光だったが、すぐにまあるい拳大の穴となった。
鼠くらいなら、這いでてこれようその穴から、そろりと手が生えた。
土壁に生えた手は、浅黒く骨ばっていたが、その下に居る者を気遣ってか、ほろほろと土蔵の外側へ向かって崩し始めた。
「、、、、、」
差し込む光が、瞳孔鋭い眸の奥を、穿つ。
眩く、冴えた世界。
ようやく捉えた、その光。
逃れてしまわないように、瞬きを、忘れた。
「、、、、、」
五感全てが、目だけになったような、、、
そんな錯覚さえ、覚えた。
程なくして、子供一人が通れそうな穴となると、白銀の世界が広がるその中に、一人の男がしゃがんでいた。
足元に伸びたその影には、一対の角。
木目が浮かんだ飴色の肌には、閉じられることなどない、裂けた口。
鋭い牙の羅列の上には高い鼻梁と、いつか見た寺の屏風絵にあった唐獅子。
その鬣にも似た、金色の髪の中に沈むのは、アカクレナイの眸であった。
「かくれんぼは得意でね」
鬼面の男が差し伸べる、手。
褐色の肌を持つ手は、鬼面とは対照的にすらりと指が長く、ひどく綺麗な手であった。
「、、、、、」
迷いは、無かった。
誰とも知らぬその手に、手を重ねれば、力強く引き出された。
「あッ、、、」
全身を突き刺すような、外界の眩さと、凍てつく大気。
堪らず眼を閉じたその身に、肩に掛けていた衣を掛けると、
「雪の照り返しは、その眼に障る。そのまま、眼を閉じておおき」
男は枯れ枝のようなその体を、背に負ぶった。
頭上高く、大きな鳥が翼を広げる音が、響いた。
力強い羽ばたきに混じって、
「さあ、逃げるぞ」
どこか愉しげな声音を、聞いた。
腕の下にある、人の背の温もり。
「、、、、、」
世界のすべてがそこにある気が、した、、、
※
「ぬんっ!!」
闇の中、銀の一閃。
続いて、
「右」
「おおっ」
ヒュッ・・・
風を切る短い音を立てて、太刀が振られた。
「、、、、、」
「最後だったのか?」
指示が無くなり、後ろを振り向けば、銀糸の髪を流した蒼奘が、築地塀に背を預けてうっそりと彼方を眺めていた。
「なんだ、、、?」
その視線の先。
酒を酌み交わしながら舞い踊る鬼影を、幾つも目撃したとの届けのあった辻にはっきりと、水干を纏った背中が、見えた。
「あれが親玉ってわけか、、、」
腕を捲くる燕倪の傍らを、
「どうやら片付がついたようだ、、、」
「あ?」
蒼奘が、通り過ぎていった。
その浅葱に染めた狩衣の裾を掴むのは、
「、、、、、」
伯。
その背に隠れて、辻の真ん中で佇む者へと近づく。
「俺にはさっぱりだな、、、」
ここしばらく、夜半に雨をもたらす雲が空を覆い、風が温かったせいもあって澱んだ大気が雑鬼を招き、結果、この辻に集まったらしい。
大したものではないとは聞いていたが、それを餌にする怨鬼が出てきては厄介だと、蒼奘の指示で業丸を振り回す事となった。
生来見鬼ではない燕倪には、漂い集まる脆弱な雑鬼らの姿を、捉えることは出来ない。そのせいか、いっそ死人還りのこの男に、
― さては、謀られたか? ―
と思える時もある。
ただ、空を斬るにしてはほんの少し手応えがあったような、、、?
それが、救いと言えば救いであったのだが、、、
一先ず業丸を鞘に納めると、燕倪もその背に続いた。
「うぅ、、、」
蒼奘の背中から顔を覗かせていた伯が、小さく呻いた。
歳の頃は、伯より少し上といったところであろうか?
栗色の髪を楮で束ねた、それは少年。
蒼奘は、その手に握られているものを見つめて、闇色の眼差しを顰めた。
「、、、あんだ、お前?」
手にしていたものを放り出し、少年が、顔を上げた。
炯々と良く光る、鳶色の三白眼。
「耶紫呂蒼奘と言う。この惨状、お前が一人で成したのか、、、」
放り投げられたのは紛れも無い。
この辻が喚んだ、雑鬼。
その、なれの果て。
黒々とした、胴体と思しき芋虫の如き体躯は、消滅への蠕動を繰り返している。
そうして力任せに引き千切られたと思われる雑鬼に、怨鬼の骸が、辺りに散乱しているのだ。
「へぇ、あんたも、視えるのか。こいつらが」
にっと笑うと、蠕動続けるその雑鬼を踏みしめた。
「都ってゆーからさ、どんな所だろうと思っていたが、この程度なら退屈しそうだな」
「おいおい、どうなってるんだ、蒼奘?」
見かねて尋ねれば、
「見鬼であれば、眉を顰めるような光景だ、、、」
白い溜息をついた。
「おじさん、なんでこんな無能な退魔士、連れてるの?」
「お、おじさんっ?!」
燕倪が濃い眉を跳ね上げた。
「あのなぁ、年長者にはもう少し口の利き方に、、、」
前に出た燕倪の脇を、
「あっ、、、」
旋風のように、擦り抜けた。
「なぁっ」
「っ、、、」
蒼奘の背に隠れた童を見つけ、少年が顔を近づける。
鳶色の眸と、漆黒の眸が交錯し、
「、、、、、」
じりじりと近づかれた伯が、蒼奘の長い袖の下に入り込む。
くん、、、
少年が、鼻を鳴らし、
「お前、いい匂いがするな。よっく視えねぇけど、、、」
じっと、その足元を眺めた。
眼を凝らせば、くろぐろとした巨影だけが、網膜に結ばれた。
「神霊か?」
「、、、、、」
伯は、蒼奘の衣に顔を押し付けて、何も言わない。
その髪を、大きな手が撫でた。
「私が世話をしているが、この通り。幼くてな、、、」
「ふぅん」
少年は、まじまじと伯を見つめた。
漆黒の眸が、片方だけ覗いて、少年の位置を確認する。
「おい、蒼奘。どうするんだ、この状態、、、」
「さて、、、」
蒼奘を挟んで、二人が対峙している。
「お前、、、」
ふいに、
「ちびすけだな」
「ッ」
「怒ったか?ははは、ちびにちびって言って、何が悪い」
「かぅうっ」
さすがに、犬歯を剥いた伯。
そのまま身を乗り出そうとしたところを、
「相手にするな、伯」
首根っこを掴んで、小脇に抱えた。
「伯って、ゆーのか、そいつ?」
「、、、なせっ、エンゲッ」
手足をばたつかせながら、牙を剥いた伯の鼻先で、
「俺は悠霧。宜しくな」
にやりと笑う、少年。
「じゃ、またな、ちびすけ」
「がぁああッ」
水干の袖を翻し、闇の中へと駆けていった。
それを見送って、
「なんだか知らんが、面倒なのが出てきたな、、、」
燕倪がしみじみと言い、
「ああ、、、」
蒼奘が、うっそりと応じた。
手柄を、攫われた形になった。
「しかし、凄まじいな。あの歳で視える、祓えるじゃ、確かに、俺なんて無能だな」
伯を下ろしてやると、燕倪は溜息。
「これから、こうして怪異がらみに出張って来るとなると、さすがの都守殿も肩身が狭くなるんじゃないのか?」
「そのようだな、、、」
袖に腕を差し入れたまま、蒼奘が歩き出す。
その背に、伯が攀じ登った。
「帰るのか?」
「ああ、、、」
闇の中へと歩み去る背中を見送って、燕倪が大きく伸びをした。
見上げた空には久々に覗いた満点の星空と、欠け始めた月が高く、中天で輝いている、、、
菅笠を目深に被っている、墨色の袈裟を纏った男。
脚絆に手甲、蓑、背に負った包みを見れば、旅の者か?
闇夜に彷徨い出でた、化生の如き様子で、ゆらり、ゆらりと無人の往来を行く。
時折、空を眺めれば、東の山稜の上。
月に掛かった、薄雲。
男の足は、自然、その方向へと歩いてゆく。
月光に照らされたその横顔は、柔和そのものの若者のものであったが、眸は閉じられていた。
白い無機質な、その貌。
面、であった。
上空で巻く風を捉え、弧を描きながら滑空するのは、大鷹。
闇が濃い、ひっそり閑と静まり返った大路を逸れれば、忙しない足音と共に、闇の中から水干を纏った少年、悠霧が抜け出してきた。
「都に入ったとたん、急に走りだして。怪我は無いだろうね?」
冷えたその頬に手をやれば、悠霧はぶんぶんと首を横に振って、
「あのね、雑鬼共を蹴散らしていたら、俺と同じくらいの年格好の式神が来たんだっ」
眼を輝かせ、男に語った。
男は、穏やかな口調で、
「そうか。ちゃんと挨拶できたかい?」
悠霧の肩を押し、歩き出した。
「うん。俺がほとんど祓っちゃって、そいつら後から来たんだけどさ。大きな武人と、白い髪の男が一緒だったよ」
「白い髪の、、、」
「それでね、そいつ、伯って言うんだって。凄く良い匂いがしたから、きっととんでもない神霊なんだろうけど、なんだかすっとぼけててっ」
くすくす笑う連れの話に耳を傾けながら、細い道を幾つも折れれば、小さな神社に出た。
石の鳥居を潜り、梟鳴く参道を行けばすぐに古びた社。
「ここは、無神。今日は、ここの軒先を借りるとしよう」
慣れたものでその扉を開けると、男は誰かが置いていったのか、片隅に積まれている筵を延べた。
「ねぇ、実敦様」
「なんだい?」
「本当に、お別れなの?」
― 都を街道から遠目に眺めていた時は、あんなにはしゃいでいたのに、、、 ―
男は、傍らに寝そべった悠霧の体に衣を掛け、そして蓑を掛ける。
「寒くはないか?」
「北の地に比べれば、こんなの暑いくらいだ」
男は、面の下で淡く微笑むと、眼を閉じた。
「お前の居場所、ここでなら見つかる、、、」
「、、、、、」
その言葉に、何か言いたげに口を開いたが、すぐに引き結んだ。
そして、黙って筵に頬を預けた。
「狭い都だ。その式神にも、そのうち見えることだろう」
切なさの反面、悠霧の胸中に渦巻く期待を見越しての、それは言葉であったか?
本当は、明けてなど欲しくない、明日であったはずなのに、、、
夜が更けるに伴って、
「、、、、、」
悠霧も、いつしか眠りに落ちてゆくのだった。
「眠れない、か、、、」
腹腔に響く、低い声音。
西の空に傾いた月も、雲の中。
大気も凍える初冬も近い言うのに、爪先で泉の水を掻いている。
その足の下。
琥珀、碧、橙、緋、藍、紫、無。
揺らめく水草に抱かれた大小色様々な砡らが、垣間見える。
ロン・・・ロロ・・ン・・・
滾々と湧き出す清水によってそれらが触れ合い、玲瓏と鳴るここは、屋敷の中庭。
石段に腰を下ろしている華奢な背中が、腕組みで見下ろしてくるその人を、
「、、、、、」
菫色の珠を結んだ眸で、恨めしげに睨んだ。
足の爪先から頭頂までを、何度も伯の視線が往復するので、
― 存外、根に持つ性格だな、、、 ―
どうやらすぐに、身の丈の事と気づいたらしい。
やがて、直接脳裏に流れ込む、それは声であり、思念。
― ソウ、、、 ―
やけに今日は胸の内が細波立ち、眠れないのだと言う。
遥か高みから降り注ぐ無数の何かが、体の中を通り過ぎ、耳を塞いだところで、わんわんと体内に響き渡っている、らしい。
そう説明している最中も、
「っ、、、」
何かに怯えたように身を震わせては、忌々しげに夜空を睨む。
「、、、そうか」
見上げた夜空に、銀糸の如く流れる、箒星。
雲が晴れ、山々から流れ込む寒気によって大気が澄み、今日は良く見える。
「無理も無い。我らは今、流星の群の中に在るのだから、、、」
「、、、、、」
夜空を見上げる、蒼奘の細い顎先。
その向こうで、また、一つ、
「りゅせ、、、」
星が、流れた。
「きら、ぃ」
ついに耐えかねたのか、嗚咽交じりの伯の呟きを受け、蒼奘は寝着の裾を払うと、その傍らに腰を下ろした。
伯の両耳を蒼奘の手が、塞いだ。
「、、、、、」
シャ・・ンッ・・・ジャッ・・・ギ・ィイ・・・ッ・・・
薄氷がひび割れるような、触れ合うような、そんな音が伝わってくる。
不安げに見上げてくる、大きな菫色の眸。
「お前が受け取っているものは、降り注ぐ星の詞。静かに澄んだ夜だ。幼神である今のお前が、それを拒絶できぬのも、無理は無い、、、、」
「、、、、、」
手を離せば、伯が、くすん、と鼻を啜った。
それを、情けなく感じているのかもしれない。
「伯。この地には煩わしく、もどかしい事の方が多かろう、、、」
蒼奘は、そっと水に触れている足を取った。
「、、、、、」
懐から絹布を取り出すと、その足を拭ってやりながら、
「だからこそ、得るものもあって欲しいと、私は思っている」
「、、、、、」
「生き急いでくれるな、、、」
それは、蒼奘の願であったろうか?
「、、、、、」
頷く事もせずに、伯は、その人を見つめた。
銀の星々が流れる、空の下。
立ち上がった蒼奘の袖を、
「ん、、、」
伯が、掴んだ。
頼りなく揺れる行灯の明かり、その先へ。
蒼奘は、伯を袖に、歩き出した。
ロン・・・ン・・・ロロ・・・
程なく訪れるだろう黎明を待って、無人の中庭に、砡が触れ合う音がする、、、
立ち込めた朝霧が晴れるのを待って、一台の牛車が屋敷を後にした。
ギシ・・・ギシ・・・ギシ・・・
往来に響く、歯車の音。
心地良い揺れに身を任せ、間近に迫った冬の訪れを予感させる、張詰めた大気を心地良く感じながら、静かに眼を閉じていた男は、
「む、、、」
力強い羽ばたきを、耳にした。
牛車が止まるのと、物見から外を窺うのが、同時。
「旦那様、男童が、その、、、突然、、、」
牛追い童子や供人の困惑した声音を他所に、その眸は、
「、、、、、」
羽ばたきの主をその腕に止めた男童を、捉えていた。
陰陽寮。
「充慶殿、お呼びでしょうか?」
その、一室。
陰陽頭に呼び出された銀仁は、衝立の向こうで膝をついた。
「ああ、入ってくれ」
「失礼致します」
簾は全て巻き上げられ、清々しい朝陽を取り込んだ角部屋には、所狭しと地方から届けられる書簡や卜占の結果、大陸の古い書物が積み上げられていた。
足の踏み場も無い、その執務室。
今日は既に、先客があった。
文に眼を通していた初老の男、天羽充慶は、
「そこに座りなさい」
向かいの板の間を、指差した。
「、、、、、」
腰を下ろしたところで、
「今日から、陰陽寮で預かる事になった、悠霧と言う」
「、、、、、」
見れば、水干を纏った少年がこちらを見て、にやついた。
「悠霧、銀仁だ」
「ああ、本当に大きな猫だな。仲良うしてくれ」
その言葉に、
「陰陽頭、、、」
どう言うことですか、とばかりに眉を寄せた、銀仁。
「東国の寺に預けられていたのだが、この通り天性の見鬼でな。多少荒削りではあるが、呪術も使う。末頼もしい若者だ」
充慶は、うんうんと頷く悠霧を穏やかな眼差しで眺めつつ、
「稀水の屋敷で面倒を見てもらうよう、手筈は整えてある」
「左様ですか、、、」
渡殿をこちらへと向かってくる足音を、聞いた。
「陰陽頭、稀水です」
澄んだ若者の声音に、
「ああ。今、悠霧をやるから、案内を頼む」
行きなさいと、眼で促せば、悠霧が跳ね上がった。
そのまま忙しない足音をさせ、衝立の向こうで待つ、若者の下へ。
「お前が、稀水か?よろしく頼むぞっ」
「あ、はぁ、、、」
「もう俺さぁ、こんな人がたくさんいるの久々でっ」
そのまま手を引かれ、逆に稀水が連れて行かれる形となった。
遠ざかって行く足音と、少年の声。
稀水の困惑した顔を思い浮かべていると、
「預けられていたとは、よく言ったものでな、、、」
充慶が、ようやく語りだした。
「その実、寺の土蔵に幽閉されていたようだ」
「幽閉、、、」
「まぁ、一年以上も前の事らしいが。これが、その旨の実敦から文だ」
平素、稀水と同じ刻限に宮中に上がる銀仁は知らなかったが、どうやら御所まであともう少しの道端で、実敦の白大鷹を腕に、この男童に呼び止められたらしい。
「実敦殿は、ご嫡男の、、、?」
「ああ、そうか。お前はまだ会うた事がないのだったな。あやつは地方を行脚し、怪異の根を探して廻っているのだが、気侭なその生活が気に入ったようで、帝都にはとんと寄り付かぬ、、、」
そんな倅を思い出したのか、ほとほと呆れはてている父の顔になった充慶であったが、
「とにかく、その実敦が悠霧を連れ出したと言うのだ。食事もろくに与えられぬまま、黴臭い土蔵に籠められ、ゆくゆくは次の飢饉の人柱か、、、」
「人柱なぞ、神霊が喜ぶものでは、、、」
「地方の集落では、未だ、忌まわしいその風習が、色濃く根付いているものなのだよ」
ふと、その眸に哀れみを浮かべた。
「寺の前に捨てられていた孤児のようでな。見鬼と分かった当初は、憑物落としなんぞをさせていたが、読経にも頼らね。寺にしてみたら、その一切が、次第に薄気味悪くなったのだろう」
骨と皮にも等しい悠霧を連れ出た実敦は、その体力の回復を待って、都に送ったのだと言う。
「幽閉されていても、あの性格。大したものだ」
ぼんやりと充慶の話を聞いていた銀仁は、
「末は、都守のようになるのでしょうか、、、」
ぽつりと言った。
読経でもなく、祝詞を捧げる訳でもない。
己が手足のように自然神霊を使役するかと思えば、神霊そのものの心を試し、揺さぶりもする。
何故か、あの不遜な都守の姿が脳裏に浮かんでいた。
清々しい朝陽の中、
「、、、なって欲しくはないな」
それを懸念するかのような充慶の溜息が、滲んだのであった。
宮中。
若い衛士らと話し込んでいた燕倪は、
「あ、あん時のおじさん」
聞き覚えのあるその声に、辺りを見回した。
「お前は、、、」
若い陰陽師、稀水に連れられているのは、紛れも無い昨夜の少年。
「ゆ、悠霧っ!!少将に、なんて事をっ!!嗚呼、申し訳ございませぬっ」
平謝りの稀水に、
「昨夜で懲りているというか、慣れていると言うか。気にするなよ。それより、この子は、、、?」
「はい。今日より陰陽寮で預かる事になりました、悠霧でございます。これよりしっかりと宮中での礼儀作法を叩き込みますので、どうぞご容赦くださいますよう」
「まぁ、これくらい元気があった方がいいさ。俺は気にしてないよ」
燕倪はにこりと笑って言った。
それを見ていた悠霧は、
「おじさん、偉い人だったのか、、、」
「ゆ、悠霧っ」
「ああ、いいいい。あのな、俺はただの武官だ。そんなことよりお前こそ、陰陽師になるのか?」
「なるわけないじゃん」
はっきりと言った。
ぎょっとした稀水を他所に、
「俺は、実敦様に言われてここに来たが、陰陽師になれとは言われてないからな」
「おお、実敦殿か。懐かしいな」
「知っているのか?」
悠霧が、眼を輝かせた。
燕倪は、鈍色の眸を眇め、
「ああ。飄々としておられるが、その実、弓の名手でな。都にいらっしゃった頃には、よくご指南を受けていたよ」
「本当?」
「阜嵯弥という、真っ白い大きな鷹を飼っておいでだろう?」
「うん。あいつ、狩が巧くてさ。秋のうちに丸々と肥えて、そのうち飛べなくなるんじゃないかっての」
笑いあうその二人を、稀水は不思議そうな顔で眺めていた。
「で、実敦殿は都に戻られているのか?」
「うん。でも、もういっちゃった。都は苦手なんだって、、、」
一瞬、哀しげな顔をした悠霧。
けれど、すぐに眸を炯々と光らせると、
「なぁ、それより、昨日のあのちびすけ。ここには、いないの?」
「あいつは、ここには出入りしてないからなぁ。いつも蒼奘にくっついてはいるが、ここにはまず来ない」
「そうじょう、って、あの白い髪の、、、」
「ああ。都守と、言ってな。まぁ、星読師やら陰陽師みたいなものだが、宮中での出仕よりも、昨日のように魍魎どもを相手にして回るのが仕事みたいなもんだから、、、」
「なぁんだ。それじゃあ、退屈だなぁ」
さもつまらなそうに、溜息をついた。
「悠霧、あまり少将をお引止めしてはいけませんから、、、」
やんわりと袖を引けば、
「お前、どこに住んでいるんだ?」
燕倪が、悠霧に問うた。
「この人の所」
夕霧は、傍らの稀水を指差した。
「あ、、、陰陽頭のお屋敷の近くにある、大納言様の別邸の裏手です」
「そこなら分かる。じゃ今度、連れて行ってやろう」
「本当に?」
「ああ。その代わり、、、」
燕倪が、悠霧の華奢な肩を叩いた。
「実敦殿のお言いつけを守って、しっかりお勤めしろよ」
「分かった」
仲間に呼ばれて左近衛府の社殿に向かうその背を、
― なんか、ちょっと実敦様に、、、 ―
悠霧は稀水に袖を引かれるまま、見送ったのだった。
「実敦兄さま、、、?」
頼りない行灯の、ともしび。
夕餉を済まし、後は褥に入るだけ。
先ほどまで聞こえていた、母が爪弾く琴の音も止んでしまった、そんな時分。
銀仁は、向かいで、大きな木盤に伸びやかに描かれた色彩鮮やかな世界地図の上に、駒を進めていたあとりに、尋ねた。
「稀水殿の元で、預かる事になった男童がいてな。その方の紹介であるようなのだ」
あとりは姿勢を正すと、高杯に積まれている紅葉の形をした落雁を、つまみ上げた。
まだ、眠る気はないらしく、盤を持ち出して来たため、銀仁はその相手である。
「宮中での出来事など、父上はわらわに何も話してはくれぬでな、、、」
口に入れれば、粉っぽい中に、ほんのりとした甘味が、広がった。
すでに冷めてしまった白湯で、流し込むと、
「一の兄上とは、もう長いことお会いしておらぬが、度々、夢でなら会うておるよ」
黒目がちな眸で、銀仁を見つめた。
「お山で修行なさっている二の兄上と違って、飄々とした御方でな。雲のような気性の方じゃ」
「雲、、、」
「年も離れているせいか、何をお考えなのか、わらわにはさっぱり分からぬ」
「、、、、、」
「ただ、この国を回って、怪異の根を探し、祓っていると父上が言っておった」
「何故、都を拠点とされないのだろう、、、」
不思議そうな顔をした銀仁に、
「単に、旅がお好きなのだ。一度、父上について地方に出向した事があって、それで味を占めたのだと以前、これも父上が洩らしておったが、、、」
銀仁を見つめる眸が、どこか得意げに輝いて、
「先代都守が在りし頃は、次代都守ではとの噂があったらしい」
「次代、、、」
「うん。今の都守が、先代の遺言のまま、、、いや、その実、力ずくで継いでしまったのだと、母上が嘆いていた。と、まぁ、わらわは姉上から聞いたのだけれど、、、」
すぐに、深い闇色へと沈んでしまった。
先代都守の養子であり弟子でもあったが、まったく無名に等しい若者が、底知れぬ神通力でもって都守の座に就いた話を、銀仁も聞いていた。
しかし、その渦中にあとりの兄もいたとは、初耳であった。
「もし、一の兄が都守であったのなら、ずっと都にいらっしゃったかもしれない」
「あとり、、、」
小さな溜息がこぼれて、銀仁はその手をあとりの華奢な肩に置いた。
気丈なあとりの中の、弱い本音が、銀仁には少し痛々しく思えた。
あとりが、視線に顔を上げれば、
「む、、、」
琥珀色の眸が、なんとも言えぬ感情に眇められていた。
「銀仁」
心得たものであとりは、大丈夫だと、いつものように口角を吊り上げる。
そして、
「そなたの番じゃ」
「あ、、、ああ、すまん」
銀仁を促し、サイを振らせた。
さわさわと、赤々と染まり、長く伸びた紅葉の枝が、軒先に触れる音が、する。
風が、でてきたようだ。
その風が呼んだのか、ぱたぱた、と雨足が混じった。
カ・ララ・・・ン・・・
乾いた音が、漆が塗られた器の中に、響いた。
くるくるとひとしきり器の中で踊って、六が、出た。
いち、に、さん・・・
マスを数えていたあとりは、そこに描かれていた文字を読んで、にんまりした。
「そうそう。不思議なお目の色をしていてな。銀仁も、一の兄様に会えばすぐに分かる」
「目の色、、、?」
何気なく駒を進めた後、気がついた。
「む、、、」
駒の下に、『六マス戻れ』の文字。
銀仁の駒を、もとあった場所に戻しながら、
「金色の髪と、南天のように赤いお目をされているから、、、」
あとりは、歌うように言ったのだった。