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第拾幕前 ― 青鈍 ―

 都守に代わって勅旨を下賜されてしまった燕倪。瘴気が噴出していると言われる帝都南東へ、赴く事になったが、、、


 死人還りの都守蒼奘、業丸を継ぐ武官燕倪、幽身であるがこの世に縛られた伯。それぞれが紡ぐ異国絵巻、第十幕前編。。。


 煌々と、中天に昇らんと輝く上弦の月。

 その下に、長い影が伸びている。

 月明かりの中を、肩に雪色の長衣を掛けた若い男が、歩いていた。

 夜露を払うためか、漆黒うるしぐろの笠を被り、背には包みを背負っている。

 高い空に、咽び泣くように響き渡るのは、篠笛の音であった。

 月夜に誘われたのか、はたまた、そうして一夜の宿を得ているのか、、、

 甲高く時に瀟々《しょうしょう》と響き渡ればこの時分、高い築地塀の中で、聞き惚れる者も多かろう。

 やがて、耳にじょうじょうと、琵琶の音が聞こえてきた。

 男の足は自然、その音の方へと向かっていった。

 じょう・・・じょう・・・

 月夜に奏でるその調べを、男の篠笛が捉えた。

 古き時代を偲ぶかのような音色に、

 ヒョゥヒョウ・・ルルル・・・

 どこか高みを舞う鳶が、誘われ舞い降りてくるような、、、

 やがて、

 じょう・・・ぅ・・・

 冴え渡る月の下。

 余韻を残し、琵琶の音が、止んだ。

 長い睫毛が、ふるりと揺れた。

 その意識は今だ空の高みに在るのか、濡れた漆黒の眸が覗いた。

 唇に当てていた篠笛を下ろすと、足元に散る、梔子色の木の葉に気づいた。

 篠笛を手に見上げた先には、

「、、、、、」

 大銀杏が、聳えていた。

 白壁は手入れが行き届き、剥げ落ちたところなんぞ、ひとつも窺えない。

 琵琶は確かに、その向こうからした。

 色の薄い唇から、白い吐息が長く、こぼれた。

 辺りには、いつの間にか夜霧が深く漂っていた。

 行くあてはあるのか、踏み出したその足を、

「もし、、、」

 塀の向こうから、女の声が呼び止めたのだった。


                      ※


「いない?」

 篝火の仕度には、まだ少し早い時分。

 門前で、舞い寄った木の葉を掃いていた琲瑠はいるは、

「ええ。それもここ数日、お屋敷には戻っておりません」

 燕倪えんげいを見上げて言った。

「どこほっつき歩いてやがるんだ、、、?」

「さて。どこへ行くとも、いつ帰るともおっしゃらずに、ただ、出掛けてくるとだけ、、、」

「勝間か、、、?」

 ふと、脳裏に過ぎった筝葉ことはの貌。

「まさか、な」

 口に出しつつも、否定した。

 あの男に、そんな甲斐性があるとは、どうしても考えられなかった。

「伯は?」

「若君でしたら、いつもの楓の枝でお休みになっております」

「そうか。じゃ、あいつの顔を見て、今日は帰るよ」

 いつものように、庭へ続く木立に分け入った。

 季節外れの風鈴の音に、草陰に隠れる虫達の声が混じる。

 藤袴に女郎花、松虫草が揺れる小道を行くと、

「エンゲ」

 枝の上から声が掛かった。

 顔を上げるより先に、肩に回された腕。

 重さを感じさせないその主を、

「なんだ。置いてきぼりで、不貞腐れていると思ったが、、、」

 腕を回して、捉えた。

 脇に手を入れ、目の前で抱き上げると、

「、、、、、」

 菫色の大きな眸が、静かに見つめてきた。

 二又に割れた一対の小さい翡翠の角。 

 ばさらに垂らしたままの群青の髪。

 朱鷺色の唇から、その能面のような貌には不釣合いな犬歯が、覗いている。 

「で、お前も、あいつの行方を知らないのか?」

「、、、、、」

「どうなんだ、、、?」

 ぷいっ、とそっぽ向いた。

「知ってるのか?」 

「、、、、、」

 伯のこの様子で、知っていると見た燕倪。

「ふむ、、、」

 そっと大地に下ろしてやると、

「お前を連れて行けぬとなると、やはり、誰ぞ気に掛かる姫でも見つかったか、、、?」

 顎に手をやって呟いた。

 伯は、そんな様子を冷ややかに眺め、

「はふ、、、」

 小さな溜息を一つ、母屋へ向かって歩き出した。

「んな、、、お前、知っているなら、教えろよっ」

 その背に追いすがる、燕倪。

 行灯に灯りを燈して屋敷を回っていた汪果おうかがこちらに気づき、手にしていた燭台を手拭いに持ち替え、伯の足を拭うために母屋へと上がる石段に膝をついた。

 すんなりと膝に入る、伯。 

 その泥だらけの足を、母親が子にするように拭ってやりながら、

「燕倪様もいらっしゃったことですし、今宵は、杯をお二つ、ご用意致しましょうね、、、?」

「、、、、、」

 こくり、、、

「?」

 何が何だかわからぬ燕倪に背を向けて、伯はそのまますたすたと奥の間へ歩いていってしまった。

 燕倪の耳元に丹色の唇寄せて、

つれなく帰るなとど、おっしゃらないでくださいまし。若君お一人だと、あまりお召し上がりにならなくて、、、」

 あれで嬉しいのだと、汪果がそれとなく耳打ちしたのだった。


 絢爛と花々が狂い咲くその中に、緋毛氈が敷かれている。

 肩肘枕で、長煙管を咥えた屋敷の主が、

「地仙、使いにやった野狐が、戻って参りました」

 その声音に、大きな溜息をついた。

「不在、だそうです」

 砂色の髪、隻眼の若者が、散らかしたままの刻み煙草を、片付け始めた。

 ぼんやりとたなびく、紅梅の煙を眺めながら、

「不在不在と、首に縄でも掛けておけよ、、、」

 紺碧の眸が、空を彷徨った。

「どなたにですって?」

 くすくすと笑いながら、尋ねれば、

「決まっておろう」

 紺碧の眼差しが、胡露うろうを、めた。

 そんな眼差しも慣れたもので、持ってきた茶器を操りながら、

「若君は、いらっしゃるそうですよ」

「ふん。こんな時に、幼神残して、冥府にでも雲隠れか、、、」

 遙絃が、長い爪を苛立たしげに噛むのを見た。

 その手をやんわりと包み込む、胡露の手。

「思い通りにならぬと、その爪を噛む癖。直しませんと、、、」

「構うな。お前の前だけだ」

「また、そんなことを、、、」

 呆れたような溜息に続き、

「まあいい。いざとなれば、幼神を吊るし上げさえすればいい。そうすれば、あやつのことだ、出てくるだろう、、、」

「遙絃」

 銀恢の隻眼が、窘めた。

 そんな胡露が、蓋椀を差し出すのを受け取りながら、

「まぁ、あの性格。何も知らぬで、おとなしくしておるとは思えぬが、、、」

 一先ずここは、様子を見てみる事にしたらしい。


 永遠とも言える、静謐と宵闇の中。

 蒼白く滲んだ広大な、庭。

 御簾など巻き上げたままの、その一室。

 燈明の頼りない灯りの中、うつ伏して何度も読み返した絵巻物に眼差しを落としていた者は、

「誰ぞ、ある、、、」

 微かに揺れた焔に、見えぬ誰かを呼んだ。

 開け放たれたままの襖の向こう。

 ゆらりと、佇んだのは、見たことの無い長身の若者であった。

 その手に、だらりと篠笛が提げられている。

「法師が言うておった、新しい楽師か、、、」

 聞きなれない音色が、響いていると思えば、その主であった。

 燈明の灯りの元に進み出たのは黒髪を長く垂らし、見るからに青白い肌の男。

 そっと膝をつくと、

「はい。今宵、こちらの軒下を借り受ける事となりました。僭越ながら、ご挨拶に、、、」

 抑揚に欠ける低い声音が、応えた。

「今宵と申すと、それは夜が明けるまで?」

「姫が、お引止め下されば、幾日でも、、、」

 しばしあって、

「、、、困った。当屋敷では、夜が明けた試しがないもの」

 いつからなのか、それすらも分からない。

 思い出せないのだ。

「なれば、この上なき喜び、、、」

 生気の欠片も感じられない声音が、応じた。

「喜び、と、、、?」

「はい。いつとも知れぬこのような暮らしを続けておりますれば、明日、身を寄せるところを考える始末。篠笛の音に、打ち込む事もできませんので、、、」

 再び、絵巻物に視線を落としながら、

「そう、、、なら、わらわはいっこうに構わぬゆえ、ゆるりとしてゆかれよ」

 以前にも同じ事を、別の誰かに言った事がある様な気がした。

 二度は無い、別の誰かに、、、

「恐れ入ります、、、」

 平伏し、立ち上がったその背につと、

「そなた名は、、、?」

 これもまた同じ問いを、したような。

 一人一人違う名を、一々覚えているわけでもないのに、、、

 既に灯り届かぬその中で、人影となった男は、横に首を振った。

「日々、違う軒下を渡る身でございますれば、呼び名は様々。お好きなようにお呼びくださいませ、、、」

「わらわが、名付ける、、、」

 そんな事は、初めてであった。

 深藍の直衣。

 涼しげであるのに、どこか憂いを帯びたその楽師。

 浮かんだ名は、

時雨しぐれ

 通り雨の名であった。

「過ぎる雨、でございますか、、、」

 物憂げな男の声音に、

「気に入らない、、、?」

 首を傾げて、言った。

「いえ、相応しき名かもしれませぬ、、、」

 闇の中で、楽師が、薄く笑ったような、、、

「それでは、姫。長い夜のうちに、また、、、」

 渡殿を、夜霧の向こうへと消えゆく楽師の背中を、ぼんやりと眺めながら、

「そう言えば、雨が降ったのはいつのことだったかしら、、、」

 明ける事の無い、長い夜。

 それだけは分かるのに、いつからそうなったのかが、どうしても、思い出せぬ。

 唯一思い出せるのは、、、


 宮中。

「都守が、不在?」

 白袍纏った精悍な若者が、眉宇を顰めた。 

「ああ、ここしばらく屋敷にも戻ってないらしいぞ、銀仁」

 社殿を背に立つのは、束帯姿の燕倪。

 玉砂利が敷かれたそこは、ちょうど陰陽寮の裏手であった。

「南東より噴出した瘴気が日に日に強まっていると、こちらでも場所の特定を急いでいるが、なにせ広範囲らしい、、、」

「南東と言えば、曰くつきの池や社が幾つもあるからな。先の帝の崩御間も無く、逆賊などと言われ、地盤固めに一掃された者達も多かった、、、」

 ふと、かつての出来事を思い出したのか、暗い陰を落とした鈍色の眸。

― 多くの血が流れたその中に、燕倪も居たのだろうか? ―

 銀仁は、鬱々と沈んだ顔の燕倪を、なんとも言えぬ眼差しで見つめた。

 快活明快。

 そんな偉丈夫も、思い出したくない過去の一つや二つ、あるのかもしれない。

 銀仁の視線に気付いて、

「ああでも俺は、見鬼でもないしな。俺一人じゃ、この手の類はからっきし」

 苦笑した燕倪が、手にした桐箱を肩に打ち付けた。

 紫紺と銀糸の組紐。

 紛れもなく、都守に下されたものである。

「勅旨が出たところで、当人もいない。どうしたものかね」

 代わりに燕倪が受け取るのもおかしい話だが、共に行動している事も手伝って、下賜されたらしい。

「陰陽寮だけで片付けられるのであれば、いいのだが、、、」

「まったくだ」

「我も付き合いたいところなのだが、、、」

「ああ、気にするなよ。今朝、清親も心配していたが、あとり、酷い風邪なんだってな?」

 銀仁が、溜息をついた。

 こと、あとりの事となると、この虎精も形無しだ。

「季節の変わり目は、必ず風邪をひくのだ。肺に負担がかからねばいいのだが、、、」

「今日、帰ったら籐那に葱を届けさせるよ。長雨が続いたが、年々水捌けが良くなっていてな。今年は葱が、畑を覆う勢いなんだ」

「ありがたい。あとりも、喜ぶだろう」

「早く良くなるといいな」

 銀仁の肩を叩いて、燕倪は午後の勤めに戻るべく、歩き出した。

「燕倪、こちらも何か動きがあれは、連絡する」  

「おう」

 手だけが、ひらひらと応じた。

― やっぱり、だめかぁ。ま、あとりが病じゃ、仕方ない、、、 ―

 腕に抱いた桐箱を擦りながら、

「ま、とりあえず、あいつが戻るまではあの界隈の警邏から、やってみるか、、、」

 こればかりは仕方ないと、燕倪が呟いた。


 大銀杏で、足を止めた。

 見上げたその枝の葉は宵闇に青白く、くすんで見えた。

 そっと、白い手を伸ばし幹に触れた時、

「、、、、、」

 袖の中で、ころりと動くものがあった。

 袂を探れば、小さな巾着。

 香りも失せてしまった、その匂い袋。

 指先が、その中に固い欠片に触れた。

 巾着の口を開き、眼を眇めたところで、

「ふ、、、」

 思わず毀れた笑みは、誰へのものであったのだろうか?

「どうしたのかね、客人?」

 しゃがれた声が、掛かった。

 腰が曲がった痩躯が袈裟を纏い、夜霧の中でにこにこと佇んでいた。

「いえ、、、」

 俯くその貌に、

「若いのぅ。誰ぞ、心を砕く者でも、、、?」

「お恥ずかしながら、、、」

 手にした巾着を、そそくさと袖に仕舞った。

 大銀杏の前に立つその楽師の傍らに、法師が立った。

「しかし、見事な大銀杏ですな、、、」

「樹齢は、もう百五十は数えることだろうて」

「お屋敷の外で拝見した時には、落葉していた気がしたのですが、、、」 

 その呟きに、法師の長い眉に隠された眸が、

「それよりもこの老いぼれに、そなたを待つ姫の名を、聞かせてはくれまいかな?」

 輝きを増した。

 そんな事などつゆとも気づかぬ楽師は銀杏の木を見上げ、しばらく黙っていたが、

「はて、、、」

 首を傾げた。

 楽師のその背を、法師が満足げに叩いた。

「夜は、長い。朝が来れば、思い出すだろうて。さ、もう一曲、、、」

 見れば、燈明の元、琵琶を抱いた女が調弦をしているところであった。

 全てが仄白く、宵闇に沈むこの屋敷。

 じょうじょう、ヒョロロと、どこか物悲しい音色が、いつまでも夜霧に滲んでいる、、、


 手には、提灯が一つ。

 雲が覆う夜空では確かに心もとない、すっかり夜の帳に抱かれた時分。

 人気の無い通りを、背を丸めた男が歩いている。

「あのな、、、」

 ここ最近、陽が陰るとめっきり冷え込むせいか、その猪首に布を巻いている。 

「そりゃこうして来てくれるってのは、嬉しいが、、、」

 鈍色の眸で、見上げた先。

 その左肩に、座っている者がいる。

 男の硬い髪をむんずと掴み、その背に両足を投げ出しているのは、

「肩からは降りてくれないか、伯、、、?」

「、、、、、」

 燕倪のそんな頼みも、もちろん聞く耳持たぬ、伯である。

 先刻、琲瑠を連れ、警邏を見越したかのように燕倪の屋敷を訪ねてきたのだ。

『秋の夜長と言いますし、連れて行ってはいただけませんか?』

 琲瑠の、あのなんとも困った表情で頼まれると、断る理由も見つからず、この有様である。

「なんだかな、、、」

 真綿の如く、重さを感じさせぬだけ、幸いであった。 

 向こうの辻から巻いた風が、肌を弄って行く。

 黒髪が、はたはたと頬を打った。

 御所から南東に下ったこの界隈は、宮家や公家らの贅を凝らした屋敷や別邸が居並ぶ。

 鬱蒼とした竹林や、船を幾艘も浮かべても余りある大池を所有する屋敷も多い。

 耳を澄ませば、高い塀の向こうから笑い声や嬌声、華やかな琴の音も聞こえてきたが、それも夜が深まるに連れて、静まり返っていった。

 懐手で、長い築地塀の屋敷居並ぶ界隈を、一刻程は見回っていたであろうか。

「、、、、、」

 ふと、その足が止まった。

 しん、と静まり返った、とある屋敷の前。

 固く閉ざされた、門扉。

 手入れが行き届かず、崩れかけた塀が、なんとも寂しげ。

― ここは、、、 ―

 塀から窺い見える大きなまゆみの木に、見覚えがあった。

 あの日も、月の高いこんな夜であった。

 けたたましく吠え立てる、犬の声。

 馬の蹄の音。

 赤々と燃える篝火を手に、具足を鳴らし入り乱れる、武官らの声。

 わんわんと耳に残るのは、根絶やしにされた一族郎党の阿鼻叫喚であったか?

 それとも、返り血にぬめる太刀の柄を握り直した、荒い己の息遣いであったか?

 思わず額を押さえたその耳に、

「あふ、、、」

 小さなあくびが聞こえた。

 見れば朧に垣間見える月が、傾いていた。

「今日は、もう帰ろう。伯」

「ん、、、」

 眼を擦る童を肩に、燕倪は元来た道を戻り始めた。

 居並ぶ屋敷の幾つかに、手を血で染めた忌まわしい己の過去がある。

「だから正直、気が乗らないんだがな、、、うう、さむっ」 

 夜気が入り込む胸元の襟を合わせながら、ひとりごちた。

 背を丸め、足早に帰路に着くその男の肩で童が、ひとり。

「、、、、、」

 どこか恨めしげに、欠けたる月を隠す薄雲を、見上げている、、、


 翌昼。

 左近衛府、社殿。

「あふぁあっ」

 欄干に背を預け、生あくびを繰り返しながら、肩を揉み解すのは、燕倪。

 ここ最近は人事異動が続き、地方で荒らしまわっている盗賊被害も手伝って、警邏のための部隊の編成、再編の件で届けられる要望書や案件が、燕倪の机にも山と積まれる事となった。

 下官に慕われる性格が災いして、中々筆が進まないのが本音なのだが、可能なのであれば、

― 烈也の机に、そっくり積み上げてやりたい ―

 などと忌々しげに、己が文机を睨んでいると、

「少将」

 若い武官が、歩み寄って来た。

「うん?」

「陰陽寮の銀仁殿が、いらしてますが、、、」

「ああ、すぐ行く」

 大きく伸びをしながら、他の社殿とを結ぶ渡殿へ。

 その途中に、白袍を纏った長身の若者が待っていた。

「いっそ、左近衛府うちに欲しいくらいだ」

 堂々たる、その体躯。

 白袍でなければ、そのまま武官と見紛う銀仁である。

「困らせてくれるなよ」

 苦笑した虎精が、

「おおよその場所は、特定出来たぞ」

 声を潜めて言った。

「おおよそ、、、?」

「それと、この半月で、分かっただけでも三名程、消えている」

「消えて、、、」

「主人の使いに出た者。夜半に抜け出したと見られる子息が一人。中には女子おなごの元へ向かう道中、主人を残して牛追いが消えた事もあったらしい。どれも、夜だ」

 銀仁が、丸めた紙を差し出した。

 広げたそれは、帝都南東部の地図であったが、所々に赤い印が打ってあった。

「この赤く塗り潰されているのが、消えた三名の屋敷で、この点が、牛追いが消えた付近だそうだ。この黒い丸は、、、」

 その一つは、昨夜足を止めた場所ではなかったか?

「帝が即位された後、討ち入った屋敷跡、だな、、、」

 その呟きに、

「燕倪、、、?」 

 銀仁が顔を覗き込んだ。

「ああ、すまん。続けてくれ」

「、、、消えた者の屋敷と、牛追いが消えた付近をざっと囲むと、この辺りになる。昨日、調べに行った陰陽師らの計器での測定も、だいたい符合した」 

「それで、おおよそなのか、、、」

「ああ」

 燕倪は、太い腕を組んだ。

 庭の玉石が、陽光に反射してきらきらとしている。

「昨夜、この辺りは通ったんだが、別段おかしな感じではなかったがな」

「そうか、、、」

「伯が来てくれてな。瘴気が濃ければ俺でも見えるだろうが、あいつも何も見なかったようだし、、、」

 辺りが、ふいに暗くなった。

 太陽を、流れる雲が隠したのだろう。 

「普通、瘴気が濃くなれば、他の鬼共の動きも活性化するんだろう?」

「ああ。だが、今回はどうもそうでもないようだな」

「おかしいよな」

 一礼しながら、通り過ぎる若い武官達の忙しない、足音。

 どこからか聞こえる、賑やかな笑い声。

 彼らのそんな日常に気を止めてみれば、あの不遜な都守の供などせずに過ごしていたのなら、こんな話に頭を悩ませる事もなかったのかと思い、

― しかし、あいつ、どこにいるんだ? ―

 となった。

 急に憮然とした燕倪の胸中を他所に、

「充慶殿が言っていた。瘴気は噴出してはいるが、消えているのではないかと、、、」

 銀仁が、ぽつりと言った。

「消えて?だが、今までそんな事、、、」

「もしそうであるのなら、計器に出た瘴気は、漂っていると言った方が近いのだろうな」

「漂うって、、、その、噴出して蟠っているってのか?」

「そこには無かったものが現れるのなら、可能性はある。結界と呼ぼうか、異界と呼ぼうか、、、」

「異界、、、」

 聞きなれぬその言葉に、

「異界はそのまま、この世ともあの世とも異なる世を言う。結界は、その世の摂理で構築されるが、異界はなんとも厄介でな、、、」

 ぐうの音も出ずに、首を傾げた燕倪。

「たとえば夢は、一つの異界だ。あの世ともこの世とも、異なる。目が覚めて忘れたとて、その記憶はどこかに在る。どこに在ると思う?」

「頭の中か?」

「まあ、そのようなものだ。逆にその記憶が、夢という異界と我々を繋いでいるとも言える。ただ、肝心なそこへ至る鍵の在処ありかは無意識の中にこそあって、思い出せぬだけなのだ。あとりは、生来その在処を知っている。故に、夢路を渡り、時に他の夢に干渉する事ができるのだ、、、」

「待てよ。鍵のある無意識の地点ってのは、皆共有していると言うことなのか?」

「どうも、そうらしい、、、」

「わからん、、、」

 銀仁もあとりから聞くに、その見解に行き着いただけらしく、

「夢の場合だがな」

 そう、強調した。

 呻く燕倪の眼差しの先で、玉石が白々と輝いた。

 太陽を覆っていた雲が、晴れたのだろう。

「とにかく、異界がこの世に現れたり、消えたりしているのなら、、、」

「異界への鍵を持つ何かが居て、この世に現れたが故に、、、瘴気を放つ?」

「それと、異界そのものを形成した、核の存在。楔とも言うが、いずれにせよ瘴気を放つくらいだ。それ相応の化生の存在は否めない」

「よく分からん上に、ますます厄介だなぁ」

 頬を掻く燕倪に、

「だから、こうして陰陽寮が情報を流しているのだ」

 銀仁が苦笑して言った。

 燕倪の懐に地図を捩じ込みながら、

「都守を待って、動いた方がいい」

「そうだよな、、、」

 深い溜息を、背中に聞いた。

 渡殿を陰陽寮へと戻りながら、

「ああ、燕倪」

 同じところで、まだぼんやりとしている燕倪を呼んだ。

「あ?」

 顔を上げたその人が、

「あとりの礼を、忘れていた。熱にうなされながらも、どうせなら鴨もよこせ、と呻いておったよ」

「お前の姫らしいな」

 ようやくいつもの調子でからからと笑った。

 そして、

「この件が片付いて、あとりの具合も良くなったら、落葉の山に狩にでも行こう」

「ああ」

 二人は、背を向けて歩き出した。

 机の脇に山と積まれた書簡。

 おとなしくその前に座ると、左中将で従兄弟の真紀烈也まきれつやが様子を見にやってきた。

「燕倪、それは二の次にして、都守を探しにいったらどうだ?」

 召喚にも応じない、都守。

 勅旨まで代わりに下賜されてしまったのを、さすがに憂いているらしい。

 上官として右近衛府からの風当たりを一身に負いながらも、その武功で数多の姫君をものにしている 烈也にしたら、その実、さっさと片付けてもらいのだ。

 ここは一つ、熱を入れている姫との枕話に新しい花を添えて貰いたいのものだが、 

「探したって、出てくるような奴かよ、、、」

 もっともとも言える燕倪の呟きに、肩を落としたのだった。


「姫」

 しゃがれた声が、掛かった。

 青い目の人形。

 金色の巻髪を、櫛で梳いていた姫は、顔を上げた。

 視線の先。

 開け放たれた襖の向こうに、小柄な影が蹲っていた。

「なんじゃ、法師」 

 膝を擦りながら進み出ると、燈明の灯りによって皺深い顔に、影が落ちた。

「いえ、こちらに笛吹きが参っておらぬかと、、、?」

「笛吹き、、、先刻、挨拶に来た楽師か?」

「はい」

 恭しく平伏する法師に、

「知らぬ」

 人形遊びに忙しい姫の返事。

「ええ、そうでしょうとも。お屋敷は広うございます故、他を探してみます」

 渡殿へと向かうその背に、

「法師」

 声が掛かった。

「はい、なんでしょうか、姫?」

 にこにこと振り返れば、

「その笛吹きに逢うたら、伝えよ。せっかくじゃ、一曲、所望すると、、、」

 抑揚に欠けるその声音。

「かしこまりました」

 深々と一礼し、霧の中へと消え去るのを待って、姫は手にした人形を放り投げた。

「よいぞ」

 声を掛ければ、後ろの屏風から、

「お心遣い、痛み入ります、、、」

 黒髪の楽師が姿を現した。

 燈明の下。

 車座になったその膝に手を置いて、

「して、その男のまなこの色は?」

 身を乗り出した。

 露に濡れた黒曜石を思わす、その眸。

「姫も良くご存知かと、、、」

「もったいぶるな、時雨」

 楽師が、穏やかに見つめ返す。

 そして、

青鈍あおにびでございます、瑚麝姫ごじゃひめ、、、」

 宵闇に滲む、その色を告げたのだった。


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