第23話 山田住子のような人
一月からスタートした新しいドラマで林太郎が演じているのは、ヒロインよりも年下の男だ。
リンが演じる役の多くは、爽やかであれ俺様であれ、ヒロインよりも上の立ち位置にあるものであったが、今回はそれを払拭するような役柄となっている。
深夜枠のドラマで、主なターゲットは三十代の女性。
上司と後輩に挟まれて、日々の生活に疲れた社会人女性が、年下の男と出会って癒されていく物語。
ニコニコと笑う、かわいい子犬系男子を好演していると話題になっている。評判は上々だった。
林太郎は、ドラマについて書かれているネットの記事を見ながら、笑みを浮かべる。
大杉にも褒められたし、社長にも声をかけてもらえた。
もっとも双方ともに「あれはおまえの素だから、いい具合に肩の力がぬけて自然に感じる」と言われている。
つまり、普段は「つくりもの」だと遠回しに酷評されたようなものかもしれないが、それはそれ。これからがんばって、極めていけばいいだけのはなしである。
(『恋模様』で幅も広がったと思うし、これもぜんぶ住子ちゃんのおかげだよなー)
ちょっとした偶然からはじまった「練習」は、林太郎の糧になっている。
こんなふうに、特定の女の子と長期間をともに過ごすのは初めてだが、変な気負いもなくいられるのは、波長が合うのだろう。
住子の家庭環境を知ってしまい、年末はアパートにいることがわかったため、年越し年明けは一緒に過ごした。去年いちばん最後に会ったのも、今年はじめて顔を見たのも、どちらも住子だった。
ひどく遠慮をされたけれど、「付き合ってることになってるんだから、一緒にいるのは当然だ」と言い切って、押し通したものである。
世間一般的に家族で過ごすことが多い正月を、平日と変わりなくひとりで過ごしているのかと思うと、放ってはおけなかった。
林太郎のように芸能界で生きていると、盆暮れ正月と家族の顔を見に行くのは難しいけれど、住子はちがう。ごく普通の女の子が、周囲に気をつかって自分だけが我慢をしている状態は、絶対におかしい。
林太郎は憤慨していた。
こうなると「恋人設定」は都合がよい。
住子が、男女交際をしたことがないのをいいことに、「こういうもんだって」と踏み込んでいけるのだ。なお、林太郎自身も誰かと正式に付き合った経験など皆無に等しいことは、棚上げである。
部屋でふたりで過ごすのはおうちデートで、連れだって買い物に行くのもデートだ。
重い荷物を持って住子の部屋へ帰るときは、まるで同棲しているような気分になる。うっかりそれを口にすると、いつものように「バカなの?」と返されたけれど、それすらかわいいと思えた。まったく「彼女設定」はいいことづくめである。
◆
スタジオに入ると、めずらしく慎吾が女性とふたりで会話をしているところだった。音楽関係者でもスタッフでもない彼女は見知っている人物で、林太郎は声をかける。
「田坂さん、来てたんだ」
「こんにちは、リンさん」
「レコーディング、今日だっけ?」
「いえ、明日なんですけど、最終確認です」
田坂かおりが出演する映画、その音楽をシンが担当しており、彼女自身も作中で歌うことになっている。以前から打ち合わせをしているのは知っていたが、こうしてその現場に出くわしたのは初めてだった。
ドラマの撮影現場で会うことが多い人と別のフィールドで会うと、どこか気恥ずかしいような感覚に襲われる。それは相手にとっても同じであったらしく、照れくさそうな笑みを浮かべていた。
「そういえば、リンさん。投票見ました?」
「あ、見た見た。締切はまだ先だけど、結構上位に食いこめそうだよね」
「はい。うれしいです」
投票というのは、二人が出演しているドラマ『恋模様』の人気投票のことだ。いままでに放送したエピソードのどれが人気があるかをはかるもので、上位になった作品は同キャラクターによる続編がつくられることが多い。シリーズ化すれば、継続した出演も可能となるため、役者陣としても気になるところだった。
田坂かおりが言っている作品は、「マンションの隣人同士」の物語。その相手役が彼女だった。『恋模様』というドラマに参加が決まって、最初に担当した作品であり、住子と「練習」をするキッカケになった作品でもある。林太郎にとっては、色々な意味で大切な一本だ。それが視聴者の人気も高いというのはうれしいもので、自然と顔もゆるんでくる。
そうやってふたりで笑顔を浮かべていると、慎吾の声が割り入った。
「和んでるところ悪いんだけど、話を続けてもいいかな」
「あ、すみません、私ったら」
「おまえ、もうちょっと言い方考えろよ、田坂さん悪くないだろ」
「そうだな、おまえが悪い。仕事に行け」
「へいへい、すみませんでした」
必要な荷物を取りにきただけだった林太郎は、据え付けられたロッカーからノートを取り出すと、スタジオをあとにする。
それを見送ったあと、慎吾はあらためて田坂かおりを見て、問うた。
「田坂さんってさ、あいつのこと好きだったりするわけ?」
「はい?」
放たれた疑問に、田坂もまた疑問符をつけて返す。
「好きっていうのは、つまり、その、恋愛的な意味での『好き』ですか?」
「やめたほうがいいよ、見込みないし」
慎吾が告げると、彼女は眉を寄せた。
整った顔立ちをしているが、美人という言葉を冠するたぐいの雰囲気ではない。
女優である彼女にしてみれば、それは欠落として重くのしかかることかもしれないけれど、慎吾にしてみれば、美人は圧倒されて疲れるだけだ。
おそろしく整った顔をした林太郎という相方の場合、中身が中身なので気楽なものだが、女性となれば話はべつで。
美人の相手は疲れる、というのが、慎吾の経験談。
そういった点から、田坂かおりは悪くない。美しいというよりは、可愛らしい部類の女性だと思っている。
その田坂はといえば、慎吾の弁にしばし黙りこんだあと、口を開いた。
「あの、たしかに私は美人じゃないし、リンさんとは釣り合わないと思います。でも、そういうのとはべつに、恋愛感情は持ってないです」
硬い表情を浮かべた彼女に、今度は慎吾のほうが黙ってしまう。
そんなふうに自虐させるつもりはなかったのだが、誤解を与える表現になっていることに気づき、自省した。
「……ごめん、そういう意味じゃないんだ。見込みがないっていうのは、田坂さんの容姿に関係することじゃなくて、あいつ自身の問題だよ」
「リンさんの問題、ですか?」
「顔はいいけど、中身は子どもだよ、あれ」
それに、あいつには『住子ちゃん』がいるからな。
口にはできない本当のことを内心で呟いて、田坂かおりに目を向ける。
さっきまであった顔のこわばりは解け、いまは疑問符を浮かべている。どうも思考が顔に出るらしい。
女優として、それはどうなのだろうかと思うが、慎吾自身は好感を覚えた。
そのついでに、告げておく。
「あのさ、田坂さんはたしかに美人じゃないかもしれないけど、俺は君みたいなかわいいタイプのほうが話してて楽だから好きだよ」
「――フォレストって、ふたり揃って天然キャラなんですか?」
「なんだよ、それ」
「そういうとこですよ」
頬をゆるめ、顔全体でつくる笑顔は印象的で、彼女の魅力はきっとこれなのだと感じ、慎吾の胸に新しい色が広がる。
「あのさ、歌詞、変えていい?」
「え、それは明日レコーディングするっていうやつですか?」
「あれはそのままで。映画の曲だから変えられない。CDのカップリングにするやつ」
「私はかまわないんですけど、いいんですか?」
歌詞を変えるとなれば、アレンジもおそらく変わってくる。譜面を書き換えるところも出てくるかもしれない。
けれど、今のままではきっと慎吾が納得できないのだ。
「田坂さんの曲だからね。ちゃんとイメージに合ったものに仕上げたい」
◆
車に乗りこんで向かった先は、喫茶店。女性向けファッション雑誌の対談で、その相手は愛田美衣亜――ドラマ『恋模様』で共演したアイドルタレントだ。
あらためてプロフィールを確認する。
みぃあ、というのが、愛田美衣亜の愛称らしい。SNSでも自らをそう呼称しているし、ファンのあいだでもそれで通っている。
若いなーと思わず漏らすと、「二十歳も二十六歳も、たいして変わらん」と大杉が断じた。
「えー、六歳差ってでかいでしょ。小学校に入って卒業するぐらいの年数だよ?」
「俺にとっては一緒だ、一緒」
今日は、読者モデル出身の彼女の古巣である雑誌で、ドラマの宣伝も兼ねた仕事となっている。
女性誌の取材は多いけれど、今回の主役はどちらかといえば、愛田のほうだろう。専属モデルを卒業し、芸能界で新しく仕事をはじめた彼女を支援する目的もあるのだと思う。
そうなると自分はあくまでゲストだと考えていたが、実際の対談では愛田自身からも質問を受けることが多く、リンへの質問会の様相を呈しており、内心で首をかしげた。
撮影現場で見た姿とは異なり髪を明るい色に染めていて、彼女のキャラクター性というものが浮かびあがってくる。
インタビュアーのほうは、愛田のこういった言動には慣れているのだろう。はしゃぎすぎるところをうまくコントロールし、落ち着かせる手腕は見事だった。
出演したドラマの話題となり、役柄や物語の内容を愛田自身が語っていく。絡めて、今後はどんな仕事をしたいのかという話が出たとき、彼女は笑顔で展望を口にした。
「女優さんもいいんですけど、カラオケ得意だし、歌もやってみたいんですよ。どうせなら、ぜんぶやりたい」
「美衣亜ちゃん、バイタリティあるもんねー」
「リンと一緒にやったドラマで、女優って楽しいなーって思って」
「現場での彼女はどうでした?」
コメントを求められ、林太郎はそつなく答える。
「そうですね。今回のヒロインは女子高生ということで。二十六歳で大学生役をやる身としては、彼女の若さに助けられました。おっさんが多いですからね、現場も明るくなりましたよ」
「ぜんぜんイケてますよー。みぃあのほうが、リンのオーラに負けてないか心配だもん」
「このドラマ、当然ラブシーンなんかもありますが」
「どんなふうになってるかはー、見てのお楽しみです!」
楽しげに笑う顔を、カメラマンが捉える。
笑顔と元気な声は、現場を明るくさせるものだ。
そこには、若さだけではないエネルギーがあり、人気があったというのも頷ける印象だった。
今回の対談で着用している服は自前だそうで、林太郎にはわからないけれど、同世代の女性には好ましい恰好なのだろう。
あたたかそうな赤いニットのワンピースから伸びる細い足は、厚手の黒タイツに包まれている。袖口には白いファーがついており、同じ色合いのファー付きブーツを履いていた。
耳たぶで光るのは宝石だろうか。二十歳そこそこの女の子が身につけるには高級そうだが、聞いた話によれば、彼女はかなり裕福な家のお嬢様であるらしい。質の良いものを身に着けていても違和感がないのは、そういう環境で育ってきたせいなのだろう。
こういった服装は愛田美衣亜によく似合っているが、林太郎の好みではない。もうすこし落ち着いた色のほうが、目に優しいと思う。
たとえば、住子がこういう服を着たとしたら、どうだろう。
想像しようとして、途中で放棄する。服を見せた時点で「いやよ」と言い、着てみてとせがむと「バカなの?」と言うにちがいない。
そもそも、赤を着るイメージではないのだ。普段から黒やベージュ系の色ばかり着用しているが、それだってべつに似合っていないわけじゃない。
住子が地味な装いばかりを選択しているのは、おそらく死んだ母親のせいだろう。明るい色を身につけようものなら、派手だの男漁りだのと周囲から陰口を叩かれる。揶揄されるぐらいなら、地味に地味を重ねて暮らしたほうがずっと心安らかになるはずだ。
その選択は正しいと思うが、すこしだけ寂しいとも感じる。無意識に枷をかけている住子を、救ってあげたいと、そう思う。おこがましいかもしれないけれど。
「恋愛ドラマに絡めて、やっぱり読者の方が気になるであろう質問をしてもいいですか?」
「はい、なんですかね」
「ずばり、リンさんの好みのタイプは、どんな女性ですか?」
「好みの女性?」
それ自体はありふれた質問で、これまでにも何度も答えてきたたぐいのものだ。
無難でお決まりな返事をして終わる、悩む余地もない質問。
けれど、なぜか今日は違っていた。
問われた直後、脳裏に浮かびあがったのは、住子のことだった。
ついさっきまで、ずっと考えていたから。
何度も疑似的な恋愛対象として、芝居の練習をしてきたから。
ついには、偽装彼女になったから。
どれも合っているようで、なにか違っている。
好みのタイプ。
つまり、好きな人だ。
どういう人が好きか。
どういう人を好きになるか。
誰のことが、好きなのか。
「……一緒にいて、苦痛じゃないような、波長が合う人がいいですよね」
それは例えば、山田住子のような人。




